デイジィとアベル(一)決戦前の蜜月   作:江崎栄一

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〇六 コナンベリーの町、海賊バハラタ

「おはよう。デイジィ」

「……アベル」

 窓辺にたたずむアベルがあたしを見つめている。朝なのか。でも随分暗い。空は相変わらず、どんよりと曇っているようだ。

「珍しいよ。デイジィがこんなに遅くまで眠るなんてさ」

「すまない。あたしとしたことが」

 なんだか昨日のことが思い出せない。酒を飲みながら、アベルと昔話をしていたことは思えているんだが……。そうだ、あたしたちはひとしきり飲み食いした後、一緒に部屋に戻ったんだ。あたしは緊張して部屋に入ったってのに、アベルはとっととベッドの上に一人で大の字になって眠ってしまったんだった。調子に乗ってぶどう酒を飲ませすぎた。それで、あたしは何だか落ち着かなくて、中々寝付けなかった。

「気分はどうだい」

「ああ、大丈夫だよ。たくさん寝たからな……」

 日の高さから考えて、もう昼が近いんだろう。随分寝てしまったようだ。一日でも早くオーブを集める決意で旅立ったっていうのに。

 アベルがパンとミルクを差し出した。

「あ、ありがとう」

 こんな失態をするなんて。アベルに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。あたしはシーツに包まったままベッドに起き上がって、パンをかじった。シーツの隙間から太腿が覗いた。そういえば、今は下着しか身に着けていない。今シーツを剥いで肌を見せたら、アベルはどんな反応をするだろうか。

 あたしはパンを頬張って、ミルクで流し込んだ。

「デイジィ、そんなに急がなくても大丈夫だよ」

「早く、最後のオーブを探しに行かなくちゃな」

 アベルは立ち上がった。

「ア、アベル……。あのさ……」

 あたしは申し訳なさそうに言った。

「なんだい、デイジィ」

「ちょっと部屋から、出ていてくれないかな。まだ下着しか付けてないんだよ」

「えぇ? ご、ごめん。オイラ、外で待ってるよ」

 アベルは部屋の外へ飛び出すと、大きな音を立てて扉を閉めた。

「すぐ準備する」

 あたしの声は、心なしか弱々しく響いた。何か、大切な機会を逸してしまった気がした。

 支度を終えて、あたしたちは宿屋を出た。

 まずなにより、海を見なければならない。昨日、食堂のオヤジから聞いた、汚れた水。これが本当に死せる水なのか確かめたかった。

 海辺に向かう。

 ここは港町。何隻もの船が停泊している。しかし人の姿はまばらだった。

「死せる水が、こんなところまで押し寄せているのか」

「そうみたいだな」

 昨日、宿屋のオヤジが言っていた。急に海が汚れ出したと。見覚えのある紫色の水。ドランの都で見たのと同じ、死せる水で間違いない。

 この事実はあたしにとって驚きだった。水龍との闘いからというもの、あたしたちは度重なるバラモス軍の襲撃を受けて、防戦一方だった。常に自分たちのことで精いっぱいで、世界がどうなっているのか思いを巡らせる余裕もなかったんだ。世界は今、あたしたちが考えているよりも深刻な状態に陥ろうとしている。

「デイジィ、行ってみよう」

 アベルは町の方を向いている。この事態に愕然としている場合じゃない。本来の目的は、イエローオーブを探すことなんだ。

 あたしたちは市街地に入った。

 昼間だというのに、このコナンベリーという町は静かだった。活気がない。浮浪者がたむろし、カラスが残飯を求めて鳴く。夜の方がマシだとさえ思える。

 向かいからみすぼらしい格好をした男が歩いてくる。

 避ける素振りも一切見せずに、思い切りあたしにぶつかった。

「ちょっとアンタ!」

 よそ見をしながら歩いていたあたしも悪かったが、その男は返事もしないで去って行った。この町には、もしかしてこんな連中しかいないのか。

「ちっ……。なんて陰気な町なんだ」

 そんな捨て台詞を吐いてから正面を向くと、大きな男があたしたちの前に立ちふさがっていた。

「今じゃ世界中こんなもんさ」

 よく通る低い声。白と黒を基調にあしらえた船乗りの服。見覚えがある。

「バハラタ!」

 アベルが嬉しそうに声をあげた。

「元気だったかい、お二人さん」

 バハラタはキザな笑みを見せた。

 運がよかった。まさかバハラタと再会できるなんて。海賊として世界中を旅している男だ、オーブについての新しい情報も持っているかもしれない。それにしばらくはコナンベリーに住み着いているようだから、この町のことだってよく知っているだろう。

 しかし様子が変だ。鋭い眼光は消え、やつれた顔をしている。ジャック・スワロウとあたしが、闇のバザールで隼の剣をめぐって行われた勝負の仲立ちをしたときの、不敵な笑みは消えていた。

「せっかく再会したんだ、ゆっくり話そうぜ」

 バハラタはそう言って、あたしたちをバーへ案内した。

 驚いたことに、バハラタは昼間だっていうのに酒を頼んだ。

「ぷはぁっ!」

 飲みっぷりだけは相変わらずだ。だが、ドランの都で周りに女をはべらせていた時のような派手さはない。

「昼間っから酒とは、いい身分だな」

 あたしは紅茶を飲みながら、呆れた顔でバハラタに言った。

「なんだって、冗談じゃねぇぜ。死せる水のおかげで海が荒れちまって、どうにもならねぇのさ。海のモンスターどもはどんどん強力になってる。俺の船も何隻か沈められちまったんだよ」

「そんなにひどいのか」

 バハラタほどの男でも船を出せない。それじゃ、これからは船での移動は難しいということか。

「あんたらがのんきにしている間に、世界は変わっちまったんだよ」

 その言葉は聞き捨てならなかった。怒りが膨れ上がり、考えるより先に立ち上がって怒鳴りつけていた。

「のんきだとぉ!」

 こいつは何を言ってるんだ。あれからあたしたちがどれだけの修羅場を潜り抜けてきたと思っているんだ。もう少しで、あたしはアベルまで失ってしまうところだったんだ。

「やめろよ。デイジィ」

 アベルが落ち着いた声で制止した。

 バーの中は静まり帰り、周囲の客が怪訝な顔であたしを見つめている。

 しまった。バハラタも悪気があったわけじゃないだろう。あたしも少し神経質になり過ぎているのかもしれない。

「ま。今のは言い過ぎた。悪かったな」

 バハラタの謝罪を聞いて、あたしは腰を下ろした。

「詳しく話してくれ」

 アベルがバハラタに頼むと、バハラタは一層声を低くして語り始めた。

「バラモスは死せる水に乗じて、世界中に将軍たちを送り込みやがったんだ」

 バハラタは顔を険しくさせながら、また酒を煽った。まるでそうでもしなければ、怒りを抑えられないかのようだった。それほどまでの事態が世界を襲っているというのか。

「そして、宝石モンスターを使って、次々と世界中の国を侵略し始めたのよ」

 バハラタは今日までに闘ってきた宝石モンスターたちの話を始めた。キャタピラー、テンタクルス、ダースリカント、どれも半端なモンスターじゃない。町一つを壊滅させることくらい、造作もない圧倒的な力を持つ連中だ。

 そしてこのコナンベリーの先にあるレイアムランドは、ハーゴンという将軍の侵略を受けて壊滅したらしい。その他の地域へも同じように将軍を派遣し、制圧を進めている。

 だが、バハラタも全世界の情勢を把握しているわけではなかった。死せる水の浸食に伴って、海のモンスターたちは強力になっていった。中央大陸南東の海に生息する魚型モンスターによって、バハラタの船も何隻か沈められてしまったらしい。

 かつて世界を股に掛けた海賊バハラタといえども自由に海を行き交うことができなくなった。まるで世界中の大陸が分断されてしまったかのようだ。

 バラモスの世界侵略はなお勢いを強めている。より多くの人々が恐怖と闘っているんだ。

「ドランのような大国は軍事力で辛うじて食い止めているが、小さな国はことごとく落ちて、バラモスの支配下にはいっちまった。さすがの海賊バハラタ様もこんなところに流れてきたってわけさ」

「なんてことだ……」

 あたしの額に汗がにじんでいた。

「そんなことになっているなんて、知らなかった……」

 この事実には、さすがのアベルも驚愕の色を隠せないようだ。深刻な顔をして俯いている。今、世界中の人々がバラモスの侵略に苦しんでいる。

 どうする、アベル。バラモスに支配された国を、ひとつずつ救っていくか。それとも、敵の本丸を攻め落とすことに集中するか。

 あたしはアベルを見つめて言葉を待った。

「ねぇ坊やぁ」

 あたしたちの緊迫した雰囲気をぶち壊すような、甘ったるい声がした。アベルの後ろに給仕の若い女が立っていた。

「え、おいらのこと?」

「あたしと、パフパフしません? うふふふふ」

 あたしはまじまじと女を見た。

 なんだこの女は……。細い身体に可愛らしい笑顔は、まるであたしとは対極にあるような存在だ。胸と腰だけを隠した露出度の高い衣装。股の部分が隠しきれていない。それにパフパフなんて言葉、アベルには刺激が強いんじゃないか。

 この商売女め。あたしたちは真剣な話をしているんだ。アベルに営業をかけているようだが、無駄なことだ。こいつはそんなのに引っかかるような、だらしない男じゃないんだよ。

「ええ……。パフパフだって……」

 あたしは唖然とした。アベルがでれでれした顔をあたしらに見せている……。そこに、さっきまでの勇者の顔はなかった。あたしは深い憤りを感じた。

 アベル、あんたは、いっぱしに女に興味があるのに、あたしには無関心だってことかい。

 アベルに聞こえるように大きくため息をついた。

「ご遠慮なさらないで。とおっても気持ちいいんだから」

 そう言って女はアベルに顔を近づけて行った。

「ねぇ、いいでしょお!」

 こいつ、いいかげんにしろよ。あたしに喧嘩を売ってるのか。普通は女連れの男にしつこく営業かけないだろ。

「ちょっと! あんたねぇ!」

 あたしが声を荒げるのと同時にアベルが立ち上がった。

「お、おいら、パフパフしてもらおうかな」

「うれしぃ! じゃあ、二階でね」

「はいはい」

 女がアベルに胸を押し付けるように抱き着いた。

「アベルぅ!」

 あのアベルがまさか。信じられない。さっきのバハラタの話を聞いただろう。急がなくちゃ、世界はどんどん侵略されちまうんだよ。

 女がアベルに腕を絡ませて、身体を密着させたまま歩き出した。あたしは二階に登っていく二人の背中を呆然と見つめ続けた。

 二人の姿が見えなくなると、怒りが込み上げてきた。

 あの女ふざけるんじゃないよ。

 いや、もっとふざけてるのはアベルの方だ。だいたい、あたしの目の前で恥ずかしいとも思わないのか。

「なんだ! でれでれしちゃってさぁ……」

 あの女の容姿が目に焼き付いていた。華奢な身体にか細い手足。くったくのない笑顔。ずっと闘いに明け暮れていたあたしとは違う、女らしさ。

 アベルはこういう女が好きなのか。だからあたしみたいな女は、そもそも眼中にないってことか。

 体つきだけだったら、あたしよりもティアラの方があの女に近い感じだ。

 そこで、はっとした。

 ティアラ? そうだ、ティアラはどうなるんだ。あんたたちは相思相愛のはずだろう? 別行動を取っているのをいいことに、眼を盗んで他の女と遊ぶなんて、裏切りじゃないか。

 あたしが悶々と考えていると、バハラタの笑い声が聞こえた。

「いいじゃねぇか、パフパフくらい」

「うるさい!」

 あたしは間髪入れずに怒鳴った。

 バハラタの奴はあたしの反応を見て楽しんでやがる。あたしがどういう気持ちなのか気づいてるな。こいつは正真正銘の女ったらしで遊び人だから、女心の機微には敏感だろう。アベルの奴はこれだけ一緒にいても気づかないってのに。

「ヤナックと同じじゃないか。ったく……」

 男ってのは皆こんなもんなのか? どいつもこいつもふざけている。あたしはぶどう酒のデカントを掴んで、直接喉へ流し込んだ。

 バハラタが驚きの声をあげた。


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