これTS? 憑依?   作:am56x

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T/A09V:世界の真実を明かされ、そして俺は意識を取り戻す。

 

 

 二週間の休暇を終え、帰ってきた数日後。依然としてうだるような暑さの道場から一人、また一人と帰宅していく中、私は一人居残っていた。

 

「フィエーナ、君はまだ残るのかい?」

「今日は遥とお泊りなんです」

「ははは、それは楽しそうだね」

 

 顔なじみの受講生とも別れを告げると、私は一人道場に取り残される。日が陰り、赤みがかった空から道場内に暗い影を落とす。時刻は七時を過ぎようとしていた。

 

「フィエーナ、待たせたね」

「吉上先生。では、話してください」

「場所を変えようか」

 

 いつも朗らかに笑みを浮かべている吉上先生の顔がいつになく強張っている。遥に悪魔の話を聞かされた後、一人になった私はすぐに吉上先生へ真偽を確かめようと電話を入れた。けれど、吉上先生は言葉を濁し、直接話すからと明言を避けた。

 

 道場に併設された日本家屋に案内され、その一室に足を踏み入れると林原一家全員と遥が既に着座していた。上座に座る林原先生の対面に私は着座するよう促される。

 

「よし、全員そろったな。おい吉上、話してやれ」

「結局僕が話すんですか?」

「当事者の一人だろ、ほらフィエーナも焦れてるぞ」

「参ったな……何処から話そうかな?」

 

 目線を天井に向け、自らの頭を指で何度か叩いた後覚悟を決めたのか吉上先生は私を真っ直ぐ見つめてくる。その目付きはまるで刀を持っている時のように鋭く、彼らしくない剣呑さをはらんでいた。

 

「退魔師……ってのをフィエーナは信じるかい?」

 

 そこから始まった話は、探索者時代にも負けず劣らずのファンタジックな内容だった。世の中には魔之物と呼ばれる負の感情が具現化した魔物のような存在が蔓延っていること。それを退治する退魔師という職業が日本にあり、それと似たような存在は世界各地に存在していること。

 

「それじゃあ遥が襲われたのは、魔之物なんですか」

「そこがちょっと複雑でね……」

 

 魔之物は人類人口が大幅に増えた西暦1960年代から確認されるようになったこと。それ以前にいた妖怪や魔物といった存在の多くが、19世紀までには人類によってほぼ殲滅されたこと。元より数少なかった妖怪・魔物と比較して、魔之物は交通事故程度には死傷者が発生する厄介な問題であること。

 

「今の退魔師はかつての退魔師とは別物といっていいんだ。今の退魔師に求められているのは地道に担当区域を見回って、魔之物が実体化する前の状態で浄化することだからね。退魔力さえあれば、戦闘能力は銃火器を扱える程度でしかないよ」

「退魔力?」

「まあ、ゲームでいう魔力みたいなものさ。退魔の力で形を持つ前の魔之物を浄化して回るのが今の退魔師のお仕事って訳」

 

 ファンタジックな内容ではあるけれど、現代退魔師の事情を詳しく聞くとむしろ地味に聞こえてくる。担当区域をくまなくパトロールして回って、魔之物が靄上のいわば孵化する前の状態で浄化して回る毎日。先進国なら大体魔之物を早期発見する警戒網が構築されているそうで、退魔師はその情報を受け取って浄化して回り続ける。そこに終わりはなく、むしろ世界人口の増大と共に出現頻度は増していく。

 

「まあこれが今の退魔師の現状なんだけど、実はごくごく少数妖怪や悪魔、魔物といった存在は生き残っているんだ。そして現代の退魔師でこれらに対処出来る人材はとても少ない」

 

 

 

 遥が出会った悪魔もまた、ごく僅かな例外的存在だった。侵入経路は不明だけれど、日本では見られない系統の力を持つ悪魔の水際阻止に失敗し遥は被害に遭ってしまう。初期対応に当たった吉上先生も歯が立たず、結局増援が来るまで遥とその周辺は悪辣な精神攻撃に苦しめられた。

 

 遥の両親は精神病院に収容され、友人たちもおかしくなってしまった。

 

「だから私は強くならなくちゃいけないの。悪魔は私を狙ったフシがあるんだって」

「そう、訓練を受けていない遥の魔力は悪魔の絶好の餌になってしまった。遥には今後のためにも自衛の術を学ぶ必要があったんだ」

「私にも協力は出来ないんですか」

 

 分かってはいたけれど、吉上先生は首を横に振る。

 

「残念だけどね、フィエーナには退魔の力がない。魔之物に有効打を与えられないんだよ」

「そう、ですか」

 

 私は俯き、歯を噛みしめる。こんな時、ヴェイルならきっと役に立てた。あの頃なら高層ビルを縫って駆け回るスーパーヒーローの真似事も出来ただろう。でも今の私は結局人の枠を越えられていない。オストブルク最強の探索者だったかつてとは裏腹に、今の私の実力をあっち基準で換算したら……技量はともかくとして力に差があり過ぎる。身体強化した肉体は岩を砕き、敷石を踏み割り、家を飛び越えるのだ。力だけじゃない、速さだって自動車並みに駆け回り、銃弾を見てから回避できる相手じゃ先読みして斬りかかった私の剣の刃を受け止められてしまう。

 

 根本的に違いすぎるのだ。けれど私はこの世界の住人の力をまだ見ていなかった。もしかしたらあっちほど強くないかもしれない。

 

「でも……私は林原先生とも遣り合えているんです。手助けくらいなら出来ませんか」

「馬鹿! あれは親父が力を抜いているだけだ! フィエーナくらい、俺でも相手出来る」

「陽人、別に俺は手なんか抜いてないぞ? ただ、魔力は使っていないだけだ。素の実力で俺と五分なんだ、フィエーナの実力は大したもんだよ」

 

 褒められているようだけど、私にはちっともそうは聞こえなかった。今までの認識がずれていく。私は手を抜かれて、情けを掛けられていた? そういった思いが心中に浮かび、私は耐えきれずに立ち上がる。

 

「陽人。勝負して。私を納得させてみてよ」

「いいぞ、俺も魔力を使わないで戦って負けっぱなしじゃあ気に入らねえ」

「おいおい陽人! 一般人にそれは駄目でしょう、ねえ鳳二さん!?」

「いや、フィエーナなら大丈夫だ。やらせてやろう」

 

 

 

 場所を移し、道場で私は陽人と対峙する。今までの陽人なら余裕を持って一方的に相手出来る程度の相手だった。それが魔力を使って身体を強化し、どこまで食い下がってくるのか。あるいは私は一方的に負けるのか。恐怖と好奇心と冒険心がないまぜになった感情が私をかき乱す。

 

 道着に着替えてきた陽人は、木刀を持って私の前に立つ。構えを見ても依然と同じ。私なら隙を付いて勝てるだけの実力差が姿勢だけで想像つく。それなのに、どうしてだろう。今の陽人はいいしれぬ威圧感を漂わせていた。油断したら大怪我する。なのに、私の心は乱れている。このままじゃ勝てる試合も勝てなくなる。目を閉じ、深呼吸を一回。よし、大分気持ちが落ち着いた。

 

「俺から行くぞ」

「いいよ、かかってきなよ」

 

 速い! 一瞬陽人の姿が消えたかと思うと目の前で大仰に木刀を振り下ろしていた。隙だらけな動きでも、人を超える圧倒的スピードを前に余裕がなくなる。

 

 回避に専念し、横に移動する私は慣性の勢いを利用し陽人の木刀の側面に一撃を加える。今までの陽人ならこの一撃で木刀を吹っ飛ばされていたはずだ。けれど今の陽人の肉体は強化されていた。

 

「効くかっ!」

 

 人外染みた膂力で、私の一撃を力で跳ね除けて来る。あえなく私は弾き飛ばされてしまった。元々身長はあちらが二十センチは高く、単純な力では勝ち目がなかった。それを技と速さと読みで補ってきた私に、さらなる絶対的な力の差が襲い掛かる。

 

 とにかく、今の陽人の一撃をまともに喰らえば一発で木刀が弾き飛ばされてしまう。受け流し、隙を何とかして私が作っていかないと勝ち目がない。

 

 ヴェイルだって力で敵わない相手と斬り合っていた。ならば私だって出来るはずだ。集中だ、こっちは僅かな隙も見せられない。あっちは隙だらけでも簡単に私を打ち破れる。まだ陽人は若い。油断していないつもりでも、意識していない隙がどこかにあるはずだ。

 

 どこかに、どこかに……! 脳みそが熱くなる。思考は高速化し、血液による冷却が追いつかなくなっていく。

 

力も速さも劣る私が先読みして配置した木刀に、陽人が撃ち込む疾風怒涛の剣戟が吸い込まれていく。

 

ああ、手が痛い。千切れそうだ。木刀からはみしみしと嫌な音が聞こえてくる。あと何回耐えられるか分からない、早く決着を付けなくちゃ。

 

肉体が限界迎えつつある一方で、今にも火を噴きそうなほど熱を孕んだ頭脳は私の動きを最適化してくれる。

 

 今まで客観視してきたに過ぎないヴェイルの記憶と私が融け合い、完全に一つになった感覚。今の私なら、陽人の力にだって速さにだって付いていける。

 

――先を読んでも間に合わないなら、相手を俺の思い通りに動かしてやればいいんだ。

 

「マジかよ! フィエーナ……お前! 頭おかしいくらい強いな!」

 

 余裕の笑顔を見せながら致死の一撃を叩き込んで来る陽人と裏腹に、私は一発一発を受け流すごとに体力をごっそりと持ってかれていく。それでもなんとか、私は陽人と互角に撃ちあえる体勢に持っていけていた。

 

 でも決定打が撃てない。このままじゃ持たない。一分経たずに体が限界を迎える。リスク覚悟で、こちらから仕掛けないとじり貧だ。

 

――そんなぎこちない動きじゃ当たり前だ。俺ならもっと上手く立ち回れるぜ。

 

「ははははっ! すげえ! ありえねえ! 身体強化してんのに! 一般人相手に攻めきれないなんて初めてだ!」

 

 私の体は悲しいくらい鈍足で、複葉機がジェット戦闘機相手に射撃機会を得られないような状況に持ち込まれていた。

 

――射撃……機会? へっ、比喩はともかく、攻撃する余裕がないなんて泣き言はなしだ。相手はとんだひよっこだぞ? いくらでも誘導できるはずだ。

 

「悔しいけど認めるぜ! お前は俺より強い! でもここまで有利な試合で負けられっかよ!」

 

 私は体力的に限界を迎えていた。吐息は乱れ、脳には酸素供給が間に合わず意識も薄れ始めていた。脳はオーバーヒートによる損傷を避けるため、今まさに強制シャットダウンを実行しようとしていた。

 

「どうした!? 防戦ばっかじゃ俺には勝てねえぜ!」

 

それなのに陽人はまだまだ余裕綽々といった様子で、嬉々として木刀で斬り込んで来る。無駄口まで叩いてくるし、本当に癪でしょうがない。悔しいけれど、身体的スペックに差が付きすぎているようだ。

 

 本当は、実力で以て陽人を捻じ伏せたかった。けれどもう肉体が、脳みそが、精神が限界だった。それら全てが直ちに活動を強制的に終了させようと意識を削り取りに掛かっている。

 

――しょうがねえな。俺に任せてみな。

 

 

 

 吹きすさぶ突風が全身を叩く灰色の空の下、まるで作り物かと見紛う美貌を讃えた美少女が立っている。眩く光り輝く金色の髪は突風とは無関係に波打ち、白銀の閃光を全身から迸らせていた。

 

「あと少しじゃ。決して目を離すなヴェイル!」

「任せとけって」

 

 俺は自ら流した血の池に倒れ伏したまま、歪んだ笑顔を顔に張り付けてこちらを凝視してくる黒髪の美女から目を離さない。戦闘には似つかわしくない黒いドレスに身を包んだ最後の魔王、発狂者ピューゼリアは、肉体をズタズタに引き裂かれていてもなお、身の毛のよだつ笑顔を顔に張り付けたまま、筋肉を痙攣されたような哂い声を上げ続けている。

 

 滅魔の力を以てしても完全に息の根を止められない不死身の生命体を前にして、最早残された手段は一つしかなかった。

 

「止めてっ! 行かないで!」

 

 俺とカディア、ピューゼリアの三人が白銀の光球に呑まれ異空間へと消滅していく最中、置いていったはずのハリアの声が俺の耳に届く。

 

 悪いな、ハリア。お前の頼みは聞いてやれそうにない。視界が白銀に呑み込まれ、ついで暗い闇へ誘われていき、あらゆる感覚が磨耗し消滅していく。

 

 そして意識が断たれた俺がふと気が付くと、手には木で出来た剣が握られていた。片刃の剣を模した細い木剣で、目の前に立つボサボサ髪の少年の胸元に剣先が当たっている。

 

「マジ、かよ……」

 

 呆然としながら自身の胸元に目を遣る陽人を見ながら、俺はぼんやりと今の状況を理解し始めていた。

 

 煌々と道場内を照らす蛍光灯の明かり、開け放った扉から吹き込んで来る火照った体に心地よい涼やかな風、扉の向こうからこちら目掛け夕日を反射してくる数台の自動車……ああそうだ。ここはかつて俺がいた世界じゃない。

 

 混濁する意識が急に晴れたかと思うと、俺は思わず帝國語で呟いた。

 

「おいおい、こりゃどうするよ……」

 

 

 


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