深紅の狙撃手《クリムゾン・スナイパー》   作:伊藤 薫

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 2か月前―。

 その日の夜、帝都オーディンの市街地は雨が降っていた。

 ジークリンデはリンベルク・シュトラーゼの下宿に帰る途中だった。雑踏に身をまぎらせながら辺りに注意を払った。最近、ジークリンデは誰かに監視されていると感じていた。街。軍務省。新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)。いたる所でジークリンデは監視者の圧力を感じた。

 脳裏には幼馴染の忠告が点滅していた。その幼馴染はグリンメルスハウゼン子爵が開いた大将昇進の私的な祝賀会に出席した際、リューネブルクと決闘になりかけたが、その場は会場の警備を担当する憲兵隊の大佐に収められたという。幼馴染とリューネブルクはヴァンフリート4=2の地上戦以来、浅からぬ因縁があった。幼馴染は言った。

「ここまで来ると、リューネブルクの奴が何をするかわからん。よもや刺客が仕向けて来くるとも思えんが。身辺に注意しろよ」

 ジークリンデは庭園に足を踏み入れた。下宿への近道だった。庭園内の池にかかる小さな橋を渡る際に、ジークリンデは探していたものを見つけた。見覚えのある男がいた。小脇に箱を抱えている。男は橋の上、数メートル先を歩いている。以前にどこで見かけた顔だったか思い出そうとし、素人じみた監視ぶりが気になった。

 次の瞬間、男がさっと振り向いた。包装紙と箱が橋の張板に落ちる。カチンという大きな音が響き、刃が閃いた。男がジークリンデの方に足を踏み出した。

 ジークリンデは咄嗟に身体を捻った。次の瞬間、ナイフがわずかに頬を掠めた。ジークリンデの素早い動きに、男は一瞬バランスを崩した。ジークリンデはすさかず男の脾腹に左の拳を叩き込む。続けて右の拳で顎を下から打ち抜いた。男は呻きを漏らしてよろめいたが、ナイフはまだ握っていた。ジークリンデはナイフを奪おうとした。男はさっと逆手にナイフを持ち替えた。再び刃がきらめいた。今度は鋭いナイフが肘のすぐ上を捕らえ、軍服とその下のワイシャツを切り裂いて血を滴らせた。

 男が前進する。ジークリンデは軍服のタイトスカートの裾を引き裂き、後退した。降り続いている雨の音が全てを呑み込む。足元は滑りやすかった。ジークリンデは自分の感覚が麻痺しつつあることを感じていた。

「なぜ、私を襲うの?」

「恨むなら、金髪の孺子(こぞう)を恨め」

「どうして?」

「ペーネミュンデ夫人のためだ」

「男爵夫人か?」

「そうだ」

 男が動き出した。その時を待ち構えていたジークリンデはナイフを払いのけようと、拳を突き出す。男が首を横に傾げ、拳をかわした。空振りしたジークリンデは勢いよく、橋の欄干に飛びついた。その直後、ジークリンデは身体に強い衝撃を感じた。脇腹にナイフが食い込んでいる。

 ナイフが引き抜かれる。喘ぎが漏れる。男がジークリンデの身体を引き寄せる。一瞬にらみ合った後、ジークリンデは渾身の力を振り絞って男の額に頭突きを食らわせた。

 凄まじい音が響き、ジークリンデは後ろへよろめいた。頭から血を流しながら、男は橋の欄干に寄り掛かった。ジークリンデはすかさず男の上腕を欄干に叩きつける。

男がナイフを手離した。ジークリンデはそのナイフを掴んだ。身体が自動的に動いたような感覚だった。ジークリンデはナイフを男の胸に叩き込んだ。

 男は悲鳴を上げる。ジークリンデの軍服の襟を掴む。身体が引きずり回された。軍服が腰まで裂ける。ジークリンデはまたナイフを突き立てようとしたが、男はがっくりと項垂れて身体がのしかかる。ジークリンデは男の身体を払いのけた。雨に濡れた張板の上で脚が滑ったのか、男がその場に転倒して動かなくなった。

 ジークリンデはいきなり脚に力が入らなくなるのを感じ、橋の上で凍り付いた。ジークリンデは自分の身体を見下ろした。シャツが血でびっしょりと濡れていた。生まれて初めて感じる寒さだった。

 ジークリンデは搬送先の病院で憲兵隊に身柄を拘束された。容疑は殺人だった。幼年学校時代の学友たちが尽力して有能な弁護人をつけてくれたが、軍事法廷の判決を覆すことはついに出来なかった。大尉だった階級も中尉に降格された上、この星に送られた。

「中尉」

 暗夜。誰かが無線で耳元に囁いた。ジークリンデは回想から引き戻された。

「分かってます」

 照準器のスイッチを入れ、アイピースを覗き込む。暗視映像が眼の前に表れた。最初の1人が現れる。人間の形をした光の塊が緑色の暗闇を背景にユラユラと揺れている。さらにまた1人がその背後から現れた。続いて、また1人。

 ジークリンデは照準器の十字線を先頭の塊に合わせる。息を止めて狙いを定める。そして息を吐き、ライフルのトリガーを滑らかに引いた。

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