「雪夜、もうすぐ着くって」
「そっか」
午後から私たちはお祭りに出かける約束をしていた。徒歩とバスで十五分くらいのお寺が開催場所なのだけれど、隣町に住む雪夜とは駅から乗り継いでくるついでなので遥が家に来るように誘ったのだった。
だらけていた私たちが外出に身支度を整えていると、エントランスに到着した雪夜からインターホンを鳴らす。オートロックを開錠してしばらく待つと、花柄のワンピースに身を包んだ雪夜が玄関に立っていた。
「こんにちは~、春前雪夜です」
学校でしか会っていなかった雪夜の私服姿は新鮮で、何処か艶やかな魅力が爽やかな子供のような笑顔と混じり合って、とっても可愛らしかった。
私たちに愛らしくウインクを投げた後で丁寧に両手を前に重ねて頭を下げる雪夜を前に相好を崩しながら奈緒さんと仁悟さんはにこやかに挨拶を交わす。
「あらぁ、可愛らしいお友達ねぇ。遥の母の奈緒です」
「父の仁悟です。外は暑かったでしょう? 少しだけどゆっくりしてきなさい」
「ありがとうございます、ほんっとに暑かったです」
汗を拭い、パタパタと胸元を仰いで見せる雪夜をリビングに案内してしばらく冷房の効いた室内で少しの間だけれど休んでもらう。
「雪夜ちゃんは隣町から来たんですって? 遠くなかった?」
「いえ、駅の近くに住んでいるのでそうですね……十分くらい、かな」
「ほら雪夜。暑かったでしょ」
「ありがとう遥」
遥が持ってきた麦茶の入ったコップを雪夜は両手で包み込むように持ち、こくこくと喉へ流し込んでいく。所作は丁寧だけれど喉は渇いていたらしく、雪夜の両手に収まる小さなコップの中身はすぐになくなってしまった。
「もう一杯持ってこようか」
「うーん……お願いしてもいいかしら?」
「いいよ」
タッと立ち上がり軽々と冷蔵庫に飛んでいく遥はやる気に満ちている。お祭りに行けるのが楽しみでテンションが上がってるみたいだ。
「お外は暑いよねー、分かる」
「ねー。私、せっかくおしゃれしてきたのにすぐに汗がぶわって! もー嫌になるわ」
バスの出発時間が来るまで十数分ほど。雪夜の汗がすっかり引いた頃、時間が迫ってきたので私たちは出発することにした。
一ヶ宮夫妻に見送られた私たちはマンションの外に出て、再度の熱暑に歓迎される。先ほどまでこの中を歩いてきた雪夜はうんざりとした表情を見せ、ふらふらと私に倒れ込んできた。
「ううー……」
「もう、暑いよ雪夜」
「あ、フィエーナのお肌しっとりとして気持ちがいいわ」
「ほんと?」
「二人とも! 暑いったら!」
「んふふー」
「ふふー」
私が身を震わして二人を振りほどいたけれど、その後も二人は何かと私にくっついてきて大変だった。バスの車内が涼しかったのが幸いだ。
「ふう、一息付けたね」
「涼しーわねー」
「んー」
周囲からの好奇の視線を浴びながらバスに揺られて十分くらい、意を決し降車した私たちの周囲は遥の住んでいる地域とはちょっと毛並みの違う街並みをしていた。道路はアスファルトから小奇麗な石畳になっていて、白壁が眩しい寺社が軒を連ねている。家々も歴史のある趣きがして、外国の人が想像する日本の街並みって感じがする。
「ここら辺は雰囲気違うね」
「朽木は古い町並みが保存されてるんだってお父さんが言ってたよ」
「それだけじゃないわ、三丘市の歴史ある家系ならこの辺りにお屋敷を持ってるの」
智恵はこの辺に住んでいるらしいし、やっぱりいいところのお嬢さんなんだな。
私たちがお祭りに向かっていると、浴衣を着た人がちらほらと私たちと同じ方向へ歩いている。人通りも増えてきてバス停周りの閑散とした雰囲気から随分と賑やかになってきた。
「何だか楽しくなってくるわね」
「祭りの空気が近い」
「んー、心なしかみんな顔つきが楽しそうだね」
「フィエーナもウキウキしてるでしょ」
「分かる?」
「分かるわー、ね遥?」
こくこくと頷いて見せる遥。
鈴子にもうすぐ着くと連絡すると、今ここに居るよと写真を送って来る。自撮りじゃなくて誰かに撮ってもらったみたいで、その点を聞いてみると弟の大志も来ているのだとか。写真を雪夜と遥にも見せて三人で何処だろうと歩き回っていると、鈴子の無邪気で愛らしい声が遠くから響いて来る。
「フィエーナちゃーん! こっちだよー!」
「鈴子!」
ぴょんぴょんと跳ねて存在をアピールする鈴子、それに弟の大志も二人して浴衣を着ていた。
「うわあ、綺麗だね」
「ありがとフィエーナちゃん!」
「いいわね、似合ってるわ」
「えへへ~、ありがとう雪夜ちゃん」
挨拶を交わした後、私たちが鈴子を褒める言葉に隣で相槌を打っていた遥の前にひょこっと鈴子が立つ。キラキラとした眼差しはまだ褒め言葉をかけていない遥へ褒めて褒めてと強烈に主張していた。あまりの可愛らしさに照れて目を見開いた遥は、自然な調子で鈴子の頭の上に手を乗せていた。
「あ、と。可愛いと思う」
「ありがとー遥ちゃん!」
よしよしと撫でられる鈴子も嬉しそうに双眸を細めてニコニコしている。こんな顔してくれるんだから智恵が頻繁に撫でる気持ちが分かってしまう。
「ね、ね。みんな褒めてくれたよ大志君!」
「よかったね姉さん」
しばらくして周囲が静まりステージに琴や太鼓らしき楽器が並べられ、オリーブグリーン、あるいは海松色っていえばいいのかな、そんな色の狩衣装束を纏った老若男女様々な集団が入って来る。その中には智恵の姿もあった。
普段から凛とした雰囲気の美人さんだけれど、今日はいつも以上に決まっている。ふと目が合うと、真一文字に結んでいた口が僅かに緩んだように見えた。大勢の人を前に少し緊張してたのかな、手をひらひらと振ってみると綺麗にウインクを返してくれた。
「智恵ちゃんは龍笛が上手いんだよ」
「龍笛?」
恐らく今智恵が持っている横笛のことなんだろう。あの楽器はどんな音色がするのかワクワクしてきた。
やがて始まった演奏は私が初めて聞く類の音楽だった。馴染みある金管楽器や弦楽器の音色とは毛色の違う、何処か雅でオリエンタルな音色の音楽。これが日本の音楽、なのかな。演奏の間ずっと私は音色に聞き入ってしまい、演奏が終わって遥に肩をつつかれてようやく我に帰ったのだった。
「フィエーナ?」
「あ……遥」
「聞き惚れちゃった? すっごく目がキラキラしてたわよ」
「うん……とってもよかった」
「智恵ちゃんすごかったよね!」
私たちが智恵の参加した演奏について盛り上がっていると、やがて当の本人が疲れた様子でこっちにやってきた。さっきの素敵な衣装は着替えてしまい、シンプルながら品の良いブラウスとデニムパンツ姿に変わっている。スタイルがいいからすごく様になっているけれど、あの衣装姿ももっと見ていたかったな。
「ああぁー……鈴子ぉ」
「お疲れ、智恵ちゃんよしよし」
最早見慣れた鈴子に甘える智恵の姿に私たちだけでなく、周囲の大人たちも微笑ましい目を向けて来る。どうにもここいらには智恵の知り合いが多いみたいだ。
「さっきの演奏よかったよ」
「惚れたか?」
「あははー、またいつか聞かせてね」
「おう! 家に来たらいつでも聞かせてやるぜ!」
それはありがたい。智恵のお家にもいつか遊びに行ってみたいものだ。
「智恵さん、僕は友達が来るので失礼します。姉さんを頼みますね」
「任せろ」
「大志君ばいばい」
「はい、行ってきます」
まだ私にはちょっとお堅い大志は、少し離れた場所にいる友人たちの元へ手を振りながら歩き去ってしまった。彼が私に慣れてくれる日が来てくれるともっと仲良くなれるのにな。
「アタシも七時半まではフリーだから早く遊びに行こうぜ!」
スキップ交じりに浮かれた歩調の智恵に先導され、私たちはお祭りの屋台へ足を踏み入れる。私には見たことのない食べ物、競技がたくさんあって心が躍り出す。
「お。こういうお祭りは初めてか?」
「うん。私の知らないモノばっかりだ」
「そう、それじゃ私たちと一緒に初めてのお祭り体験と行きましょう?」
焼きそばにりんご飴、わたがし、射的、わなげ……初めてのものばかりで私はいつになくはしゃいでしまっていた。
「楽しいね遥」
「うん!」
「フィエーナの子供らしい笑顔、初めて見たかも」
「そうかな?」
「初めて見たっ! フィエーナちゃん、いっつも大人の女の人みたいな笑い方するもん」
「かわええ……」
「あ、智恵ちゃんが天国に行きかけてる……えいっ!」
「うおっ!? ここは、天国……?」
「違うよっ! 目を覚ましてっ!」
鈴子と智恵のコントじみた会話にみんなで笑っていると、唐突に何だかガラの悪そうな三人組に話しかけられてしまった。
「なっ、なあなあ! オレたちと遊ばない?」
「女の子だけじゃつまんないっしょ!?」
「そこの外人ちゃん。すげえおっぱいしてんねえ!!」
下卑た笑いにいやらしい目線が不快だ。あまりこういう手合いには近づかれないんだけれど、ちょっと気を緩ませすぎたかな。ふうむ、遊んでそうな三人だけれどそこまで悪人という訳ではなさそう。さては、夏休みに入っては羽目を外しすぎているな。声音がちょっぴり緊張してるの、私は見抜いちゃったぞ。
「あぁん? アタシのモンに手ぇ出す気かぁ? 別を当たりな」
それでも智恵とほぼ同じ身長の二人と百八十センチ近い男性一人に迫られているのだ。鈴子は怯えてしまい、雪夜のさっきまでの楽しそうな雰囲気が何処へやら硬い表情になってしまった。遥は流石に命をやり取りしてるだけあって胆力が備わっている。何だこいつらと白けた目線を向けていた。普通の人なら遥みたいな美少女にこんな冷めた目で見られたらそれだけで逃げ出したくなりそうな冷たい目線だ。
「あ、いやっ。オレたち別に悪い奴じゃねえって!」
「いーじゃねーか遊ぼうぜぇ!?」
「あわよくばとか全然考えてねーしぃ!?」
遥に加え、智恵が好戦的な態度で私たちを庇うように前に立って三人組を睨み付ける。途端に陽気で頭の軽そうな三人組は、下手に出てどうにか気を損なわないように取り繕い始める。うーん、単純に異性と遊びたいだなのかな。けど、もうちょっと考えて動くべきだったね。
加えて言うなら、さっきから智恵はちょくちょくすれ違う知り合いと挨拶をしていた。つまり、ここいらは智恵の味方が集結しているわけで周辺の大人たちまで三人組へ白い目線を送り始める。それだけじゃない、中には増援としてこちらにずんずんと歩みを進める厳つい大人たちも現れ始める。
「まーまー、ここは私に任せて」
智恵の肩を叩いて、代わりに前に出る。別に事を荒げる必要なんてない。私はにっこりと笑みを顔に貼りつけ、何処かへ去ってほしいと思いを込めながら目と目を合わせて声を発する。
「悪いけど、私たちは私たちで遊ぶから。バイバイ」
「あ……ハイっ!」
私が手を振ると、顔を真っ赤にした三人は無様なくらい慌てて背を背けて何処かへと走り去ってしまった。よかった、今度からは女の子を怖がらせないお付き合いの仕方を考えて行動するんだぞ。
「え、えー! すごい……」
「マジか……」
「これでいいでしょ?」
「フィエーナ、魔法が使える?」
真剣な顔つきで遥に問われてしまい、私は苦笑した。あながち間違いでもないかもしれない。ともあれ、これで穏便に事を収められた。
それからももう少し遊んだ後で、私たちは花火を見るために場所を映る。薄暗い夜空に眩い大輪の光の花が咲く。ロートキイルでも花火はあったけれど、何だかこの日本の夏に見る花火は何処か趣きがあって一番に綺麗に思えた。
「きれーだねー」
「だなー」
ぽけーと夜空を見上げる智恵と鈴子の隣では雪夜が花火をスマホで撮影する。
「お父さんたちにも見せようと思って……」
別に咎めている訳でもないのに、照れ笑いで誤魔化しにかかる雪夜。真っ先にお父さんが出てくるあたり、お父さんのことがそれだけ好きなのだろう。
「そうだ! アタシたちも集合写真撮ろうぜ!」
「お、智恵ちゃんナイスアイデア!」
「信乃さーん! ちょっといっすかー!?」
智恵が近くにいた知り合いを呼んできて、みんなで花火を背景に整列する。
「んー、いーかんじよー。それじゃ撮るわよー。はいっ、チーズ!」
何回か構図を変えても写真を撮ってくれた信乃さんにみんなでお礼を言うと、信乃さんは笑顔で旦那さんの元に戻っていった。
「どんな感じに撮れたかしら?」
「お、いい感じだぜー」
智恵のスマホを中心にみんなで顔を寄せ合う。信乃さんの写真を撮る腕は中々のもので、背後の花火も前方に立っている私たちもピンボケせずにしっかりと撮られていた。取られた写真をネタにみんなでやいのやいの言っているとあっという間に時間は過ぎてしまい、智恵が親戚筋との晩さん会に出なくてはいけない時間になってしまった。
「あーあー、これからが大変なんだよなー」
うんざりした態度を体で表す智恵だけれど、顔はまだ笑っている。
「今日は楽しかったぜ。んじゃ、アタシは行ってくるぜっ!」
「またねー、智恵ちゃん」
「あの!」
みんなで智恵を見送る中、遥がちょっと緊張しながら智恵の前に立つ。頬を僅かに染めて両手を胸の前でぎゅっと握った姿にはドキリとしてしまう。
「今日は誘ってくれて……ありがとう。楽しかった」
私に限らず、智恵もまた遥にしばらく見惚れた後でにかっと気持ちの良い笑顔を見せる。
「ああ! また次、機会があったら遊ぼうぜ!」
「うん」
帰路、雪夜は遠慮していたけれど夜になったので遥と二人で駅まで見送りを終えてから家路に着く。人通りがめっきり減った夜の道は点々と灯る街灯があっても暗く、全然涼しくならない大気がぬめりと生ぬるく全身を包む。
「今日は楽しかったね」
「うん」
ぽつりぽつりと会話を繋ぎながら私たちはゆっくりと歩いていた。二人きりになってからいつの間にか伸ばされた遥の手を私は快く受け入れ、ぶんぶんと二人の間をつながれた腕がブランコのように舞う。
「ねえ、フィエーナ」
「なあに?」
何度も遥は私の名を呼ぶ。それはとても温かくて、何度呼ばれても心が浮き立つものだった。
「私、フィエーナと一緒にいれてよかったよ」
「……私もだよ」
遥は無口なとこが可愛らしい。澄ました顔はとても綺麗で、見惚れてしまう。素直に表情を見せるとこが愛らしい。一々見せる反応が素敵で、どんどん関係を深めていきたくなる。甘えて来る遥には心が高鳴って、何時までも甘やかしてあげたくなる。そんな私が自制するまでもなく、一線を引ける遥はしっかりしていていい子だ。私があげた物をずっと大切に持っていてくれて嬉しい。昔あげた小さな拙い自作の硝子細工を忘れず大切にしまっていたのを見つけた時には、心の奥底から遥に蕩けそうになってしまった。戦いの場ではとてもカッコよかった。ヴェイルの力に認められた在り方が眩しい。
遥と会えて私はとても幸せだ。
「フィエーナとはもう別れたくない」
「遥?」
そんな遥はぎゅうと力を手に込めて、さっきまで幸せそうにしていた顔を陰らせ地面に俯く。私が様子を窺うと、覚悟を決めたようにキリリとした目付きでこっちを見つめて来た。
「ずっと、日本にいて欲しい」
「それは……」
遥の言葉はとても嬉しくて、つい頷きそうになってしまうけれど私はロートキイルに多くのものを残してきている。家族、友人、師匠、住んで来た街……これらを遥の傍にいるために離れられるだろうか。駄目だ、すぐには決められない。
「私がずっとそばにいるから、それじゃ駄目?」
「んー……」
遥の真剣な眼差しを受け止めながらなお、私は答えを出せなかった。どうしたらいいか、必死に頭を回転させようと試みるけれどこんな時に限って全然頭が回らない。
「すぐ結論を出さなくていい……けど、考えておいて」
「分かった」
遥は優しく微笑んで私の回答を保留にしてくれた。遥が見せた微笑み、それを見た私はじわりと郷愁の念を湧かせながらも覚悟を決めないといけないと思った。
答えは出ている。けれど、それを口に出してしまえばと思うと私はこれ以上言葉を紡げなかった。
無言になった遥と繋がる手を握りなおして、私は肩を寄せて来る遥と一緒に帰宅した。