二人の無事を待つこと数時間、夕刻に帰ってきた二人には傷はおろか汚れ一つ見受けられなかった。
「ふん、まあ大したことのない相手だったよ」
飄々とした態度で、アリーナは帰っていく。せっかくなので夕食を食べて行かないかと奈緒さんが誘ったのだけれど、所用があるとかで足早に去ってしまった。
帰り際、遥に何かを耳打ちして顔を真っ赤にさせていたのは何を呟いたのやら。遥に聞いても何でもないというけれど、あれ以来何故か遥が私を見る目付きがおかしいのだ。まさかと思うけれど、あの変な嘘の噂話を聞かせてやしないか不安だ。思い切って聞いてみようかな……いや、もし本当だったら墓穴を掘りそうなので聞くのは諦めることにした。
何だか連日のようにお祝いが続いているような気もするけれど、ご馳走が食べられるのは大歓迎だ。
昨日の奈緒さん復調記念に続いて私たちは事件の元凶が倒された記念として気合の入った奈緒さんの夕食を美味しく頂き、私は満足しながら遥と一緒にのんびりしていた。
その遥はというと、ようやく全てが終わったというのに自室に入ってから何やら考え込んでいる。何となく、これからしようとしていることが想像ついた。
「フィエーナ。凛をお家に招こうと、思う」
「いいんじゃない? ただ、二人にちゃんと確認しとこうよ」
「だね」
ようやく口を開いた遥が考えていたのは案の定、幼少からの幼馴染である凛の話だった。彼女もまた、事件の後遺症で心を痛めている。ようやく奈緒さんが立ち直った今なら、禊としての謝罪をする機会を作れるかもしれない。
私たちがこの話を持ちかけると、奈緒さんは一も二もなく頷いてくれた。
「もちろん構わないわ。凛ちゃんも本当は遥ちゃんと仲良くしたかったはずなのに、私に遠慮して……これはいい機会になるわ」
「ありがとうママ」
そうと決まれば作戦会議だ。一旦、部屋に戻ってどうするかを話し合おうとすると、遥は無言でスマートフォンを取り出す。凛に連絡を取るつもりらしいけれど、その手は途中から動きを止めてしまった。
「遥?」
「多分……私から連絡しても」
「そっか。じゃ、私から連絡してもいいかな」
遥が連絡を取ろうとしても出てくれないかもしれない。私ならハンカチ返してもらう約束をしているし、通話を試みて無視されることもないだろう。少しばかり考えてから、遥は小さく頷いてくれた。
まだそこまで夜も遅くない。善は急げというし、私はすぐにでも電話をしてしまう。
『もしもし』
「湯浅さん?」
『アルゲン、さん……』
「明日にでも会えないかな。ほら、ハンカチを返してもらう約束だったでしょ」
『あ、はい。じゃあ、明日駅で待ち合わせしましょう』
私に対しては特に遺恨もないからか、スムーズに会話が進む。さて、遥に電話を代わっても話をしてくれるだろうか。
「それ、と……」
私がスマホを遥に手渡すと、スマホが小刻みに揺れる。遥の手は緊張で震えていた。大丈夫、遥の想いきっと伝わるよ。
私がスマホを持っていない方の手を握ると震えは止まり、遥は覚悟を決めて声を上げる。
「凛」
『……っ、はる、か』
「あのね。ママがね、立ち直ったの」
『おばさんが……?』
「うん。凛はママに謝りたいって、それがけじめだって言ってたよね」
電話を切られないよう、一気呵成に言葉を紡ぐ遥。ここで手にしたチャンスを逃したくない決死の表情が痛々しい。ああもう、遥がこんなに想っているんだ。凛、仲直りしてあげてよと自分本位な考えが頭に浮かんでしまう。
「だったら、明日私と一緒にママに会ってほしい。それで、そこからまたやり直そう」
『遥、でも……』
「待ってる。来なくても私、責めたりはしないから」
返事を聞かずに遥は通話を終えて切ってしまった。
「いいの遥? ちょっと強引だったんじゃない?」
「かも」
一瞬後悔で顔を歪めるけれど、再び顔を上げた遥は不安は混じっていても何かを信じる目をしていた。
「けど、凛なら来るよ。凛は強いもん」
翌日。通話の後にもう一人の幼馴染である美真経由で約束の時間と場所を伝え、私たちは駅へと向かった。お昼下がり、相変わらずの暑い日差しは雲に遮られることなく私たちの元へ降り注いでくる。いっそ清々しいくらいの快晴だ。
約束の場所に指定していた駅の出口には、約束の時間より早く来た私たちよりさらに早く来ていた湯浅さんが待ち受けていた。それを見た遥の表情は一気に緩み、凛目掛けて駆けていった。
「信じてたよ、凛。行こう」
不安でお先真っ暗といった顔つきの凛の手を躊躇うことなく握る。
「あ」
「心配しないで凛。私のママはとっても優しいんだから」
「……知ってる」
くしゃりと歪んだ笑みを見せる凛は今にでも泣き出しそうだ。
ほとんど会話が進むことなく、私たちはマンションにたどり着く。いよいよとなり、エントランスの前で凛は立ち止まった。
「凛?」
足が震え、泣きそうだった目からはついに涙が零れだす。それでも、凛もまた覚悟を決めたのだろう。キュッと口を真一文字にして再び歩き出した。
手を繋いだ遥もその心意気を汲み、そのままエレベーターに乗り込み一ヶ宮家の部屋まで案内する。遥が一度チャイムを鳴らすと、玄関前に待っていた奈緒さんがすぐに出迎えてくれる。
「久しぶりね、凛ちゃん。ちょっと大人びたかしら?」
出迎えてくれた奈緒さんの顔には笑顔があった。久しぶりに会った凛を見て懐かしそうにするその姿は私にとっては最早見慣れていたものだ。けれど、凛にとっては終ぞ見られることがないと思っていた表情に違いない。
「あう……お、ばさん。ごめん、なさい。ごめんなさい……」
奈緒さんと顔を合わせた途端に凛は玄関に崩れ落ち、ぼろぼろと大粒の涙を流し始める。
「いいの。いいのよ凛ちゃん……」
嗚咽を漏らしながら静かに泣く凛の隣に座り込み、奈緒さんは静かに背をさする。たっぷり数十分は泣き続け、ようやく多少落ち着いた凛を奈緒さんはリビングに上げる。
「ほら、コーヒー淹れたわ」
奈緒さんのいない間、遥に寄り添われた凛は弱り切っていた。泣き腫らした目をゆらりと上げ恐る恐る奈緒さんからコーヒーカップを受け取った。
「もうブラックで飲めるようになった?」
奈緒さんの菩薩のような微笑みに負け、顔を上げた凛は小さく首を横に振る。
「ミルクとお砂糖、取って来るわね」
くすりと笑った奈緒さんの笑顔に釣られ、凛はここにきてようやく笑みを見せてくれる。それは一瞬で、微かな笑みだったけれど私と遥は見逃さなかった。
奈緒さんの持ってきたミルクと砂糖を入れ、ちびりとコーヒーに口を付けた凛は美味しいと呟く。
隣に座る遥に背を撫でられ、目の前の席に座った奈緒さんの優しい眼差しに包まれて、ようやく凛は落ち着きを取り戻した。コーヒーカップを置いた凛はやっと奈緒さんと目を合わせる。
「改めて、言わせてください。本当にごめんなさい。私、とんでもないことを……ごめんなさい……!」
テーブルに頭をぶつけかねない程小さく身を縮こまらせた凛は再び謝罪をする。
「さっきも言ったでしょう。もういいのよ凛ちゃん。それより事件に囚われないで生きて欲しいって言ったら聞いてくれるかしら?」
「それって、どういう……」
「凛。私、凛とまた仲良くしていきたいと思ってる。駄目?」
「え、あ……」
「私からもお願いするわ。また昔みたいに遥ちゃんと仲良くしてくれない?」
二人のお願いに凛の目に輝きが戻る。凛だって何度も事件のあらましは聞かされている。親友と三年近く会えない苦しみでもう十分、凛が自分に与える罰としてはもうそれでおしまいにしたっていいはずだ。それで凛自身が納得してくれるか、だけれど……。
「いいんでしょうか……」
奈緒さんに遥、私にまで縋るような視線を向けて来る凛へ全員が力強く頷いてあげる。
「……いい、のかな?」
声音にも期待が漏れて、明るさが少し戻って来る。いいんだよ、凛。もう自罰的な考えはやめていいんだ。
「私も、遥と一緒にいたい」
本当に小さく呟かれた言葉。それでも私たち三人の耳には確かに届いていた。
あと一話、IF ENDINGがあります。