窓の外がにぎやかだ。でもその喧騒が、どこか遠くの世界で起こっているように聞こえる。オイラ、どうしてしまったんだろう。デイジィを風呂へ見送ってから、急に落ち着かなくなってきた。
デイジィのことばかり考えて、他のことに頭が回らない。
もっと慎重にパーティ編成を決めた方がよかったのかもしれない。ティアラに言われてパーティを二手に分けたときは、ただ純粋に戦力として問題ないだろうと考えただけだった。オイラとデイジィの方に不安がないのはもちろんだけど、ティアラたちだって大丈夫だ。戦力にならないティアラのことは、モコモコとドドンガが守ってくれる。何も気にする必要はなかったはずなのに、まさかデイジィとの会話に気を使うことになるなんて。
不思議だ。冒険の仲間として、デイジィのことは誰よりも信頼しているのに、二人きりになると緊張してしまう。
今まではヤナックやモコモコと一緒だから、話が途切れることもなかった。オイラとモコモコは旧知の仲だし、ヤナックがデイジィにちょっかいを出したり、デイジィがモコモコをからかったりして、いつも賑やかだった。そうやって思い返してみれば、オイラはデイジィと二人で冗談を言い合ったりするような関係じゃなかった。話すのはいつも冒険や闘いのことばかりだった。
一方、この二人旅が始まっても、デイジィの様子はいつもと変わらない。オイラに対して素っ気ないくらいサバサバしている。
ちょっと短気なところもあるけど、闘いに関しては冷静で強い、オイラが一番頼れる仲間だ。それでいてネズミが怖いなんて、かわいいところもある。
デイジィ……。
オイラはもしかしてずっとお前に引け目を感じていたんじゃないだろうか。そんなことを、ふと思った。
オイラがここまで強くなれたのはデイジィのおかげだ。鋼の剣を手に入れたばかりの、剣の振るい方なんて知らないオイラに本格的な剣術の指導をしてくれた。オイラにとってデイジィは、仲間であると同時に師匠でもある。
それだけじゃない。水龍との闘いで瀕死の重傷を負ったオイラを、自分だって傷ついているのに、ヤナックの師匠であるザナック様の元へ背負って送り届けてくれた。オイラを救うためにパデキアの葉が必要だとわかったら、ティアラと一緒に危険な洞窟を探検して探し出してくれた。命の恩人でもあるんだ。
デイジィに出会えなかったら、今のオイラはいない。今日までの冒険のどこかで宝石モンスターに殺されていただろう。
でもデイジィはオイラに対して恩着せがましいことを言ったこともないし、偉そうな態度を取ることもない。昔、金にならないことはしないと言っていたけど、それが嘘だってことはもうわかっている。打算なく人を助ける優しい心の持ち主だってことが。
そもそも、その強さも、金への執着心も、奴隷商人に連れ去れらた弟と妹を探し、買い戻すことが目的で身に着けたものだ。その心に打算などあったはずがない。
そんなお前の優しさに対して、オイラはまだ恩返しができていない。
デイジィは強いから、オイラなんかいなくたって、なんでもできてしまう。こんなことでは、いつまで経っても借りを返せない。
そんなことに、オイラは引け目を感じていたんだろう。そのせいで気安く話しかけられないんだろうか。今まではモコモコやヤナックに甘えて、デイジィに対する感謝や引け目を隠してきたのかもしれない。
オイラがもっと強ければ……。
オイラは稲妻の剣を抜いた。ホーン山脈で、ザナック様にもらった剣だ。この剣は凄い。オイラの実力以上の力を引き出してくれる。
デイジィの兜が眼に入った。オイラがここまでバラモスの宝石モンスターたちと闘えるようになったのは、もちろんデイジィに鍛えてもらったおかげだし、この剣があるからでもある。
まだまだ剣術ではデイジィに及ばない。もっともっと修行しなけりゃ、デイジィには追い付けないんだ。そうならない限り、オイラはずっとデイジィに引け目を感じ続けることになる。
剣を鞘に納め、オイラは窓辺の椅子に座った。
昔のことを思い出していた。
『知っているだろう。あたしは金にならないことはしないんだ』
ある夜、デイジィが一人で剣の修行をしているところを目撃した。満月を後ろに軽快な足さばきで剣を振るうその姿に見とれてしまったんだ。デイジィの剣術に心を奪われたオイラは、すぐに土下座して教えを請うたんだ。
あのときのオイラは自分の無力さを痛感していた。手に入れたばかりのハガネの剣の威力に慢心し、無謀にもバラモスに単身闘いを挑んだ。結果はもちろん、こてんぱんにやられた。命が助かったのが奇跡だった。
デイジィは最初のうちは頑なに教えることを拒んでいたっけ。オイラがあんまりにもしつこいもんだから、デイジィはオイラを諦めらせるために追いかけっこを提案したんだ。デイジィがオイラから奪った道具袋を、奪い返せたら剣術を教えてやるって。
でもデイジィほどの実力者は、あのときのオイラにはとても捕まえることはできなかった。何度飛び掛かっても、避けられ、投げ飛ばされ、蹴り倒され、いつしか全身が傷だらけになっていた。仕方がないから、デイジィの大嫌いなネズミを使って動きを止めたんだ。あんなに気取ってるのに、ネズミを見ただけで悲鳴をあげるんだから……。
しかし今になって考えてみると、オイラも相当酷い奴だな。デイジィはネズミを見たら泣き出すほど怖がるって知ってたのに……。青き珠の勇者がやることか?
そのあと、デイジィは約束通りオイラに剣術の修行をつけてくれた。毎晩デイジィにつきっきりで教えてもらった。あの頃は楽しかった。日に日に体中の傷が増えていく厳しい修行だったけど、自分が強くなっていくことが実感できた。
「アベル。なに笑ってるんだ?」
「わあ! デイジィ。いつの間に」
デイジィはドアの前、いつもと変わらない青い革の鎧を着て、不思議そうな顔でオイラを見つめている。髪がしっとりと濡れていて、頬や肩が上気し、心なしか眼が潤んでいるように見える。
デイジィって、改めて見てみると結構かわいいのかもしれない。
仲間に対してそんな風に思うなんて、オイラはどうしてしまったというんだ。長い間見つめたからなのかもしれない。デイジィは眼を逸らした。
「どうしたんだい。あんたもさっさと風呂に行きなよ。あたしは髪を乾かしておくからさ」
そう言ってデイジィは窓辺の椅子に腰かけ、外を眺めた。その女らしい姿から、オイラはまた眼が離せなくなった。風に髪を当てるその姿は、か弱くさえ見えた。
そうだよな。デイジィだって、女の子なんだ。ずっと一緒に闘ってきたから忘れていた。髪の手入れだって気にするし、お洒落な格好だってしたいだろう。
それをオイラとしたことが、他に空きがなかったからとはいえ、泊まる部屋を一つしか取らなかったなんて、まるでバカじゃないか。デイジィが気にしないでいてくれたらいいんだけど。
「戻ったら、飯にしようぜ」
デイジィは笑顔だった。