どこまでも続く真っ白な大雪原の片隅。ジークリンデは待ち続けていた。
降りしきる雪は何もかも覆い隠して世界の輪郭を曖昧にする。遠くに見えるはずの地平線は空と交じり合い、全てがぼんやりしていた。凍てつく寒さだけが現実を感じさせる。
大雪原の傍らに生える樺の木。その後ろにジークリンデは身を隠していた。じっと息をひそめる。大きすぎる毛皮の帽子とコートで小さな身体を包んでいる。寒さに頬を赤く染めた顔はまだ幼い。
いま構えているのは、ボロ布が巻かれた旧いボルトアクション式ライフルだった。よく使い込まれて表面の黒色仕上げがところどころ剥げていた。古い銃はもちろん、少女の手には重すぎた。時おり照門に舞い散る雪がへばりついては融ける。
頭上で鳥が鋭い声を上げて飛び立った。同時にジークリンデが狙いを定める照星のはるか向こうに、灰色の狼が姿を現した。ジークリンデと狼の間に1本の木がある。その木につながれた馬がいななきを上げる。手綱は木にしっかりと結わえ付けられ、逃げることはできない。狼が周囲を警戒しながら、必死の形相で暴れもがく馬にゆっくりと近づいていった。
「まっすぐに眉間を狙え」父が言った。「弾は1発しかないぞ」
ジークリンデの小さな手に握られたライフルはかすかに揺れる。
灌木の間から出てきた狼はなおも馬に向かってくる。馬は手綱を振りほどこうとして、さらに激しく暴れる。じりじりと馬に近づいた狼は身体を低くする。馬に飛びかかろうと身構える。ジークリンデは狼の頭に狙いを定める。トリガーに指をかける。掌でライフルが小刻みに震え始めた。トリガーを引くかと思えば、戸惑ったように指を離してしまう。
「引き金を引くんだ。いま奴を殺らなきゃ、お前がやられるぞ」
父が押し殺した声で言った。声音は優しいが充分に切迫していた。じっとジークリンデの背後で見守りながら完全に気配を消している。司法省に勤める下級官吏である父だが、今は本物の猟師のように振る舞っている。ジークリンデは再びトリガーに指をかける。
「今だ!ジーク!撃て!」
乾いた銃声が静寂を破る。
ジークリンデは目覚めた。見慣れた兵舎の薄汚い天井が眼に入る。
今日は普段と違う夢を見ていた。ジークリンデに狩りを教えたのは父だった。母は何も言わなかったが、父には反対していたようだ。幼い頃、初めて父に連れられて狼を狩った時は8歳だった。乾いた銃声はすぐ雪に吸い込まれて、周囲は静寂に支配される。その一瞬まで覚えている。
父が自分に狩りを教えた理由は分からない。ただ、その後に母から父が男の子を欲しかったという話を聞いた。息子に狩りを教えるつもりだったようだ。ジークリンデに兄弟はいないが、実は母は双子を身ごもっていた。だが双子の片割れは母の胎内で亡くなり、ジークリンデだけが生まれた。そんな残酷な話を聞かされたのは、ジークリンデが隣家に住む下級貴族の幼馴染に誘われて、幼年学校に入る前日のことだった。
この世に生を受けられなかった片割れは男の子だろう。両親に確かめたことはない。ジークリンデは漠然とそう考えていた。夢の中で突然、眼の前に飛び込んでくる顔。自分と瓜二つの分身。赤毛に青い眼をした少年が笑いかけている。
「中尉、手紙が届いてるぞ」
ジークリンデはベッドから上体を起こした。手紙を持ってきたリーゲルに礼を言ってカセットを受け取り、機械にかける。
手紙の送り主は両親だった。映像から語りかける両親は年老いていた。
父は猟を辞めていた。体力がすっかり落ちてしまったからだという。その代わりにバルドル星系産のなんとかという蘭の栽培に勤しみ、自宅の庭にある温室を建て直したという。凝り性の父らしい。ジークリンデはそう思った。
ジークリンデは手紙の返事を考えてみた。その時間だけ戦場にいることを忘れた。