深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 前方に地面から露出した大きな岩があった。ジークリンデは岩の手前で脚を止めた。危険な感じがする。岩陰からそっと上を窺う。何も見えなかった。自分に進めと命じる。そのまま進み続けろ。

 ジークリンデは岩に張り付いた。わずかな出っ張りに指をかけ、もう少しで乗り越えられるところまで身体を持ち上げた。右脚で踏ん張る。あと数センチよじ登ろうとする。

 全くなんてザマだ。こんな辺境の星で岩山に取りついている。おまけに怖い。

 右脚で稼いだ数センチはすぐに帳消しになった。ついに痛めた脚が限界に達した。そして背中に敵の銃弾が突き刺さった。金属片が神経に触れる。痛みが全身を貫いた。ジークリンデは倒れた。バランスを崩しながら、悲鳴を噛み殺す。何かにしがみつこうとしたが、手は宙を掴むだけだった。

 落ちながら身体をねじって肩から着地した。頭の中で閃光が飛び回る。一瞬、訳がわからなくなった。口の中に土の味がした。無我夢中で転がり、手探りで短機関銃を見つけようとする。唯一の武器は転落した拍子にどこか遠くに飛ばされていた。

 短機関銃が見つける。トールヴァルトの姿も眼に飛び込んできた。

 トールヴァルトは200メートルも上にいる。彫像のように落ち着き払っていた。

 ジークリンデは起き上がって短機関銃に取りついた。

 

 トールヴァルトはライフルのトリガーを引いた。向かい側の斜面で銃弾が敵の背中に命中した。敵が斜面を転げ落ちる。後は興味を失った。死んだのは確かだ。もはや関心の対象外だった。ライフルを置いて、背中から暗視装置を下ろすためにその場に座った。

 肩はズキズキしていた。装置の重量から解放された身体が震えていることに気づいて驚いた。さっき撃ってから数秒しか経っていないような気がしたが、数分が経過していたのは間違いなかった。

 危ないところだった。あの兵士は向かい側の斜面を駆け上がって撃ってきた。本当に際どいところを狙ってきた。頭の傍にある岩に当たった銃弾がほんの数ミリくらいしか外れていなかったのではないか。そう考えて身体に慄きが走った。トールヴァルトは額の傷口に手をやる。血は乾いて瘡蓋になっている。

 タバコが吸いたかった。だが今は持っていない。諦めるしかなかった。

 自分が今いる場所に意識を向ける。周囲はハルツ山脈が聳えていた。表面に長年の雪が降り積もっていた。はるか下に緑が生い茂る谷が広がっている。静寂の中でじっと眺める。山容がとりわけ厳めしく感じられた。トールヴァルトは立ち上がった。最後の任務は帰還することだった。ライフルを肩にかけようとして、不意に誰かに呼びかけられた。

「ヘル・トールヴァルト!」

 相手の姿はよく見えなかった。

 トールヴァルトは片手をかざして陽射しをさえぎった。左側の斜面を見る。数十分前に見逃した若い兵士の顔が見える。トールヴァルトは今まですっかり忘れていた。ライフルを身体の前に構え直して照準器に眼を当てる。トリガーに指をかけて引こうとした。一瞬、眼の端にプリズムが現れる。標的の姿がぼやける。

《クソッ!こんな時に・・・》

 刹那、トールヴァルトの身体が左側の斜面から放たれた銃弾で引き裂かれた。

 

 カイルベルトはゆっくりと敵に近づいた。トールヴァルトは仰向けに横たわっている。中尉の銃撃を受けて大きな傷跡が開いている。そこらじゅう血だらけだった。カイルベルトはしゃがみ込んで短機関銃の銃口を頭蓋骨に当て、5発連射で頭を吹き飛ばした。

 ジークリンデは疲れた足取りで遺体に近づいた。カイルベルトは血と肉片にまみれて立ち上がり、「おめでとうございます」と言った。

 ジークリンデは黙って前屈みになる。トールヴァルトの遺体を俯せにひっくり返し、ライフルを肩から外して負い紐を腕から引き抜く。背中のバッテリーと照準器に接続しているコードを切らないように注意した。ライフルから銃身を外して、太陽に向けて内部を覗いてみる。

「何か見えますか?」カイルベルトは尋ねる。

「すごく汚れてます。教官が使った特殊な銃弾のせいでしょう。撃つ度に、残留物が少しずつ残されていったんです。ライフリング(銃身内の溝)が詰まって内側がつるつるになってます」

「中尉はもう少しでやられるところでした」

 ジークリンデはうなづいた。

「銃身がこんな状態だから、弾はめちゃくちゃな方向に飛んでたのです。教官は連射したはずですが、私に当たったのは一発だけでした。その頃はもう使い物にならなくなってたんでしょう」

 だが、ジークリンデにはまだ気にかかっていることがあった。

「ひとつ分からないことがあります。教官は貴官を撃とうとしましたが、私には一瞬ためらったように見えました。普通なら、すぐにトリガーを引いてるはずですが・・・」

 カイルベルトはジークリンデに倣って困惑した表情を浮かべようとした。だが、自分にはどうでもよいことだった。その時、もっと大切な件が頭に浮かんだ。

「あの、中尉?」

「何です?」

「ぼくたちは皇帝の妃を救ったわけですよね?それなら、勲章がもらえますよね?両親が大喜びすると思うんですが」

 ジークリンデは微笑んだ。

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