「何やってんだい。最後のオーブを探さなくちゃならない大事なときだってのに……」
大した時間は経っていないはずだが、パフパフするだけにしては長すぎる気がする。パフパフと言うのは、女が胸の肉で男の顔を挟み込むサービスのことを言う。何が楽しいのかわからないが、世の男どもはこれが好きなようだ。
段々不安になってきた。場所によっては、パフパフの名目で男を誘い出し、更に過激な行為を提供することもあると聞いたことがある。アベルは若い男だ。いくら真面目でも、一度火が付けば欲望を抑えられないかもしれない。あんなはしたない格好をした女にパフパフされて、次の行為に誘われたら、突っ走ってしまうんじゃ……。
真面目で勇敢な面ばっかり見てきたから忘れてたけど、あいつだってスケベな男なんだ。ヤナックにそそのかされたとはいえ、あいつもあたしが温泉に入っているところを覗こうとした前科がある。いや、それだけじゃない。あいつの場合は結果的にあたしの裸も見ている。
また腹が立ってきた。
「アベルの奴、長かねぇか?」
くそ、バハラタの奴。あたしの心の内を察しているようだ。
「関係ない!」
あたしはバハラタを睨みつけながら怒鳴った。
「いや、イライラしているようだからさ」
「イラついてなんかいない!」
バハラタは驚いたように眼を瞑りながら肩をすぼめた。でも口が笑っている。
「おお、怖えぇ、ご立派にイラついてんじゃないですかねぇ」
だめだ。これじゃバハラタを楽しませるだけだ。
「ふん。最後のオーブを探さなけりゃならないってのに、アベルの奴、何やってんだまったく……」
あたしは立ち上がった。
「あれぇ。どちらへ?」
「呼んでくんだよ」
まずは一発ぶん殴ってやる。
「それはそれは」
バハラタは、くくく、と笑い声をあげた。
あたしはあの連中が腕を組んで歩いて行った道をたどった。二階に行くと、部屋がたくさん並んでいる。一階が食堂で二階より上が客室というのは一般的な宿屋の形態だ。特定の部屋をパフパフとか、いかがわしい行為のための休憩所として使っているところもある。
忍び足でそれぞれの部屋に聞き耳を立てて行く。何部屋か通り過ぎると、聞き覚えのある甘ったれたが聞こえた。
あたしはその部屋の前に張り付き、ドアへ耳を当てた。
さっきの女のうっとりするような声が聞こえた。
「まぁ。なんて綺麗な玉ですこと!」
玉……?
あのバカ、まさか本当に裸になってるんじゃ。最悪だ。やっぱりアベルもヤナックと同じ、スケベ野郎だったっていうのか。
「そ、そうかなぁ」
アベルのデレデレした声がした。
だめだ……。これじゃ一発ぶん殴っただけで気が済むはずがない。
そう思うと、幾分か気持ちが穏やかになった。
アベル。あたしがこの拳で、その腐った性根を叩き直してやるよ!
部屋へ乱入しようとしたとき、アベルの驚いた声がした。
「なんだ。これは!」
「ああ!」
女の叫び声がするのと同時に、扉の隙間から、強烈な光が零れ出した。直接浴びているわけでもないのに、眼を開けていられない程眩しい。いったい、この部屋の中で何が行われていたんだ。
ドアノブを捻ったが回らない。蹴破って部屋の中へ駆け込んだ。
「どうしたんだ、いったい!」
鋭い赤と青と緑の閃光があたしを突き刺した。
片手で眼を覆いながら歩を進める。眩しい。
「見てくれ、オーブが!」
アベルの声。
部屋の中央にアベルが立っている。光を発しているのは、その手の中の三つのオーブだ。アベルの指の隙間から光が漏れる。一体何が起こっているんだ。
アベルは、光を発し続けるオーブを両手で完全に覆い隠した。ようやくあたしは周囲の様子が見えるようになった。アベルを睨みつけると、ちゃんと服を着たままであることに気づき、ほっとした。
「なんだ、あの黄色い光は!」
部屋の外から大声が聞こえた。
黄色い光? 三つのオーブが放つ光は赤と青と緑だ。
あたしは窓へ向かって駆け出した。海から黄色い光の筋が立っている。海底から強い光が放たれているようだ。さっきまでの静けさが嘘だったかのように、海は荒れていた。
「あれは! オーブが。イエローオーブが勇者を呼んでいる!」
この女、アベルが勇者だってことを知っている。単なる商売女じゃなかったってことか。アベル、後で説明してもらうからな。
外の黄色い光が強くなる。それに共鳴するようにアベルが持つ三つのオーブも光を強めた。
暴風が吹き荒れる。昨日から漂っていた雨雲は凝集し、黒々とした塊に変質していた。もはや太陽の光は通らない。街を照らすのは、オーブが放つ黄色い光だけだった。
大きな雷が、黄色い光に沿って落ちた。
落雷による轟音が響く。人々が悲鳴をあげて逃げ惑う。
「バラモスのモンスターが、また暴れ出したのか!」
一人の男が叫んだ。
「くそっ! アベル、剣を取りに!」
あたしは一階に駆け下り、兜と剣を取って外へ飛び出した。群衆が海辺に集まっている。アベルはしっかりとあたしの後ろを着いてくる。
群衆をかき分け、何とか海辺へたどり着いた。
「お願い、どいてください! ああ、間違いないわ。あれはイエローオーブの光です!」
例の女とバハラタも遅れてやってきた。
「どうしたっていうんだ!」
バハラタが、あたしに問いかけた。
再び、黄色い光目掛けて雷が落ちた。
「間違いないわ」
例の女が歓喜の声をあげた。こいつが何者なのかわからないが、とにかくあの光の下にイエローオーブがあるんだろう。しかし、死せる水で覆われ、ここまで荒れている海に潜って探索するなんてことは不可能じゃないか。
どうする? アベル。
あたしはアベルの顔を覗き込んだ。それと同時にアベルはあたしを押しのけるようにして、先頭に立った。そして三つのオーブを手で包み込み、袋にしまった。
「よし。オイラが取ってくる!」
アベルが真剣な眼差しであたしを見つめた。その精悍な顔を見て、あたしの胸が高鳴った。アベルはこの状況を前にしても臆することはないんだ。
「よせアベル! どうやって行くつもりなんだ。死せる水に長く触れていたらどうなるか。お前、知っているだろう!」
バハラタがアベルを制止する。
そう、死せる水に飛び込むなんて自殺行為だ。全身にどれだけの傷を負うかわからない。下手したら皮膚も肉も溶け、致命傷を負ってしまうかもしれないんだ。そんな無謀なことをアベルにやらせるなんて、あたしだって絶対に許さない。
だがバハラタ、お前は知らないんだ。あたしたちは今よりももっと困難な状況に会ってきた。そして、そのすべてをアベルは何とかしてきたんだ。
「心配するな、バハラタ。青き珠がオイラを守ってくれるはずだ」
アベルは自信に満ち溢れた顔で言った。
「待ってろチチ」
そう言って、スライムのチチをあたしに預けた。今回もあたしにはどうすることもできない。またアベルに頼るしかないんだ。あたしは、あんたならきっと何とかできるって信じてる。
だけど……。でも、やっぱり心配だ……。無理するんじゃないよ。
「アベル!」
あたしは叫んでいた。
「青き珠よ、イエローオーブの元へ、導いてくれ!」
そう言って、アベルは眼を瞑ってサークレットの額に収められた青き珠に祈った。
一瞬の静寂の後、青き珠が淡く光り出した。
その光は徐々に強くなり、辺りを明るく照らした。
そして青き珠は、荒れる海に向かって強い光を放つ。その光は徐々に凝集し、遂に青い閃光となって海に突き刺さった。
まるで海全体が発行しているかのように、周囲が強い光で包まれた。群衆も眼を開けることができないのだろう。もはや人の声は聞こえない。
青い光が周囲を包み込んでいる間、波が何度も海岸に打ち寄せた。その音が、徐々に静かになっていった。
その輝きが納まったとき、やっと眼を開けられるようになった。
海が、静まり返っていた。
「ああ!」
あたしは感嘆の声を漏らしていた。これが、青き珠の勇者の力……。あれだけ荒れた海を静めてしまうなんて。今までに見たどんな魔法よりも強大な力だ。
「それ!」
アベルは海に向かって飛び降りた。一瞬のことで、止めることができなかった。まさか、死せる水であることを忘れたのか? いくら海が静かになったからって、泳ぐことなんて無茶だ。青き珠が、どうやってアベルを守ってくれるっていうんだ。
「アベルぅ!」
次の瞬間、アベルはまるで地面に着地するように、海面に立っていた。
「ほら、大丈夫だろう」
そう言って、アベルはあたしに笑顔を返した。そして、まるで当然のことであるかのように、黄色い光が放たれる場所に向かって歩き出した。
バハラタは何か声をかけようとしていたが、驚きのあまり言葉を発せないようだった。
どうして海面に立てるってわかったんだ? 今までに青き珠の力を試すようなことはしてこなかったはずだ。それとも、勇者であれば本能的に青き珠の力がどんなものか知っているっていうのか。
群衆がざわめいた。
「わしらは夢を見ているのか?」
「あのお方は、一体何者なんだ」
ふん。こいつらにはもっと驚きだろうな。アベルは、世界を救うことのできる勇者であり、あたしの大切な仲間さ。
「あのお方こそ、伝説の青き珠の勇者、アベル様です」
例の女が群衆に向かって叫んだ。ちょっと待て、お前はいったいアベルの何なんだ……。
「なに、あの方が?」
「大魔王バラモスから、この世を救ってくださるという、青き珠の勇者!」
群衆はのんきに歓喜の声をあげ始めた。こんな鬱屈した状態に追い込まれたときに勇者の出現を目の当たりにすれば、希望を見出すのは当然だ。だがその喜びようは、まるでもう勇者がバラモスを倒してくれることが確実になったと言わんばかりだ。アベルはこれからもまだまだ厳しい闘いを続けて行かなけりゃならないってのに。
チチがアベルの方を向きながら騒ぎ出した。
「どうしたんだ、チチ?」
アベルと違ってあたしにはスライムの言葉はわからないが、この声は何かを警戒しているに違いない。
アベルの周囲を注視し、驚愕とした。
足元の水面に、巨大な影がある!
「なんだあれは」
あたしはバハラタに向かって言った。
「いけねぇ! バラモスの宝石モンスターだ。あいつのために、何隻の船が沈められたことか!」
「なにぃ!」
「新種の巨大海洋モンスター。その姿とどう猛な性格から、殺人エイと名付けた」
しまった。バハラタの船を沈めるほどのモンスターがどんな奴なのか、聞いていなかった。最悪のタイミングだ。アベルはたった一人でそんな奴と闘わなければならないんだ。
さっきの商売女があたしたちの会話に水を差さなければ、しっかりと聞いておけたのに。
アベルはまだ気づいていない。光に向かって悠々と歩き続ける。
あたしはアベルに向かって叫んだ。
「アベル、後ろを見ろ! バハラタの船を沈めたモンスターだ!」
モンスターが海から顔を出し、アベルの背後に真っすぐ向かって突進した。
アベルが振り返ると同時に、モンスターが海に潜った。
アベルは身構えた。
次の瞬間、モンスターが海の下からアベルを突き上げるように飛び出した。
巨大なエイの形をしたモンスターだ。体長はアベルの十倍近くもある。
そのモンスターの遥か上空を、アベルは回転しながら舞った。
「アベル!」