東方明暮記   作:雨森虚

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中秋の名三日月【森近霖之助/ルナサ・プリズムリバー】

 綺麗に整った三日月の夜。

 僕の為にあるのかと錯覚するほどに快適な月明かりのおかげで、帰路を歩くのにはなんら不都合はなかった。だが、今の僕の心境にこの煌々とした明るさは少々毒であるように思える。

 

 

 染物屋の親父の訃報は突然だった。余り社交的な人間ではなかったが腕前は先祖代々常に一級で、僕も染物屋といえばあの店しか利用しなかった。……お通夜に出るのは随分と久しぶりなくらいに。

 

 そして不思議にも、僕の鞄には三日月の家紋が描かれた布が入っている。親父の遺作だ。どうも意識していたより僕はあの店に通っていたらしく、ご贔屓様として認識されていたらしい。取り出してまじまじと見る。空に浮かぶ本物と比べても勝るとも劣らない見事で鮮やかな山吹色。

 

 あまり感傷的になるべきではないのは分かっているのだが。

 

 それにしても、最近の僕は危機意識が欠けているらしい。半人半妖とはいえ、天敵はいるし夜道は危険であることには変わりがない。にも関わらずつい寄り道をしてしまったのは、物悲しく聞こえてくるヴァイオリンの音色が僕の頭を支配してやまないからだ。

 

 緩いススキの丘を登る。日頃の運動は大切なのかもしれないな、過去の僕。なんて茶化していると、ふと異変に気づく。ほんのりと周りの紅葉が照らされている。月明かりだけではない。下から照らされているのを見るに、ライトアップされている?

 

 しかし些細な疑問はすぐに消えてしまった。解決したのではなく、どうでもよくなった。

 

 黒のベストのような衣装、白縁で黒の巻きスカート、白縁の返しのついた黒いとんがり帽子を被っている金髪ショートボブの女の子が旋律の主だった。そして帽子の頂点には赤い三日月型の飾りが。全く、どういった因果なのやら。

 

 風など吹いていないはずだが、燃える紅葉が演奏する少女の周りにひらひらと舞い落ち続ける。月光のステージが少女の影を緩やかに描く。落ち着いていて、かつ震えるように情熱的なメロディは、より一層神秘的な雰囲気を醸す。

 

 もっと近くで見たい。自然とそう思ってしまった時には足が勝手に少女の方へ動き出していた。

 

 

 ……だが、ここで僕にないはずのうっかりな一面が現れた。突然の転倒。まさかの何もないところで、である。いろいろと台無しであった。

 

「誰!?」

 

 曲が止まった、かと思えば血相を変えて少女は僕の前まですっ飛んできた。

 

「すまない。君の邪魔をするつもりはなかったんだが」

 

 慌てて苦しい弁明をする。後悔先に立たずだ。

 

「そんなことはどうでもいいわ。大丈夫なの?」

 

 怒られるかと身構えたが、少女はとても深刻そうな顔をしている。どうも、心配されているというよりかは疑われていると言ったほうが適切そうだ。

 

「別にこれくらいなんてことないさ」

 

「そうじゃなくて! ……なんで」

 

 腑に落ちないといった様子。なにやら事情がありそうだが、面倒事はごめんなので深入りする気にはなれない。とはいえ黙って盗み聞きしておいて、今更はいさようならと少女を放ったらかしにするのも後味が悪い。

 

「君は確か……ルナサ・プリズムリバーだったかな。元プリズムリバー楽団で今はプリズムリバー楽団……with H? の。自己紹介が遅れたが、僕は古道具屋を営んでいる森近霖之助という」

 

「ルナサでいい。それにしても驚いた。まさかあなたが私達の動向を把握してるなんて」

 

「初めて話す相手にひどい言い草だね。おまけに僕のことを知ってるような口ぶりだ」

 

「あなたは結構有名。宴会でも話題に上がること多い。人気者ね」

 

「すまないが、思い当たる節がまるでないのだが?」

 

 陰口でも叩かれているのだろうか。まあ確かに僕は日陰者であるが。

 

 気になってルナサを見やるが、反応はない。顎に手を当てて何やら一心に考え込んでいる。あまり深く語らない性格のようだ。

 

「どうだった?」

 

「え?」

 

「私の演奏」

 

 これまた唐突である。一体どう返答したものか。基本的にレビューの際は時間を十二分にかけるのが僕のポリシーなのだ。

 

「少なくとも、相当気に入らない限りこんな夜中に、しかも人里から遠く離れた場所から音が聞こえるなんておっかなくて近寄らないさ」

 

「そう」

 

 相変わらず、必要以上のことしか喋らないスタンス。

 

「ねえ、明日もここに来てくれない? ……お願いします」

 

 いきなり腕を掴まれ、引っ張られ、そして彼女の人形と見まごうほど整った顔に見上げられる。

 

 抵抗はしなかった。なぜ、と発言の意図を確かめようとする言葉も僕の口からは出なかった。

 

 理由は至極単純明快で、卑怯な少女だと心底思ったからだ。人にお願いするだけなのに、どうして切羽詰った表情をする必要があるのだろうか。

 

「……君が望むなら、構わないよ」

 

 僕も僕だ。酔っているわけでもないのに実にらしくない。自嘲気味に笑うが、今日の僕の行動は何もかも納得の行く説明が見当たらない。それとも……いや、やめよう。考えても分からないことは気にするだけ無駄だ。

 

 

 

 ともあれ、これが僕とルナサの出会いだった。

 

 

 

 

 

 次の日、僕は同じく夜にススキの丘へ単身赴いた。特筆するようなことはなく、一曲披露してもらって、僕がそれに対して感想を語った。今度はちゃんと熟考する時間も貰った。それ以外の会話はほとんどない淡々とした逢瀬だったの一言に尽きる。むしろ変わらなかったことが重要だった。

 また明日もお願いしたい、と頼まれてしまったということが。

 

 

 

 

 それから数日間僕たちは同じことを繰り返した。これだけでも普段の僕を知る人物から見れば驚天動地であろう。

 とはいえ、目立った変化はない。ルナサはヴァイオリンを弾き、僕は思いのままを述べる。彼女はいつも別れ際には明日も来て欲しい旨を必ず告げて律儀に僕の返事を待つ。結局僕は一度も断ることなく時が過ぎていく。不思議な関係、不思議な空間だ。敢えて言葉にするなら、一方は評価を受け取り(僕が適任かは不明だが)、一方は音楽的感性を磨くことができるといったところ。

 

 客観的に見れば、実に文化的交流でそれでいて有意義な時間に見える。しかし……。

 

 論理性の欠片もない話ではあるが、確かに僕らはどこかお互いに噛み合っていないのだ。そんな直感があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上弦の月の夜。少しづつ夏の暑さは消え行き、幻想郷は秋の景色へと模様替えしつつある。

 

 この日は珍しく、ルナサは僕に曲のリクエストを聞いてきた。どういう風の吹き回しだろうか。試しに有名なものを頼んでみたが、難なく弾きあげるどころか自己流のアレンジまで加えてみせた。僕が昔レコードで聞いた時よりも遥かに名曲になって生まれ変わったような錯覚を覚える。見事だった。これが幻想郷随一の楽団の実力ということか。

 

「褒めすぎよ」

 

 背を向けてヴァイオリンを手入れし始めたので顔色は伺えない。だが、彼女から感謝の言葉が出たのは初めてかもしれない。

 

「心配しなくてもいい、僕は人によって対応を大きく変えることはないよ。良いものは良いと評価するさ」

 

 ただし冷やかしと新聞記者と泥棒は除く。

 

「そういう人なのは段々分かってきた」

 

「そうかい?」

 

「ええ」

 

「うーん。しかし、もう少し音楽に造詣が深ければ更に建設的な評論ができたかもしれないな。聴衆の段階なのがお恥ずかしい限りだよ」

 

「問題ない」

 

 簡潔な返答。気を使われているというか、本当にプロのような意見は求めていないという感じである。

 

 久しぶりに会話が途切れるが、むしろここまで続いたことが珍しい。彼女は僕から尋ねない限り、あまり自分のことを話さないのだ。

 

「そういえば、前から気にはなっていたのだが。君のヴァイオリン、随分と名器であるように見受けられる」

 

 この話題は興味を引くことに成功したようで、彼女は僕の方を振り返った。

 

「わかるの?」

 

「素人でも普通のヴァイオリンと音の響きが違うことくらいはね。見た目も一見、ストラディバリウスに似ているようにも見えるが、外来本で確認したのとは違うな。もしかするとストラディバリウスより価値があるか? こうして実際に拝見すると、少しどころではない差だ。それに歴史の重みを感じるが、名前が見えない……いや、名前がないのか。如何にも複雑な事情があることを示している」

 

「……そこまで見抜いた人はあなたが初めて」

 

 表情こそ変わらないが、声色は嬉しそうだ。

 

「それは光栄だ。この名器を扱う君の技量も大したものだよ」

 

「音楽の本質は音が出ることだけれど、得意な楽器じゃないと自由に音は操れないから」

 

 なるほど。彼女なりの音楽に対する信念が見て取れる。

 

「姉妹達とは音楽……互いの技量や演奏スタイルについて討論したりは?」

 

「全くしないことはないけど、あまり干渉しすぎるのは議論を通り越して争いの種になるわ。互いに専門が違う演奏家ってだけじゃなくて、私達は姉妹だから余計に」

 

「僕には兄弟がいないからわからないが、そういうものか」

 

「基本的に遠慮しないから。意外かもしれないけど、一番上って結構大変なの。妹達に何か負けるだけでどうしても嫌な目立ち方をするし、その彼女達には変な真似をされないよう少しでも正しくあろうとしなければならない。あまりにひどい喧嘩をしたら仲裁もしないといけない。この前なんてプリン勝手に食べられた被害者は私なのに、いつの間にかメルランとリリカどっちが食べたかの争いに話がすり替わって私そっちのけで騒音出し始めるし」

 

「はは。随分と苦労性なんだね」

 

「……ごめんなさい、聞いてもないことを」

 

「いや、大層新鮮で良かったよ。姉妹騒動の話も、君の意外な一面も」

 

 身内の苦労話というのは得てして誰かに話して共感を得たくなるものだ。

 

 不意に、ルナサの何かを抱えていそうな含みの有る顔がよぎる。こんな何気ないことでも、彼女の負担が少しでも軽くなったなら良いのだが。

 

「っ! き、今日はこれで帰る!」

 

 どうしてか驚いた様子のルナサは顔を赤くしまがらも、帰り支度を大急ぎで済ませる。

 

 約束だけ素早くすると、ヴァイオリンがケースからはみ出ているのにも関わらずいそいそと飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満月の夜。狼の遠吠えがひっきりなしに聞こえる。月の良さが分かるのは人間だけではないのだろう。

 

 ルナサの演奏が終わると、僕はいつもと違った行動に出た。

 

「なにこれ。団子と、お茶?」

 

「ああ。たまには趣向を変えてみるのも物事を楽しむコツさ。今日は鑑賞会からの月見と洒落込もうじゃないか」

 

「このお茶、味わいが深くておいしい」

 

「お、分かるかい。君は仕事で宴に呼ばれることが多くてお酒は飲み慣れてるだろうからね。まあ、最近僕がお茶、特に緑茶の飲み比べにはまってしまっているのも一因ではあるんだが。今出しているのも香霖堂の棚に秘蔵していたこだわりの一品さ」

 

「わざわざ今日の為に?」

 

「何度か鼻の聞く輩にバレそうになったがね。守り抜いたよ」

 

「そう、なんだ」

 

 二人で腰を下ろして団子を頬張る。以前は距離を置かれていたが、今では隣に座ってくれるルナサを見ると少しは心を許してくれているのだろうか。

 

 互いに無言の時間が続くが、居心地は悪くない。

 

 視線を満月に向ける。月というのはいつ見ても不変だ。周期で変わる視覚的な話ではなく、人々の中にある概念的な存在として。

 

 不吉な存在や狂気と結び付けられる負の側面もあるが、これは西洋に多く見られるもので、日本では風流物との見方が今もなお根強い。

 

 なので、散々語り継がれてきた月の魅惑的な美に関しては今更言うまでもない。暑すぎず寒すぎない気温、心地よいそよ風、揺れるススキの音、包み込むような団子の食感、これら全て月を美しく見せる舞台装置といっても過言ではないだろう。全身で風情を感じる時、同時に僕は月の歴史の長さにも思いを馳せる。この二つの観点を常に持ちながら月を見ることが僕の一番の楽しみ方だ。

 

 よし、明日は月関連の古典を読み漁る日にしよう。当分の方面が決まっただけでも久方ぶりに月見をしたかいがあった。

 

「月が綺麗だ」

 

 月並みな表現だが、あまり長く褒めそやすのも無粋であろう。たまには直接的に表現するのも悪くない。

 

「え? ええ、そうね……えっ? いや、その、え、ええ!?」

 

 いつの間にかルナサは僕の方を見て何か考え事をしていたようだったが、我に返るといきなり慌てふためき手をバタバタと振り始めた。

 

「どうしたんだい? 君が急に大声を出すなんて珍しい」

 

「だって、今の言葉って、その、あの」

 

「ん? 僕は何か変な言葉を口走っただろうか」

 

 月に感嘆するあまり、思ったことが全部漏れ出ていたか?

 

 理由は不明だが、動転しているルナサは何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせているようだ。

 

「ふう。……口走ったわ。それはもうはっきりと。あなたが朴念仁って言われる理由を身を持って体感した」

 

 これが俗に言うジト目というやつだろうか。されている側は自分の落ち度が分からないとこんなにいたたまれなくなるものなのか。

 

 落ち着いたと思われた彼女は、またソワソワし始めた。忙しい少女だ。いや、騒霊だからこれくらい動きも騒がしい方が良いのかもしれない。

 

「えっと、じゃああなたは私のことをどう、思ってる?」

 

 ……ここにきて核心を突かれるとは。それは僕自身がずっと先延ばしにしてきた問題であった。ルナサと初めて会ったときから今まで一度も僕は、自分の行動に説明がつけられなかった。とすれば、論理的な理由ではなく感情的な理由に起因するものであることになるが、今もその正体が掴めずにいる。

 

「どうして黙るの?」

 

「……そうだね。僕は、君に謝らないといけないことがある」

 

 不安げに僕を見つめるルナサ。僕が重要な事を打ち明けようとしているのを感じ取ったらしい。だが、分かっていることだけでも伝えなければならない。関係の変化をも恐れてはならないのだ。僕の為にも、そして彼女の為にも。

 

「僕にはかつて仲の良い友人がいた。彼は良き相手でね。時には互いに店を放り出して一日中商品の質について語り合ったこともあった。それほど彼の技術を僕は評価していたんだ。そして、その大事な友人は病気で亡くなった。そんな折に出会ったのが君だったんだ」

 

 ルナサはただ黙って僕の言葉を聞いている。

 

「始めはほんの戯れのつもりで君と約束をしていたつもりだった。でもそうではなかった。次第に、僕は君を彼と重ねて見てしまっていることに気づいた。言葉足らずなところも、しっかり者のところも、物事に対する真摯な姿勢も。そっくりだったんだ。結局、僕は君を彼の代わりとしか見てなかったんだ。……本当にすまなかった」

 

 深く頭を下げる。瞬間は、短いようで永遠にも感じた。きっと時の狭間に取り残されるとこのような感覚なのだろう。

 

 そして、待ちわびた彼女の返答はやけに淡々としたものであった。

 

「そうなの」

 

「あー、なんというか実に……不満? そうだね?」

 

 奇妙な雰囲気から、つい慎重に語彙を選んでしまう。

 

「……そんなことない。あなたが私との時間を大切に思ってくれているのは十分伝わった。それにあなたの謝罪も受け入れる」

 

 安心しかけた僕に、ただ、と前置きをする。

 

「私とあなたの認識の違いに驚いただけよ」

 

 そう呟く横顔は、はっとさせられるほど寂しげだった。

 

 彼女の発言を追求する気勢が削がれる程には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  立待月の夜。窓から外を覗く。雲が月を完全に覆って見えないどころか、激しい雨音が窓を強く叩いていた。いわゆる、秋雨というやつだ。

 

「うーん、これでは、とてもではないが外に出られないな」

 

 仕方がないから、本を読みつつ雨が止むのを待ってみたが内容が今一頭に入らない。

 

 外の天気に常に意識を向けていたけれども、結局、どうしようもできずに無情に時は過ぎていくばかり。これほど天候を自由に操作できる能力が欲しいと考えたことはいまだかつてなかった。

 

 

 

 

 

 数時間後。ようやく雨は止み、月の青い光が再び差し込み出し始めた。

 

 そして僕はとりあえず約束を守る努力だけはしなければならないと、外に出る準備をしていた時のことだった。

 

 少し遠慮がちに戸が叩かれた……気がした。聞き取ることが難しいほど弱々しいノックだ。

 

 霊夢や魔理沙は僕の応答を待つほどおしとやかではない。だが、こんな時間に客が来るはずもない。まさか。

 

「……ルナサじゃないか! どうしたんだ、そんなに濡れて」

 

 扉の前に立っていたのは僕が一番、動向を気にしていた少女だった。

 

 

 

 

 

 とりあえずの替えの服と体が冷えないように毛布を用意して、温かいお茶をルナサの側に置く。

 

「助かるわ」

 

「……ああ」

 

 いつもより小さく見える彼女の背中を見て僕は自責の念に駆られていた。判断を間違えた。あの時無理矢理にでも向かうべきだった。

 

「あなたは悪くない」

 

 歯噛みする僕の手にひんやりとした手が置かれる。果たしてこの冷たさは、雨に打たれたせいか、彼女が曲がりなりにも幽霊なせいか。

 

「……読心術でも使ったかい?」

 

「そんなの使わなくてもいいほど分かりやすい顔をしてたから。……あなたのことだからありえないと思ったんだけど。もう飽きたのだろうか、昨日の私の態度に怒ったのだろうか、なんて考え出すと止まらなくて。それでここまで来たの。悪いのは私」

 

 そう述べたきり、物言わぬ少女になってしまった。僕から話しかけることはせず、ただ静かに待つことにした。

 

 しばらくお茶をすする音のみが香霖堂内を支配していたが、またルナサが場の主導権を握る。

 

「私も、あなたに謝りたいことがある」

 

 一体何を言い出すかといくつか候補を立てて待っていたが、想像の完全に斜め上だった。

 

「ふむ。特に君から実害を受けたことはなかったと記憶しているが」

 

「私が言うのもなんだけど、あなた変わってるわ」

 

 失敬な。これでも真剣に過去を振り返ってみたというのに。

 

「話が逸れた。……私達は楽団を組んでから、幻想郷各地で演奏して回ってるのはもう知ってると思うけど」

 

 ルナサは向き直ってじっと僕を見つめる。初めて会ったときから彼女の態度は新聞で報道されるようなそれとは違ったものであることは当然気づいていた。その上でここまで付き合った以上、今更僕が真摯な姿勢を否定する理由はない。

 

「でも私は……私は、ソロライブが姉妹たちとの演奏と同じくらい好きなの」

 

 特に問題がある事柄のようには聞こえない。それでもひどく苦しそうに言葉を紡いでいる。

 

「それだけならまだよかった。定期的に怨霊を相手にソロライブをして溜まった欲求を発散させていたから。でもその日は突然だった。怨霊じゃとても満足できない、私のソロライブを人間に聞かせたい。そう思ったの」

 

 確か、幻想郷縁起では彼女の能力は……鬱の音を演奏する程度の能力。……つまり。

 

「今思い返せば、あの衝動は騒霊という種族の性で、必然的なものだった。そして私の音楽は精神に直接響き強い影響を及ぼす。それで、人里から抜け出した人間が偶然私と道端で出会った。どうなったと思う?」

 

 いつも冷静で毅然としている彼女と比べるまでもなく弱々しいその様子に、僕が何か一言でも発せばとどめを刺してしまいそうだった。

 

「その人間を送り返すどころか、私は欲求を満たすことに奔走した。結局、音楽を最後まで聞いた人間は私の目の前で一歩も動かず無抵抗で妖怪に食べられたの」

 

「取り返しの付かないことをしたって反省した。お墓を立てた。何度も夢に見た。ソロライブも二度としないと決めた。でもまた耐えられなかった」

 

 気づけば、止めどなく涙が溢れ出ている。それでも、ルナサは構うことなく、軽く拭っただけで話を続けていた。強い意志が彼女を突き動かしているのだ。

 

「行く宛もなくて、辿り着いたのが人里から遠く離れた誰も近寄らないような丘で。三日月の夜の話」

 

「一人の男性と出会ったわ。最初はまた同じ過ちを繰り返したと思って目の前が真っ暗になった。けどその人間は特殊で私の能力の効果があまり及んでないようだった」

 

「……黙っているつもりはなかったがね」

 

「いいの。……それから私は人間にソロライブを聞いてもらえることが嬉しくてそれしか頭になかった。昨日、自分で認識違いだなんて言い放っておきながら、その実私も同じ。あなたの意見なんて気にしてなくて、ただソロライブを聞いてくれる都合のいい人間だなんて思ってたの。最低よ」

 

「けど、あなたは、自己嫌悪に陥ってる私に凄く気を使ってくれていて、それでいて熱心に評価してくれて……。私が、あなたのことを大事な人だと思い始めていることには気がついていたの。それで、あなたもそう思ってくれていたら、程度にしか考えてなかったはずなのに、いざあなたの告白を受けてショックで……私こそ本当にごめんなさい」

 

 全て吐き出していつもの冷静さを少し取り戻した様に見えるルナサは、ゆっくりと外が一番良く見える窓まで移動した。そのまま、じっと月の出ている方角を眺めている。

 

 ……そうか。やはりこの娘は。

 

「家出中なんだろう? 思い返せば、君はいつも会う度、必ず一回は同じ方向を見ていた。普通ではない面持ちで。楽団の話をする時もどこかよそよそしい感じが否めなかった。恐らくだが、妹たちがいる所を見ていたんじゃないのかい? そもそも大人気で常に引っ張りだこな楽団の一員である君が、僕と毎日会っていることが不自然だった」

 

「……ええ、その通りよ」

 

「なあ、もう約束はやめにしないか」

 

「う……理由を聞いても?」

 

 また泣きそうになっている。これ以上泣かせるつもりはなかったのだが、どうも人が相手になると言葉選びが下手くそになるようだ、僕は。

 

「僕の個人的な希望で君の活動、ひいては生き方まで縛るのは本意じゃない。それに、君たちはチームである以上、理念もあるだろうし、一人だけの音楽ではない」

 

「でも……」

 

 ここまでは至極当然なただの理屈だ。だが、この先はルナサが相手でなければ言わなかったかもしれない。

 

「しかし、だ。必ずしも欲張るのは悪いことではないさ。ソロライブもやればいい。怨霊じゃ満たされないならまた、僕の所に来てくれればいい。勿論、ちゃんと君の仲間と話し合ってからだが、約束なんてしなくてもいつでも僕は歓迎するよ」

 

「い、いいの?」

 

 僕の発言の意図を完全には汲み取れていないらしい。その証拠に、少し掲げたままの首が元の位置に戻っていない。こんな言い方じゃ仕方がないか。僕らしさ、なんてものに今更悩むこともないのだ。

 

「……すまないね。実は、昨日の僕の話には続きがあるんだ。確かに僕は君を友人と重ねてみていた。だが、僕は今、未練に決着をつけたんだ。これは虫のいい話かもしれない。だが」

 

 ルナサが僕の言葉を一語一句逃さぬよう真剣に聞いてくれている。

 

「こんな僕でよければ友人になってくれないだろうか。そしてまた君のヴァイオリンを聞かせてほしい」

 

 深く頭を下げた。昨日と同じ見かけでも心境は全く違う。長らくまともな人付き合いをしてこなかった僕にこの状況は凄く……なんと言えばいいか……辛いな。

 

 思考が停止したまま固まっていると、ルナサは何がおかしいのか、一転突然笑い出した。凝り固まった場の空気を吹き飛ばすような勢いだ。

 

「やっぱりあなたは不器用で朴念仁ね」

 

「あだ名が増えているのだが?」

 

 朴念仁に関しては言われる覚えがないので大変不本意だけれども、彼女を笑顔にできたので良しとする。

 

「……そうだ、君に贈り物があるんだ」

 

 そう言って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を使ったお手製ハンカチを手渡す。何もただご機嫌取りのためだけに作ったわけではない。

 

「これは……?」

 

「泣かせてしまったお詫びでもあるが、君がヴァイオリンの手入れに使うハンカチがひどく傷んでいたようだったからね。丁度、君にぴったりな生地が手に入ったから勝手ながら作らせて貰ったよ。……気に入ってくれればよいのだが」

 

 ちゃんとした贈り物なんて何十年ぶりだろうか。どうにもむず痒い。こんなに照れくさいものだっただろうか。

 

 まじまじとハンカチを広げて観察していたルナサだったが、大事そうに畳んで胸に引き寄せると。

 

「いけない、申し出への返事が遅れた。答えは……『喜んでお受けします』、よ。大事にする。ありがとう、霖之助……」

 

 

 

 

 

 彼女の初めて見せた笑顔は、月に等しく……いや、それ以上に眩しく美しいものだったと、僕は断言し続けるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー久しぶりのライブ、最高だったね、姉さん!」

 

「ええ、そうね」

 

「……あれ? 姉さんそんなハンカチ持ってたっけ?」

 

「ん? ふふ、これは、私の理解者で、大ファンで、友人で……。私が大好きな人からのプレゼント、よ」

 




今回のMVPは染物屋の親父かもしれない。

最近暑いですので、一足早い秋の先取りをしました。
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