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ラドミル・ハージェクは森の中を走っていた。
木々が立てるちょっとした物音にもびくつき、油断なく眼を光らせてしまう。敵に見つからないように、夜に移動した。朝は小さな洞穴や茂み、巨岩のそばで眠りに落ちた。飢えに突き動かされ、木の根や果実を食べた。静寂の中、本能だけを頼りにあてもなくさまよい歩いた。周りは山で囲まれていた。山を避けて木が鬱蒼と茂るふもとを通った。逃げ出してから何日も経っていた。
体力の消耗は激しかった。我慢して食べている木の根や果実だけでは、十分な栄養など望めない。最後は森が勝利を収めることは分かっていた。動けなくなるくらい衰弱したら、死ぬしかない。衰弱して気を失い、名も無い小川のそばで息絶えるのだ。
服はボロボロになっていた。ブーツは分解しかけていた。ズボンはほつれ、生地が脂と汚れで光っていた。逃げている最中に背負っていた背嚢はどこかに捨てた。行動は生きている証だった。それが今までこの山で生活してきた教訓だった。とにかく動き続けろ。
ある晩、雨が降った。すさまじい暴風雨だった。ハージェクは縮こまり、動くことができなかった。木々の向こうの地平線に稲妻が突き刺さり、雷が轟音を立てた。
それから2日、空気には硫黄にも似たツンとした臭いが漂っていた。一度、森の中で開けた場所に出た。それは溢れるばかりの光に包まれていた。ハージェクは怖じ気づいた。じめじめした森のさらに奥深くに向かった。
ハージェクは何度か道路を渡った。気が付かないうちに、宿屋か民家の敷地に迷い込んでいたこともあった。だが、管理人や兵士に会うかもしれないと考えただけで恐ろしくなった。ハージェクは再び森の奥深くに逃げ込んだ。
体力が急速に衰えつつあった。果実と木の実とコケを口にしただけで長いこと頑張ってきたが、この二日くらいでだいぶ身体が弱くなったような気がしていた。
ある朝、眠りから目覚めた。ハージェクはついに終わりが来たことを悟った。身体に力が入らなかった。周囲は風に吹かれてカサカサと音を立てる古木ばかりで、食べられる物は何も無かった。白くてささくれだった無数の枝が手のように絡まりあっていた。
地面は冷たい薄皮のような落ち葉で覆われていた。ハージェクは土の上で仰向けに横たわったまま、木の枝を見上げる。円蓋の隙間から青い空がのぞいている。土の中で死ぬことさえ出来ない。
何かの気配を感じる。ついに捕まったか。どれくらい逃げていただろう。
ハージェクは最期の祈りを唱えようとしたが、何ひとつも思い出せなかった。もう何年も祈りなど口にしていなかった。
幻覚が始まった。不意に男が眼の前に現れた。遠目からでも、その顔は疲れているように見えた。男の部下たちが捕虜たちに穴を掘るよう怒鳴っている。捕虜たちがようやく穴を掘り終えると、その穴の前に捕虜を並べて撃ち殺した。遺体は穴の中に消えた。その間じゅう、男は退屈そうに処刑を眺めながらタバコを吸っていた。像がはっきりとしない。男は肩に何かライフルのような物を吊るしていた。男たちの軍服には髑髏の徽章があった。
ハージェクは今までの人生を回想しようとしたが、もはやその気力も残っていなかった。愛する人たちを思い出そうとする。いや、どうせ皆あの穴の中で死んでしまっている。自分が死んで悔やまれるのは彼らの記憶がどこにも存在しなくなることだ。
兵士たちが陰の中から現れた。帝国軍だ。だが髑髏の徽章はない。
空が見えなくなった。
ライフルを手にした男が視界をさえぎった。ハージェクは銃弾を撃ち込まれるのを待ち構えた。男が「動くんじゃない」と言った。
ほかの人影がぞろぞろと集まってきた。
「情けない野郎だな」誰かが言った。
「中尉、エーリヒがしょぼくれた爺さんを捕まえましたよ」
別の人影が言った。
「無駄飯食いが、また1人増えたってわけか」