……俺は腹が減っていた。
輸入雑貨の個人商を東京でやっている俺だが、今日は旧友の暮らす石川県金沢市を訪れていた。
金沢に入ったのは朝だった。ちょっとした休暇を楽しむつもりで駅前でレンタカーを借りたのだが、これが裏目に出たようだ。
車を運転しながら、左手に持ったメモ帳に視線をやる。
見慣れない地名と数字は旧友の所在だ。
「おとなしくタクシーにしておけばよかったかな」
約束した時刻まで、それほど余裕がない。
知らない街を車で走る不安感と、時間、そして何より空腹が俺を焦らせる。
「ふうむ」
今から人と会うのに、空きっ腹を抱えて行く事になると思うと、ため息の一つもつきたくなる。
もう何でもいい。何かメシを食わせる店はないのか。
周囲を山に囲まれた道路は道幅も広く、両脇に様々な店が並ぶ。
信号で車を止めた先、黄色いカレーハウスの看板が見えた。
「カレーか」
カレーハウスなら、待たされる事は少ないだろう。ササッと食ってササッと出ればいい。
そう考えた俺は、さっそく車線を変更すると、カレーハウスの駐車場に車を入れた。
しかし、看番に書かれたゴリラは何だろう。カレーとゴリラがどうつながるのだろうか。
自動ドアを通ると、
「いらっしゃいませーどうぞー!」
「食券どうぞー! お好きな席どうぞー!」
ユニフォームなのか、紺色のTシャツに野球帽をかぶった店員が一斉に威勢のいい声をあげた。
入ってすぐ左に券売機がある。なるほどね。食券式か。こりゃあ面倒がなくていいや。
と、券売機のボタンに見慣れない文字があった。
「エコノミー? ビジネス?」
通常サイズと大盛りと言う事か。だったらそう書いておけばいいのに。
俺は千円を入れると、ビジネスサイズのボタンを押した。
空いていたカウンター席に腰かけ、店員に食券を渡すと、周囲を見回す余裕が出てきた。
客の入りは六割ほど。大学生くらいの若い男ばかりだ。……カジュアルな服装の中でスーツ姿が俺一人というのも妙に目立ってしまうな。
壁に日本人メジャーリーガーの特大ポスターが貼られている。その隣に『キャベツ大盛り・おかわり無料!』の貼り紙。こういう貼り紙は店員が手書きしているんだよな。
反対の壁にはどこぞこに出店したやら、テレビに取り上げられたと延々と流すテレビ。芸能人のサインまで飾られている。なんだか全体的に騒々しい店だな。テレビがどうの芸能人がどうのって、どうも好きになれないんだよな……。
カウンターに肘をつき、カレーを待つ間に店内を見ていると、
「ロースカツエコノミーでお待ちのお客様ー」
「おっ、来た来た」
すぐ近くの席に座る若い男二人組にカレーが届いた。
「こちらロースカツビジネスです」
二人組の前に銀のプレートが置かれる。
なんだ? カレーと同じ皿にキャベツが盛られているぞ。サラダは別にしないのか?
「ヘエ。これが金沢カレーっすか。オレ初めてなんすよ」
金沢カレー? 普通のカレーじゃないのか。
「ああ。一度食べたらクセになるぞ。すみませーん。マヨネーズください」
先輩風の男が手を挙げると、すぐにマヨネーズが出てくる。
てっきり千切りキャベツにかけるのかと思ったら、男はそのままカレー全体にマヨネーズをかけはじめた。
「へへ……。こうするとウマいんだ」
今の若者の味覚はどうなっているんだろう。なんにでもマヨネーズをかけるのは感心しないな……。
「はい、こちらロースカツファーストのお客様。こちら、チキンカツエコノミーになります」
なんだなんだ。みんなカツを乗せているぞ。ただのカレーを注文した俺が損をしているみたいじゃないか。
ええい。俺は思い切って店員に声をかけた。
「すみません。今からカツカレーに変更できますか」
「はい。いいですよ。食券でトッピングからお願いします」
俺は席を立つと、券売機に向かった。
「トッピングは、と。……へえ、色々あるんだな」
ロースカツ以外にもチキンカツ、エビフライなどの揚げ物に、チーズや生卵、納豆まである。
「ここはロースカツだな。ふふ」
しばらくするとカレーが出てきた。
・【ロースカツカレー/大盛り】
ステンレス皿に盛られている。カレーの脇に千切りしたキャベツ。ルゥの色は黒に近く、具は溶けてほとんど見当たらない。ロースカツは薄く、ソースが軽くかけられている。福神漬けはテーブルに置かれた容器から好きなだけよそう。
・【水】
水。テーブルに置かれたピッチャーから自分で注ぐ。
……これが金沢カレーか。
カレーの脇に刺さっているのは、スプーンではなくフォークだ。
フォークでカレーを食べるのか。何か変な感じだな。
一口。
……これは、カレーと言うよりもソースに近いような。しかし、不味い訳ではない。ガツガツと下品に喰いたくなるような濃厚な味だ。
二口、三口と食べ進める。
カツカレーと言うよりもカツ丼って感じだな、これは。
「うん。少し辛いな」
なるほど。いかにも若い男が好きそうな味だ。
ソースとカツとキャベツとカレーと米。
まるで野球チームだな。ふふ。
「すんまっせーん。キャベツおかわりいっすかー?」
さっきの先輩風の男が手を挙げて言った。
そういえばキャベツのおかわりは無料だったな。トンカツ屋みたいだ。
「すみません。こっちにもキャベツおかわりで」
俺も店員に声をかけると、すぐにステンレス皿に大盛りにされた千切りのキャベツが出てきた。さっそくカレー皿に移し替えてフォークを差し込む。
「うん。みずみずしくてシャキシャキだ」
これが無料なんだからうれしいじゃないか。
二人組も日頃の野菜不足をここで補ったりするんだろうか。
しかし、これは――
「いかん。カレーに対してキャベツが多すぎる」
俺のステンレス皿の中で問題が発生していた。
当初はライスとトンカツにカレーを適度に合わせ、合間にキャベツを食べていたのだが、キャベツをおかわりしたことでそのバランスが崩れてしまった。
このままではキャベツを大量に残したまま、ライスもカツも無くなってしまう。
皿のふちに残ったカレーソースをフォークでこそいでキャベツに付けて食べるが、焼け石に水だ。
どうすれば…………そうだ。
「すみません。マヨネーズください」
こういう時のためのマヨネーズだよな。
俺はいまだ緑の山を作る千切りのキャベツにマヨネーズを回しかけた。
「……うーん。少し食べすぎたか……」
サッと食事を済ませて出てくるつもりだったんだが、計算が狂ってしまった。
しばらく千切りキャベツは食べたくないな、そう思いながら俺は車に乗り込むのだった。
おわり
※この作品は2010年に制作されたものです。
作中に登場する店舗、メニューは、2010年当時のもので現在のものとは異なる場合があります。