深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

15 / 38
[7]

 ジークリンデはドミニクから離れる。心の奥底から湧き上がる強い怒りにかられた。崩れた煉瓦壁の陰に半身を隠して狙撃銃を構える。市街地を見渡す。4倍の光学照準器で敵の狙撃手を探す。吐息で照準器のレンズが曇る。ジークリンデは指先でレンズの曇りを拭った。

《どこだ?どこにいる?敵の狙撃手は?》

 胸で鼓動は高鳴っている。トリガーにかけた指が震えていた。焦り。苛立つ心。敵は見つからない。ジークリンデは視野の狭い狙撃銃の照準器から眼を離す。双眼鏡で敵の狙撃手を探した。その場所はすぐに分かった。渓谷にかかる鉄橋。ドミニクが最後に見たであろう、小さな白色の発砲煙が見えた。

 数秒後、ジークリンデはヒュッという風切音を聞いた。次の瞬間、右肩に衝撃を受けた。野戦服が裂ける。ジークリンデは狙撃銃を落とし、身体が脱力して床の上に崩れた。右肩に焼けるような暑さがあった。傷は浅い。

 発射時に高熱となった弾丸はジークリンデの右肩を擦過していた。身体の位置がほんの数センチ高ければ、右肩に食い込んでいただろう。片腕で傷口を抑える。指の間からじんわりと血が流れ出す。出血はしばらく続いた。床に仰向けになる。

 敵が獲物―自分たちの生死を確かめに来るかもしれない。ジークリンデは斃れたドミニクの傍まで這っていき、ホルスターから九ミリ拳銃を抜いた。最悪の事態に備えて携行していた物だった。遊底(スライド)を引き、薬室に銃弾を送り込む。

 砲撃が続いている。小銃の発射音はまだ遠い。敵が踏み込んできたら撃つ。その瞬間を待ちうけている間、ジークリンデはふと思い当たる。

 敵の狙撃手はジークリンデたちが機関銃を狙っている間に来ていたのだ。そして渓谷の鉄橋からドミニクを一撃で斃した。だが、自分に対しては銃弾をわざと外した。不意にジークリンデはそう思った。右肩を掠めた銃弾がメッセージを意味する。脳裏に《まさか》という思いが払拭できず、そうとしか思えぬ強い確信に変わった。

 ドミニクの死に打ちのめされた。ジークリンデは鉛色の雲を眺め続けた。遠くに響く砲撃や小銃の喧騒も、もう気にならなかった。眼を閉じる。そのまま殺されても構わない。そんな気持ちだった。傷を負った今はとても疲れ果てている。ジークリンデはそのまま眠った。

 日没前、ジークリンデは寒さで目覚めた。空薬莢が転がる床。そして横たわるドミニクの遺体。肩に被弾したジークリンデは歩くことはできたが、腕は使えなかった。ドミニクの亡骸を運ぶのは無理だった。ジークリンデは自分だけ帰隊することは考えていなかった。独りだけ小隊に戻ればドミニクの遺体を収容するために、まだ敵の狙撃手が潜伏しているかもしれない地域に危険を冒して兵士を送り込むことはないだろう。あの司令がそんなことを許すとも思えなかった。

 ジークリンデはこの場所に留まることにした。帰隊時間を1時間以上過ぎれば、小隊の兵士が探しに来てくれるかもしれない。仲間を危険にさらして申し訳ない。しかしドミニクの遺体をちゃんと葬ってやるにはそれしか方法が無かった。

 ちょうど日没時、リーゲルが斥候班を率いてやって来た。

「撃たれたようだな」リーゲルは言った。

「ええ、肩をやられました。観測兵(スポッター)は・・・」

「ダメです、もう死んでます」

 ドミニクの遺体を確認した衛生兵が言った。

 ジークリンデは身体を起こした。遠くに見える渓谷の鉄橋を一瞥する。リーゲルがジークリンデの前で長身を屈み、右肩の銃創を調べる。

「ふぅん、傷は浅いな。歩けるか?」

「ええ」

「ニルソンのことは気にするな」

 衛生兵がジークリンデの右肩に応急手当を施す。リーゲルは周囲を警戒している兵士たちに集合を命じた。

「これからニルソン二等兵の遺体を搬送する。交代で背負え。落とさないように、ベルトで担架にしっかり固定しろ。負傷兵の装備品はヴィンクラー二等兵、貴様が運べ。一列縦隊で市街地を抜ける」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。