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トールヴァルトはトーポリ要塞内の自室にいた。簡易ベッドに腰を下ろし、タバコに火を付けて一服する。質の悪いミュシアという名前のタバコだった。葉の詰め方が緩く、小枝がまじっている。時おり小枝が音を立てて弾けるが、トールヴァルトは以前からこのタバコが病みつきになっていた。
書き物机の抽斗を開け、豚革の小箱を取り出す。小箱を開ける。箱の中には銅で出来た功二級鉄十字章が入っていた。八等級もある鉄十字章の中では最下等のクラス。何の飾りも無い簡単な造りだった。
勲章をじっと眺める。あれが起きそうな感じがして怖くなった。だが不安は的中する。視界の隅にくねくねと身をくねらせる紐が出現した。紐は繊細なプリズムで造られているように煌めいている。眼の間を指でつまむようにして揉み、瞼を強く閉じる。
思い返せば、事の始まりはこの眼の病だった。
2年前、パリオン星系における地上戦でトールヴァルトは叛乱軍―自由惑星同盟の兵士257人を斃した。その戦果が認められて、皇帝から功一級狙撃手章を授かったトールヴァルトは一躍、英雄になった。さまざまなパーティーやサロンに門閥貴族たちの見世物として呼ばれた。
ペーネミュンデ侯爵夫人が主催したサロンもゲストとして出向いた宴席の一つだった。立食中にトールヴァルトは突然、視界の一部を奪われた。瞼を閉じても、プリズムがまだ見えてちらついた。トールヴァルトはテーブルを離れ、近くのソファに腰を下ろした。ペーネミュンデ夫人が声をかけてくる。
「どうかされましたか」
「いえ、何でもありません。ちょっと疲れたんでしょう」
「お医者様に見せたほうがよろしくてよ。良い医者を紹介しますわ」
「痛み入ります、侯爵夫人」
後日、ペーネミュンデ夫人から紹介された医師が本当にトールヴァルトの自宅を訪ねてきた。医師は皇帝の侍医団の一員であり、グレーザーと名乗った。トールヴァルトは自分で淹れた紅茶をグレーザーに勧めた。
「プリズムのようなものが見えるとね」
グレーザーはそう言って紅茶をひと口含んだ。視界の隅に浮かぶプリズムについて、トールヴァルトはあくまでも友人から聞いた話として相談した。
「飛蚊症だろう」グレーザーは言った。「ちゃんと病院で診察した方が確実だが。貴官のご友人はいま何歳なんだね?」
「41、2ってとこです」
「なら飛蚊症だ」
「病気なんですか」
「老化現象の一つだ。年を取ると出てくる症状でね、病気とも言えない」
「治療法はあるんですか?」
「さっきも言ったが病気ではないから、年を取ったんだと諦めるしかあるまい」
トールヴァルトは眼の前が真っ暗になるような感じがした。戦闘中に照準器で相手とプリズムが重なって見失うようになれば致命的だ。
「ところで、少佐」グレーザーは額にういた汗をハンカチで拭きながら言った。「今日は診察料をいただかないので、その代わりにと言っては何だが、我々の未来というか、ゴールデンバウム王朝の未来のために一つ骨を折ってくれないだろうか」
「何をしろと言うのです?」
「暗殺をお願いしたい」
「どなたの?」
「グリューネヴァルト伯爵夫人だ」
この時、部屋のドアがノックされた。回想から引き戻されたトールヴァルトはタバコを足許に落として踏み潰し、「入れ」と言った。部屋のドアを開けた兵士が「参謀長がお呼びです」と告げた。
要塞地下の司令部に入る。ランツの声は疲れ切っていた。聞いているのはトールヴァルトだけで他の兵士は無線を取り次いだり、戦況ディスプレイに向かっている。トールヴァルトはランツの顔を見る。ランツの気品ある顔は眼の周囲が震えていることに気づいた。
「貴官がここにいる理由は無くなった」ランツは言った。
「何故です?」
「ヴェーバージンゲ中将―総司令官閣下は覚悟をお決めになった。おそらく自決されるおつもりだ。だが、私にはまだ師団を指揮する責任がある。貴官はどこかに逃げるといい」
「失礼ですが参謀長、私にはやることが残っています」
ランツはトールヴァルトの言葉をさえぎった。
「傷病兵を運ぶ宇宙船が用意されている。それに乗るといい」
「参謀長、私にも任務が残されています」
トールヴァルトの低い声音に気圧されたようだった。ランツが心もち緊張する。
「では、貴官の認識票を預かる。もし貴官が死んだことが知れたら、敵の士気はどうなると思う?もし斃れるなら、すまないが身元不明の軍人として斃れてくれ」
トールヴァルトは何も言わずに野戦服の上着を脱いだ。首から認識票がついた鎖と鉄十字章を外してランツに手渡した。
「それからこの功二級鉄十字章もお渡しします。当地での戦闘の初日に斃れた116歩兵連隊の少尉に死後贈られたものです・・・少尉は私の息子でした」
トールヴァルトは司令部を後にした。