どれだけ時間が過ぎても、認めているのだと頭で分かっていても、小さなわだかまりは今もなかなか消えてはくれない。ましてやそれが、凪のように揺れる16歳の少女が秘めた気持ちであったとすれば。
「隊長、お変わりありませんか」
「昨日も同じことを言っていたぞ、エリカ」
敬愛する女性に指摘され、エリカは気恥ずかしさから思わず俯いた。そんな様子をどのような気持ちで見ていたのか、モニター越しに映る西住まほは、最近よく見せるようになった柔和な表情を浮かべて、ちょっとした茶目っ気すら感じさせる口調で続けた。
「それに、今の隊長は私じゃない。エリカだ」
「……はい」
まほと比べて、エリカの表情は曇りがちだ。誰よりも尊敬し、目標としている人が海の向こうに旅立って、残された自分に託されたのは、常勝・黒森峰女学園が誇る戦車道の隊長という重責であった。その限りない重みを誰よりも知っている人――西住流そのものと自らを称した西住まほのことを、その凛とした姿を、孤独の影を帯びた背中を、誰よりも一番近くで見ていたのが、他ならぬエリカであったからこそ、迷いや不安は今にも溢れ出そうになってしまう。
「まだ迷っているのか」
「……はい」
駄目だ駄目だ、こんな弱音を隊長に吐いてしまっては。まほを安心させるような言葉を探すことすらできない自分に、エリカは心底うんざりしている。頭では分かっていても、まほを前にすると、いつもの強気な自分が迷子になってしまうかのようだ。
勿論、意識的に強気な態度を取るような人間は、結局自分に自信がない、虚勢を張っているだけなのだということを、エリカは半ば自虐的に理解している。だからこそ、自信が持てない。持てなくなってしまったというべきか。
あんたのせいなんだから。エリカは、
「以前にも言ったが、あなたの戦車道を探せばいい。西住流にさえ、拘らなくてもいいのだから」
「私は、王者の戦いを率いる者は、西住流であるべきだと」
「エリカ」
彼女との戦い、そして共闘を経て、まほは幾らか変わったようだ、とエリカは感じている。背負い続ける誇りは不変であっても、エリカの名前を口にするときのまほは、部下に対するような態度ではなく、まるで姉のような雰囲気が滲み出る。正直、そんなまほを知ることができて嬉しく思っている自分もいるのが、エリカの心をますます複雑なものにしていくのであった。
「エリカはエリカなのだから」
戦車道の試合で、絶対的な確信と共にチームを勝利に導いてきた、あの西住まほの鋼のような精神に裏打ちされた信念が、その言葉にはあった。同時に、今まであれば気付くことのできなかったまほなりの不器用な優しさを前にして、ようやくエリカは少しだけ笑顔を作ることに成功した。
きっと、下手くそな笑顔なんだろうな、などと思いながら。
「エリカさん、このままでいいんですか」
「何が?」
「このまま立っているんですかって」
「ええ、そうよ」
険しい表情で前を見据えているエリカの返答に、赤星小梅は微苦笑とも言えそうな顔を見せた。エリカが隊長職に就任して以来、メンバー間の調整や様々な雑務も含めて、何かとエリカのために動いているのが、他ならぬ小梅であった。
「そもそも、私はこんな試合を観ようなんて気は……小梅が観に行きましょうと言うから」
「そうですね」
おっとりした雰囲気の中に、芯の強さを持ち合わせた小梅はそう言って笑った。何がおかしいの、と言いかけたエリカだったが、隊長たるもの常に冷静でいなくてはならないと考え、言葉を飲み込んだ。何より今自分たちがいる場所は、20年振りに開催される『無限軌道杯』の会場である。黒森峰女学園の戦車道に携わる者として、他の高校だけではなく、観客に対しても、相応の態度と姿を見せなくてはいけないのだ。
「エリカさん、ほら笑って」
「何でよ」
ぶっきらぼうに返すエリカを見て、小梅だけでなく他のメンバーも何処か楽しげな表情だ。意味が分からない、とエリカは感じていたが、黒森峰女学園の戦車道が新体制になり、メンバーが一丸となってエリカを支えようとしていることに気付けるほど、素直な性格をしているわけではないのが、逸見エリカという少女なのだ。
「今日は、どんな戦いを見せてくれるのでしょうか」
「……さあ」
エリカにとって、彼女の戦い方は模して及ばぬものであり、何よりもエリカが信望している西住流とは相容れないものであった。だからこそ、エリカには分からない。そのことを知っている小梅も、それ以上は何も言わなかった。
「私の戦車道、か」
誰に言うでもなく、エリカは呟いた。小梅も含めて、全員が聞こえないふりをしていた。上手い返答などできるわけもないし、エリカがそれを望んでいるとも思えなかったからだ。
――そういえば、あの子は自分の戦車道を見つけたと言っていたっけ。私も見つけられるのだろうか。私の戦車道を。そうすれば、きっと……
「エリカさん」
「ええ」
小梅が指差した方向には、エリカの胸の中で、小さな傷として今も残っている姿があった。傷、ではないのかもしれない。小さな小さな、その感情は一体何なのか、今のエリカには分かるはずもなかった。
「副隊……みほ」
厄介な性格がそのまま出たようなエリカの呟きに、小梅は再び聞こえないふりをした。