レッドシュガー・デッドバレット   作:八つ手

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五十嵐もみじ⑤

「ああ、来た来た。鬼怒田さんなら会議室に行ったよ」

「「えっ?」」

 

 本部開発室。

 日々、トリガーに関する研究を行っているエンジニア達の庭。

 作業用デスクの上にはデスクトップパソコンとその筐体、及び数々の研究資料が山々と積み重なり、日々のタスクに生き急いだ会社員達の風情を漂わせる。

 この本部開発室には実験室が併設されており、何か実験を行う時はそちらでトリオンの観察をしつつ、モニターを測るという行程で成果を重ねている。

 

 その()()()()()()を訪ねに来たもみじと加古は、要件を言う前に別のエンジニアに言葉をかけられたのだった。

 

「雷蔵さん?私達まだ何も言ってませんけど」

「僕も何も知らないよ。ただ鬼怒田さん、君たちが来たらそう言っとけって」

「……? 妙ね」

 

 「動きが先読みされている…?」とつぶやく加古に、もみじも加古ほどではないが、同質の違和感を抱いた。

 今日はどうにも起こる物事の密度が多すぎるのだ。

 そのうえで、その発端となった、もみじに最初に接触してきた()()()()――――

 

「……加古さん、まさかこれって」

「……してやられたわね。どうやら、ここまで含めて『想定内』ってとこかしら」

「何の話してるの?」

 

 黒いジャージを着込み、全身……特に腹部に一番の贅肉を抱え込んだ見た目冴えない男は、椅子に優雅に全体重を腰掛けながら首をかしげた。

 

 ――――寺島雷蔵(てらしまらいぞう)

 

 本部開発室所属のチーフエンジニアの一人であり、もみじが普段武器として扱っているレイガストの開発者でもある。

 日々スナック菓子を頬張り、生活が余裕そうなオーラを常に全身の脂肪から漂わせる只者ではないファットマンだが、レイガスト開発時期にはもみじによって過労に追い込まれ、加古にも他のトリガーの調整で過労に追い込まれた過去を持っている。

 つまるところ、この二人の最大の被害者の一人だった。

 

「そうなると……私達、鬼怒田さん戻ってくるまでここで待ってれば良いんですか?」

「うーん……むしろ君たちを会議室に来させろって感じのニュアンスだったけど」

「そうなんですか?」

「これはもう間違いないわね。行きましょうもみじちゃん」

 

 予想以上にガッチガチに構えていることを推測した加古は、もみじの肩を叩いて開発室からの退出を促す。

 振り向いて、加古がわずかに肩肘を張っていることから事態を察したもみじは、息を呑んだ後、寺島に礼を述べて本部開発室を後にしたのだった。

 

 

 

 

「時間通りか」

「そうでなければ困る所ですけどねぇ」

「遅いぞお前達!もっと早く来んか!」

 

 大枠で室内に備え付けられ、三門市の町並みを一望できるガラス張り。

 夜の町並みに合わさるように煌々と黒く染められ、デジタルなアタッチメントを備え付けられた会議机が室内中央で根を張る。

 

 ――――その会議室に入ったもみじ達を出迎えたのは、三者三様の反応だった。

 また、聞こえた声色の持ち主以外にも、他にも何人かの成年の男性達が、席に連なっている。

 その全員が、手慣れたようにブランドの似た、或いは異なるスーツを着込んでいた。

 

 

 顔の彫りが目立ち、途中で左目をなぞる大きな古傷を顔面に一閃され威圧感を誇る、老年期に入った直後の男。

 ボーダー本部・最高司令官――――城戸正宗(きどまさむね)

 

 金に染めた髪色に、ユーモラスな動物……まるで狐やカラス……のように愛嬌を持ち合わせる、高い鼻と、横に広い口が特徴的な男。

 メディア対策室長――――根付栄蔵(ねつきえいぞう)

 

 四十路後半の年齢で頭髪の後退が目立ち始める、一見して悪のお代官のように見える悪党顔と、横に太ましい体格が目立つ男。

 本部開発室長――――鬼怒田本吉(きぬたもときち)

 

 

 如何にも、運動のできる美男子がそのまま出来る大人になったと言わんばかりに整った顔立ちを誇り、目に届くか否かという長さの髪を前に降ろしている男。

 ボーダー本部長――――忍田真史(しのだまさふみ)

 

 髪を雑めに跳ね上げ、眼鏡をダンディズムに着用した、煙草をふかせるのが似合うTHE・中年男。

 ()本部開発室長――――林藤匠(りんどうたくみ)

 

 茶髪をオールバックにし、常に据わった目線と、整った背筋と肩幅から、鍛えられた体格の良さが際立つ男。

 外務・営業部長――――唐沢克己(からさわかつみ)

 

 

 そして、席に座ってこそ居ないがもうひとり――――この大人たちに混ざっても一切気配負けしない、歴戦の飄々とした空気を身にまとった男。

 そう――――S級隊員・迅悠一(じんゆういち)がこの会議室に居座っていた。

 

 

「すみません鬼怒田さん!皆さん!お待たせしました!」

「あら、ほぼ全員集合」

「いやー、ふたりとも驚かないね」

「まぁ……()()()()()()だろうなぁ、とは」

 

 迅からの軽口を受け、少々困り気味に返答するもみじ。

 彼女たちは会議室に来るにあたり、この光景をとっくに想定済みであった。

 しかし、想定済みであることと、実際にこの光景を見て困惑することは矛盾しない。

 

 驚きこそしたが――――これは本部への相談にあたり、近い内に必ず通らなければいけない()()そのものだった。

 

「何おまえたちだけで納得しとるのだ!我々は迅から集められはしても、どういう要件かはまだ聞いとらんのだぞ!さっさと説明せんか!」

「私や皆さんも集められるんですから。何かあるんでしょうねぇ」

「まぁまぁお二方、そう悪いことじゃないでしょ。落ち着いて聞きましょ」

 

 ざわめき立つ鬼怒田と根付、それをへーへー顔で嗜める林藤。

 その様子と、会議室入口の前に立つもみじ達に交互に視線を向け、無言で何かを見定めている様子の唐沢。

 そして、その光景を踏まえて、本部長である忍田が改めて会話を切り出した。

 

「五十嵐、加古。君たちから何らかの要件が有ることは、迅から聞き及んでいる。内容を述べてくれ」

「わかりました、忍田さん」

 

 もみじは息を整えて、改めて会議室に揃う、上層部の面々に視線を強く向けた。

 

「結論から言いますと――――私をA()()()()()()()()()んです」

「「「!」」」

 

 素直に驚く忍田。

 それとは対象的に、驚愕と動揺が表情に先立つ鬼怒田と根付。

 

「なんだとっ!?」

「元A級……といえど、元々それを()()()のも君だ。気が変わっただけでは承知できないよ五十嵐くん。わかっているのかねぇ?」

「無理を言っているのは承知しています。ですが、気が変わったのもまた事実です。具体的な理由も述べますが、私事であることも否定は出来ません」

「なにぃ?」

「ふむ……判断は話を全て聞いてからにしましょう。五十嵐、続きを」

「はい」

 

「私は、本日付けでとあるB級隊員の指導に入ることになりました。加古隊に編入した黒江双葉、という隊員からの師事にあたります」

「黒江くんか。早期にB級に上がった、あの優秀な新人隊員のことだな」

「はい。彼女の指導を開始するにあたり、該当隊の戦術に合わせた方針で指導を行いたいと私達は考えました――――知っての通り加古隊では、戦術の基礎に新型や、改造されたトリガーを用いています」

「五十嵐!おまえまさか!」

「はい。私は一部トリガーの完全な使用権限を頂きたく、こちらに参りました」

 

 鬼怒田の狼狽に表情一つ崩さず、淀みのない言葉と両腕のジェスチャーを交え、もみじは要件を進める。

 

 試作された改造や新型トリガーは、B級であっても一部を除いて公式な戦闘で使用することが出来ない。

 多くのケースで問題なくトリガーを使用するためには、A級という上位の権限は必須なのだ。

 

 ……これから加古隊と深く関わるにあたって。

 加古から話しを切り出される以前に、B級であることが『足かせ』になること。

 もみじには、薄々わかってはいた。

 

「なるほど、確かに過去に例のない事案だ。俺たちを呼ぶのもわかる」

 

 これを聞き、初めて唐沢が口を開く。

 いかにも感心したという風情で、素直に首を上下に振っている。

 そのナチュラルな言葉と姿勢に、嫌味らしさは欠片も感じられない。

 

「つまり今回の問題は、チーム結成を必須とする昇級試験なしで彼女を再びA級と認めるか、ということだ。加古隊に入れようにも――――」

「ははーん、このシーズンは黒江ちゃん(あのこ)()()入っちゃってるしねー。このままもみじを加古隊にぶちこんだら、加古隊は査定上、B級降格が濃厚になる」

「ええ。ついでにイニシャルにKが入っていないもので」

 

「「「「「…………」」」」」

 

 唐沢と林藤による状況整理に、食い気味で持論(?)を織り交ぜていく幽玄なるファントム。

 (事態を混乱させているのはこいつじゃないか?)と、城戸を除いた大人たち全員が一瞬、戦慄と怪訝の目を加古に向けるが……別段彼女はそれを気にした様子はない。

 

 B級降格。

 近年のボーダーではA級への昇格に、B級部隊総出で毎年何度か行われる競技『B級ランク戦』の1シーズン最終順位が1~2位であることが求められる。

 A級チームへの挑戦権が与えられたこの上位部隊が合格条件を満たすことで、晴れてA級として認められることになっているのだ。

 逆に言えば、この挑戦を受けるだろう下位A級チームはB級降格のリスクを抱えている。

 

 また、それとは別に、A級部隊には不意の降格が発生するケースが存在する。

 その一つが、四ヶ月(1シーズン)内での多数B級隊員の編入だ。

 二人以上のB級隊員の編入は1部隊の総合能力に大きな影響をもたらし、そのほとんどが実力の低下による悪影響を生ずる。

 この実戦能力の低下をA級内のランク戦で査定され、A級部隊がB級に降格する可能性もまま出てくるのだ。

 理屈上はB級一人の編入でも降格は有り得、二人で濃厚。三人で確定となる。

 

「イニシャルがなんだかんだというのは知らないけどねぇ?現状の規則に穴を持たせてボーダーの顔であるA級隊員を増やすというのは、広報を始めとした様々なリスクを伴うんだよ。それが例え、元A級の五十嵐くんであってもねぇ」

「トリガー開発の予算にも限りが有る!そもそも加古!おまえが要請し過ぎなのだ!おまえ達には一度じっくり反省してもらわねばならん!」

「いやいや室長方。少なくとも五十嵐くんはこの1年間反省してたんじゃないですか?俺はそう思いますが」

「何故そう思うのだ!」

「そりゃ、俺がラグビーやってたからです」

「理由になっとらんわ唐沢!」

 

 まじめな理由なんですが……と困ったように両の掌を天井に向ける元ラガーマンに対し、燃え上がる炎のように当たりキレ散らかすカチカチ山のタヌキ。

 表情に血管が浮かび上がらないだけマシでは有るが、ストレスに悪いのだろう。

 頭髪に影響が来るのも頷ける怒声である。

 

「まぁまぁ、聞いてみましょうよ。五十嵐くん……君は今回、どうして()()()()()()んだ?」

「…………」

 

 唐沢から意見を振られたもみじは、深呼吸をして体勢を整える。

 

 この場であっても、上っ面で整えた表情で仔細を話すことは簡単だ。

 ボーダーに入隊して実に三年。

 A級だった時期も、そうでない時期も含めて、ここにいる全員は既に見知った存在だ。

 そしてここにいる全員が――――自分も含めて――――いざという時ほど腹芸に精通していることも、とうに知っている。

 真意を見破られないか否かは兎も角として、『そういう戦い』が出来ることは、かつてここに居る全員から少しは学んだつもりだ。

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()

 

 最初に自ら『私事』と踏まえたのだ。

 真意を隠しては、嘘偽りとなんら変わりはない。

 それでは、この場にいる上層部の面々は納得しないだろう。

 だからこそ――吐き出すことを、恐れちゃいけない。

 

「私が黒江双葉――――黒江に指導を懇願されて……嬉しかったからです」

「ふむ」

「私は先程二十戦ほど、彼女と模擬戦を行いました。その時、彼女には新入りのB級としては並外れた才能と……同時に感情の『強さ』を感じたんです。猪突猛進とも言えますが……彼女は一度火がついた思いから目をそらすことがない。私がどれほど容赦なく追い詰めても、どれほど無慈悲に詰め寄っても、どれほど負かしても――――彼女は折れなかった」

「……」

「その彼女に「師匠になってください」と言われたんです」

 

 

「――――私がずっと怯み、竦んでいるわけにはいかないでしょう?」

 

 

 少しずつ、()()()()()ときが来たんだ。

 

 

 三輪(ワー)君も、他の皆も……そして何より、私よりずっと小さな子が、私が止まっている間に、かつての私より大きな一歩を踏み出そうと、歯を食いしばって歩きだしている。

 そこには私がこの一年、忘れかけていたプライドが有る。

 傲慢にも、誰かを抜かして、誰かに抜かれたくないという、独善的な感情。

 毒でも薬でも有る感情だ。

 研げば鋭くなるけれど、浸れば錆びて、ぐずぐずになって、自分がダメになっていく。

 

 ただ自分を磨くんじゃない。

 描くべき理想の自分を目指して、己を磨き上げ続ける。

 それに失敗して、昔私は後悔した。

 誰かを傷つける刃物になってしまった。

 もう、それは嫌だった。

 だけど――――

 

 ――――自分自身を磨けないことが、一番()()()()()()と気づいたから。

 

「だから、()()()()()()んです」

 

 時計の針を、歩みを止めるものは……何人たりと許さない。

 それが、五十嵐もみじの視線だった。

 いつぞやに、この場に揃うボーダー上層部に見せた目の力と、同じばかりの表情。

 それを見て。

 

「――――ようやく、戻ってきたようだな」

 

 沈黙を保っていた最高司令官が、重い口を開いた。

 

「迅。おまえがこうして積極的に我々を揃えたのだ。開発室長やメディア対策室長の想定するリスク以上のメリットを、おまえは()()()()()な?」

「当然。俺には、彼女たちの未来が視えるからね」

 

 重苦しい威圧感を保つ城戸の言葉にたじろぎもせず、実力派エリートは飄々と口を開く。

 その言葉には、揺るがない確信が込められていた。

 

()()()かはまだはっきりしないけど、彼女や、彼女の鍛えた力が、いつかの大きな防衛で必ず役に立つ。大きく被害を減らす力になるよ」

「…………」

「ボーダーにとって最も避けるべきは()()でしょ?信用、信頼、金銭、そして命。俺たちが秤にかけて、必ず守り通さなきゃいけないものだ。それを守るのは、もちろん彼女一人だけなんかじゃない。けど、彼女が絶大な戦力だってことは――――ここに居る全員が知っていることだろう?」

「ならば、私が()()ことと同じだな」

 

 最高司令官は、重苦しい表情を、言の葉の走り方を何一つとして変えない。

 厳格な雰囲気を纏ったまま、厳格な重みを乗せて、振り向く先の五十嵐もみじに、重力を乗せてのける。

 

「五十嵐。我々がおまえに求めるものは簡単だ――――相応の力を示せ」

「はい」

「私はおまえという戦力を()()()()()()()()()()()()()()()()()。場合によっては、単独で任務を与える可能性も有り得る」

「はい」

「今後、ありとあらゆる場所から要求される基準を、期待を、視線を、追及を。それら全てをおまえは当然のように乗り越えて、おまえの意志を貫いて我々の益となるのだ」

「はい」

「出来ないとは言わせんぞ」

「当然です――――そんなことを思わせるために、私はここに来たつもりではありませんから」

「吠えたな」

 

 城戸正宗の眼光は、五十嵐もみじの視界の中央に、槍のように突き刺さる。

 峻厳とも言える……常人であれば息を止めてしまうほどの、重篤な威圧感を生ずる視線だ。

 

 ……ただ私は、この目線が嫌いじゃない。

 むしろ、慣れ親しんだとも感じている。

 鏡を見たように。

 いや、鏡を見たというのは正確じゃない。

 

 『鏡よ鏡。この世で最も美しいものはなーんだ?』と問いかけることの出来るような、そんな鏡。

 そうして問いかけた先に映る――――私の目指す()()の一つではないのかと、こういう時ほど思うことが有る。

 

 だけど、私はこの人を目指すことは出来ない。

 この人は厳しくなりたい人だろうけれど――――私は優しくなりたい。

 その一点において、私と城戸さんには、他でもない決定的な違いが有る。

 

 私が坂の上の、異なる道を見つめているように。

 城戸さんもまた、異なる道の私を、上から見つめているんだろう。

 理解は出来ても、相容れることはない。

 それはきっと、お互いにわかっている。

 

 だからこそ、()()()()と……彼は言ったのだろう。

 

「……五十嵐もみじのA級昇格を承認する。連なって本日付より手続き後、個人(ソロ)A級隊員として可能な権限を行使することも許諾する。以後励むように」

「――――ありがとうございます」

 

 会議は終結する。

 最高司令官によって絶対零度のごとく凍りついた空気から開放され、会議室で固唾を呑んで見守っていた大人たちが、蓄えていた空気を吐き出した。

 鬼怒田と根付は「やれやれ」と今後予想される忙しさに毒づき、唐沢は「明日からが楽しみだな」と笑みを浮かべ、忍田は眉をひそめて、無言だった。

 「桐絵の奴がまた喜びそうだなぁ~」と他人事のように林藤はひとりごちる。

 

「良い啖呵切ったじゃない。ここからよもみじちゃん?」

「……はいっ、加古さん。わかってます」

「ならよし。ああ、それと――――()()()?」

「うっ」

 

 さり気なく無言で会議室去ろうとする迅悠一を見逃すほど、加古望は甘くなかった。

 ……いや、むしろ。

 この場で迅悠一を捕らえることこそ、彼女の()()()()()()()だったならば?

 

「明日――――炒飯パーティーで待ってるわよ?」

「……わ、わかってますって」

 

 先程までの歴戦の強者の余裕は何だったのか。

 というより、もみじはこの時の迅の()()が、あからさまに普段より酷いことにうすうす気づいていた。

 このレベルのそれは、過去一度として見たことが無いと言っても良い。

 おそらく数分の一の()()が当たるのだろうなと、他人事のように思い至って。

 

「……ぷふっ!」

 

 思わず笑いがこらえきれず、不謹慎な声を少し漏らしてしまった。

 

 

 

 

「五十嵐()()

「あ、忍田さん」

 

 会議室から出た後、私は通路で忍田さんから声をかけられた。

 柔和ながらもピンっとした空気を持っていた会議室のときとは違い、今の声と表情には朗らかな雰囲気に満ちている。

 

「城戸さんと向かい合って話すのは酷だっただろう?辛いことをさせてしまったな」

「いえ、私が決めたことですから」

「……そうか」

 

 忍田さんの表情には、安心した笑顔と、憂いの含んだ曇ったものがまぜこぜになっていた。

 ……そう。この人は()()、私のことを知っているから。

 

「五十嵐くん。聞くまでもないと無いことだと思うが」

「はい」

「君がA級に戻るということは、君が『避けていた』物事と目を合わせるということだ。いずれ()()()()()で城戸さんの思惑、ひいては君の古巣とも関わることになるかもしれない。君は……それでも?」

「はい。もう十分逃げ続けたので……今のうちに気持ちを慣らしておかないと」

「そうか……君がそう言うのなら、私に言えることは殆どない」

 

 忍田さんは何か気持ちに踏ん切りを付けたのか、その表情に、格好の付いた一本芯を張る。

 ……優しく、立派な大人の人なんだと思う。

 人を心配するときと、人を送り出す時。

 人をねぎらうときと、人を使う時。

 この人が、全てにおいて特に気を配ってることが、よくわかる。

 

 他人事だけれど……沢村さんあたりが、目に見えてこの人の前で肩肘を張る気持ちが、なんとなくわかるものだ。

 

「頑張りたまえ、五十嵐くん。鍛錬は裏切らない。鍛錬の方法が裏切るだけだ。海外(むこう)で数々のアウトドアスポーツに明け暮れた君なら、それはよくわかっているだろう?」

「はい」

「よく動き、よく考え、心と身体をよく鍛えるんだ。正しさは一定じゃないが、正しさを考え続けることが、君を裏切ることはない」

「……ええ」

「改めて。ここボーダーで君の鍛錬の結びを活かせること。私は誇りに思う」

 

 

 

 “いやぁ……恥ずかしながら、動画配信サイトで君の活躍に釘付けられていたことが有ってね”

 

 “その歳で当時の私よりも機敏に動き、海外にまで出た偉業を……正直言って童心にかえって妬んでしまったよ。はははは!”

 

 

 

 ――――そう開口一番に言われて、三年は経っただろうか。

 

 忍田さんはボーダーでも随一の運動神経を誇ることは有名だ。

 その忍田さんが自ら誰かを『ファンだった』と言うことの意味を、当時の私はよくわかっていなかっておらず、受け止める心境でもなかったけれど。

 

 ……自分のファンの人を直属の上司に持つことは、なんだか良い意味で、こそばゆい。

 最近は、少しずつそう思うようになった。

 

 

「五十嵐もみじくん――――これからも応援している」

「はい――――ありがとうございますっ!」

 

 

 A級個人(ソロ)隊員・五十嵐もみじの戦いが――――今日から再び始まった。

 

 

 

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