闇夜。
ジークリンデは地面に寝そべっていた。二脚架に載せたアサルトライフルの後ろで伏射姿勢を取り、肩に銃床を当て掌でグリップを包み込む。まだ肩と腕に鈍い痛みを感じる。旧式の暗視装置は本当に重かった。それを背負って基地から約四キロ歩いてきたが、銃とバッテリーの重みでスリングが鎖骨に深く食い込んできた。今は狙撃の邪魔にならないように、重たい装置は背中から下していた。
空気は思いのほか冷たい。肌を刺してくるようだった。懸命に喘いでいる呼吸をコントロールしようとする。静穏は狙撃手の力強い味方になる。どんな状況下に置かれても、意志の力で自分を平常時の状態を持っていく。心と使命を一つにする。そのことを繰り返し教えてくれたのは、幼年学校にいた狙撃課程の教官だった。
400メートル先で、キチンと耕された畑が小川に向かって落ち込んでいた。河川敷には小さな木立があり、草がぼうぼうと生えていた。ちょうど自然の漏斗といった感じで、土地が窪んでいる。不慣れな土地で、おそらくは恐怖を感じながら、こんなところにいたくないと願っている者はまず間違いなくそこにひきつけられるはずだった。
「あそこの畑だ、中尉。見えるか?」
リーゲルが暗闇の中でジークリンデの横にしゃがみ込んだ。
「ええ」
「連中は5日のうち4日はあそこを通る」
リーゲルは口数が多かった。神経質になっているのだろう。
「もっと近づくことも出来るが」
「距離は400メートルぐらいでしょう。ちょうどいい」
「照明弾は?」
「軍曹、照明弾は要りません」
「援護射撃が必要なら、右側に機関銃チームを配置してある。分隊長は信頼できる男だ。俺は残りの隊員と一緒に左側にいる」
リーゲルの顔はジークリンデと同じように、油性の戦闘ペイントで塗りたくられていた。星明りの下で、眼だけが白く輝いていた。
「連中はいつも11時ごろやって来る。あと数時間だ。ここがコッチの戦線の弱点だと連中は考えているんだな。こっちがわざと通過させてやっているとも知らずに」
「明日からは敵も近づこうとはしないでしょう」ジークリンデは笑った。「新兵たちにはじっとしているように伝えてください。撃ってはダメです。これは私の作戦ですから。分かりましたか?」
「分かってるよ」
リーゲルは姿勢を低くしたまま、その場から去って行った。
この方が良い。ジークリンデは出来ることなら、こういう時に独りで過ごしたかった。自分だけの時間だ。頭をすっきりさせ、筋肉をほぐす。標的に狙いを定めたライフルとの一体感を高めていく時間。
ジークリンデはじっと横たわっていた。時おり風が感じられる。ライフルのトリガーに手をかけたまま、眼の前に広がる闇をじっと見つめる。ジークリンデは森の音に耳を澄ませた。針葉樹の間を吹き抜け、カサカサと葉を揺らしていく風のざわめき。
二脚架に載せたアサルトライフルを前後左右に動かす。自分の動作にすばやく反応するかどうか確認した。暗視装置の照準器にかかっている覆いを取り外す。バッテリーのスイッチを入れる。ジークリンデはゆっくりとボルトを押した。ボルトはギクシャクと銃身の中を滑る。かすかに抵抗を指先に感じる。カチッと音がしたところで手を停める。射撃の切り換えスイッチを確認する。セミ・オートマチック。ジークリンデは安全装置を外した。
気分が良かった。いつまでも標的を待てそうな気がする。いつもこんな風に任務に就けたことはなかった。樅の枝の間から、夜空に冷たく輝く星を眺める。突然、闇の中から何かが襲いかかってくるような感じがする。視界が一瞬ぼやける。
雨に濡れた身体が冷え切っていた。凍てつくように寒い。首都オーディンの記憶が脳裏によみがえって来る。絶望の時だ。