デイジィとアベル(一)決戦前の蜜月   作:江崎栄一

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〇三 荒れ果てた神殿

 一瞬の後、あたしとアベルは石造りの神殿へ飛び出ていた。

 静かで、薄暗い。空は雨雲で覆われ、湿度の高い、まとわりつくような風が吹く。

 異常な光景だった。神殿の柱や天井は崩れ、廃墟となっている。もはや神を祀る場としての用は為さないだろう。崩れた部分に風化の跡がない。この破壊があったのはかなり最近だということだ。バラモスの手の者に破壊されてしまったのということであれば、ここは竜伝説を解く上で重要な場所だったということになる。

 アベルもこの状況を見て警戒したんだろう。顔と姿勢に緊張が見える。周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩き出した。あたしはその背中から離れないように、付いて行った。

 しばらく二人で歩き回り、見晴らしのいいところまで来た。あたしたち以外に動くものの気配はない。人もモンスターもいないようだ。とりあえずは警戒を解いてもいいだろう。

「アベル。ここはどこなんだ?」

 息を殺すのをやめて問いかけると、アベルは勇者の地図を開いた。再び紙の上に球体が浮かび上がる。あたしも覗き込んで、地図の青い点を探した。

「中央大陸の南東の果て。コナンベリーというところだ」

 アベルは青い点があるところを指さした。

 アリアハンと経度の差はほとんどない。同じ中央大陸の中を、真っすぐ南下しただけだ。今は昼間だということになる。この暗さは、空一面を覆う雨雲のせいか。

「ふうん。本当にこんなところに、最後のオーブがあるのか?」

「……とりあえず、行ってみよう」

 旅の泉に飛び込む前に、ちゃんと最後のオーブの元へ導くように願いを込めた。よこしまなことは考えなかったはずだ……。国王の行ったことに間違いがなければ、三つのオーブが、最後のオーブを求めるあたし達をここに導いたのは間違いないだろう。しかしこの荒廃した有様を目の当たりにすると、不安はぬぐえなかった。いくらなんでもこんな廃墟に最後のオーブがあるとは思えない。

 あたしの前を歩くアベルの背中に迷いはなかった。こういう不安な状況を前に佇むあたしたちを置いて、いつも先へ行ってしまう。どんな状況だって、何とかしてみせるって思えるんだろう。何を根拠にそう思えるのかわからないが、今までそれで何とかなってきた。今回もそれに従うことにした。

 しかしここは見れば見るほど荒らされ方が酷いことがわかる。今までに見たどんな建物よりも頑強な作りだというのに、破壊の度合いも尋常ではない。巨大な石造は根元から折れ、かつては噴水だったはずの水たまりに倒れ込んでいる。ここまでの破壊行為は普通の人間にはできない。バカでかい宝石モンスターか、ヤナックが使うような爆発系の呪文でもなければ不可能だろう。いったい、ここまで徹底的に破壊する理由はなんだろうか。破壊自体が目的ではないとするならば、ここにあった何かを徹底的に探した痕跡なのではないか。

 あたしが石造の前で足を止めている間に、アベルの姿が見えなくなっていた。慌てて周囲を見渡し、石板の前に佇むアベルの背中を見つけた。そこに刻まれた文字を読んでいるようだ。

「どうした、アベル」

 あたしは走り寄った。

「なんて書いてあるんだ?」

「ここは……。不死鳥ラーミアが眠る神殿だったんだ」

 そういうことか。

 聖剣のある天空へは不死鳥ラーミアの力がなければ、人間には辿り着けない。バラモスが、あたしたちの道を塞ぐためにラーミアの卵の破壊を企てたのだろう。

「じゃあ、不死鳥ラーミアは……」

 バラモスの手の者は、何らかの理由で不死鳥ラーミアを探すよりも、神殿もろともラーミアを抹殺することを考えたのだろう。

 ラーミアの卵がないんじゃ、四つのオーブが揃ったってどうしようもない。このままじゃバラモスに先を越されてしまう。あたしはアベルの顔を恐る恐る見上げた。その顔に不安の色はない。この状況でも希望があると考えているのだろうか。

「あっちに光が見える。地図によると、町があるようだ」

 アベルが指さす方向、海岸沿いにぽつぽつと光が見える。あそこに人が集まっているはずだ。この状況で手掛かりになるものが、きっとある。

「じゃあ、行ってみようか」

 あたしたちは歩き出した。

 町までは随分距離がある。険しい山道を下ることを考えると、夜になる前にたどり着けるかどうか難しいところだ。

 神殿を出ると、細い山道があった。ほとんど獣道と言っていい。ここのところ、あまり人が通っていないのだろう。道は荒れ、行く先を阻むように草木が生い茂っている。

「デイジィ、大丈夫か?」

 アベルは道にはみ出た木の枝を剣で切り開きながら、あたしの前を歩く。

「ああ」

 もう一時間は歩き続けただろうか。依然として真っ暗な森の中だ。ずっとこんな道が続くんじゃ、思ったより時間がかかるかもしれない。

 幸いだったのは、どうやら森の中にもモンスターはいないということだった。もっとも、巨大な宝石モンスターが歩けるような道ではないが。

 不意にアベルの足元に小さな影が躍り出た。モンスターか?

 あたしが腰に帯びた隼の剣を掴むのと同時に、その影がキキッと鳴いた。

「うわぁ……!」

 緊張は一瞬で恐怖に変わっていた。

 あたしは剣を掴んだまま尻もちをついていた。ネズミだ。

 全身に鳥肌が立ち、吐き気が込み上げてくる。

 あたしが震えながらも必死に後ずさりしていると、アベルとチチの笑い声が聞こえた。

「あはは。デイジィは相変わらずネズミが苦手なんだな」

 何をしてんだアベル。早く何とかしてくれ、まだあんたの足元にネズミがいるじゃないか。

「アベルぅ! た、助けて!」

 あたしはネズミが大嫌いなんだ。

「さ、オイラたちは何もしないから、行きな」

 アベルはネズミを抱き上げて、草むらの中に置いた。ネズミは一瞬アベルの顔を見たあと、素早く森の中へ消えた。アベルはその姿を笑顔で見送った。

 もしかしてこの辺りにはモンスターがいないから、ネズミがたくさん発生してるんじゃないか。こんなだったらモンスターだらけの森の方がマシだ。

「行こう、デイジィ」

 あたしの呼吸が落ち着いたころ、アベルが手を差し出した。優しく笑うアベルの顔を見つめながら、あたしも手を伸ばした。アベルはしっかりと手を握ると、あたしを引き起こした。

 何とか立ち上がったが、膝が抜けていた。引き起こされた直後、踏ん張りがきかなくて、アベルの胸に顔から突っ込んでしまった。

「大丈夫? デイジィ」

 あたしはアベルの分厚い胸板に顔を埋め、腰に手を廻して何とか体勢を整えた。

「た、助かったよアベル。ありがとう」

 アベルはあたしの両肩を掴んでしっかりと支えると、満面の笑みを見せた。安堵が広がった。モンスターだろうがネズミだろうが、何が出てきてもアベルと一緒なら大丈夫だ。

 あたしはアベルとの距離を少し縮めて、後について行った。

 アベルはあたしのことをどう思っているんだろうと考えた。仲間として信頼してくれているのはわかる。ネズミを見て怯えるような情けない姿を晒しても、非難することもなく優しく助けてくれる。でもそれは、あたしが頼れる闘いの相棒だからというだけなんだろうか。やはりあたしが女だから、こんな情けない姿を見せても優しく助けてくれるんだろうか。

 それから随分長いこと歩いた。何せ森が深すぎて、道なき道を行くようなものだった。歩く速さが制限された。ようやく開けた場所に出るころには、もう日は暮れ、疲れ果てていた。

「ここがコナンベリーの町で、間違いないようだ」

 アベルが勇者の地図を指さしながら言った。さびれた町だが、それなりに人の気配はある。

「どうする? 今から町の人間に聞いて回るのか?」

 あたしはゲンナリしながら言った。他に何も手掛かりはなさそうだ。とりあえず誰か情報を持っている奴がいないか、探すしかないだろう。しかし、イエローオーブなんてものの存在を知っている人間はいるのか? それともラーミアの神殿の近くだから、案外簡単に情報が手に入るんだろうか。

 本当はもう休みたい気分だ。それはアベルも同じだったようだ。

「まずは宿屋を確保しよう」

 宿屋……?

 あたしはアベルの顔を覗き込んだ。しまった、アベルとの二人旅に浮かれて、細かいことを考えていなかった。イエローオーブ探索と不死鳥ラーミアの復活なんて、当然一日で終わるような旅じゃない。リムルダールでモコモコたちと落ち合うまでの間、ずっとアベルと二人きりで夜を過ごすことになるんだ。

 今まで二人きりで会っていたのなんて、ヤナックとモコモコが寝付いたあとに、剣術の修行を付けてやったときくらいじゃないか……。

 アベルは屈託のない顔であたしの顔を覗き込んでいる。

「あ、ああ、そうだな……。今日はもう何もできそうにない」

 あたしは目を伏せて、平静を装った。鼓動が高まっていた。

 早速アベルが歩き出した。建物の看板を見ながら歩く、その背中をあたしは追った。町の奥に進むにつれて、街路は明るくなり、人通りも増えてきた。変な気分だった。部屋を取るために、こうやってアベルと二人で夜の町を歩くなんて。

 あたしたちは、最初に見つけた宿に入った。どこにでもある普通の宿であることに落胆した。別に、豪勢な部屋を取りたかったわけではないが……。

「こんなさびれた町だけどね、最近はここに流れてくる人が多いんだ」

 宿屋のオヤジが笑顔で答えた。

「一部屋も空いてないのか?」

「運がよかったよ、お兄さんたち。どこの宿屋も満室だって聞いてるけど。うちは、ちょうど二人部屋に一つだけ空きが出た」

 一部屋だけ……?

 だったら必然的にあたしはアベルと同じ部屋で寝ることになる。今までだって一緒に野宿したり、同じ部屋で寝たことはあった。だけどその時はヤナックやモコモコが一緒だった。二人きりなのは初めてだ。

「デイジィ、ここにしよう」

 屈託のないアベルの視線を、あたしは見つめ続けることができず、下を向いた。

「あ、ああ……。いいんじゃないか」

 通された部屋は、中央にベッドが二組、窓際に二人掛けのテーブルセットが一式あるだけの簡素な作りだった。

 あたしは兜を脱いで、ベッド脇のサイドテーブルに置いた。チチは疲れていたのか、あたしの兜の中に身体を潜り込ませ、寝入ってしまった。

 窓から風が入る。少し湿気は強いが、昼間よりも幾分か熱が取れている。長時間歩いてべたべたした身体には気持ちよかった。

 窓の外は賑わいを増していた。一杯やった後の男たちが、ふらふらしながら道を歩く。店主の言うように、それなりに人は多いようだ。思っていたほど寂れた町じゃない。

 すぐ後ろにアベルの気配がある。

「アベル、飯でも食べにいこうか……」

 あたしは振り返らないで言った。どんな顔をして話しかけたらいいか、わからなかった。

「そうだな。でもオイラ、先に身体を洗いたいな。宿屋の一階に風呂があるからさ」

 風呂? 確かに、あたしも身体を洗いたい。こんな日は特に……。

「あ、ああ。それもいいかもな」

「デイジィ。先に入ってこいよ」

「え……?」

 女に汗を流すように促すなんて、アベルの奴、何か変な期待をしているんじゃないだろうか。

 あたしが呆然と見つめていると、アベルは慌てたように身体の前で手を振った。

「あ、いや。オイラたちも結構貴重なものを持ってるだろう。オーブとか宝石とか、一人は部屋に残って荷物を見張っていた方がいいと思うんだ」

 なぜかがっかりしたが、あたしは風呂へ向かうことにした。


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