アベルが、あたしたちの掴んでいるロープを音もなく切ると、支えを失ったあたしたちは後方に転がった。
オールが海竜目掛けて飛んでいくのが見える。これがもしダメだったらどうする。海竜の体当たりを受けて、船もろとも海に沈むしかないのか。そうなったらもう、死は免れないだろう。初めて掴みかけた幸福を目の前に、生への執着心が強くなっていることに気が付いた。
心臓が大きく脈打った。
一同、矢の行方を見守った。海竜が滑空する軌道の正面を正確に捉えている。海竜はようやく自分に向かってくる矢の存在に気付いたのか、驚愕の表情を見せた。
どうなる? 直撃することは確かだ。
あたしは固唾を呑んで見守った。
行け!
巨大な雄たけびが轟いた。オールは見事に海竜の口へ突き刺さっていた。
体勢を崩した海竜は、もはや空を滑空することはできず、船から少し離れたところへ墜落した。
「やったぁ! ざまぁみろ!」
船乗りたちが叫んだ。
助かった。さすがのあたしも、もうダメかと思った。心臓が大きく脈打ったままだ。
アベル……。
早くこの喜びを分かち合いたい。
船首に、海竜の最後を見守るアベルの後ろ姿を見つけた。
あたしはその背中に向かって駆け出し、そのまま抱き着いた。
「お見事! さすがアベルだ」
アベルの肩に顎を乗せて語り掛けた。本当に凄い男だ。あたしにはどうしていいのかわからなかった。
アベルは振り返って、笑顔を見せた。そして二人で頬を付けて笑った。
そこで、はっとして、慌ててアベルから離れた。
つい、人前であることを忘れてベタベタしてしまった。
「みんなが手伝ってくれたからさ」
アベルは謙遜した。その顔には自信と余裕がある。あたしも誇らしかった。
アベルとの見つめ合いを、フレア族の悲鳴が断ち切った。
「ああぁ! どうか命ばかりは! お助けくださいよぉ!」
情けない声……。
振り返ると、船乗りたちが船の中央に集まっている。
「ったく、とんでもねぇ奴だ。串刺しにしちまえ」
あたしはアベルと一緒に駆け寄って様子を見た。
輪の中に、フレア族の男が一人、震えている。
「うわぁ! お助けくださいぃ!」
船乗りがモリを構えると、フレア族は必死の命乞いを続けた。
なんて見苦しいんだ……。たった今、アベルの最高の雄姿を見て感動してたってのに、一気に萎えてしまった。いっそのこと、隼の剣で八等分にしてやろうかと思ったが、そんなことに一ゴールドの価値もないので、やめておいた。
「やめるんだ!」
アベルが叫び、駆け出した。フレア族と、船乗りたちが構えるモリの間に割って入った。アベルの性格なら、弱いフレア族が殺されるところを黙って見ていることはできないだろう。あたしも後を追った。
「なぜ止める!」
船乗りたちが怒りの抗議をした。
「いいか、聞いてくれ。オイラたちの本当の敵は、フレア族じゃない。彼らを操っている、バラモスのはずだ」
「そんなこと言ったって……」
「頼む。わかってくれ!」
アベルが頭を下げた。
フレア族の小僧め。アベルに頭を下げさせるなんて、あとで謝礼を請求してやる。
「フレア族こそ、犠牲者なんだ」
あたしも説得工作にしぶしぶ加わり、できるだけわざとらしく聞こえないように言った。
船首からバハラタの大きな声が聞こえた。
「アベルの、言う通りだ。俺たちの本当の敵は、バラモスだ」
その言葉を聞いて、船乗りたちも一応は落ち着いたようだった。