①名無しの若い女
俺の目の前には、若い女が小さな寝息を立てている。
整った顔立ちの色白の美女だ。
赤みがかった髪はオリエンタルの血が流れているのだろう。
この若い女から名前は聞いていない。
かれこれ1か月以上このベッドの上に寝たまま目を覚まさない。
ここは個室病室。
俺は街の小さな診療所を経営している。いわゆる町医者って奴だ。
俺の名はエドワード・ヘイガー。
街の連中からはエドの愛称で呼ばれてる。
今は宇宙世紀0089年2月末
立て続けに起きた戦争がようやく終わり1か月が経った。
グリプス戦役っていうティターンズとエゥーゴの大派閥による地球連邦軍内の世界を巻き込んだ内部抗争、その後にネオ・ジオンとグリプス戦役で勝利をえたエゥーゴとの抗争が始まり、最後はネオ・ジオンが内部分裂し、お互いを潰しあい、お互いの指導者が戦死を以って終わりを告げた。
まったく、結局は権力闘争に世界の人々が巻き込まれた感じだ。
まあ、エゥーゴが勝利してよかったけどよ。
ティターンズって奴は、俺ら宇宙移民を人と思ってねーからな。
コロニーに毒ガスまで使いやがった。
やってる事はジオンのザビ家と変わらん。
所詮、地球連邦もジオンも中身は一緒だという事だ。
で、ここは新サイド6(旧サイド4)の15番コロニーだ。
といっても、1年戦争でサイド4は壊滅して、戦争終了後に最初に再生されたコロニー群だ。
俺は丁度1年戦争時は地球の連邦軍大学医学部に在学していたから助かったが、両親も妹達も1年戦争時に全員死んだ。遺体すら戻ってこなかった。
そんで、医師免許は取ったが、まあコロニー出身の俺が戻るところはコロニーしかないからな、再建されたこのコロニーに戻ってのんびり町医者をやってるってわけだ。
話は逸れたが、俺はそのネオ・ジオンとエゥーゴとの戦い、ネオ・ジオンの内部抗争時に、戦時派遣医師団、要するに中立の立場の医者たちが戦争で傷ついた人々や軍人に医療を施すボランティアに参加していた。
ほぼ無理矢理だがな。各コロニーから何人か出す話になっていて、一番若い俺にお鉢が回って来たってことだ。
まあ、コロニーの医師会には逆らえんし、恩を売って置けば何かと優遇してくれるだろうという打算もあったんだけどな。
戦時派遣医師団はサイド3の13番コロニーに拠点を置いていたんだけど、そのサイド3も抗争に巻き込まれ、逃げるように皆は各コロニーに戻ってった。
だが、俺だけ何故か最後まで残って残務処理。
そんで、逃げ遅れた俺は、残ってた医療用小型宇宙救護船舶を自分で操縦して脱出したんだけどよ。その船舶になんかモビルスーツの脱出ポッドが突っ込んできて……、航行には影響なかったからそのまま新サイド6に向かったんだけど……
その脱出ポッドにこの若い女が乗ってたんだ。
脱出ポッド自体もボロボロで、中の若い女も結構な怪我をしていて死んでんのかと思ったが、何とか生きてたから、まあ、成り行きで俺の病院に連れ帰って寝かしてやってる。
最初は顔も全身もパンパンに腫れて、眼球の水分も随分と持ってかれていた。宇宙空間に直接触れた影響だろう。
まあ、今じゃ綺麗な顔を拝めるように元に戻ったが、意識がまだ戻らない。
酸素欠乏症の影響かとも思ったが、思ったよりも脳へのダメージは極小で済んでいる。
目を覚ませさえすれば、普通に日常生活を送る分には支障は少ないだろう。
こんな状態だから、この若い女から名前は聞けていない。
最初は誰なのかと探そうと思い、色々と調べてみた。
身分を証明するものは何も持っていなかった。脱出ポッドは損傷が激しい上に、身に着けていたものは下着とノーマルスーツぐらいだ。
血液から医師会のデータベースなどを調べはしたのだが、載っていなかった。
となると、地球連邦軍の軍人ではない。まあ、ノーマルスーツを見ればネオ・ジオンの人間だとは分かるんだけどな。
俺が新サイド6に戻って、大きな病院にこの若い女を入れようとしたのだが、やめておいた。彼女はネオ・ジオンの人間だからだ。拒否される可能性が高い上に、連邦軍の連中に連れていかれ、まともな医療を受けられない状態で尋問なんてことはよくある事だ。
だから、俺の診療所にこそっと連れ帰った。
俺の病院は元々結構訳ありの人間も治療に来る。まあ、大概元ジオンの人間なんだけどな。
最初は顔の腫れがひどく、人相もわからなかったが……今でははっきりわかる。
この若い女はハマーン・カーンだ。
世界に発信した演説映像でも見たし、いろいろな情報ツールの写真とも一致する。
まあ、影武者って事も在りうるから、確実ではないが。
世間では先の戦争末期に戦死したことになっているネオ・ジオンの最高指導者だ。
カリスマ性があり、宇宙移民には人気が高い。
俺から言わせれば、ただの悪人だ。
地球にコロニーを落としやがった。
強化人間や若い少女のクローン兵を作ったとんでもない組織の親玉だ。
最後は内部分裂で同士討ちってか。悪人の最後に相応しいってもんだ。
本当は連邦軍に引き渡さなきゃならないが、俺は連邦軍が大っ嫌いだ。
かと言って、ジオンも嫌いだ。
戦争に加担し、広げたこの女も嫌いだ。
だが、今はただの怪我人で俺の患者だ。
とりあえずは目が覚めるまではここに置いてやる事だけは決めている。
目が覚めて、元気になりやがったら、文句の一つや二つ言ってやるつもりだ。
ベッドの上で静かに寝息を立てるこの若い女の顔を見ているとふと思う。
本当に目の前の彼女が悪の限りを尽くした、あのハマーン・カーンなのだろうかと……