デイジィとアベル(一)決戦前の蜜月   作:江崎栄一

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一四 コナンベリーからの船出

 翌朝、あたしたちはバハラタの船でコナンベリーを出港した。若干の曇り空。海は穏やかだ。出発から五時くらいも経つのに、まだ着かない。船乗りたちの邪魔になるからと、船の中の居室で待機していたが、いいかげん退屈になってきた。

 あたしがボヤいていたら、気分転換にと、アベルが無理矢理外へ連れ出した。コナンベリー近辺とは違う空模様。空一面が雲に覆われて、いつ雨が降っても不思議ではない。

 見渡す限りの水平線だ。まったく船が進んでいる気がしない。今は海が穏やかだからいいが、以前竜海峡を渡ったときのように荒れると困る。あたしは船旅にはあまり強くない。

 どんよりした海を二人で眺めていると、バハラタが声をかけてきた。

「よぉ、どうしたんだ」

 空の雲が濃くなっていくようだ。

 当然のことながら、バハラタにとっては長い航海なんて苦にならないんだろう。むしろ、今まで大荒れだった海がこれだけ静かになって、久しぶりに船を出せる。あたしとは正反対に、晴れやかな顔をしている。

「まぁったく、いったいいつになったらレイアムランドに着くんだ」

 なんとなく面白くなくて、不満の声をあげると、アベルが心配そうな顔をした。

 バハラタが答える。

「何もかも、死せる水の影響だ。海が海でなくなっちまったのさ」

 たくさんの魚の死骸が海の上に浮かんでいる。

 死せる水は、単に海洋生物の命を奪うだけではない。潮の流れを変え、海水の年生まで変えてしまう。海が穏やかになったからといって、今までと同じように航海ができるわけではないようだった。

 アベルはどこか元気のない顔をして、遠くの海を見ている。

 ティアラたちのことを考えているんだろうか。さっき二人で勇者の地図を確認したら、たったの一日で山を越え、かなりの距離を移動していた。

「ティアラのことが、心配かい?」

 あたしは頬杖を突きながら言うと、アベルは困ったように笑った。

「い、いやあ……。別に」

「ちゃあんと顔に書いてあるよ……」

 あたしはため息をついた。

 疲れたからなのか、ちょっと意地悪なことを言ってみたかった。

 アベルは、ティアラとの仲は何でもないと言っていたが、態度を見るとやっぱりあやしい気がしてしまう。今までに二人の親密さは何度も見せつけられてきた。他に手立てがなかったからとはいえ、ティアラが口移しでアベルに薬を飲ませるところや、瀕死の重傷から回復したアベルがティアラを抱きしめるところ、ティアラの手を優しく引いて山道を歩くアベル。

 それに、ティアラがアベルのことをどう想っているのかはまだわからないんだ。アベルが鈍感なだけで、向こうには気があるのかもしれないじゃないか。あれだけの男なんだ。色んな女に惚れられたっておかしくない。

 アベルはあたしのことが好きだと言ったが、なぜか不安が拭えない。

 もっともこうなった以上、相手が誰であろうといまさら身を引くつもりはないが。

 退屈な雰囲気を打ち壊すように、頭上から一人の男の叫び声があがった。

「おかしらぁ!」

 見張り台にいる男がバハラタを呼んでいる。

「どうしたぁ!」

「前方に、灯りが見えます!」

「なにぃ?」

 バハラタは船首へ向かって走り出した。声の感じからして、ただ事ではないようだ。あたしたちも後を追った。

「なんだ、あの灯は?」

 前方にうっすらと赤い炎のような光が見えた。モンスターか、それとも海賊か?

「フレア族だ……。ふん、バラモスの差し金か」

 バハラタは望遠鏡から眼を離し、にやりと笑って船乗りたちに号令をかけた。

「野郎ども! 全員配置に付けぇ!」

「おお!」

 船内に待機していた船乗りたちが一斉に飛び出し、各自の所定位置に付いた。

 あたしも望遠鏡を覗いた。前方から小さな船が近づいてくる。

「すんなり通してはくれないと思っていたぜ。やるか、デイジィ」

 アベルは稲妻の剣を抜いた。

「退屈してたところだ。やってやる!」

 あたしも隼の剣を抜いて答えた。鬱屈していた気分が一気に晴れ渡るようだ。

 想いを打ち明けることで、あたしたちの仲がぎくしゃくしてしまうのを恐れていた。でも心配することはなかった。男女の間柄になっても、あたしたちは闘いの相棒だ。

 巨大な黒い影が徐々に、まっすぐ向かってくる。

 一同は緊張した面持ちでフレア族の接近を待った。

「な、なんだあいつらは……?」

 肉眼ではっきり見えるところまで近づき、あたしは敵の姿に驚いた。フレア族というのはてっきり普通の人間なのかと思っていたが、随分小柄で、そろいもそろって髪の毛は炎のように赤く、逆立っている。二十匹くらいの集団で、それぞれの顔や体形に個性が認められる。

「あれがフレア族だ。レイアムランドに住み着いている種族だ。今ではハーゴンに制圧されて、手下に成り下がっちまったのさ」

 バハラタが苛立たし気に説明すると、アベルの顔が険しくなった。

「バラモスの魔の手は、ここにも……」

 コナンベリーにもバラモスの手の者が潜伏しているという話だった。こちらの動きを偵察しているんだ。一昨日、アベルが海洋モンスターを撃退しオーブを手に入れたことは、既にハーゴンの耳にも入っているのだろう。

「ふん。あたしたちを、わざわざお出迎えってわけか」

 調度いいときに現れやがって。こっちは長時間船に押し込められてイライラしてたんだ。

 バハラタの手下たちは不安な面持ちだが、フレア族側は自信満々の様子だ。ハーゴンに抵抗もできない腰抜けのくせに、あたしたちには勝てると思ってるってことか。気に入らない。

 船首のすぐ下から水がはじける音がした。

「おい、なんだぁ、これは!」

 船乗りたちが慌てだした。どういうことだ、フレア族の船との間には、まだ少し距離がある。得体の知れない不安が膨れ上がった。

 前方に巨大な影が現れた。

 亀のような顔をした巨大な海竜型のモンスターだ。二十メートルはあろうかという長い首を天高くかかげ、辺り一面に轟く、大きな唸り声をあげた。

「あれは、モンスターだ!」

 アベルが叫んだ。

「船ではなかったのか」

 フレア族は海竜の胴体に囲いを造り、そこに乗っているようだ。

 海竜型のモンスターを見るのは初めてだった。一人旅を続ける中、港町でたびたび噂を耳にした程度だった。何でも、巨大な胴体に長い首を持ち、船よりも速く泳ぐことができる。船を沈める悪魔として、古くから船乗りの間で語り継がれるモンスターだ。

 こんな奴を引っ張り出してくるなんて、バラモスの奴は相当焦っている。

 予想外だった。小さい船で向かって肉弾戦に持ち込むのかと思わせておいて、実はモンスターの力を借りて船ごと沈めようって魂胆か。姑息なことを。

 モンスターは物凄い速さで頭を船に接近させ、こちらの様子を窺うように静止した。

「ひるむな! モリを打てぇ!」

 バハラタが叫んだ。

 船乗りたちは一斉に、モンスターの頭目掛けてモリを投げつけた。

 そのほとんどが命中したが、モンスターの固い皮膚には突き刺さらず、すべて跳ね返された。

 モンスターは攻撃を受けきると、巨大な口を開き炎を吐き出した。船首に十人程集まっていた船乗りたちは、一目散に逃げだした。

「船を廻せ! 取り舵いっぱい!」

 バハラタが叫ぶと、船乗りたちが続いた。

 モンスターが船の横についた。

「飛び移れ!」

 大勢のフレア族たちが一斉に船に飛び乗った。手には棍棒を持っている。

「来るぞ!」

 船乗りの一人が叫んだ。

 フレア族は奇襲のように、船乗りたちへ襲い掛かった。驚異的な跳躍力で、上から踏みつぶすように蹴る。虚を突かれた船乗りたちは次々に倒れていった。

 しかし大した攻撃力はないようだ。正々堂々と闘えば、普通の人間の方が強いのかもしれない。攻勢に見えるのは、海竜の力によりこちら側を混乱させたからだろう。

 あたし一人でも、一分もかからずに全員切り伏せることができる。

「いくよ、アベル!」

「どけどけどけ! 邪魔をする奴は海へ叩き込むぞ!」

 アベルが威勢よく言った。

 あたしとアベルはフレア族の群れの中に飛び込み、背中合わせに立ってフレア族たちを睨みつけた。

「アベル。こいつらは本来、罪のない種族なんだ」

 バハラタが叫んだ。

「わかってる。デイジィ、殺すな!」

「だけど、お出迎えにしちゃ、少し派手なんじゃないか?」

 フレア族たちが襲い掛かる。

 一匹が跳躍し、あたしに向かって棍棒を振り降ろした。

 遅い!

 なんてことはない攻撃だ。パワーもスピードも感じない。あたしは難なく攻撃をかわし、ケリ飛ばした。身体の小さいフレア族は、吹っ飛んで船べりに激突し、気を失った。アベルも剣で棍棒を払いのけながら、蹴りや拳で次々に倒していく。

 歯ごたえのない連中だ。

 一瞬の間に、ほとんどのフレア族を撃退した。

 残るは六匹。

 問題は、さっきの海竜だろう。フレア族どもはとっとと始末して、海竜との闘いに備えなければならない。

「いいぞ、やれ! やれ!」

「そこだ、いいぞぉ!」

 船乗りたちがあたしたちの闘いを見て歓喜の声をあげた。

 もう一匹殴り倒したとき、船乗りの悲鳴が聞こえた。フレア族に対するものではないだろう。

 予想通り、そこには巨大な影が見えた。

 船首から巨大な海竜がこっちを覗いている。

 驚いたことに、舵を取っていた男が逃げ出した。制御を失った舵がぐるぐると回り始め、船が急旋回した。

「うわぁ!」

 あたしでも立っていられない程の揺れだ。

 舵取りのバカ。何をやってんだ、この腰抜けが!

 バハラタの行動は迅速だった。転びながらも、素早く船首に向かい舵を取った。こんなときは転ぶか転ばないかなんてどうでもいい。とにかく一刻も早く船の制御を取り戻すことだ。

 バハラタは両脚を踏ん張って、舵の回転を止めた。

 何とか船は体勢を持ち直した。

 しかし、そんな苦労をあざわらうかのように、海竜が口を大きく開けた。

 真っ赤な炎が船の帆に向かって吐き出された。船の幅いっぱいにも広がるほどの巨大な炎だ。船上の気温が一気に上昇した。帆が焼ける。

 再び船乗りたちが逃げ惑う。

 しまった。船が壊されては航海が続けられない。これが奴らの作戦か?

 恐ろしい相手だ。船と同じくらいの体格を誇り、炎まで操る。海上では最も逢いたくないタイプの敵だ。

 どうする、アベル?

 あたしに殴り飛ばされたフレア族たちは、まだ立てるものは海に飛び込んで逃げて行った。

 どういうことだ? こんなところで海に飛び込むのは自殺行為だ。それとも、これから更に恐ろしいことが起こるということなのか。

 あたしは言い知れぬ不安を感じていた。

「デイジィ!」

 アベルが呼んでいる。

 声のした方を見ると、複数のフレア族がアベルの周りに倒れていた。立っている者は一匹もいない。

 あたしはアベルに駆け寄った。

「そっちも掃除は済んだようだな」

 あたしは親指を立てて、アベルに笑いかけた。

 次はどう出る。本当は笑っている余裕などなかった。


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