デイジィとアベル(一)決戦前の蜜月   作:江崎栄一

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二〇 エピローグ 全てを終えて

 初めてアベルと愛を交わしたあの日を境に、あたしたちの冒険は急激に進展した。あれからたったの二日間で、すべての決着がついた。

 レイアムランドでハーゴン将軍を打ち倒した直後、不死鳥ラーミアの復活と聖剣の入手。そしてエスターク城へ乗り込んでバラモスと対決した。この闘いでヤナックの師匠であるザナックは自己犠牲魔法によってバラモスを圧倒するが、その結果命を落とした。

 そしてあたしは七年間探し続けた弟のトビーとの再会を果たすことになる。だがその弟はジキドの配下となり、ティアラを人質に取ってあたしたちから聖剣と聖杯を奪うことに加担した。弟はあたしのことを思い出して改心したが、ジキドの放つメラゾーマからあたしたちを守り、あっけなく死んでしまった。

 トビーは最後まで正体を隠し通そうとしたが、今際の際で妹のルナの名前を呼んだ。兄も今からそっちに行くと。

 こうしてあたしは、人生の大半を犠牲にしてまで求めてきたものを失った。

 残されたあたしの望みは、トビーを悪の道へ踏み込ませ、最後には命まで奪ったジキドとその親玉である魔王バラモスへの復讐だけだった。アリアハンの竜神湖へ向かったあたしとアベルは再びジキドと対峙し、ついにこの手で切り伏せることができた。

 そしてその直後に現れたのは、古代エスターク人の思念の集合体であるゾーマを取り込み、より強大な魔王へと変貌を遂げたバラモスだった。バラモスは赤き珠の力で蘇った伝説の竜を聖剣で傷つけ、その血を飲んで永遠の命を得ようとした。しかしその野望は寸でのところでモコモコにより打ち砕かれた。

 傷つけられた伝説の竜は怒り狂い、バラモスを抹殺しようとした。竜が持つ力は想像以上に強大で、バラモスですら撤退せざるを得なかった。

 怒りの矛先を失った竜は荒れ狂い、アリアハンの町を荒らし始めた。アベルは伝説の竜の前に立ち、青き珠の力を解き放って竜を己の肉体に封印した。竜を取り込むことによって大勇者へと変貌を遂げたアベルは、再びバラモスと対峙した。アベルの力に圧倒され、勝ち目のないことを悟ったバラモスは最後、アベルを道ずれにすべく巨大竜巻を起こし、周囲もろとも荒野へと変えた。そして、バラモスも、自らが作り出したモンスターたちと同様に、命を失い宝石へと姿を変えた。

 バラモスと相打ちになったかに見えたアベルは、伝説の竜の力で被害を逃れ、悠々とあたしの元に戻ってきた。

 その直後、どうしても納得できないことが一つあったが、こうしてあたしたちの辛く長い旅は終わった。

 そして二日が経った。

 あたしはアリアハンから少し離れたところにある町へ来ていた。今までの冒険では訪れていない場所だ。

 山の上。空は雲一つない快晴。大勢の人々が行き交う商店街。久々に味わうのどかな街並みだった。

 ここの連中は、バラモスが死に世界に平和が訪れようとしていることをまだ知らない。幸いにも竜伝説とは無縁だったため戦禍を逃れたのだ。ここには、あの冒険の前と変わらない時間が流れている。

 あたしは剣士の衣装を宿に置き、新しく買った青いドレスに身を包んで街中を歩いていた。一度、こうやってお洒落をして買い物を楽しんでみたかったんだ。全てを終えて肩の荷が降りた。こんな晴れやかな気分で外を歩くのは初めてかもしれない。

 道具屋で薬草を買い、露店で今夜食べるものを物色した。

「ちょっと、お嬢さん」

 肉屋のオヤジに声をかけられた。

「見ない顔だね。その格好からすると、旅人ってわけじゃないだろう。ここに移り住んできたのかな」

 あたしの着ている、大きなスリットの入ったロングドレスを見てそう言っているんだろう。もっとも、これにはお洒落のためもあるが、万一のときに備えて動きやすくしておきたいという意味がある。経験上、ロングスカートで剣を振るうことはできないことを知っている。

「まあね。ここには着いたばかりさ。しばらくは滞在するよ。旅の疲れを癒す、精力の付く食べ物を探してるんだ」

「このハムなんていいよ。パンに挟んで食べたら最高さ」

 そう言って、オヤジは巨大なハムを差し出した。あたしの胃袋にはとても納まりそうにない大きさだが、冒険を終えた翌日から丸一日歩き続けた身体には肉が必要だろう。

 さすがに、バラモスを倒した翌日の早朝に出発するというのは無理があった。おまけに昨夜は野宿だ。疲れが溜まっている。

「じゃあ、それをもらおうか」

 あたしは言い値で買った。その後にパンやチーズ、ぶどう酒も買ったから、女一人で持つには結構大きな荷物になってしまった。今までの旅なら、仲間の誰かに持ってもらっていたが、今はそういうわけにはいかない。

 大荷物を抱えて通りを歩き、取ってあった宿屋に入った。今日一日は休息に当てて、町の散策は明日からだ。

 今までの慌ただしい冒険とは違う。しばらくは目的もなくここに滞在することにしている。

 部屋の前。つま先で数回ドアをノックする。あたしは胸を躍らせて待った。

 しばらくして内側からドアが開けられた。

「おかえり」

 アベルが待っていた。

 左の頬はまだ少し赤く腫れている。

「まだ治らないか。それじゃ外に出られないな。せっかくいい天気なのにさ」

 アベルはあたしが買ってきた食料品を受け取って、テーブルの上に並べていく。

「思い切りぶつんだからさ……」

 アベルは困ったように笑って、腫れた頬をさすった。

「当たり前だろ、あんたがティアラにキスなんてするからだ! さすがに我慢できなかったよ」

「本当にすまない。周りに流されて、つい……」

 アベルは申し訳なさそうな顔で謝った。

「食べ物と一緒に薬草も買ってきたからさ。塗ってやるよ」

 バラモスとの最終決戦の中、ティアラは赤き珠の力を使って伝説の竜を蘇らせた。その力を使う媒体となった肉体への負担は強烈で、竜の復活の代償としてティアラは命を落としてしまった。

 しかし奇跡は起こった。バラモスが倒れたあと、青き珠と赤き珠の力によってティアラは息を吹き返す。その喜びに沸くアリアハンの人々にせかされて、アベルはティアラに口づけをしたんだ。あたしも目の前にいたのに。

 ヤナックに八つ当たりして何とかその場は堪えたが、この町に来る道中もずっともやもやしていた。不問にすることも考えたが、宿で二人きりになった瞬間とうとう手が出てしまった。

「でも、約束を守ってくれたから平手にしたんだ」

 二人で窓の外を眺めながら、あたしはアベルに向かって右の拳を突き出した。

「当然だよ。本気で言ったんだから。デイジィと二人で旅に出るってさ」

 アベルを椅子に座らせ、買ってきた薬草を腫れた頬に塗ってやった。しばらく様子を見て、頬を拭きとる。腫れはほとんど引いていた。

 バラモスを倒した日の翌日、夜が明ける前にアベルとあたしは誰にも言わずにアリアハンを出発した。暗闇の中、二人でこそこそと町を抜け出すなんて何か悪いことをしている気にもなったが、そんなところも楽しかった。

 こんなにも早い旅立ちを持ち掛けたのは、意外なことにアベルの方だった。アリアハンに残っていたら、宴会やら復旧作業やらで忙しくなる。そうなったらまたアベルが人から頼られることになるから、例え疲れ切っていても、このタイミングで出発しないと面倒なことから逃げられない。あたしに対するアベルの気持ちに疑惑が生じた直後だったので、アベルの提案は嬉しかった。

 あたしは言われた通り、夜中にアリアハン城の宿舎を抜け出し、アベルの家に向かった。ノックをするとすぐにドアを開き、アベルが笑顔で招き入れてくれた。

 あたしの青い兜と、もう使うこともないであろう青き珠を嵌め込んだサークレットはアベルの家に置いてきた。皆はアベルとあたしが二人でどこかに消えたということにすぐ気づくだろう。ヤナックはあたしとアベルの関係に感づいていたし。

 身体は疲れていたはずだが、期待や嬉しさの方が強くて気にならなかった。道中、アベルは水の確保をしてくれたし、食料の魚を取って来てくれた。あたしはアベルの優しさに甘えてみることにした。今までと同じように焚火の前での野宿だったが、アベルの腕に抱かれながらだと楽しく、幸せだった。

 しばらくはこの町に滞在する。疲れを癒し、それからどうするかは、ゆっくり考えればいい。アベルと話したように、世界のどこを旅して周るか、想像するのが今から楽しみだ。

 弟たちを探す旅に始まり、竜伝説の謎を解く冒険を続けていた身には、こうやって大した目的もなく、何の責任もない旅に出るのは何とも新鮮に感じられた。

「今まではまるで何かに導かれるように、決まった場所を辿るような旅だった。元々、青き珠の勇者を成長させるために、竜伝説の秘宝を世界各地に分散させているって話だったしさ」

 アベルはしみじみと言った。

「楽しみなんだ。これからデイジィと好きにどこへでも行けるなんて」

 アベルは椅子から立ち上がった。

 今までずっと肩ひじ張って生きてきた。こんなにも楽しくて開放的な気分は初めてだ。あたしも立ち上がって、アベルを真っすぐに見つめた。

「あたしも……。こんなに楽しみなのは、初めてだよ。アベル!」

 そう言って、あたしはアベルの胸に飛び込んだ。

「デイジィ……」

 アベルはあたしの身体を受け止めて、背中を包むように抱きしめた。甘えるような、優しい抱擁だった。

 もう強がらなくていいんだ。今まで青き珠の勇者としての重圧を受け続け、周りから頼りにされていた。その重荷がなくなった今、ようやく緊張を解くことができる。これだけの仕事をしたんだ。残務処理なんか放棄して、誰に邪魔されることもなく自由に生きたくなるのは仕方ないことだろう。

 それはあたしも同じだった。ようやく過去の呪縛から逃れ、自分のために生きられる。幼少期に親を流行り病で失い、心の支えだった弟と妹は奴隷商人に連れ去られた。誰にも頼れない中、何とか弟たちだけは取り戻そうと、懸命に生きてきた。結果として目的は果たせなかったが、あたしの手元にはいくつかのものが残った。誰にも負けない剣術の腕と、当面の生活には困らない資金。

 そして、一番大切な人。

 


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