深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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《さあ、これからどうする?》カイルベルトは考えた。

 敵は立ち去ったに違いない。そうでなければ、間違いなく中尉は穴だらけになっていたはずだ。

 カイルベルトが今いるところからは、中尉が走る姿がよく見えていた。中尉が壁から飛び出すのを眼にしてすぐに振り返ったが、大して見る物は無かった。山の斜面をびっしりと覆う木。地面から露出した岩。生い茂った下生え。

《教官》は撃ってくる。中尉は自信たっぷりに言っていた。だが何も起こらなかった。カイルベルトは眼の前に広がる抽象画のような景色を見渡した。汗が腕を流れ落ちて行った。耳元で虫が音を立てて飛んでいた。森を見つめるのは、星を数えようとするのに似ていた。すぐに頭がおかしくなってしまう。模様が眼の前で囁き、輝き、ちらちらと揺れているように感じられた。物の輪郭がぼやける。小石が肌に食い込む。次第に落ち着かなくなる。

 動くべきか。このままじっとしているべきか。中尉は何も言わなかった。ひたすら待て。中尉からはそう指示されただけで銃声がしなかった場合はどうするかについては一言も無かった。たぶんこのままじっとしていた方が良いだろう。おそらく敵は逃げたのではないか。こんな場所でぐずぐずと留まっているわけがない。敵はバカじゃない。タフで抜け目がない兵士だ。

 どうすればいいのか。カイルベルトは途方に暮れた。

 

 ジークリンデは木立の奥深く、薄暗いところまで来ていた。幹の後ろにしゃがみ込んで少し休む。この辺りの斜面は緩やかだが、その先は急な登りになっている。足場は不安定そうだった。

 しゃがみ込んだまま、木立の向こうに眼を凝らす。視界は数メートル先で閉ざされている。絡まりあった枝と樹。斜面と突き出た岩しか見えなかった。

 カイルベルトがこのまま動かずにいてくれるといいのだが。作戦に変更はない。今でも肝心なのはジークリンデが囮となってトールヴァルトに撃たせることだった。

《バカなマネはしないでください、エーリヒ。さもないとやられてしまいます》

 ジークリンデは再び力をかき集めた。身体に力が残っているかどうか定かではなかった。斜面を登り始める。樹から樹、岩から岩に突進する。腰をかがめて歩き、滑り込み、必要以上に大きな音を立てた。

 

 カイルベルトは辺りを見回した。頭上のもつれた枝の間から光の筋が何本か差し込んできていた。教会の中で屋根の隙間から入り込んでくる光を眺めているような感じだった。相変わらず何も見えない。敵がオーディンのカフェに座っている姿が瞼に浮かんだ。

 それなのに、こっちはこんな山奥に座って汗をかいているのだ。

 敵が一瞬でも見えさえしたら!

 その時、自分はどうすればいいのか。誰かに教えてもらえさえすれば!

 カイルベルトは慎重にじりじりと斜面を登り始めた。

 

 もう1人の兵士は右側の斜面、約150メートル下にいた。森の木陰に半ば包まれながら、盛り上がった地面の後ろから立ち上がったところだった。トールヴァルトはその動きを見逃さなかった。

 トールヴァルトは淡々とライフルを持ち上げ、位置を変えて再び二脚架の上に載せる。自分の身体にすばやく引き寄せて照準器に眼を当てる。

 こちらの兵士はまだ子どものように見えた。この距離からでも、相手の顔が成熟していないのが見て取れる。若者は臆病なトカゲのように立ち上がった。キョロキョロと辺りを見回し、ひどく怯えながら、ためらいがちに動いていた。

 もうすぐ細身の兵士が左側の斜面を登ってくるはずだった。下生えをかき分ける音まで聞こえてきそうな気がした。兵士たちの位置が互いにこれほど離れていなければよかった。互いが近ければ、こちらは二脚架を全く動かさずに銃口を横になぎ払うだけで2人とも片付けることができた。

トールヴァルトは若者の胸に照星を合わせた。その時、若者がしゃがみ込んだ。

《くそっ!》

 左側で細身の兵士が射程内に入るまであと数秒しかなかった。

《ホラ、そこの若いの。立ち上がれ、このクソッたれめ!》

 銃口を細身の兵士に向けるべきか。

《さあ、若いの。立ち上がれ》

 若者が再び姿を現した。眼の上に両手をかざして間抜けなしかめっ面で懸命にこちらを探している。若者はすでに固定している照準器のど真ん中にいる。胸がぼやけた金属の楔の後ろに隠れていた。

 トールヴァルトは撃った。

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