私には姉と義兄(あに)がいる。
兄は幼少の頃山で暮らしていたためか少し変わっている。
当たり前の常識や知識を知らない。
「しのぶ、これはなんて読むんだ?」
「胡蝶(こちょう)と読むのですよ兄さん。私たちの苗字です」
「苗字って何だ?」
「家族の証の様なものですよ」
「家族の証か・・・いいなぁ。書き方も教えてくれ」
「はいはい」
言葉はそれなりに堪能だが字の読み書きが出来ないため、わからない字があると姉と私によく聞いてきた。
「雑草なんて集めてどうするんだしのぶ?」
「雑草じゃなくて薬草。これで怪我や病気を治すんです。兄さんの病気もこれで治ったんですよ」
「こんなちっぽけなものなのにすごいなぁ。山で散々見かけたけど知らなかったよ」
兄に薬学や治療の知識を教えるも姉と私の役目だった。
知らないことを教えるたびに兄は大げさに驚いていた。
兄さんわからないことがあるとなぜか姉より私に聞いてくることが多かった。
「しのぶ、べっぴんさんって何だ?」
「綺麗な女の人のことですけど・・・兄さんその言葉誰から聞いたの?」
「父さんがすれ違った女の人をみて呟いてたんだ。べっぴんさんだって。べっぴんさんていう名前の人かと思ったよ」
「父さん・・・」
思わず頭を抱える。
兄さんはたまに誰かから聞いた変な言葉を私に聞いてくる。
「じゃあ、しのぶはべっぴんさんだな」
「ちょっと兄さん何言ってるの!?」
「朱翼、朱翼、お姉ちゃんは?」
「姉さんもべっぴんさんだ。ところで姉さん何でしのぶは顔を赤くしているんだ?」
「しのぶは朱翼にべっぴんさんっつて言われ照れてるのよ」
「そうなのか。本当の事なのに」
「姉さん!」
時々変な事を聞いたり、言う兄だがいつも私に何か物を聞いた後には必ず、
「ありがとうしのぶ。しのぶは物知りだなぁ」
と言って兄さんが私の頭を撫でる。
「そうそう、しのぶはお利口さんなのよ」
姉さんも一緒に私の頭を撫でる。
きっと兄は父の真似をして私が喜ぶと思ってやっているのだろう。
兄に頭を撫でられるのは嫌いじゃなかった。
父と母の手より一回り小さい二人の手で頭を撫でられるのは少し恥ずかしいが心地よかった。
「しのぶ、しのぶ!この衣のついた物はなんだ?すごく美味いぞ!」
「天ぷらですよ兄さん。そんなに急いで食べなくても誰も取りませんよ」
「おいしそうに食べてくれて母さんうれしいわぁ」
「そんなに気に入ったの?ならお姉ちゃんの分も食べていいわよ」
「本当か、ありがとう姉さん!けど姉さんに悪いから一個でいいよ」
「えらいぞ朱翼!いい子の朱翼には父さんの天ぷらも一個あげよう」
「父さんもありがとう!」
兄と血の繋がりはなかったけれど本当の家族の様に思っていた。
手の焼ける優しい私の兄。
いつまでも5人で一緒に暮らせると思っていた。
そう思っていた。
「あまり遠くまで売りにいかなくていいからね朱翼。張り切ってくれるのはうれしいけど夜道は危ないんだから」
「大丈夫だよ母さん。俺は夜目が効くんだ」
「早く帰ってこないと父さんが朱翼の晩御飯も食べちまうかもな?」
「それは困るな。暗くなる前に帰るよ。それじゃあ行ってくるよ姉さん、しのぶ」
「いってらっしゃい朱翼」「気を付けてね兄さん」
薬を売りに出かける兄を家族で見送る。
兄は内で診断や治療の手伝いをするより、外に出て薬を売る方が性にあっているらしくいつも遠くの方まで薬を売りに行く。
暗くなる頃に家に帰る事も少なくなかった。
そのたび少し申し訳な様子で玄関の扉を叩き、母に家の中に入れてもらう。
その日も辺りが暗くなった頃、玄関の扉を叩く音がして母が玄関に向かった。
いつもより扉を叩く音が乱暴だったが兄が帰ってきたと思っていた。
「キャアアアッ!」
「母さん!?」
母の悲鳴が聞こえ玄関の方に向かう。
そこには見知らぬ男が目を血走らせて、母の首を噛みついている。
首から血だまりが出来ている。
「うぅ・・・逃げてカナエ、しのぶ・・・・」
「うまい、うまいなぁぁぁ!久しぶりの飯だぁああ・・・うん?」
飯、飯といったのか母を。
目の前の男は母を食べているというのか。
「此処にもうまそうなこどもがいるなぁあああ」
焦点の合わない目がこちらに向いた。
「逃げろ!カナエ、しのぶ!」
悲鳴を聞き駆け付けた父が男を床に抑える。
「お父さんは大丈夫だから、早く此処から離れろ!」
「邪魔臭いなぁあああ」
父の言葉に姉が我に返り、私の手を引いてその場から離れる。
背後で母と父の悲鳴が聞こえる。
悲鳴が段々と大きくなり、やがて聞こえなくなった。
代わりに背後からギィギィと床の軋音が近づいてきた。
縁側までたどり着き、外に出られるすんでのところで私は恐怖で足が縺れ転んでしまった。
「しのぶ!・・・・ヒッ」
「追いついたぜぇええ」
私たちの後ろには母と父を殺した男がニタニタと笑っていた。
両手に何か持っている。
「安心しろよぉおお。すぐ母ちゃんと父ちゃんに会えるぜぇええ」
それは苦痛に満ちた表情の母と父の首だった。
姉が膝をついた。
恐怖と絶望が私たちを満たす。
「あぁぁ・・・あ、あ」
「俺の腹の中でなぁああ」
叫び声をあげることも、立ち上がることもできない。
男が地に濡れた口を大きく開き、ゆっくりと近づいてくる。
怖い。怖い、怖いよ。
誰か。誰か。誰か、助けて・・・お父さん、お母さん・・・兄さん。
私は恐怖で目をつぶった。
「いただきまぁあ・・・アグァ!?」
突然空気が破裂するような破裂音がした。
それは男の首の肉片がはじけ飛ぶ音だった。
男が縁側の仕切りを突き破って庭に転がっていた。
驚いて目を開くと、兄が目の前に立っている。
兄の手からは血が滴っている。
兄が男の首を殴りつけたようだ。
「二人はここで待っててくれ」
兄はいつもと様子が違った。
陽の光のような朱い目は、地獄の炎の様に燃え滾っている。
素朴な声は、感情が抜け切ったように冷たく響いている。
「絶対に許さない・・・必ず殺す。地獄の底に落としてやる」
「殺すぅううう?お前じゃ無理だぁああ」
男が首をさすりながら立ち上がる。
はじけ飛んだはずの首の一部は何事もなかったかのように元に戻っている。
やはり男は人間ではなかった。
「ほぉら、もう元通りぃいい。地獄に行くのは俺じゃなくお前の方だぁああ」
「兄さん!」
男の拳が兄の頭めげけて振り下ろされる。
兄の頭がはじけ飛ぶ光景が脳裏に浮かんだ。
「そうか・・・それは都合がいい」
「は?」
さっきよりも大きな破裂音が鳴り響いた。
兄が拳の風圧で男の腕を根本から抉り取った音だった。
「ギヤァアアアア」
男の悲痛な叫びが辺りに響く。
兄はもう一度拳を空に振り、風圧で男のもう片方の腕を抉りとり、距離を詰め男の顔面を地面に押し付け引きずった。
私たちから距離が離れたことを確認すると男の上に馬乗りの姿勢になり低い声で呟く。
「死に切らないというのなら何度も殺してやる・・・地獄に落ちないのなら俺がお前の地獄になってやる」
「おい、お前やめぇ・・・」
「永遠に死に続けろ」
兄は男の至近距離で風圧を放ち、首をねじ切った。。
首をねじ切り、その間で腕が再生したなら拳を振り下ろしはじけ飛ばした。
再び頭が再生しても、何度も頭をねじ切った。
何度も。何度も。何度も。
拳の肉が裂け、骨がむき出しになり、体が鮮血に染まっても兄は構わず拳を振り続けた。
砂煙と共に兄の鮮血が辺りに舞う。
「痛ィ、痛ィ、痛ィィ!」「腹が、腹が減ってたんだよぉおお!」「許してぇ、許してくれェエ!!」
男が許しを請うても兄は無視して拳を振り続けた。
何度も。何度も。何度も。
兄が拳を振るごとに、悲鳴が響き、庭の地面ごと男の体が抉られる。
私と姉は互いに抱きしめ合い、その地獄の様な光景を見ているしかなかった。
兄の拳は日が登り、男が塵になるまで止まることはなかった。
「もういい、やめろ。それはもう直に死ぬ」
「あぁ?」
何者かに腕をつかまれ後ろを向く。
俺の後ろには数珠をもった大男が立っていた。
大男が来ている羽織には南無阿弥陀仏と書かれれている。
「ギャァァァ」
いつの間に朝日が昇り辺りが明るくなっていた。
日の光を浴びて殴っていた男が塵になって消えた。
「君が殴っていたものは人ではない、鬼だ。鬼は日の光と日輪刀でしか殺せない」
「鬼・・・」
父さんと母さんを殺したのは鬼。鬼か・・・
「私の名は悲鳴嶼行冥。鬼を殺し人を守る鬼殺隊に所属している。私には鬼を殺し、君たちを守る義務があった」
数珠の他にも斧と鉄球を鎖でつなげがった物を持っていた。
どう見ても刀には見えないがあれが日輪刀だろうか。
「私がもう少し早く来ていれば君の両親は死なずに済んだかもしれない。間に合わなくて申し訳ない・・・!」
悲鳴嶋さんは深く頭を下げた。
手に持った数珠にひびが入るほど拳を強く握りしめている。
母さんと父さんが殺されたことに対し、心を痛め、憤りを感じていてくれているようだ。
「姉さんとしのぶは?」
「後ろにいる子供なら無事だ。目立った怪我もない。救援は既に呼んである」
よかった。母さんと父さんは守れなかったけど、二人は何とか守れたみたいだ。
「悲鳴嶋さん、鬼はこいつの他にもいるのか」
「今も闇に身を潜み、どこかで人を食らっている。元凶を潰さぬ限り鬼は際限なく増え続けるだろう」
「さっきの鬼よりも強い鬼もいるのか」
「十二鬼月という強力な鬼共がいる。それに比べたら先の鬼は塵芥も同然だろう」
いつ鬼がまた襲ってくるかわからない。
次はもっと強力な鬼が二人を襲いに来るかもしれない。
次は二人とも殺されるかもしれない。
嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。耐えられない。
二人がこちらの話を聞いていないのを確認してから俺は言った。
「悲鳴嶋さん、俺を鬼殺隊に入れてくれないか?」
二度と二人の前に鬼なんて来させないために鬼を殺す。
そのためには鬼殺隊に入るのが一番だろう。
「姉と妹はどうするつもりだ?」
「近くの町に親戚が暮らしている。そこを頼りにすれば生きるのには困らないだろう」
「鬼は狡猾で強力だ。手足を切り落としても新たに生えてくる。鬼殺隊に入る、鬼と戦い続けるということは平穏を捨て、炎に身を投げるのも同然の事だ・・・」
「姉さんとしのぶを守れるのなら望むところだ。二人を平穏な生活を守れるのなら、笑顔を守れるのなら、幸せを守れるのなら。地獄の炎にこの身を燃やしても構わない」
「・・・鬼殺隊に入れるかはわからないが伝手がある。素質があれば入れるやもしれぬ」
「ありがとうございます。・・・今から二人に別れを伝えてきます。少し待っていてください」
「もう少し落ち着てからの方がよいのではないか?今の二人には君が必要だろう」
そうかもしれない。
けど今じゃなきゃダメだ。
鬼殺隊の存在を二人が知らない今じゃないとだめだ。
今は恐怖で打ちのめされているが、いずれ立ち直るだろう。
鬼殺隊の存在を知れば入隊を考えるかもしれない。
姉さんは優しい性格だ。自分達のような思いの人達を増やさないために刀を取るかもしれない。
しのぶは強い性格だ。母さんと父さんの仇を取るために刀を取るかもしれない。
何より俺が鬼殺隊に入るなら、二人も間違いなく鬼殺隊に入るだろう。
二人を巻き込むわけにはいかない。
「今二人から別れないときっとふたりを巻き込んでしまう」
「・・・わかった。先に行って待っている」
悲鳴嶋さんは玄関の方に歩いて行った。
俺は二人の方に向かう。
二人とも目が虚ろだ。
「ごめんな姉さん、しのぶ。母さんと父さん助けられなくてごめん。怖い思いさせてごめんなぁ」
「・・・兄さん?」
「親戚の叔父さんを頼れば面倒をみてくれるだろう。人のいい人だから心配ないさ。そこで叔父さんの仕事の手伝いをしてもいいし、医者の仕事を継ぐのもいいかもしれない」
「いつかは好きな人でも出来るだろう。もしかしたら誰か告白しに来るかもしれないなぁ。二人ともべっぴんさんだし」
「母さんと父さんは死んでしまったけど、幸せな日々も平穏な日常も必ず取り戻せるさ」
「朱翼も一緒だよね・・・?」
姉さんが俺にすがるように俺を見つめた。
しのぶは無言で俺の袖を掴んだ。
「俺がんばるからさ。二人を傷つける奴は全部俺がやっつけるからさ」
「だから、ここでお別れだ」
しのぶの手をそっと袖から離す。
最後に頭を撫でようかと思ったが、血だらけの手を見てやめた。
二人から背を背け、走り出した。
「待って、待ってよ朱翼!どこに行くの!?」
いつもおっとりとした姉さんが必死に叫ぶ。
けど、足を止めるわけにはいかない。
「・・・置いていかないでよ兄さん!。一緒に居ようよ!」
いつも勝ち気なしのぶが弱弱しく叫ぶ。
けど、振り返るわけにはいかない。
姉さんとしのぶのところに戻りたい衝動を抑えるために、かつて母と約束したことを思い出し奮い立たせる。
『朱翼、母さんと父さんに何かあったらカナエとしのぶを守ってあげてね』
『何言ってるんだよ母さん!俺が母さんも父さんも守るよ』
『ありがとう朱翼。けど親は子を守るものだから、母さんと父さんの事はいいの』
こういう時の母は頑なで、有無を言わせぬものがあった。
『・・・わかったよ。母さんと父さんに万が一何かあったら俺が二人を守るよ。けど万が一だからな!俺は母さんも父さんも守るつもりだからな!』
『うふふ、ありがとう。じゃあ約束よ、朱翼』
母さんが小指をだした。
『約束するときは、お互いの小指と小指からめてゆびきり、げんまんって一緒に言うのよ』
『こうか?母さん』
母の小指と俺の小指を絡める。
『そうそう、じゃあ一緒に言うわよせーの』
『『ゆびきり、げんまん』』
母はすこし申し訳なさそうに笑った。
なぜかその表情は昔どこかで見たことがあるような気がした。
『ごめんね■■、お母さんの代わりに■■■をまもってあげてね』
玄関の近くにいた悲鳴嶋さんに声を掛ける。
「お待たせしました。行きましょう悲鳴嶋さん」
「・・・あぁ」
どんどん二人の声が離れていく。
家族と暮らした家が小さくなっていく。
もう、二人の笑顔を近くで見ることは出来ない。
二人の笑顔を見ると心がほわほわして好きだった。
もう、父さんに頭を撫でられない。
少し乱暴に撫でられるのが心地良くて好きだった。
もう、母さんの作った天ぷらを食べられない。
山から降りてきてから沢山のおいしいものを食べてきたが、母さんの作った天ぷらが一番好きだった。
失ったものは二度と元には戻らない。
ならせめて母との約束だけは、二人の平穏な生活だけはせめて守り通そう。
何があっても。
胡蝶朱翼
母との約束を守るために家を出る。
姉と妹には平穏に暮らしてほしい。
カナエ、しのぶ
何の説明もなく朱翼に置いて行かれる。
鬼についても、鬼殺隊の事も何も知らない。
悲鳴嶼行冥
少し朱翼を過去の自分の姿と重ね合わせてみている。