深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 屋根裏部屋は半分壊れていた。

 曙光に部屋が照らされる。崩れた壁からぶら下がった時計が揺れている。もう一方の壁には自転車。この部屋を使っていた子どもなのだろう。ジークリンデはそう思った。子どもが大切にしていた空間がそのまま遺されていた。

 辺りはしんと静まり返っている。

 砲撃で空いた穴からヘルマゴールの荒廃した景色を見渡せる。奇妙な感じだった。煉瓦や瓦礫の山の様子から、あっという間に破壊されたことが分かる。人の姿は見えない。しかし瓦礫の山の中には潜む眼がいくつもあることは分かっていた。狙撃銃の照準器。

 ジークリンデは砲弾で吹き飛ばされた家の残骸に潜んでいた。銃身は瓦礫混じりのボロ布で覆われている。狙撃銃を伏射姿勢で構えているジークリンデの姿も壊れた煉瓦の埃にうずくまって敵からは何も見えないはずだった。埃に隠れている銃はシュレスヴィヒ=マンフレートM1895。

 口径8ミリのボルトアクション式ライフルでいま狙っているのは、ゼメリンク通りに《髑髏師団》が造った塹壕だった。その辺りから薄く白い煙が上がっている。おそらく誰かが早朝の一服にタバコを吸っているのだろう。ジークリンデは銃口を向ける。

 倍率4倍のヘーネル望遠照準器にしっかりと眼を当てる。巨大で鮮明なイメージが眼の前に浮かび上がる。帝国軍のヘルメット。タバコを吸っている老兵の顔があった。野戦服の襟に髑髏の徽章。《髑髏師団》の兵士だ。疲れ切っているのか、頬が赤くうっ血している。距離は約四百メートル。スコープに描かれたT字型照準線をゆっくりと動かす。汗で髪が張りついた老兵の顔に狙いを定める。

 息を止めて狙いを定める。そして息を吐き、トリガーにかけた指を力に入れる。

 不意に、老兵は塹壕の中で背後を振り返った。誰かに呼ばれたのか。自信たっぷりにふざけた表情を浮かべる。トリガーにかかった指から力が抜ける。銃身が下がった。

 老兵がタバコを消した。ジークリンデはそのまま塹壕の監視を続ける。

「今の標的、見逃したのか?」

 階下からリーゲルが言った。居間に開いた大きな窓から双眼鏡でジークリンデが狙っていた塹壕を見ていたのだろう。ジークリンデが潜んでいる屋根裏は中二階にあり、そこから手すり越しに居間が見下ろせる。

「ええ」

「どうして?」

「相手は後ろに振り向きました。その瞬間に撃ったら、塹壕にいる他の兵士に自分たちが狙われてることに気づかれます。もう二度と塹壕から顔を出したり、あそこの塹壕を使わなくなるかもしれない。それに・・・」

「それに?」

「階級章がアナタと同じ軍曹でした」

「まあ、あれは中尉が狙うべき獲物じゃなさそうだしな」

 ジークリンデは敵の狙撃手を探していた。リーゲルが新兵を揺り起こしている。

「おい、ロベルト。起きろ。貴様、いつまで寝てるつもりだ」

 すでに陽が高くなっていた。照準器に映る兵士たちの顔に緊張が走る。それはいつもと変わらぬヘルマゴールの朝だった。朝の訪れが戦闘の開始を告げ、たった1つの楽しみでもある食事が配られる。それがわずかに缶1杯のスープであろうが、再び生きて温かい食事を摂れる幸せを感じることができる。

「そろそろメシの時間じゃないか?」リーゲルが言った。

「自分が取ってきます」

 ロベルト・ホフマン二等兵が答える。ジークリンデの小隊に配属された時、小隊長を看護兵と勘違いした新米だった。そのことをいまだにリーゲルに揶揄われている。ロベルトが立ち上がる。

「待て」

 リーゲルは小さなノートを取り出した。補給担当の軍曹宛てにいくつか必要事項を書きつける。そのメモをロベルトに手渡しながら言った。

「偉大なジークリンデのためだと言え。メシの配給が倍になるだろう・・・ここに戻ってこいよ。俺たちはこの辺にいるからな。いいな、途中で食ったりするなよ」

 リーゲルが言い終わる前に、ロベルトは姿を消していた。

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