深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 森に夜明けの光が差し始めていた。ジークリンデと観測兵のヴィンクラーは森番のハージェクを先頭に森の小道を進んでいた。兵舎の留守番はリーゲルに任せていた。

 2人は装備を積み込んだ背嚢を背負い、ライフル―倍率4倍の望遠標準器が付いたシュレスヴィヒ=マンフレートM1895を構えている。万一の事態に備え、ジークリンデはヴィンクラーに短機関銃も携行させていた。野戦服の上から茶色のカムフラージュ用コートを着て、耳覆いのある帽子を被る。ハージェクも2人の兵士と同じ格好をしている。

 突然、風が巻き起こる。木々が揺れ、葉の落ちた枝がぶつかり合う。ジークリンデは耳をそばだて顔を上げた。道に覆いかぶさるようにして、灰色がかった茶色の樹が立っていた。幹が曲がったセイヨウカジカエデ。枝に長い軸を持つ掌のような、大きなオレンジ色の葉がまだ数枚残っていた。突然、1枚の葉が枝から離れて空中を舞いながら、ジークリンデの足元に落ちた。ハージェクはそれを指さして言った。

「拾いなさい。幸運の印だ」

 ジークリンデは美しいセイヨウカジカエデの葉をポケットに入れた。

 連隊の陣地からすでにかなり離れていた。その先に敵が待ち伏せているかどうかも分からなかった。ジークリンデたちはハージェクに付いていくことしかできない。周囲を警戒しながら、ほとんど人目につかない猟師道を歩いて行った。カムフラージュするにはぴったりの場所に思えたが、敵を狙撃するには理想的とはほど遠かった。銃弾をどこに飛ばせばよいだろう。茂みが渓谷を覆い隠しているような場合、どうやって目標(ターゲット)までの距離を正確に計算できるだろう。

 森に入る前、ジークリンデはジッテル渓谷の南斜面にある124・0高地に立ち寄った。敵の狙撃手が潜んでいると思われる鉄橋が見える一番近い地点だった。ジークリンデは双眼鏡で鉄橋を観察する。鉄橋の南端は損傷が激しかった。橋脚は1本しか残らっておらず、それさえも損傷を受けていた。そこに狙撃手の隠れ家を置くのは不可能だろう。ジークリンデはそう思った。敵側にある鉄橋の北端に眼を向ける。

 そこは状況が全く異なっていた。曲がった鉄筋やねじれた鉄骨。土台から浮き上がった線路。真っ黒に焦げて木っ端みじんになった枕木が山積みになっている。3本残った橋脚はどれもしっかりしていた。鉄骨や木材が積み重なっているところならば、身を隠すのはとても簡単だろう。敵はそこから狙っている。確信があった。だがすでに二度も狙撃に成功した場所に敵は戻ってくるだろうか。

「曲がったカエデの樹から井戸までは85メートル」ハージェクは言った。「覚えておくと役に立つ。お嬢さん」

 夜明けの光が差す森の中はしんと静まり返っていた。ハージェクは確かに森を知り尽くしていた。その知識は父親から受け継いだものだ。初めて会った時、ハージェクが言った「旧友」とはこの森のことを示していたのだ。ハージェクの一族は100年間、銀河帝国を統治するゴールデンバウム王朝に忠実に仕えてきた。皇帝はジークリンデが今いるこの惑星に唯一聳えるハルツ山脈に広大な狩猟場と別荘を所有していたのである。

 この山脈について地図が碌に遺されていないのは保安上の理由からかもしれない。冷静沈着な兵士としての思考を進める一方で、ジークリンデの脳裏に去来してきたのは美しい姉弟のことだった。裏町にある自宅の隣に最下級の貴族である帝国騎士(ライヒスリッター)のミューゼル家が越してきたのはジークリンデが10歳の時だった。父と姉弟の3人家族だった。美しい姉弟に出逢ったことでジークリンデの運命は変わった。弟は初対面でいきなり自分の名前を「俗な名だ」と言って詩的な姓名で呼ぶことにすると宣い、皇帝フリードリヒⅣ世の後宮として連れ去られた姉を取り戻すために幼年学校に自分を誘い、自分にだけ反逆の精神を覗かせたのだ。

 ハージェクの話は続いていた。ハージェクとその近隣の人々は生涯、山の小村で暮らしてきた。この森や皇帝の別荘には常に手入れが必要だったからだ。ハージェクが家族の話を聞いてきた。ヴィンクラーは5人兄弟の末っ子で両親はすでに亡いという。ジークリンデは両親が健在で双子の弟がいると答える。弟の名前はジークフリート。男の子が生まれたら父が付けるはずだった名前。もちろん母の胎内で亡くなったことは言わない。

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