ガルパン短編集め   作:紅福

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紗希ちゃんと桂利奈ちゃんのお話

「暇」です

「瑕」じゃないです


陰摩羅鬼の暇

【紗希】

 

 自宅の居間にて。

 阪口は私が出した茶に手を付けず、前置きなく言った。

 

「こども、出来ちゃった」

 

 心臓が大きく、どくん、と跳ねた。

 目を見開き阪口を見遣る。阪口は湯呑みを両手で包み込むようにして俯いている。表情は前髪で隠れ、読めなかった。

 

 こども、出来ちゃった。

 

 阪口の言葉を反芻する。

 まさかそんな事が、と思ったが我々も良い齢だ。顔立ちこそ幼さを残し、見ようによっては子供のようでもあるが、齢はもう疾うに二十を過ぎて半ばに差し掛かる。早ければ成人前に子を産む者もあるのだ。不思議でもなければ、意外でもない。

 

 澤も。

 

 大野も。

 

 宇津木も。

 

 山郷も。

 

 私も。

 

 それぞれの道を歩んでいる。それこそ、結婚して子を産んだ者も居る。阪口が妊娠をした程度、驚くような話ではない筈である。否、『阪口が』ではない。『成人した女が』妊娠をした、ただそれだけの事なのだ。

 

 しかし、心が酷くざわつく。その理由にも、私は心当たりがある。

 肚(はら)の底ではどこか『ああ、やっぱり』と思っているのだ。事実が私の想像の通りであれば、それは目出度さの欠片も無い、あまりにも不憫な妊娠だ。

 

「紗希ちゃん、どうしよう」

 

 顔を上げ泣きそうな声を出す阪口に、掛ける言葉が見つからない。阪口には悪いが、この時ばかりは己の日頃からの口数の少なさに感謝した。我ながら、つくづく相談相手に不向きなことだ。

 皮肉にも、そんな私を阪口が一番の相談相手として選ぶ羽目になった事は、甚だ気の毒としか言いようが無い。

 何も他の四人と疎遠になっているという訳ではない。ひとたび顔を合わせれば、我々は相変わらず仲の良い六人衆として機能する。私と阪口は、その中でも特別に近しい間柄なのだ。

 口数の少ない私と居て何が楽しいものか、阪口はしょっちゅう私と会いたがる。互いの家にも行き来する仲だ。

 

 まあ、ここで私が黙っていても仕方ない。

 意を決し『相手は』と問うた。

 

 すると今度は阪口が黙ってしまった。湯呑みを包み込んだ手がかたかたと震えているのが見て取れる。言いたくない、か。まあ、それならそれで良い。

 阪口が黙ってしまった事、それこそが私の憶測を裏付ける証左のような気がした。

 

「どうしよう」

 

 そればかりを繰り返す。

 しかしこう言っては悪いが、阪口が話した事と言えば、私に妊娠を打ち明けただけである。そこから一つも話が進まぬ中でどうしようもこうしようも無いものだが、混乱している阪口にそれを言っても始まるまい。

 結局その日、私よりも口数の少ない阪口からどうにかこうにか引き出した話と言えば『相手は言いたくない』『親にはまだ言ってない』、そして『産みたい』。

 言葉にすることで己の胸の裡を確認し、心持ちが幾分か落ち着いたのだろう。阪口の表情は沈痛には変わりないものの、話し始める前よりは多少和らいで見えた。

 

 産みたい。

 

 それは、それだけは、良かった。

 腹の子だって産まれたいだろう。

 

 そう言うと、阪口は堰を切ったようにはらはらと泣き始めた。

 話している間に阪口の手の中の湯呑みはすっかり冷めてしまった。その茶を捨てて新しく熱いのを淹れてやると、阪口はまた、その湯呑みを手で包んだ。

 

「ごめんね、紗希ちゃん」

 

 それから時は流れ、結局、父親が何者なのか誰にも喋らぬまま阪口は子を産んだ。

 

 無論、親との悶着もあった。あまりにも阪口が喋らないものだから、一時は彼女の兄二人が疑われたそうだ。しかし阪口は、それは違うときっぱり否定をしたらしい。では誰なんだと問い詰めれば、黙り込む。

 阪口がそうやって黙りを貫いた以上、親の方が折れるしか無かったようだ。

 

 久方振りに会う阪口は、母親になっていた。

 

 前に会ったのは、阪口が妊娠した事を私に打ち明けた日だ。だから私は、腹の大きな阪口を見ていない。精神的にも肉体的にも助けが欲しかったろうに、そんな時に傍に居てやれなかった事が悔やまれる。

 しかし阪口が腹を大きくしている頃、こちらでも悶着が起きていたのだ。

 

 久方振りに阪口に会う私は、人殺しになっていた。

 

 まあ、そうは言っても直接手を下した訳ではない。死因は自殺だった。

 しかし、私が殺したも同然なのだ。

 

 私の言葉のせいで、人が一人死んだ。

 まさか、あんな言葉が口をついて出ようとは。

 

 

 

「死ね」

 

 

 

 そう言った。

 

 まあ、言ったが、まさか本当に死んでしまうとは夢にも思わなかった。言い訳がましい事だが、殺すつもりなど毛頭無かったのだ

 相手の死を本気で願っているならば、それこそ直接手を下す。本気で死を願うという感覚は分からないが、本気ならば直接やるのが道理というものだろう。

 要するに、本気でも何でもなかったという話だ。

 そして、それ以上に、死ねと言われて死ぬ馬鹿者が居るとも思わなかった。

 

 しかし残念ながら、居た。

 死ねと言われて死ぬ馬鹿者が、とてもとても身近に居た。

 

 父。

 

 片親であることを何より気に掛け、身の回りの物事全てに介入し、私の気持ちを不思議なほどに汲み、理解した父。

 私が学園艦に乗ることを決めた時も反対せず、毎月過剰なほどの仕送りを寄越した父。

 過保護などという簡単な言葉では表しきれぬほど、甲斐甲斐しく私を育てた父。

 

 私は、その父に、死ねと言った。

 

 その日の翌朝のことだ。

 普段通りに自室で目覚め、階下に降りて居間の戸を開けると、父が天井からぶら下がっていた。あまりにも呆気ない。私に死ねと言われ、本当に首を括ったのだ。

 遺書は探すまでもなく、すぐに見付かった。首を括るその瞬間まで握り締めていたのだろう、皺になった茶封筒が父の下に落ちていたのだ。それを拾い上げ中身を改めると、案の定というか何というか、私と阪口に宛てた謝罪ばかりが長々と綴られていた。

 

 こんなものを遺されたところで、我々は如何すれば良いのだ。

 

 ふつふつと沸き上がるこの感情は、紛れもない怒りだった。

 抑えようのない怒りなど、産まれて初めての事かも知れない。私は手の中の遺書を滅茶苦茶に破り捨て、父の骸にまた、死ねと叫んだ。

 

 私が殺したのだ。

 

 そうして、私は人殺しとなった。

 直接の殺人でこそないが、私が父を死なせたことには変わり

無い。だから私は警察にも出頭した。

 私が死ねなどと言ったからあの人は死んだんだ、だから逮捕してくれと、何度も訴えた。しかし対応は素っ気ないもので、いずれも気の毒そうな目を向けられるか、さもなくば神経の病院を紹介されるか、そんな程度だった。

 

 ならばいっその事、私も死んでやろうかとも考えた。

 しかし、果たして死は償いになるのだろうか。私には、死ぬことは即ち逃げることのようにしか思えなかった。まさしく父の死に様が、そうだったから。

 私は死にたい訳でも逃げたい訳でもない。償いたいのだ。

 

 誰かが死ねと言ってくれたらどんなにか楽だろう、などと益体の無いことも考えた。しかし、そんな言葉を掛けてくれる人は居ない。私はもう、天涯孤独なのだ。

 死んで楽になるよりも、生きて苦しめ。そういうことなのだろう、きっと。

 

「紗希ちゃん」

 

 子を抱いた阪口が不安げに呼び掛ける声で我に返った。少し、物思いに耽りすぎたか。

 気が付くと、手の中の湯呑みがすっかり冷めている。新しく熱いのを淹れようと席を立った時、阪口の腕の中で子が、あいあい、と彼女にそっくりな声を出したのが聞こえた。

 不覚にも笑みが漏れる。本当に、呆れるほどそっくりだ。

 

 阪口は子に『紗利奈』と名付けた。

 何とも皮肉な名前だが、まあ、道理だ。

 

 その子は阪口の娘。そして私の、腹違いの妹。

 

 つまりはそういう事だろう。阪口に訊くと、彼女は何も言わず、ただ頷いた。産まれながらにして片親とは気の毒な子だ。

 そこでふと、思い至る。その子を育てる事、それこそが私の償いになるのではないか。

 

「一緒に育てよう、お母さん」

 

 そう言ってやると、阪口は泣き笑いのような顔をして、また頷いた。


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