深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 周囲が次第に明るくなる。眼下のぼやけた灰色の世界から修道院が姿を現した。修道院は静まり返っていた。中庭に遺体が1つ。その他に人影は無かった。

 トールヴァルトはライフルから半分空になった弾倉を外した。弾倉入れに手を入れて弾薬が詰まった弾倉を取り出し、それをライフルにはめ込む。それから撃鉄を引いた。樹の間から斜面を見下ろす。周囲は明るさが増しつつあった。小鳥が囀り始める。冷たくて湿った森の匂いがした。

 夜が終わろうとしていた。

 敵がいるとしたらもうすぐやって来るだろう。

 トールヴァルトは冷静に待ち続けた。

 

 もうすぐ自分の出番だった。

 ジークリンデは修道院の壁の蔭にしゃがみ込み、せわしい息遣いでここに留まっているべき理由を新たに考え出そうとしていた。腕時計の秒針が容赦なく進み続けている。カイルベルトは無事に山の中に入っただろうか。だが、今はカイルベルトを心配している余裕はなかった。木立に到達するまでに100メートルほど敵の前を横切らなくてはならない。脚の速い男なら12秒で行きつけるだろう。だが、着地の際に痛めた脚で駆けることは不安だった。少なくとも15秒はかかる。

 身体が暑かった。上着を脱いでシャツの袖をめくる。それでもまだ暑かった。ブーツを確認する。紐は解けてはいない。帽子は脇に投げ捨てた。再び腕時計に眼をやる。時間がどんどん過ぎていくような気がした。時が腕時計から草の上にこぼれ落ちる。もうすぐ起きるであろうことを気楽に考えようとした。だが、代わりに胃の中身が喉の奥までこみあげてくる。呼吸するのが苦しかった。脚は冷たく強張っている。口は渇いていた。

 辺りに一瞥をくれる。気持ちのいい1日が始まろうとしていた。弱々しい太陽が山の端から顔をのぞかせる。空は晴れ渡っていた。白くてふわふわした雲が浮いていた。

 再び腕時計に眼をやる。あと数秒。しゃがみ込んで短機関銃を点検した。弾倉やボルトはロックされている。フル・オートマチック。安全装置は外してある。森ははるか彼方にあるように思えた。トールヴァルトのことを考えた。今は木立の中でライフルの照準器を覗き込んでいるはずだった。

腕時計が時間を告げた。ジークリンデは駆け出した。

 

 トールヴァルトは兵士が壁から飛び出すのを眺めていた。その姿は数分前から気づいていた。あの愚か者は外を覗いては頭を引っ込めるという動作を繰り返していた。

決心がつかなかったのか。景色に魅了されていたのか。

 どちらでも構わなかった。トールヴァルトはのんびりとその姿を追った。あまりにも簡単な獲物だった。照星をわずかに上に向け、進行方向にずらす。トリガーをしぼっていく。身長は標準ぐらいで痩せていた。こいつが過去数週間、自分を追っていた奴なのか。兵士はよろめきながら走っていた。脚が悪いのかもしれない。

 トリガーの遊びが無くなった。

 この兵士は生かしておくことにした。

 気に入らなかった。あまりに簡単すぎる。あの息を切らしている兵士なら、いつでも仕留めることが出来る。まだこれから400メートルも木立の中に広がる険しい斜面を登ってこなくてはならないのだ。その途中でいくらでも片付けられる。

 だが、あの兵士の姿を照星に捉えたまま撃つ機会を窺っているうちに、ある考えが頭に浮かんできた。この数時間、トールヴァルトには何も見えていなかった。その間に別の兵士が木立の中に移動していたら?それは向こうが暗視装置の欠点を把握しているという前提の基になり立つ推測だった。別の兵士がすでに木立にいると考えた方が良いだろう。

 もう1人の兵士は斜面のどこにいてもおかしくはなかった。短機関銃の射程内に潜んで、こちらが撃つ瞬間を待っているのだ。一度ライフルを発射すれば、こちらの位置は筒抜けになる。トールヴァルトは再び我慢した。細身の兵士が左側の斜面を懸命に登ってきていたが、これは後回しでも構わなかった。

 もう1人の兵士を見つけなくては。どこにいるだろう。実際にもう1人の兵士がいるとしたら、そいつと細身の兵士は互いの火線に入らないように打ち合わせをしているはずだった。細身の兵士が左側にいるということは、もう1人は右側にいるのではないか。細身の兵士が脅威になる程こちらに近づいてくるまでにあと4分か5分はある。

 トールヴァルトは右側の斜面を入念に探し始めた。

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