深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 トールヴァルトは早朝、ヘルマゴールの前線司令部を訪れた。戦前はホテルとして使用されていた6階建てのビルに戦闘指揮所が置かれていた。前線から送られてくるあらゆる情報をオペレーターたちがメモに起こし、次から次へと各所に通信している。

 食堂に入る。軽い食事をとった後、トールヴァルトはタバコに火をつけて一服した。

「少佐、お話があります」

 トールヴァルトが顔を上げる。

 テオ・アダムが眼の前に立っていた。かつて憲兵隊にいたこの男は品行方正とは言えない過去の持ち主で、占領地で婦女子に対する暴行や略奪を働いたという噂が立ち、それが基で憲兵隊を追い出されていた。不快な気持ちを抑えて「何だね、軍曹」と答えた。

「小村を襲撃した際に、男を1人取り逃がしました。男は森に逃げた模様です。捜索隊を出してるのですが、未だ見つかっておりません」

「放っておきたまえ」

「しかし・・・」

「今ごろ森のどこかでくたばっているはずだ。捜索隊は呼び戻せ。それよりも市街地の西で戦線が破られそうだ。機関銃か何かで敵をけん制するように」

「分かりました、そのように手配します。それと、少佐」

「何だね?」

「《ザックス》から連絡がありました」

《ザックス》とは敵の司令部に潜伏しているスパイのことだった。アダムが続ける。

「今日、《女狐》は市街地に出てるようです。あなたは街に出ない方がよろしいかと」

「覚えておこう」

 アダムは食堂を出て行った。

 虐殺の記憶がトールヴァルトの脳裏をよぎる。アダムの部下が村民たちを穴の中においたてた。穴は村民たちが掘らされた。年老いた農民。両親とその子どもたち。子どもたちはひどく怯えている。老人たちはほとんどまともに歩けていなかった。穴の中に追いやられる男女や子どもたち。最後は若い娘たち。トールヴァルトはその日もタバコを吸っていた。

 アダムが構えていたのはMP-34と呼ばれる短機関銃だった。ボルトをロックして短機関銃をしっかり脇腹に押し付け、トリガーを引いた。銃弾が背中を切り裂いた。彼らは痙攣しながら穴の中に倒れた。銃創から鮮血が溢れ出し、全身が赤く染まっていく。子どもが身じろぎし、呻き声を上げる。アダムは指で切り替えスイッチを単発に戻し、その頭に1発撃ち込んだ。アダムは言った。

「どこかの下手くそな奴にやられるより、俺に撃たれた方がいいはずだ」

 その眼には嗜虐の色が浮かんでいた。

 アダムのような連中を使うことは心苦しい部分があった。あれは虐殺と呼んでもいい蛮行だった。全ては敵の狙撃手を誘い出すための方策なのだ。トールヴァルトはそう自分に言い聞かせた。虐殺から逃れた男は必ず敵と接触する。そして、トールヴァルトの標的となる狙撃手が登場する。あとは標的を仕留める舞台を整える。

 トールヴァルトは先日、兵器廠に立ち寄った。技官に《女狐》―敵の狙撃手に撃たれた遺体から摘出した銃弾を手渡して鑑定を依頼していた。技官はトールヴァルトを作業台に案内した。銃弾が置かれている。

「この銃弾は短小弾ですが、重さが143グレーンあります」技官は言った。「しかし鋼鉄が全く使われていません。純粋に鉛だけで作られています。とても柔らかい弾です。人体に対しては、最大限のダメージを与えることができます」

「敵はどうしてこんな弾を使ったんだと思う?」トールヴァルトは言った。

「この弾を銃身の溝がすごく深くて、しっかりと弾に食い込むようになっている銃で撃てば発射速度が遅くても、弾にたっぷりと回転をかけることができます。つまり―」

「精度が高くなる」

「そうです。しかも秒速700フィート以下で発射した場合なら、発射音もほとんどしなくなるはずです」

「この弾を使ってる狙撃手は自分の仕事をしっかりと心得てるようだな」

 トールヴァルトの脳裏に浮かんだ像は1つだった。幼年学校の狙撃課程にいた唯一の女生徒。深紅の狙撃手(クリムゾン・スナイパー)

「少佐殿」

 トールヴァルトは顔を上げた。今度は通信兵がトールヴァルトに報告してきた。

「この24時間の被害を報告します。駅構内で見張りが2人、北部で砲兵が1人、工場地区の第23歩兵師団で中尉が1人、集合住宅地区で工兵が3人撃たれました。それから少佐殿が興味を持たれそうな捕虜を1人捕まえたとのことです」

「まだ喋れるといいんだが」

 トールヴァルトは呟いた。

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