夏季休暇に入り、二か月ほど私とベーセル兄は自由の身となった。今年大学受験のベーセル兄は勉強に励んでいるけれど、私は道場に朝から夕まで入りびたり修行に明け暮れていた。
「おはようございます! 林原先生!」
「おっ! 来たかフィエーナ、待っていたぞ!」
早速今日も私は早朝から道場にやってきて、修行に励む。
五歳の頃、道場へ通うようになってから七年。前世での修行も合わせると都合三十年近く私は剣の道に人生を捧げてきたことになる。
最初の三年は林原先生の剣に圧倒された。私は過去の記憶をなぞって力に頼った動きをしていたからだ。私が成長に伸び悩んだ時、林原先生は単純な力に頼らない剣の動きを見せてくれた。
「これはな、天河流で最高の使い手と謳われた天河宗前の動きを録画したものだ」
白黒で解像度の荒い動画だった。しかしそれには老年期に入り、単純な力では青年には劣る天河宗前の洗練された剣の動きが残されていた。私は頼み込んで映像を拝借し、コピーした映像データが破損するほど見続け、動きを学んだ。
思うにヴェイルに限らずあっちの世界の人間はこっちの世界の人間に比べて頑丈で身体的に優れていた。その上魔法で肉体を強化していたのだから、私がヴェイルの動きをそのまま真似ても労するところ少なしだったのだ。
今の私は地球に生まれ、それ以上に女で、そして子供だった。単純な身体能力で林原先生に勝てるはずがない。それでも林原先生と何とか渡り合えたのは、ヴェイルの頃命を懸けたやり取りを繰り返した経験と勘あってのものだった。
私は新しい今の私にあった体の動きというものを探し、身に着ける必要があった。その模索の最中、かえって実力が落ち込むこともあった。それでも、もうヴェイルのように私は動けない。参考になったのは林原先生から授かった天河宗前の動きが残された映像資料だった。
私の悪戦苦闘が実りだしたのは天河流に入り四年目のこと。ようやく私は私に合った動きを体得した。それからは一気に実力が伸びていき、十二歳の今では林原先生にも余裕を持って相対出来るだけの実力を手にした。
「よし、行くぞフィエーナ」
「はい! 先生!」
本物の日本刀を使った型稽古は一歩間違えれば死を招く危険な行為だ。攻め役と受け役に別れて動くことになるけれど、特に振るってくる剣を受け止める受け役には高い技量が必要とされる。唯一、この道場で私は受け役を林原先生相手に演じることが出来た。
互いに日本刀を持って、剣を振るう。もはや一般人の目には映らない速度で私と林原先生は型通りに剣を、体を動かす。日本刀同士が触れ合い、金属特有の高音を道場に響かせる。
一通りの型稽古を済ませると、あっという間にお昼時になっていた。
「フィエーナ。よくぞここまで腕を上げたな」
「先生こそ、剣がどんどん冴えわたっているじゃないですか」
「ふっふっふ。お前を越える目標が出来たからな」
林原先生も私の実力に追いつき追い越すように剣の腕を伸ばしていた。私が思うに実力が拮抗した使い手が互いに切磋琢磨する時こそ、実力を伸ばす機会に恵まれるのでないだろうか。
「それにしても……遥の上達ぶり、どう思われます?」
私と林原先生が型稽古をする道場の向こう側、先生の息子である陽人と型稽古をしている遥は既に堂に入った動きで陽人と互角の力を見せている。
「あれは……異常だ。お前と比べてもな」
私と手合わせをして笑顔だった林原先生の表情が畏怖を交えた物に変わる。まだ遥が剣術の道に入ってから一か月。たかが一か月と言うのに、十年以上修行を続けていた陽人に付いていけている。
私や林原先生が自動車なら、遥はジェット機の如き速さで実力を身に着けていた。
「私が二年かけて身に着けた柔の動きを遥はたった一月で物にしてしまいました。天河流の型だってもう既に全てマスターした。彼女、一体何者なんですか」
私としても正直、あの上達ぶりに恐怖を覚えない訳ではない。私の苦労を軽々と踏み越え、彼女は一気に剣術の達人にまで成長してしまった。
「天河流次代の至宝、と目されている人材だ。努力を惜しまない天才ほど怖い者はないな」
あの上達ぶりなら夏季休暇が終わるまでには私と手合わせ出来る程度には成長するだろう。私も負けてはいられない。久方ぶりに魔王のような強大な相手と対峙する予感が、私に武者震いを起こさせる。
「林原先生、もっともっと修行です! 私たちだってまだ成長できるんですから」
「ああ! そうだな! でもまあまずは今日は昼ごはんにしよう! 腹が減った!」
がっはっはと豪快な笑い声を上げながら、林原先生は私の肩を叩く。
道具の後片付けをした私たちは道場に併設されている日本家屋へ移動する。今日集まった受講生の中で午前中しか参加しない者、さらには午後から参加する予定者も加わり十五人も一つの食卓を囲んだ。
「何だまた来たのか」
「先生の奥さんの料理美味しいですからね」
「美味い日本食が食べれる場所は中々ありませんし」
林原先生の呆れたような口調に受講生たちは口々に幸恵さんの料理の美味しさを讃える。
「そういってくれると作るのにも精が出ますわ」
ニコニコと丸っこい体系の中年女性がお櫃を持って現れる。
「手伝いますよ」
「あら、ありがとうね」
流石に十五人分の料理を作るのは手間がかかるだろうに、幸恵さんはむしろたくさん料理が出来て幸せだと言ってくれる。その好意に甘える訳にはいかない。林原先生も一緒になって全員で料理を運び、皿に乗せ、食卓まで運んでいった。
「よし全員座ったな。頂きます!」
「頂きます!」
頂きますだけは日本語で全員が復唱し、一斉に食事へと移っていった。私もここで食事を何年も取る内にすっかり箸の扱いに慣れてしまった。唐揚げを摘まみ、きゅうりの漬物を齧り、ご飯をよく噛み、お味噌汁を啜る。ロートキイルとは違う異国の食事だけれど、今ではこの味に私は慣れ親しんでしまった。
「うん! 今日も美味い! 幸恵の料理は最高だ!」
「ありがと鳳二さん。はい、お代わり」
先程まで体を動かしていたものが大半だ。お櫃のご飯も、大皿に積まれた唐揚げも、ボウルに入ったサラダもどんどんなくなっていく。
「麦茶がなくなりそうね、ちょっと取って来るわ」
「手伝いますよ」
「あ、私も」
「あら、助かるわトイフェルにジューコフ」
ここら辺、受講生の大半が大人だからだろうか。幸恵さんが大変そうだと感じたらすかさず行動に移し助け合っている。これだけ手間を掛けさせているのだ。いくら食費を払っているとはいえ、何もしない訳にはいかないと思ってしまうのだろう。それにきっと感謝の念も込められているに違いない。
「全員よく食ったな。ご馳走様でした!」
「ご馳走様でした!」
ご馳走様の号令が林原先生から出ると、その後当然のように後片付けを全員で行っていく。皿洗いも洗い場に先に立った者が率先して実行する。料理を作ってもらった分、その片付けには幸恵さんは座って休んでいてもらう。
「毎日ありがとうございます幸恵さん」
「ふふ、いいのよ。私もみんなが美味しそうに食べてくれて嬉しいから」
私が肩もみをするとやっぱり凝っている。十五人分も一人で用意するのはきっと大変なことなのだ。いつの間にか私は身長が伸びて、もう幸恵さんは私よりも小さくなってしまった。私ももう十二歳か……。時が流れるのは早い。
「ねえ、幸恵さん。私も料理作ってみたいけれど手伝わせてもらってもいいかな」
「なあに突然? フィエーナちゃん剣術が恋人みたいに熱中してるのに」
「駄目かな」
「ううん」
うーあー言いながら肩を揉まれていた幸恵さんは、私に振り向いてにっこりと笑った。
「ありがとフィエーナちゃん。明日から手伝ってくれる?」
「うん、任せて!」
翌日、私は十人を超える料理をたった一人で用意する大変さを初めて知った。