レッドシュガー・デッドバレット   作:八つ手

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黒江双葉②/五十嵐もみじ③

 ――――剣戟。

 

 数瞬前に、走る音が聞こえた。

 目の前の相手は、たしかに真っ直ぐに、こちらに向かって走り出している――――

 

 「――――」

 「っ!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 気づいたときには彼女よりテンポが遅れて、孤月の受け太刀で対応せざるを得なくなっていた。

 

「なっ!?」

 

 ……今の一瞬だけで分かったことは、()()()の違い。

 先の十戦では全て五十嵐先輩は、こちらに対する対応手で戦っていた。

 ふざけたように様子を見ては、あぶり出したこちらの隙に刃を差し込み、戦闘不能にする。

 だが今の状況は、それとは全く違――――

 

「遅い」

「――――はっ?」

 

 くんっ。

 

 なにか、された。

 いち早く気づく――――いや、気づいただけだ。

 バランス感覚には自信がある。

 客観的にこの瞬間、自分がどうなっているかは理解できる。

 だが、なんで――――

 

「へっ」

 

 なんであたしは、()()()()()()()――――!?

 

 すぱんっ。

 

『戦闘体、活動限界』

「はっ!」

 

 どさり、と地面に再生された五体満足の自分の体が転がり、状況を理解してなんとか冷静になる。

 一瞬で得る情報量が多すぎて、何もわからない。

 あの瞬間、何をした――――何をされた?

 

 

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 「……――――!」

 

 ふと見上げれば、視界の先には彼女が居た。

 無駄な感情の一切を灯さない、絶対的な温度差を感じる瞳。

 その瞳が告げることは唯一つ。

 

 ――――早く、立ち上がって。

 

 あたしが満足に動けるように立ち上がる、その機微と敵意を合図に、あの戦闘機械は再び動き出すだろう。

 こちらの動揺も、この一回のやり取りだけで明らかに荒げた呼吸の一切にも興味はない。

 いや、興味がないと言うより……ひとまとまりに観察されている?

 

 あたしはこの視線を前に、深く考える時間をとることは出来なかった。

 急いで立ち上がり、最初は相手側が見逃すことを信じて後ろに大きく距離を取る。

 彼女は動かない。

 

 ふー、と大きく呼吸をし、相対するバイザーを再び視認した瞬間。

 それが右手の刀の柄の握り方を変え、歩き出した。

 今度は……ゆっくりだ。

 

「(よし……何か知らないけど)」

 

 考えれる。

 頭に熱を入れろ。

 フィジカルの一つならば、駿と鍛えたセンスが確かにある。

 手癖だけで動いては、何の一つすら理解できずにこの十本を完敗で終える。

 その予感が確かに有った。

 

 考えられるとするならば、刀()()を使ったこと。

 直接体が斬られたのは、アナウンスが響く直前の一度きりだ。

 そう、斬られる前に、なんだか吹き飛ばされた。

 この戦いは、孤月一本以外は使えない戦いなのに。

 

 兎に角見るんだ、相手を見て――――

 

『戦闘体、活動限界』

 

「…………えっ?」

 

 気がつけば、五十嵐先輩が()()()に居て。

 いつの間にかあたしは、受け太刀をしきる前に逆袈裟に撫でられていた。

 慌てて、動転した猫のように再び距離を一定に取る。

 

「えっ?えっ!?」

 

 今斬られたときの握り……逆手持ちだ。

 さっき、あの人が歩きだす直前に持ち替えたもの。

 そして、今あたしが下がった間に、また持ち方は元に戻されている。

 

 ……持ち替えて歩いたところまでが、()()()()()……?

 

 そもそも、ここまで何度もやられていれば流石にあたしも気づく。

 なんで()()()接近に気づけていない?

 これは先の模擬戦でも有ったことだ。

 動作の全体を確かに見ていても、反射が間に合わない現象が、ところどころに。

 

「だめだ……正面から見るのは……駄目だ!」

 

 今度は横合いに動く。

 低い身長を有効に使って、トリオン体の身体能力で間合いを稼ぐ。

 大人や年上と違ってこちらに有利なのは、この身長差だ。

 相手は必ずこちらに合わせなきゃいけない。

 山登りで大人に負けなかったのも、この小さい体で、駿と狭いところを競争し続けた成果。

 

 相手は無駄な振り向きはしない。

 逆に言えば必ず一回で足を大きく動かし、こちらに合わせる動作を行うはず。

 その動作の先にこちらの動きを割り込ませて、孤月で先制を得て、一本を取る――――!

 

 相手から三畳半遠く。

 実に百二十度の左横……相手から見て視界の右側の死角、首が曲がりきらないところに来たところで、勝負に出る。

 幸いにも相手からは動いてこない。

 観察に終止している。

 これはこちらにも望むところだ。

 孤月を構え、足の踏み込みを備え、勢いを殺さず、接近に出たところで――――

 

 こちらの接近と同時に、彼女が体当たりしてきた。

 

「!?」

 

 驚愕は更に起こる。

 振り切っていない孤月の()に、肘を撃たれたのだ。

 低めに保っていた、この体に。

 

 手から離れる孤月。

 同時にあたしの体に、残った彼女の体当たりがそのものがまるごと炸裂し、バトル漫画のように建造物の壁面まで吹き飛ばされて。

 

「おまけ」

「かっ!?」

 

 壁に激突した直後、投擲された孤月があたしの胸を壁に串刺しにした。

 

『戦闘体、活動限界』

「は、っぁ――――」

 

 トリオン体の再構築の瞬間は、別物体の座標と干渉しないらしい。

 胸に刃物が刺された感覚ごと壁に突き刺さっている孤月から逃れつつ、あたしは片手を地面に付いて息を荒げる。

 

「ふー、ふー……!」

 

 この短時間で、既に三本を取られた。

 勝てない。

 一回ごとに違う方法で、確実に料理されているのが嫌でもわかる。

 あたしには混乱しか残っていない。

 彼女はあたしを丸裸にするように動く瞬間を見つめ続け、あたしは何も出来ずに斬られ続けている。

 

『苦戦してるわね、双葉』

「っ、加古さん!?」

 

 耳元に加古さんの声が聞こえる。

 個人用の通話か、どうやら向こうには聞こえていないらしい。

 機械の設定をした加古さんが、こちらにだけ繋げたのだろう。

 

『ちょい助太刀。しばらく聞くことに集中して呼吸を整えてなさい。あの子がどうやら、あなたが立ち上がるまでは見逃すのはわかるわ』

「うっ、わかりました……」

『ええ。以降相槌はしないように』

 

 一瞬、五十嵐先輩を見る。

 特に動きはない。

 加古さんの通信が入ったこちらを気にする様子もない。

 ただこちらを見ている。

 その様子にわずかに安堵を覚え、あたしは呼吸と耳だけに意識を傾けた。

 

『というわけで、彼女の情報を知らないのも損でしょ?いい機会だし教えとくわ。と言っても、孤月を使ってるときの彼女にはそんなに詳しくないけど』

 

 ? 詳しくない?

 太刀川さんは、彼女が孤月が強いと言っていたはずだ。

 あの人が強いとわざわざ言ったからには、周りにその評価は広がっているはず――――

 

『彼女はここ一年半以上、レイガストを二刀流で使ってる子よ……盾が出せる武器ね。だから今あなたが戦ってる彼女は、孤月をしばらくぶりに握った状態よ』

 

 へ?

 思わず動揺で相槌を打ちそうになった。

 じゃあ最初の、さっきの模擬戦であたしに三本取られたのは、わざとだと思ってたけど、それだけじゃない?

 ……鈍ってた?

 あたしをあれだけ下せるこの動きで、彼女が鈍っていた?

 

『彼女は元々積極的に点を取るタイプじゃないわ。だから今の模擬戦の最初、孤月で一気に点を取りに行く動きはあたしも初めて見る。それを踏まえた上で聞いて頂戴』

 

 どういうことなのか……?

 加古さんは、自分が確かボーダーに入ってから二年半以上が経っていると言っていた。

 その加古さんが、一年は五十嵐先輩の孤月の動きを見ていて……それで詳しく、ない?

 

『彼女はサイドエフェクト……トリオン能力の優れたものが持つ特別な才能を持ってるわ。あなたも一応、講義でサイドエフェクトは聞いてるでしょう?』

 

 サイドエフェクト――――当人が当たり前のように持つような優秀な能力が、時折これに認定されることがるという、特異な才能。

 一般生活してて他人との違いに気づかないものから、あからさまに他人とは違った個性めいたものまで有るということは、確か覚えている。

 

『あの子のサイドエフェクトは『強化バランス感覚』。文字通りの意味の強化五感(Cランク)の一種だけど、彼女のそれは()()()()()()わ。なにせ――――』

 

 

 ――――あの子、海外で数年慣らした経験もある、()()()()()()だもの。

 

 

 ……加古さんの宣告に、冷や汗が湧く。

 五十嵐先輩がボーダーに入っていない時期のこと…と考えると、多分今のあたしに近いか、そう変わらない年齢のときだ。

 人並みに運動ができるという自負は、例え駿と比較したとしても、自分にはあった。

 でも、あたしが山登りに邁進していた間……彼女は更に上の領域で戦っていた――――?

 

『元々得意なのは、多分あなたと同じ()。ボーダーに入ってからは組合い……向かい合うための技術を鍛えたんでしょうね。あなたはさっき、開始早々に出掛かりで盛大に体のバランスを崩されて、転げ回ったところを一本取られた』

 

 二本目は、あまりに芯がぶれない高度な歩き方で距離感を見誤らせ。

 三本目は、双葉(そっち)の出方の()に割り込むように、低姿勢高威力での超精密なタックル。

 

『――――五十嵐もみじは、体術だけで言うなら、それこそボーダー(イチ)と言っても良いはずよ』

 

 忍田さんの噂を考えると、完全にはそう言い切れないけれど。

 そう加古さんが言葉の端に付け加える中――――

 

 ――――あいつ、型無しが型を付けて歩いたような奴だし。

 ――――(いち)度本気でやらせればな。出させてみろよ。

 ――――きっとお前驚くぞ。

 

 太刀川さんの言葉が脳裏に蘇る。

 あの人は間違いなく、この人のこの状態のことを知っていた。

 その上で「俺のほうが強い」と言い切ったその自信に、今更ながらに驚愕が収まらない。

 

 ……つまり、彼女を真っ向から倒すには、最低でもあのクラスの地力が要る。

 

 それは一朝一夕に手に入るものじゃない。

 猪のように突っ込んでも、先程までの二の舞に終わるだけだ。

 つまり、不可能と言っていい。

 ただこの不可能は、決して無理という意味とイコールじゃない。

 

 加古さんは、先輩がしばらくぶりに孤月を握ったと言った。

 そして、最初の最初の三本は、紛いなりにもこちらが先取している。

 なら無理じゃない。

 

 考えろ――――合わせてくる動きそのものがここまで完璧なら、むやみに二度も同じ戦いをする必要はない。

 武器が違うんだ。

 不意さえ打てれば、必ず戦い方にほころびを出すことができるはず――――

 

『……ここまでね。黒江、そろそろ立ったほうがいいわよ』

 

 加古さんの忠告で、前方への意識を取り戻す。

 その先には、完全にこちらの息遣いを視線で支配した相対者がいる。

 体を待機させているだけで、あたしに向けられた圧倒的な集中力は、決して解けてはいない。

 

――――その相貌が、こちらに立ち上がれと言っている。

 

『健闘を祈るわ』

 

 遂に加古さんからの通話が切れる。

 相手からの挑発……否、確認の視線を断る手段は最早存在しない。

 息を吸い――――吐いて、あたしは腰を上げて据え、両の足を大地に改めて踏みしめる。

 

「……上等です」

 

 動揺は収まった。

 最大の恐怖であった未知は、今この瞬間に存在する理由を失っている。

 あとこの七本で、やるべきことは一つ。

 

 不意でもなんでも構わない――――ひとつだけでも、あたしが上のところを見せて、一本を貰い受ける!

 

「こちらから行きますっ!!」

 

 駆ける。

 歩幅を測りながらも、一息に彼女までの距離を半ば詰め――――跳ぶ。

 

「――――」

 

 こちらを見つめる瞳。

 臨戦態勢の体勢。

 それは何も揺らぐことはない。

 

 だが、真正面から地上戦を挑むよりかはよほど分が有るはずだ。

 視界を惑わされ、バランスを惑わされ、先に()をぶつけられた。

 ただ、勢いがそのまま力にでき、かつ地を這っていない空中からの攻撃なら、幾つかの相手側の手札を削いで対応させることができるはず。

 通せる可能性は格段に上がる……!

 

 いくつかのひねりと回転を織り交ぜ、彼女に軌跡を読まれ難くして、刃を潜り込ませる。

 1番の慣性が乗っている刃を、真正面から――――

 

「ふっ」

 

 ――――叩きつけようとして、相手側の孤月で逸らされる。

 

「!?」

 

 しかも、ただ逸らされているだけじゃない。

 峰のないはずの刀身でそのまま刃を捉え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、同時に彼女の体も沈みながら――――

 

「かっ!?」

 

 合気道のように、あたしの体を渾身の力で極め、白い大地に叩き落とす。

 その勢いのまま、同時に彼女の半身はあたしの体を床に釘打ちにするように固定させ。

 

 すぱんっ。

 

『戦闘体、活動限界』

 

 あたしの首を斬った彼女は直後に拘束を解き、すぐさま後方複数回転宙返りをしつつ距離を取る。

 その瞬間に逡巡するあたしの容赦は、先程既に自分で斬って捨てられていた。

 

 ――――その着地を狩る――――!

 

 この床は滑らない。

 今まで踏んだどの体育館の床よりも高性能で、トリオン体で構成された完璧なシューズに感謝しながら、寝姿勢から地を滑るように無理やり飛び出す。

 

 幸いにも、ぶっつけ本番で出した最高速は、彼女の足が大地につくまでにその距離を最大まで詰めていく。

 着地際なら当てられる。

 相手が空中にいるなら、根を張ってこちらの動きを受け流すことは出来ない。

 

 響く剣戟の音。

 

「っ!?」

 

 横転するあたしの体。

 

「せっ!」

 

 水平を刈る回転する斬撃。

 

『戦闘体、活動限界』

「(そんな、むちゃくちゃな――――!?)」

 

 ()()()()()()()()()()()……!?

 

 こちらの孤月の動きを支点にして受け太刀し、その衝撃を流れに変換しての低姿勢の着地。

 力の流れを狂わされバランスを一瞬崩したあたしをさもだるま落としのように、そのまますね先、胴体と連続で切り落とした。

 しかも驚愕すべきは――――あのバク宙も誘いか。

 あの勢いの回転の中、的確にこちらの攻撃に揺るぎなく対処できる身体機能が有るということ……!

 

 文字通りの、強化バランス感覚。

 その『文字通り』が、そのままに強すぎる……!

 

「まだ、まだぁ!!」

 

 彼女の勢いが止まりきらぬ間に、復活した体で短く跳躍する。

 距離を取る――――それと同時に空中の軌道上で交差して、斬撃を更に織り交ぜる。

 初めて攻撃をとどめの起点にされず受け流されるだけで終わり、あたしは大砲のように彼女の後方に炸裂するはずを、地摺りの如くに滑っては、百八十度回転して敵に向き直りつつ、勢いを流しきって着陸した。

 

 「(出来る……!今なら……!)」

 

 鼓動が早い。

 経験したことのない領域の頭の回りが始まっている。

 今の着地も当然、これまで自分で試したことのない動きだ。

 

 だがその手本は、目の前の()()()()()()()()()

 

 発想を、イメージを無から生み出すことは人間には出来ない。

 必ず参考元になった物体が有り、映像があり、そして存在が有る。

 過度の情報の大波を、あたしは目の前の海の中で泳いでいる。

 海は生き物、ご機嫌を伺えとはサーファーの定型句だ。

 あたしは今、まるで自然の化け物のような相手から、恵みを掠め取って生きている――――!

 

 津波が迫る。

 夢見がちな想像上の海の化け物が、獰猛な剣の()を向けて――――

 

「(っ! 突き!)」

 

 躱す。

 左半身になって、炸裂する致命を右に素通りさせ、次に備える。

 瞬間、返す刃の引きの斬撃が迫るのを、孤月で受けを間に合わせて防ぐ。

 あたしの持ち方はこの時は逆手。

 これも先程見たことの真似だ。

 逆手持ちは攻撃に向かないが、重心が自分の体に近いため、受け太刀に向く。

 

 しかし、こちらが半身になったのに合わせ、刀の引きに合わせて向こうも左半身の構えになり、姿勢をこちらに潜らせた。

 動きは終わらない。

 落下運動(おちるうごき)を味方につけ、あたしの体の側面へと回り込み、相撲取りのように左手で回しを取りにかかる。

 先ほどと同じ、体術で体幹を殺す動き。

 

「させない――――」

 

 体勢を崩されることは織り込み済み。

 孤月の持ち手をそのまま左へと切り替え、自分が回しによって倒される動きの中、投げ使いと自分の体の隙間、己の背中に刃を回り込ませる。

 刃は地面に突き刺さり、中途半端な姿勢になりつつもこの時の完封は免れる。

 刀身が接触に対して干渉し、五十嵐先輩はこの瞬間、密着しての『殺し』にかかることが出来ない。

 だが――――回しは取られたままだ。

 

「しぃっ――――」

 

 黒髪の女がそのまま百八十度を回り込み、滑るように視界に姿を現す。

 

「っ!!」

 

 刺さった孤月を支点に利用された――――今度は()()()()()()

 あたしの重心は殺されている。

 自由なのは、利用されたと気づいた瞬間に破棄し、右手の手元に握り直す孤月――――

 

『戦闘体、活動限界』

 

 ずんばらり。

 いつの間にか、またも逆手に握り直されていた先輩の近距離斬撃。

 来ることは分かっていても、刃の再構築が間に合わず、受けが成立しなかった。

 

 暗殺者のような構え方となった彼女は、体のバネを利用し、蜘蛛男のようなしゃがみ体勢から一瞬でバク転へと移行。

 三回ほど繰り返して再びあたしから距離を取り、立ちの体制に戻る。

 

 ――――ここまでスコア、零対六。

 

 様々なアプローチを試しているが、それが彼女の土俵で有る限り、あらゆる角度から切り返しを受けている。

 彼女の幅を崩すことは、これまで全く出来ていないと言ってもいい。

 逆に言えば。

 

「……わかってきた」

 

 彼女の幅ではない行動自体は、明確になったと言える。

 彼女はそう――――()()()()()()()()()

 仮に繰り返したとしても、太刀川慶という存在によってあたしは目が肥えている。

 アレ以上の無慈悲な斬りの連打は間違いなく来ないはずだ。

 つまり、斬り合いの土俵に一度でも引きずり込めば……必ず勝機は生まれる。

 

 孤月…トリオン兵器の刃は、切れ味が非常にいい。

 日本刀を持ったことのある日本人というのは非常に珍しく、持ったことのない人間のほうが遥かに多い。

 その剣術の初心者でもトリオン体ならバテず、欠けづらく鋭い刃は、振るだけで容易に相手を切断できる。

 この『攻撃の有用性』から、撃ち込みを当てることが貴ばれ、体術の有用性は直接表に出づらい。

 

 ……思う。

 トリオン体で未だ一週間だけのみ振る舞った自分でさえ、この『武器』の強さは身にしみるほど理解している。

 だからこそ、直接的な体術、という項目は日の目を見づらい。

 いや、日の目は元より見ているが……その意味を実感する者は、恐らくビギナーでは容易に存在しない。

 

 自分は、その高い山を、今直接垣間見ている。

 B級に上がって最も印象に残った戦いは、間違いなく太刀川慶とこの五十嵐もみじだ。

 短い期間で急激にヤスリをかけられたこの意識に、更に短時間での脳みその超回転をかけ、発電所のように光源(ちから)を得ようとしている。

 

 五十嵐もみじ。

 あたしよりも、経験も体の使い方も、何もかも優れた人。

 今、あれほどさっきまで嫌いだったこの人に、尊敬の念が芽生えようとしているのがわかる。

 短気な自覚の有る自分が、ここまで頭を回せているこの瞬間が、ものすごく気持ちがいい。

 武装の強さが目立つこの世界で、フィジカルを最も強くしたそのスタイルに、あたしは理想を感じざるを得なかったのだろう。

 

 ――――だからこそ。

 

「必ず、勝つ」

 

 一本取るじゃない。

 勝つ。

 勝機の光がまさにこの目を穿つなら、その望む逆光を手繰り寄せ、我が目を焼いてみせる。

 眩まずして、何が未知の世界か。

 何が夢の光景だ。

 この熱で刻まれる記憶に負けを残すな。

 勝つための道筋を残せ!

 そのために己を焼け!

 

 残機は四――――リトライの回数は三まで。

 思考はかつて無いほど回り――――トリオン体という超常に追いつく領域にたどり着いている。

 競争で駿の全力を垣間見た時――――それすらも遥かに上回る高揚感と、それを覆う心地の良い冷たさ。

 透き通り、余分な情報が廃された中に、彼女が佇んでいる。

 

「あなたに――――勝ってみせる!!」

 

 体が、思うがままに動く。

 思考を飛び越えて、思考そのままに、他人事のように、気ままに笑うわらべのように、動く。

 この白い空間の戦いの中で――――あたしは自分の中に、ひとえに童心を描いた。

 

 

 

 

 ()()()、という言葉がある。

 思考が澄み渡り、視覚や聴覚、五感からあらゆる不要な情報が排除され、自らに絶対的な浮遊感が与えられるものだ。

 プロのスポーツアスリートは、場合により、自己暗示によってこの感覚を意図的に引きずり出す特訓をこなしているという。

 

 五十嵐もみじは、齢九にして偶然KUNOICHIを制覇した後、十つ頃にはいつのまにか湯水のように湧き出たスポンサー達によって、海外へと放り出された。

 パルクール、ボルダリング、スケートボード、etc...

 天才的な感性はチャレンジによって得られる感覚のそれぞれをスポンジのように吸収し、かつ常在する致命の危機を回避するための極限の集中力の練磨を経て、このゾーンの任意発揮の領域にたどり着く。

 それは、決して悪いことではなかった。

 だが……彼女はそれに頼ることに慣れすぎていた。

 己一人のためのストイックな世界を得るという、その行為に。

 

 天罰が当たったと彼女が感じたのは、日本を発ってから実に三年が過ぎてからだ。

 その時、実家のある三門市に偶然帰省し、久々に両親との団らんを過ごしていた。

 挑戦的で野心的な日々は、彼女を冷静に……悪くいえば傲慢に変えていた。

 若者が成功に浮かれることは、何も珍しいことではない。

 当時十三歳の女子が、数々の成功体験で図太くなっていったことを、誰が責められようか。

 

 ――――否、彼女は己自身を責めるようになる。

 

 突如としての爆音。

 唐突に崩れ落ちる家の天井。

 瞬時に命の危機を感じ集中した彼女は、自分だけが瓦礫を避けることに集中し――――

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 双葉は、最早一切の容赦をなくし、己の限界を越えようと――――彼女の限界を越えようとその刃を、動きを敵に向けていた。

 その体を切断されても、最早いっぺんの怯みも存在しない。

 

 五十嵐もみじは、黒江双葉が戦闘に復帰できると判断した瞬間、迎撃の態勢に移る。

 そこで双葉は、もみじが彼女を切断した瞬間、もみじの動きよりも早く復活(リトライ)し、二の手を繰り出すという戦術に移行した。

 そこには卑怯もなにもない。

 戦闘続行が不可能になった瞬間、戦闘行動が再開できる模擬戦の利点を生かしたゾンビ戦法に過ぎず、それを咎めるものは今この場に居ない。

 

 現在のスコア、実に零対七。

 

 そして、己の損傷に頓着しなくなった双葉が油断しているかと言うと、そんなことはない。

 残機を利用したこの戦法にも、無論限界は有る。

 リトライの回数は決まっており、屍体の如くに無能をさらせば、その意味の一切が即座に断罪されることだろう。

 

 

 半ばの時を損じて敢えて真っ二つにされた双葉。

 その繰り出す逆袈裟斬りが、されど重心と振りを保ったまま肉体が再生しつつ、もみじの元へ迫る。

 

「――――!」

 

 この瞬間、もみじの集中力がこれまでのやりとりの中で、一番に発揮された。

 左手の掌で、孤月を側面から払い除けたのだ。

 そのままもみじは水平に刃を双葉に向けて薙ぎ払い――――右手を切り払われて、しかし()()()()()()()()()()()

 

「はあ、――――っ!」

 

 極限の集中力。

 もみじに引きずられて初めての領域(そら)へと飛び出した双葉が、右手を失うと同時に左手に孤月を握る。

 この瞬間の限定でなし得た第六感が、孤月を瞬時に左手へと再構築させていた。

 体の内側に潜ませている左からの一閃は、次の瞬間もみじを逆袈裟に薙ぎ払う。

 

「ふっ!」

 

 だが、それを容易に受ける元アスリートではない。

 左手の向きと双葉の重心と慣性、何よりも総合された第六感が、サイドエフェクトが告げているとばかりに、逆袈裟の上に体を跳ねる。

 きりもみ回転にすら感じるひねりを双葉の視界の右斜め上で披露し、次の瞬間に癖の悪い両足が彼女の頭部を足蹴にした。

 

「っ、ぐぅううううううっ!!」

 

 歯を食いしばり、地べたを転がる己の体のバランスを即座に探っては、体勢を立て直す。

 その瞬間、視界の――――正面白い点が視えて――――時間感覚が鈍化し、反射神経が覚醒する。

 

ガキィンッ!

 

 投擲された孤月を、重心を備え直し、刀身で的確に受け流す。

 双葉の体勢は崩れず、自らを足蹴にした存在が地上に着地する前に――――走り出す。

 

 着地前に斬りかかることは不可能な距離。

 しかし、戦いの時を停滞させては、双葉に一切の勝利の可能性は生まれない。

 限界まで圧縮した時間を引き出し、斬ることにまで世界を縮める。

 己の天井をこの瞬間超えなければ、勝ちを握るための一手は生まれない。

 

 くノ一の着地する瞬間に合わせ、双葉は残った左手から孤月を投擲する。

 もみじはそれを難なく受け流す――――瞬間に双葉の孤月が崩れ去る。

 

 ――――受ける瞬間に孤月を破棄させて崩し、一手を使わせて再構築した刃を叩きつける、離れ業。

 

 時の感覚を麻痺させて、音を置き去りにした澄み渡った世界は、それを双葉に可能な可能性を示しており――――現に偶然、成立した。

 五分(5%)にも満たない成功率の仕手も、第六感によって得られる成功が凌駕することが有る。

 互いに高めあった集中力の先にある……それは一種のリンクと言っていい。

 

「そ、こ、だぁあああっ!!」

 

 刃が、()()を叩く音が響いた。

 

「っ!」

 

 双葉が、最初にもみじから盗み、教わった極意だ。

 仕掛けの一手で敵を硬直させ、二手目で望むとおりに崩す。

 双葉に柔術は使えない。

 だが刃がある。

 叩くべき存在が有る。

 

 もみじを攻撃しようとして刃で逸らされるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 刃のまっ反対、孤月の()を叩かれ、もみじの孤月が地面へと突き刺さる。

 もみじが確かに受けに回ったその瞬間を、遂に双葉が見逃すことはなかった。

 

 ――――あなたは、()()()()()()()()()

 

 それは考えれば当たり前のことだ。

 柔術において相手の関節や重心を崩す(ころす)行為は、自らの行動によって、相手にそれ以上のリスクを与えられるからこそ行われる。

 だからこそもみじが空中から仕切り直すその瞬間を見極め、一手をすかすための飛び道具を放った。

 その一点において、たしかに双葉のひらめきは成功したと言っていい。

 

 だが、忘れていないだろうか?

 もみじが崩せるのは、何も双葉()()()()()()――――

 

「でぇ、やァ――――っ!!」

「くっ!?」

 

 ゾーンに入って以来、初めてもみじが叫びを上げた。

 双葉に、己の孤月ごと叩きつけられた衝撃から落下運動で己を加速させ、回転しては双葉を弾き飛ばす。

 同時に自らの刀を地獄車のように巻き込んだかと思えば、やがて己の手足、ぬんちゃくのように振り回して手元に手繰り寄せる。

 

「やらせる、かっ!!」

 

 そこに、トリオンの()()が乱入した。

 肩の付け根から瞬時に切り落とされた、双葉の残った右腕。

 それを手段問わずにもみじのもとにもう一つの飛び道具として弾き飛ばす。

 

『トリオン露出過多』

 

 警告が己の肉体に音声として走り、双葉の脳髄を音波として痺れさせた。

 だが知ったことか。

 相手の目の前までこの躯体が保てばそれでいい。

 

「はぁあああああっ!!」

 

 孤月を弾かれたもみじに、空中への跳躍を経て、勢いづいた双葉の刃が迫る。

 だが、それでは五十嵐もみじは崩せない。

 孤月を再構成し、双葉を返す刃で迎撃し――――

 

 ――――その刃を、双葉は受け付けずに、そのまますり抜けた――――

 

「っ!?」

()()()()()()()

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 朧の幻の力を用いた双葉の刃が、遂に――――

 

「が、っ!?」

 

 回避の遅れた、もみじの右腕を、斬り飛ばした。

 

 もみじから露出するトリオンの煙。

 刹那。

 対して残り二つの残機を備えた万全のポニーテールが、手負いの忍びへと目を向ける。

 絶好の好機。

 不意の状況に後方へと下がりだした相手に、備えていた着地を難なく成功させては追いつめるために、足に力を込める。

 

 ――――低く……

 ――――低く…………

 ――――低く――――

 ――――低くッ!

 

 これまで、低身長の双葉の、その低いよりも低い高さから、もみじは攻撃を炸裂させたことが何度も有った。

 それは、通常の双葉には再現できないほど緻密な、サイドエフェクト有りきの基本にして絶技。

 だが、()()だ。

 高まった集中により通じた偶然は、必然を成立させて、そして繋ぐことが有る。

 

 爆発的に力の込められ、爆発した疾走は地を超えて――――韋駄天(かぜ)の如く。

 

 鋭い刃は、遂にもみじの足にまで届く。

 切断はしない。

 だが確実に有効な切り傷を与え、遂に彼女の万全な動きを削いで――――

 

『戦闘体、活動限界』

 

 ――――迎撃の一撃で、双葉の残り二つのうちの、残機の一つが消し飛ぶ。

 

 構わない、よく頑張ってくれた。

 己の体に、己の心に叱咤と礼を述べて、(おのれ)長天(ちょうてん)(ぞう)し、燃やし尽くす――――!

 

 

 ――――斬られた、己の体を見ていた。

 右腕を断たれ、足もおぼつかない。

 バランスそのものはサイドエフェクトによって保てているが、この澄み渡った世界で己の行動範囲に不自由を抱くことは、とても久しぶりだ。

 

 生身では、失った途端に終わりとなるもの。

 故に味わったら終わりであり、絶対に避けなければならなかった感覚。

 

 トリオン体では、自分の体だからと軽視していたもの。

 常に()を見ていた普段の視界が、己の肉体に拘泥することのなかった感覚。

 

 集中は切れない。

 斬られない。

 ああ――――この程度では、私は終わらない。

 今の私を絶つならば、この意識もろともを断ち切ってみせろ。

 大切な死を前にしても決して止まらなかった、この(おのれ)高揚(もみじ)を――――

 

 

「「――――ああああああああああああああああああああああっ!!」」

 

 刃の擦れる音。

 風が切られる音。

 トリオン(しろがね)トリオン(しろがね)が激突し、苦悶の叫びを上げる音。

 

 斬る。

 

 斬る。斬る。

 

 斬る。斬る。斬る。斬る。

 

 斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。

 

 斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る――――

 

 

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ――――!!」」

 

 視えない熱が、視えない痛みが、視えないゆらぎが二人の間で炸裂し、咆哮する。

 傷が掠れ出来て産声を上げ、喪失は時の進みを緩く――――けれど、鼓動の歩みを早くする。

 そこにそれ以上の言葉はいらない。

 これを確かに表現しえるものはない。

 ただ、刃と刃が交わり、軋み、互いを喰らいつくす――――この感覚を。

 

 

 『戦闘体、活動限界』

 

 

 心が通じ合ったと言わずして――――なんと言うのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

『結果、零対十――――五十嵐もみじの勝利!』

 

 普段とは比べ物にならない大音量での結果発表のアナウンスがトレーニングルームに響き渡り、二人は――――

 

「あ、あ、あ、あ――――」

「――――――」

 

 ――――()()()()()()()()、とっくに動きを止めて、泣いていた。

 

「あ、あああああああああああああああああああっ――――」

 

 

 自分の気持ちがわからず、双葉は涙の洪水を抑えられなかった。

 理解が出来ない、制御できずに膨れ上がった思いが、そこにあった。

 その正体を気づけずに、ただ、ただひたすら感情に流されることしか、年相応の彼女には出来ない。

 うずくまって、うずくまって、うずくまって。

 

 ――――“くやしい”と。

 

 思わず、口からそれがこぼれ出て。

 そうして……初めて自分の気持ちを理解して、自分の小さい体を、自分で抱きしめた。

 

 

「――――――」

 

 もみじはその光景を見て、何も思えずに、ただ涙だけが流れた。

 目尻からひたすら溢れ出す大粒の水滴の数々に、答えはなかった。

 ただ、ただ、ながくみじかい人生の中で一年ほど抱いていた、胸をつかえる蓋が消えて。

 

「――――“ばか”だなぁ、わたし」

 

 自嘲めいた言い方とは全く違う。

 久々に心からわらって、白く白くて――――セピアから開放された――――自分が思うより広かったと気づいた、戦う世界(皆の居場所)を――――

 

 

――――そう、改めて見つめたのだ――――

 

 




(※2019/08/22追記)
指摘を受け、該当する黒江の一人称のミスを修正


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