デイジィとアベル(一)決戦前の蜜月   作:江崎栄一

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〇五 初日の夜、二人の関係

「あいにく、それも切らしておりまして……」

 いくつかのメニューを給仕のオヤジに注文したが、今日はどれもないようだった。海辺の町だというのに魚料理がないなんて。

「いったい、ここでは何がたべられるんだい」

 あたしはため息交じりに言った。

「ここのところ、急に海が汚れ出しまして、魚がみんな死んでしまったんですよ」

 はっとした様子でアベルがあたしに視線を向けた。たぶんあたしと同じことを考えたのだろう。

「海が汚れたって、まさか死せる水が? なんてこった、ここにまでバラモスの手が及んでしまったのか……」

 死せる水とは、古代エスターク人や宝石モンスターが生命の源とする液体だ。あたしたち人間にとっての水に当たる、重要なものだ。しかし、死せる水は人間や多くの生物にとっては毒以外の何物でもない。長時間触れていれば、酸のように皮膚や肉を溶かす。バラモスは世界中を死せる水で満たそうとしている。

「そうみたいだな。あいにくあたしたちがここについたのは夜だ。海を見ても気が付かなかったわけだ」

 あたしたちが旅を続けている間も、バラモスによる世界侵略は続いているんだ。あたしたちと奴らは、伝説の竜を探し出すという同じ目的を持った競争相手だ。しかし、奴らにはそれと同時に世界征服を進める余力もある。

「おのれバラモスめ……」

 アベルはテーブルの上で両手を硬く握りしめている。こいつはすぐに熱くなる。このままじゃ今すぐ外に飛び出しかねない。給仕のオヤジも不安そうな顔で見つめている。

「アベル。気持ちはわかるが、今夜は何もできやしない。腹ごしらえして、明日の朝から動き出そう」

 あたしは給仕を見た。

「何があるんだい」

「は、はい。こちらのパン、チーズ、サラダとぶどう酒を取り揃えています」

 オヤジは慌ててメニューの何点かを指し示した。

 それだけあれば十分だろう。

「いいだろ、アベル」

「あ、ああ」

 あたしは適当に料理を注文した。

 アベルは落ち着かない様子だったが、最初に出されたぶどう酒を飲むと、いくらか緊張がほぐれたようだった。

「すまない、デイジィ。オイラ、バラモスのこととなると直ぐに頭に血が上ってしまうんだ」

 眉間にしわを寄せてはいるが、冷静さを取り戻した。空になったアベルの木製ジョッキカップに、なみなみとぶどう酒を注いでやった。

「いいんだよ。そのために二人で行動してるんだ。あんたがまた無謀なことしようとしたら、あたしが抑えてやるよ」

 そう言って、パンをかじった。

「お前にはいつも面倒ばかりかけてしまうな……」

 アベルは俯きながら言った。珍しく気弱な態度だ。

 あたしはぶどう酒で無理やりパンを飲み込んで、聞き返した。

「どうしたんだい、急に」

「さっき、部屋にいるときに、昔のことを思い出していたんだ」

「昔のこと?」

「デイジィに剣術を習ったことや、今まで一緒に旅してきたことさ」

 アベルが昔のことを話すなんて珍しい。いつも前しか見ていない、猪突猛進野郎なのに。父親を亡くしたばかりだということが、感傷的にさせているのだろうか。

「さっき、一人で風呂に入っているときに考えていたんだ。今までの冒険のことを」

 きっとアベルも本当は寂しいんだ。目まぐるしく変わる事態にずっと対応してきたんだ。あんな辛いことがあったあと、くらい落ち着いて考える時間があってもいいじゃないか。

「気が付いたんだ。オイラが剣を振るう時、いつも思い描いているのはデイジィの姿なんだって」

 アベルは珍しく速いペースで呑み続ける。饒舌になっているようだから、今まで話さなかったことも聞けるかもしれない。このまま酔い潰してみたいという邪な思いもあり、またな並々とぶどう酒を注いだ。

「敵との闘いで窮地に陥ったとき、いつもデイジィの声が蘇るよ。オイラの剣術は、全部デイジィに教わったことなんだから当然なんだろうけど、どうもそれだけじゃないんだ」

 アベルは淡々と語り続けた。

「なんだよ。照れるじゃないか」

 懐かしい話だ。あの時のアベルはまだまだヒヨッコだった。力が強くて運動神経のいいだけの、単なる素人だ。あたしの旅の目的に都合がいいと思ったから仲間にはなったが、剣術の指導までしてやるつもりはなかった。

 ある日の深夜、日課である剣の素振りをしていたあたしの前に突然現れたアベルは、土下座をし、剣を教えてくれと言った。どうしてもティアラを救いたいんだと。

 あたしにとっては何の得にもならない話だったのに、教えてやることにしたのは、やっぱりあのとき既にあたしはアベルに惹かれていたからなんだろう。いつも損得勘定抜きで、誰かのために自分の危険を顧みない行動を取る姿に心を奪われていた。

「オイラたちが初めて出会ったときのこと、覚えてる?」

 アベルが真っすぐあたしを見つめている。

「当然じゃないか。あの出会いがなかったら、こうやって一緒に旅することなんてなかったよ」

「美しいって思ったんだ」

「え?」

 胸が高鳴った。

「デイジィが賞金首からオイラとモコモコを助け出した時の剣さ。奴の身体を一切傷つけずに、服だけ切り裂いた。あのとき何回剣を振るったのか、オイラには数えることができなかった。あのデイジィの姿が、未だにオイラの瞼に焼き付いているんだ。今まで気が付かなかったけど、あのときからデイジィの強さに心を奪われていたんだ」

 アベルは真剣な眼であたしに語り掛けてくる。馬鹿正直で、生真面目な眼。あたしはそんな眼が好きだ。

「正解だったよ、お前たちを助けて。おかげであたしはこうやって世界中を旅して周れる。いつかは弟も見つけられるだろうさ」

 もっとも、あのときはモコモコが大金を持ってたから興味を持ったんだけどな。おまけにアベルたちの行く先には頻繁に宝石モンスターが現れる。ケチな賞金首を狙うよりも、よっぽど実入りがいい。だから後を追ったんだ。アベルとモコモコなら与しやすいと思った。

 誤算だったのは、その後おかしなスケベオヤジが仲間に加わっていたことだ……。

「その弟だけど……。オイラ、見つかるまで必ず全力で協力するよ。デイジィから受けた恩は計り知れないんだ」

「アベル……」

 ありがとうアベル。でもあんたはやっぱり鈍感だ。あたしがあんたに求めているのは、感謝でも協力でもないんだ。


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