東方明暮記   作:雨森虚

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食えないモノ【森近霖之助・西行寺幽々子・魂魄妖夢】

 結論から言えば、僕、森近霖之助は白玉楼に招待された。いや、招待されてしまったと言った方が正確か。

 

 いきなり、妖夢に最近の食生活事情を尋ねられてうっかり漏らしてしまったのが事の発端だ。

 

 最後にまともな食事をしたのはいつだったか記憶にない、と。

 

 だが勘違いしないでほしいのは、別にお金に困っていて食料がないわけじゃあないということだ。単純に、僕は半人半妖であるが故に適度な食事を必要としないからである。だから、妖夢が気にする必要など一切ない。

 

 そう付け加えて説明したのだが、妖夢は尚も「でも、あまり妖怪の側面に頼りすぎるのはよくないんじゃないですか?」とか、「もう少し外に出て社交性を……」などと、まるで閻魔様かのような小言を矢継ぎ早に言った。

 

「食べる時間どころか寝る間も惜しんででも、僕は本を読みたい。そして多くの知識を蓄積して、自己を研鑽しようとする。それは君も似たようなものではないかい?」

 

「わ、私は別に、剣術の鍛錬しかしてないってわけじゃ……」

 

 これ以上小言を言われるのは面倒だと思って適当を言った。が、どうやら妖夢には思い当たる節があったらしい。段々と語調が弱くなり、遂には口を閉ざしてして考え込んでしまった。

 

 やっと集中して本が読めると思った。が、つかの間の静寂だった。妖夢は俯いた顔を再び上げ、瞳には決意の色を宿していた。

 

「……わかりました。では、私が他にも技術があるところを証明すれば、霖之助さんも人並みの生活を送ってくれますね?」

 

「待ってくれ、どうしてそうなる。何の理由にもなってないじゃないか」

 

「そうだ、ちょうどいいじゃないですか! 私があなたのために料理を作ります。待ってて下さい、絶対に美味しいと言わせてみせますから!」

 

「人の話を聞いてくれないか。ここには食材は何一つ残ってない。まさか君にお使いをさせるわけにもいかないだろう?」

 

「私は構いません!」

 

「僕が気にするんだ。不必要な出費は少しでも避けたい」

 

「そうですか。なるほどなるほど。では……白玉楼に来て下さい! 昨日買い出しに行ったばかりですから!」

 

「だからなんでそうなるんだい? 今日は外には一歩も出ないと決めてい」

 

「さっそく準備してきますね! 御免!」

 

 引き止める間もなく、妖夢は香霖堂を飛び出していった。慌てて追いかけたが、妖夢の姿は魔法の森に消えていた。

 

 いくらなんでも急すぎやしないだろうか。おまけに、よりによって刀を忘れていくとは。刀は武士の命というのは嘘なのか?

 

 仮に、わざと刀を置いていったとすればどうだろう。それこそ半人前だなんてとんでもない。相当な策士だろう。

 

 ……このまま人里で売っ払ってしまおうか。

 

 

 天を仰ぐ。頭上には古びて老朽化した香霖堂の屋根があるのみ。僕を救う神など降臨しない。

 

 こういう日に限って、冷やかしの奴らも店に押し入って来ない。白玉楼へ赴かない口実を作れたというに。

 

 今僕が現在進行系で抱いている恨みは、そこらの怨霊にも負けない自信があった。

 

 まあ、百歩……いや千歩譲って白玉楼に赴くのはいい。最も憂鬱なのは、白玉楼の主であるピンク髪の亡霊姫との会合である。

 

 あまり会話をしたことはないのだが、掴みどころのない雰囲気を醸し出していて、とどのつまり苦手なのである。それに聞くところによると、あの八雲紫の友人だというではないか。

 

 全くもって、僕が関わりたくない人物に認定するのに十分すぎる相手であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久方ぶりの外出先が白玉楼になってしまった事実を嘆きながら、長い長い階段をやっとこさ登り終えた。

 

 息も絶え絶えになり、その場に座り込む。こんな時は、どうしても速く、自由に空を飛べる天狗を羨ましく思ってしまう。まあ、人間でも空を飛べてしまう輩は身近に少なからずいるのだが。

 

 風が頬を撫でる。幻想郷で一番な満開の桜が僕への労いとして用意された物であるとするなら、まだ報われた気がした。

 

「あらー、あなた本当に来たのね?」

 

 声のした方角を見やると、桜の花びらが舞い散る中を女性がゆっくりと歩いてきていた。挙動はゆったりとしていてかつ、姿勢を一切崩さずにいて、良いところの育ちだというのがひと目でわかる。西行寺幽々子その人であった。

 

「……来るつもりなんてなかったんだが、君の従者が余りにもあわてんぼうなみたいだからね」

 

「何度花見に誘っても、絶対に来なかった霖之助さんが……わざわざ忘れ物を届けに、ねえ?」

 

「それに関しては申し訳ないと思ってるよ」

 

「本当かしらー? まあ、もう気にしていないわ。あなたが現在ここにいるという事実こそが、重要だもの」

 

「そうかい。で、恐らくだが君は僕を案内しに来てくれたんだろう?」

 

「ええ、ぜひゆっくりしていきなさいな」

 

 彼女は終始柔和な笑みを浮かべていた。僕には全く彼女の感情を読み取ることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖夢の刀を幽々子に渡すと、そのまま彼女に連れられるがままに屋敷の客間へと通された。空いた襖の奥には丁寧に手入れされた庭園が目に入る。白玉楼は桜が綺麗だとは聞いていたが、この庭園もまた違った質素な趣が感じられ、こちらも噂されるに足るものではないかと率直に思った。

 

 ここの庭園の砂紋は……曲線紋というものに該当するんだったか。 

 

 微かな記憶を頼りに、情報を次々と引っ張り出していく。

 

 中世からある枯山水庭園。石をメインとしながらその地特有の立地を活かした庭園造りがなされてあり、『侘び寂び』を感じさせるものとなっている。

 

 中でも有名なのは慈照寺の向月台と銀沙灘だろう。足利義政が創立した慈照寺だが、今残っているのは銀閣と東求堂のみで、庭園自体も現在の形になったのは江戸時代と言われている。

 

 個人的意見としては、戦国期の荒廃した慈照寺もそれはそれで見てみたいと思うこともあるが……。

 

「はい、どうぞ」

 

 コトと、何かが置かれる音が耳に入り、思考が中断させられる。

 

 いつの間にか机の上には蝶が描かれたディナープレートに、綺麗に切り分けられたバウムクーヘンが置かれていた。

 

「ん? なんだい、これは」

 

「なにってバウムクーヘンに決まってるじゃないー」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

「妖夢が作ってる料理はまだ時間がかかっちゃうそうだから先にこちらをどうぞってこと」

 

 不自然であった。時間がかかるような本格的料理を出す前のお菓子に、わざわざ腹が膨れやすいバウムクーヘンなんて選ぶだろうか。

 

 しかし、人とは単純なもので、それまで全く食欲がなくても、いざ目の前に並べられると食べたくなってしまうものだという。今だけは半端者な僕にもその感覚が分かる気がした。

 

「ふむ……。わかった。そう言うことなら、先にいただいておくとしよう」

 

「ええ、そうしなさいな」

 

 改めて見てみると、少々形が歪なことに気がついた。まさか。

 

「もしかしてこれも妖夢の手作りかい?」

 

「え? えっとどうだったかしらー?」

 

 妙に歯切れの悪い返答だった。僕の予想とは違ったようである。まあ、余り些細なことを気にしすぎるのも良くないか。

 

 そう思い直し、バウムクーヘンを近づけていく。が。

 

 

 …………。

 

 

 

「すまないが、そんなに見つめられると少々食べづらい」

 

「あら、ごめんなさいねー」

 

 謝罪の言葉を言いながらも、彼女の目はバウムクーヘンを凝視している。どうにも居心地が悪い。

 

 一秒たりとも僕の一挙一動を見逃すまいとしている……気がする。

 

 それでも僕は気を取り直して、口へと運ぼうとした。だが、幽々子はそんな僕を遮った。

 

 

 

「胃痙攣って……ご存知かしら?」

 

 藪から棒にとはこの事だった。当然そのまま食べるわけにも行かず、無言でフォークをディナープレートに戻す。だが、幽々子は意に介さず話を継続する。

 

「昔、城攻めで空腹になった兵隊さん達が、四ヶ月ぶりに食料を食べて亡くなった、なんて話を思い出してね? ほら、霖之助さんも最後にいつご飯を食べたか覚えてないんでしょう?」

 

 何故僕の食卓事情を……もはや今更か。

 

 ひとまず、食事前にするにしてはあんまりな話題への批判を心に押し留め、彼女の間違いを訂正する。

 

「少し違うね。確かにかつては胃痙攣と説明されていたが、最近ではリフィーディング症候群だったと言われているね。医学に関しては詳しくないから簡潔に言うが、飢餓状態の人間に急激に栄養が入ることで臓器不全や不整脈などを引き起こし、突然死する疾患さ」

 

「へえ、そうなの?」

 

「あと、僕が半人半妖なのは言うまでもないだろう? だからその症状は適用されない。万一、僕の体が完全に人間と同じものなら、今頃は餓鬼みたいな見た目になってるだろうね」 

 

「まあ」

 

 それを聞いて幽々子は扇子を口に当て、静かに笑っていた。お淑やかなその仕草はいかにもお嬢様らしい。言動はそうでもないようだが。

 

 

「三大欲求の一つでも欠ければ人とは呼べない。じゃあ他の二つも失くせば……あなたはどうなるのかしらね?」

 

 唐突な質問に不意を突かれ、押し黙る。僕はわからないことに関しては考えないようにする主義だが、相手の質問に何も言い返すことができないのは知識人としての矜持に少し傷がついた気がした。

 

 やはり幽々子が紫の友人であるというのは事実のようだ。どうにも調子が狂わされる。

 

 

 

 

 

 言いようのない倦怠感を覚えつつも、残されているバウムクーヘンを再認識する。このまま食べないのは失礼であるし、何より今更食べないとは言い辛い。

 

「それじゃあ改めて、いたただくよ」 

 

 相変わらず幽々子はこちらの手元を見つめ続けているので、気まずさを感じて一言前置きする。

 

 次第にバウムクーヘンとの距離は目と鼻の先にまで移り、僕はそのまま勢いに任せて口へ――

 

 

 

 

「そうねえ、よもつへぐいについては知ってる?」

 

 

 

 

 放り込むことなどできるだろうか、いや、できない。

 

 再度、フォークをディナープレートに戻した。身の危険を感じたからそれはもう全速力で。

 

 何がおかしいのか、幽々子はクスクスと笑う。

 

「君は僕にどうさせたいんだい? 食べさせたいのかい? 食べさせたくないのかい?」

 

 呆れて問い掛ける。まるで真意が分からない。

 

「存じ上げてなかったかしら? それは申し訳ないことをしたわねえ。せっかく話が合いそうな教養人だと思っていたのに。残念だわ」

 

「……古事記に由来する話だ。神であるイザナギとイザナミの夫婦で、妻のイザナギが亡くなると夫のイザナギはイザナミを忘れられずに死者の住まう世界である黄泉の国へ連れ戻しに行ったが、イザナミはもう黄泉の国の料理を食べてしまい戻れないと言って彼を拒絶した」

 

「ふふ、霖之助さんってやっぱり博識なのねえ。それにしても、そのあとイザナギはイザナミを裏切って逃げるのだからひどい話だと思わない?」

 

 

 

「本当に言いたいことはそこじゃないんだろう? 君は僕がよもつへぐいをすることを狙っているのか?」 

 

 警戒して幽々子を見る。ここは死者溢れる冥界だ。このバウムクーヘンを食べれば僕も晴れて死者の仲間入り、なんてことになるかもしれない。

 

「やあねえ、違うわよ? 黄泉の国の料理はもっと色が不味そうだもの。第一、もしそれが目的なら言う必要がないじゃない」

 

 確かにその通りだが。どうにも信用ならない。幽々子の不気味な笑顔が僕の疑念に拍車をかける。彼女なら腹に一物抱えていてもおかしくはないだろう。

 

「ふふ、ほんのちょっとした雑談よ。さあさあ、遠慮なく食べてくださいな」

 

 今度は先程のようにすぐに食そうとはしなかった。隅々まで注意深く観察する。見た目に異常は感じない。

 

「そういえば、知識を披露するときの霖之助さんは凄く楽しそうだって聞いたのだけれど、そうは見えないわねえ」

 

 不思議そうに首を傾げる。……わざと言ってるのかこの亡霊は。

 

「僕もこんなに気の進まない話をしたのは初めてかもしれないね」

 

 そう言葉を返しながら、次に僕の能力、『道具の名前と用途がわかる程度の能力』を使用することにした。幽々子が僕を死者にするための『道具』として用意したものならば、反応するはずだからである。

 

 結果は……反応見られず。僕が勘ぐりすぎなのだろうか。では一体何のためにこの話を? 

 

「でも、どちらにせよあなたは反応が面白いから、見ていて飽きないわねえ」

 

 

 その時ようやく理解をした。僕は幽々子にもて遊ばれているのだ、と。恐らく、延々と話題を振り続け、ペースに乗せられ気分を害し、食おうにも食えない僕の様子を見て彼女は悦に浸っているのだろう。

 

 なんと趣味が悪いことか。

 

 しかし、そうと分かれば。話す隙さえ与えなければ、この七面倒くさい問答も終わらせることができる。

 

 

 決意を胸に抱く。

 これ以上相手の趣味に付き合う必要などない。

 

 三度目の怪しい話を展開しようとしている彼女を無視して、勢いよくフォークを目前に持ってくる。

 

 とうとう未知のバウムクーヘンは僕に味わわれることになった。

 

 

 幽々子は目を大きく見開き、驚愕している。余裕がなくなっていることは見て取れた。

 

 まさかあの流れで本当に食べると思っていなかったに違いない。

 

 してやったり、一矢報いることができたようだ。

 

 

 ふんわりとした食感とコーティングされた砂糖の絶妙な甘さは、口内に広がり今までの全ての疲れを癒やしてくれていた。

 

 ボリュームのある弾力を感じながら、感想に意趣返しを少々加える。

 

 

 

「うん、とても美味しいじゃないか。癖がなくて、まろやかな味だ」

 

 これくらいは言ってもいいだろう。

 

「……本当かしら?」

 

 だが幽々子の反応は僕の想定とは違っていた。

 

 先程までとは打って変わり、声音が真剣さを帯びていた。誤魔化しも冗談も一切許さないといった風に。

 

 一変した雰囲気に気圧される。真摯に答えなければ駄目だ。僕はそう直感した。

 

「君が食べないのが勿体無いくらいだ。店で並んでいるものに負けずとも劣らないと思うよ」

 

「本当に嘘じゃ……ないわよね?」

 

 重ねて確認される。彼女は本気で心配している様子だった。

 

「ああ、嘘はつかないさ。僕は商人だからね。職業柄、食べ物も少しだけ扱っているし、修行時代には様々なものを食し、評価したことがある。だから、舌は肥えている方だと自負している」

 

「……そう、そうなのね。うふふ、お口にあったようでよかったですわ。どんどん食べてちょうだいね」

 

「急かさなくても、ちゃんと食べるさ」

 

 僕のレビューが彼女の心に届いたのか、それとも香霖堂お墨付きが余程嬉しかったのか。

 

 まるで我が事のように幽々子は一転して上機嫌になった。

 

 対する僕は気勢が削がれたどころか、驚いていた。こんなにも表情が豊かな人だったとは。そんなことを思っていた。

 

 

 

 

 

 

 若干の間を空けて、再び幽々子はゆっくりと語り始めた。

 

「実を言えば、わざわざバウムクーヘンに決めた……んん、バウムクーヘンを出したのには理由があるのよ」

 

「ほう、そうなのかい? 一体どんな?」

 

「花言葉は、有名でしょう?」

 

 以前、無縁塚で花言葉辞典というものも拾ったことがある。それなりに頭に入れたつもりだが、如何せん種類が多かったことを思い出した。つまり、それだけ作られるほどに流行っていた、ということだ。

 

「遠回しに自分の意志伝えられる花言葉は西洋発端のものだけれど、日本でも和歌と花を組み合わせて、似たようなことが行われていたのよ。花そのものに意味を持たせたわけじゃないけど、和泉式部と帥宮とかはその最たる例ね」

 

「……ふむ。さしずめ、君はその花言葉に含まれる『奥ゆかしさ』という要素をお菓子にも採用した。そんなところかい?」

 

「そうよ、話が早くて助かるわ。名付けるなら、風情があるお菓子の言葉……。『をかし言葉』かしらね」

 

 扇子をこちらにビシッと指し、自慢げに言う。

 

 なるほど。幽々子の言う『をかし言葉』という単語は、一切の抵抗もなく僕の心にストン、とはまった。

 

 新しく言葉を作るというのは、確かに面白い。

 

「それは興味深いね。よし、僕も今度会うときまでに何か考えておこうじゃないか」

 

「あら、それは嬉しいわ。楽しみにしています。……本当に」

 

 幽々子は一瞬だけ、目をパチクリさせた。

 

 そして、その後すぐに、一夜限りの幸せな夢から覚めたかのような、そんな微笑み方を幽々子はした。

 

 思わず息を呑む。何が彼女をそうさせるのだろうか。

 

 僕が知らない彼女の顔は余りにも多い。それでも、とびきり美しい笑顔だったと断言できる。

 

 吸い込まれたように、僕は視線を外すことができなかった。

 

 

 

 

「……ところで、君はバウムクーヘンには一体どんな意味をつけたんだい?」

 

 らしくない自分に恥ずかしさを覚え、咳払いをしてから、最初から疑問に思っていたことを尋ねることにする。 

 

 一方の幽々子の反応は、恐ろしいほどに早かった。

 

「霖之助さん、はい、あーん」

 

 息つく暇さえ与えず、幽々子の持つバウムクーヘンがすぐさま口にねじ込まれた。激しくむせる。

 

 なんとも雑な口封じだった。

 

「美味しいかしらー?」

 

「……美味しいよ。全く、油断も隙もないな君は」

 

「そうかしら? でも霖之助さんは逆に油断がありすぎじゃないかしらー」

 

 飄々とした態度でそう言ってのける。肝心な部分ははぐらかすつもりのようだ。

 

 余計に気になるじゃないか。

 

「霖之助さんはもっと他に気にすることがあるかもしれないわよ?」 

 

「なんだって?」

 

 いくら思い返しても心当たりは一切ない。だが、何故だろうか、非常に嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

 直後のことであった。ドタドタと床を勢いよく走ってくる誰かの足音が耳に入ってくる。真っ直ぐこの部屋に向かってきているようだった。

 

「霖之助さん、お待たせしました! 私が腕によりをかけまくった豪華な料理をどうぞご堪能、あ、れ……」

 

 勢いよく襖が開くと、そこにはエプロン姿の妖夢が立っていた。

 

 話し始めは花が咲いたかのような眩しい笑顔で、話し終わりは虫けらを見下すような冷酷な目で僕を見つめていた。温度差で風邪を引きそうなくらいであった。

 

 手に持ったお玉はわなわなと震えている。今にもこちらへ飛んできそうだ。

 

「なんで勝手に人の家の冷蔵庫を勝手に開けて食べてるんですか!? しかもあろうことか幽々子様お手製のバウムクーヘンを!」

 

 これほど酷い勘違いが未だかつてあったものだろうか。洒落にならないし笑えない。僕の商人人生が終わる窮地と言っても過言ではない。

 

「ご、誤解だ!? これは君の主人から振る舞われたものだ!」

 

「動かぬ証拠があるというのに、言い訳ですか!」

 

 妖夢は刀に手をかけた。まさか恩を仇で返されようとは。せめて一本刀がないことくらい気づいてくれないか。

 

「違う、僕は無実だ! ほら、幽々子からも早く何か言ってやってくれ!」

 

 慌てて容疑を否定するが聞く耳を持つ様子はない。次第に妖夢との間合いは詰まってきていた。

 

 この状況を諌められるのは幽々子しかいない。

 

 縋るような思いで幽々子が座っていた方角に視線を移すと、いつの間にか彼女の姿は跡形もなく消え去っていた。

 

 この場にいたのは、僕と妖夢と、そして肩に乗っている一匹の……憎らしいほど美しい蝶だけであった。

 

 僕が嵌められた事実に気づくのには、そう多大な時間は要しなかったことは言うまでもない。

 

 一体いつから? ……もしかすると。

 

 机には、持ち帰り用のバウムクーヘンが丁寧に包装されていた。

 

 

 

 

 

 ――本当に食えない人だ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は心の底からそう思った。




 お菓子言葉は、永遠の愛。

 初めまして。処女作になります。
 意外と内気な幽々子様ありだなとバウムクーヘンを食べながら考えました。
 おかしな点や気になった点、アドバイス等いただけると幸いです。

 追記:諸事情で再投稿し直しました。

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