深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 トールヴァルトには何も見えなかった。静まり返った闇に独りでじっとしているのは訓練していなければ、かなりきついだろう。自分ほど優秀な兵士でなければ、この場から逃げ出したいという誘惑に勝てなかったかもしれない。

 苦々しさは拭いきれなかった。標的を仕留めそこねた。あと一歩だった。どうして失敗したのか今さら考え込んだりはしない。

 頭脳が複雑な問題に直面して刺激されていた。目まぐるしく回転させる。

 敵を1人始末したのは分かっていた。問題は敵があと何人残っているのか。ライフルの弾数に不安はなかった。敵が何人いようが問題にならない。そもそも敵は追ってくるのか。彼らは何者なのか。今のうちに逃げ出すべきか。

 最後の点については、すでに(ナイン)という答えが出ていた。

 暗視装置をどうするか。これは大いなる悩みの種になった。バッテリーが切れた今は重さ40キロの無用の長物となっていた。射撃戦では全ての要素が目まぐるしく展開する。すばやく動いてトリガーを引かねばならない。装置は取り外すべきだろうか。

 暗闇では敵は追ってこないだろう。夜が明けてから、こちらの姿が見えるようにならない限り、敵に勝算は無い。敵は来るだろうか。トールヴァルトは直感する。

 敵は必ず追ってくる。トールヴァルトは闇の中で笑みを浮かべた。

 

 ジークリンデは繰り返した。

「貴官が山の中に入って行くんです」

「ぼくは、えっと・・・」

「計画はこうです。教官はこちらが何人いるのか知りません。それに、こちらは暗視装置のバッテリーが切れていることを知ってます。教官はそれを知りません。そこで教官はこう考えるでしょう。もし敵が迫ってくるとしても夜が明けてからだと」

 カイルベルトは言葉が出て来なかった。

「そこで、2段階の作戦を考えました。まず貴官は山を登ってください。夜明けまであと1時間近くあります。その間に渓谷を避けながら、静かに登るんです。おそらく教官のライフルは射程距離が400メートルでしょう。こちらの短機関銃の射程距離を考えて、最低でも斜面を200メートルから250メートルは登らなくてはなりません。分かりますか?」

 カイルベルトはうなずいた。

「第2段階では、午前7時半きっかりに私が姿を見せます。何もない平らなところに」

 一瞬、カイルベルトは自分の心配を忘れた。

「中尉は死んだも同然ですよ。その場でイチコロです。一歩踏み出した途端、奴に穴を開けられます」

「それを利用します。貴官が教官を殺すのです。教官がトリガーを引いたら、貴官はその位置を確認できます。教官は貴官がすぐ傍にいることを知らないんですから。ここからがこの作戦のキーポイントです。貴官は待ちます。ひたすら待つんです。じっとしている限り、貴官は安全です。動いたらやられます。私もそうですが、ああいう手合いは耐え忍んで仕事を成し遂げます。教官は撃ってから最低でも半時間、もしかすると一時間はじっとしているでしょう。辛いでしょうが、ひたすら待ってください。その内に教官は立ち上がります。びっくりするほど近くにいるかもしれません。教官が現れたら、低めを狙って弾を撃ち込んでください。弾薬が詰まらないように5、6連発ずつ撃つようにしてください。教官が倒れてもそのまま撃ち続けてください」

 ジークリンデはカイルベルトの短機関銃を手に取る。

「これは撃ったことがありますね?ここにあるのは30発入りの弾倉です。フル・オートマチックにセットしておきましたが、薬室には1発も入っていません。横に付いたボルトを後ろに引くだけでロックされます。オープン・ボルトで発射します」

 ジークリンデは銃をカイルベルトに返した。

「教官が現れるのを待ってください。そこが一番肝心なところです。おそらく教官が撃つ銃弾は普通の銃弾とは違う音を立てるはずです。その後で待ってください。必要だったら1日中でも待ってください。分かりましたか?」

 カイルベルトは口をポカンと開けてジークリンデを見つめていた。

「貴官の出番です。チェックメイトが近づいてます」

《俺にあの山の中に入って行けって?》カイルベルトは恐怖の中で考えた。この壁からあの山までは限りなく遠くに思われた。

「忘れないでください。7時半に作戦開始です」

 ジークリンデはカイルベルトの肩を叩いて耳元に囁いた。

「さあ、行ってください!」

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