深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 ジークリンデは小さな教会に向かった。ロングブーツの重い足取りは石畳を蹴る。さわやかな空気が意識を醒ます。ジークリンデは教会のドアノブを回して中に入った。

 黄昏を迎えた暗い教会の構内に、大理石の床を闊歩する靴音が響いた。教会の番人がジークリンデの姿に気づき、奥の部屋に消えていった。祭壇ごとに灯された燭台の前に立ち、独り静寂に包まれる。壁に聖母を描いた地味な祭壇画が飾られていた。ぼんやりと見える聖母はかすかに光る敬虔な面差しに悲しげな笑みを浮かべている。祭壇に歩み寄り、丸い蝋燭に火を灯して数歩後ずさる。両手を合わせ、眼を閉じる。

 身体がビクッと震えた。ジークリンデは眼を覚ました。見慣れた兵舎の天井。簡易ベッドから身体を起こす。背中が痛かった。艦隊勤務ならタンク・ベッドが使える。タンク・ベッドなら1時間寝ただけで8時間の睡眠に匹敵するが、地上勤務ではそんな大層なものは使えない。自分の方に屈み込んでいたリーゲルがにんまり笑みを浮かべている。

「睡魔は狙撃手の一番の敵だな。奇襲する時に装甲車の中で寝ちまって、眼が覚めたら敵の戦線から40キロ後方にいた奴がいるらしいぜ。知ってるかい?」

「いえ」

「最後にちゃんと寝たのはいつだ?」

 ジークリンデは肩をすくめる。

「ここでは夜が短い。中尉殿の歳じゃ、もっと睡眠が必要だろうな。俺の場合はありがたいことに、もうそんな問題はない。眠らなくても済むようになっちまった。戦車の中で寝るような奴もいるらしいが」

 惑星テルペニアは自転周期が27時間であり、自転周期を強引に24等分して惑星地方時を採用していた。この討伐が惑星の地表で行う制圧作戦が主であり、ジークリンデは帝星オーディンの標準時に慣れた身体をこの惑星の環境に適用させる必要があったが、ここ数日間はよく眠れない夜が続いている。身体が環境に合わないだけではない。

 ジークリンデの戦果は目覚ましい勢いで増えていた。ヘルマゴールの市街地で3日間、叛乱軍の将校を19人撃った。だが、敵の狙撃手による損害は一向に減らない。そもそも敵の狙撃手が街に潜んでいる気配も感じられない。しかも昨日はジークリンデの部下が1人消えた。

「準備して出ます」

 今日は敵機関銃を一掃するよう命じられていた。敵の機関銃がヘルマゴールの西端から正確な銃撃を行い、味方の部隊が頭も上げられない程だった。

「道中、気をつけてな」リーゲルは言った。

 ジークリンデはうなずいた。やり場のない焦燥感は妄想となって表出する。言葉や音、風景、顔が夢の中で浮かぶ。それらの妄想がジグザグに脳内を走り抜ける。突然、眼の前に飛び込んでくる。自分と瓜二つの分身が対面している。ドッペルゲンガー。知っているのか知らないのか分からない誰かと共にいる感覚。

 いつも誰かがそばにいる感覚がする。自分の背後で聞こえるひそやかな息づかい。自分と同じ顔をしている。いつも楽しそうで、いつも自由にふるまう分身。最近、眠っている時に見る夢で度々現れる何か。横たわるベッドの数歩先に、透明な姿でジークリンデに微笑みかける少年の幻想。自分はその少年に呼びかけていやしないか。

 要するに、自分は焦っているのだ。ジークリンデはその事実をあっさりと認めるのはやぶさかでもなかった。幼年学校にいた狙撃課程の教官ならジークリンデの心情を容赦なく指摘し、笑い飛ばしてみせるだろう。

 ジークリンデは装備を検める。弾薬ベルトに「L」タイプの軽量弾と先端が黒い徹甲弾を装填する。徹甲弾を使うのは敵の機関銃手だけではなく、機関銃そのものも無力化するつもりだった。シュレスヴィヒ=マンフレートM1895は1発ずつ弾丸を装填して発射するシステムになっている。

 夜が明ける1時間ほど前、ジークリンデと観測兵は《シグルド》基地を出発する。


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