首都高速は、複雑に入り組んだ分岐や合流が多く、初めて乗った人にとっては随分と不親切な道路である。高速道路というものから想像される開放感よりも、むしろ東京という街そのもの、といったような圧迫感は、地方からやってきた身としては、窮屈さすら感じさせる。真夜中とは思えないぎらついたネオンサインが次々と現れては消えていく様は、人間の愚かな欲望の成れの果てのようだ。
それでも、201✕年の今を生きる戦車道に携わる少女たちにとっても、真夜中の首都高速をドライブするというのは、曰く形容し難い独特な魅力があるらしい。ましてやそれが、走ることに最上の喜びを感じ、車という散文的な存在を有機的に愛し、生活の一部として接している、大洗女子学園が誇る異能集団こと自動車部であるならば。
「いっつも言ってる気がするけど、ごみごみしているのがここから見ても分かるね、東京って」
矢継ぎ早に現れては消えていく東京の街並みを、助手席でぼんやりと眺めていたナカジマが、誰に問いかけるでもなく呟いた。
「大洗とは違うなあ」
「そりゃ、東京だからな」
のんびりした口調で返すスズキに、確かなドライビング・テクニックで真夜中の首都高を疾走するホシノが、そんな当たり前のことを言うなよ、といった表情を見せた。後ろの席に座っているスズキからすれば、きっとそんな顔をしているのだろうな、といった想像ではあったが。
彼女達が乗るZ20型ソアラは、神懸かり的な自動車部のメンテナンスによって、実に快適な走りを見せている。日本が好景気に狂い咲いたバブル期に発売されたような車ではあるが、そのような時代の話などは、いっそおとぎ話に等しいはずの少女たちにとっては、この車で首都高を走るなどということから生じる、バブル世代のノスタルジーなどは、知る由もないであろう。
「音楽でも聴くか」
ホシノの提案に、ナカジマが少しだけ意外そうな顔をした。車を単なる移動手段としてでしか扱わない人ならいざ知らず、大洗一早い女と言われ、スピードに拘りを持つホシノのような人は、車中のBGMなどはあまり気にしない、むしろエンジン音そのものがBGMなのでは、と思ったからだ。
「珍しいね」
「まあ、たまには。逸見さんからCD-R焼いてもらってさ」
「え、ほんと?」
「うん」
灼熱の『大学選抜チーム戦』に勝利した後、大学選抜チームの副官である3人の一角を崩す際に自動車部もといレオポンさんチームが共闘した、プラウダ高校の戦車道隊長カチューシャ、そして黒森峰女学園の戦車道副隊長の逸見エリカとは奇妙な縁が生まれ、彼女たちが大洗に遊びに来たときなどは、時々つるむような仲になっていたのだ。
「逸見さん、音楽好きなんだ」
「趣味のネット・サーフィンの合間に色んな音楽探してるんだって。『……これ、聴いてみなさいよ』って渡された」
「あははは、似てる似てる」
ホシノによるエリカの声色の物真似がよっぽどツボに入ったのか、スズキは楽しそうに笑っている。エリカは2年生ではあるが、自動車部3年生の面々に対しても、同級生であるかのように話す。勿論、そのような些末なことはまるで気にしないのが、レオポンさんチームが持つ、緩やかな空気感がなせるわざと言えよう。
「逸見さん丸くなったよね」
まるで赤ん坊に語り掛けるような、柔らかく温かみを帯びた口調でナカジマが言った。こういう時の彼女から溢れ出る母性は、目撃したもの全てを魅了し、抗えずに屈していくと噂になっているほどである。
「カッちゃんは、私たちは最初のプラウダ戦に参加してないから分からないところはあるけど。前に整備中に遊びに来た桂利奈ちゃんから、プラウダ戦のカッちゃんの話を聞いたことあるんだ。その話から想像する限り、カッちゃんも前と比べて接しやすくなったみたいだね」
「単に傍若無人なちっちゃい子ってだけなら、プラウダの人達も、大学選抜戦の時みたいにさ、あんなに必死にカッちゃんを守ったりしないよ」
だよね、と三人は同時に頷いた。
「逸見さんもさ、黒森峰戦の時は、メチャクチャ焦って西住隊長のお姉さんの加勢に行こうとしてたじゃん? あの時点で、この子は絶対に悪い子じゃないなって思ったけど」
「うんうん」
「良く見るとすっごい美少女だもんな。性格のきつい美少女ってのはいいものだ。手間のかかるうちのレオポンみたいなもんで」
「ホシノ、感想がオジサンみたいだよ」
「あはは」
同じ2年生でも、
車内に、ごくささやかな沈黙が下りる。ホシノは“BY ERIKA ITSUMI”とラベル(を見て微笑ましいような気持ちになりつつ)に書かれたCD-Rをセットした。
「お、昔のJ-POPかな? 首都高っぽいアーバンさを感じるぞ」
「聴いたことないや」
「でも、凄く良い曲だね。ほんと首都高に合ってる」
ありがちなカノン進行を用いながらも、何処か物悲しい上物のフレーズがループしており、不思議と真新しさを感じさせる。そこにハスキーで艶のあるヴォーカルが淡々と歌い上げ、行き場のない感情に向き合いつつも、心の整理ができないままの姿をありありと映し出す。独特の感性から生まれた歌詞は、80年代という時代を強烈にアピールしているものではあるが、切れ味は抜群であり、実にタイムレスな魅力が宿っているのだ。
どうあれ、一切の隙が無い、全てにおいて完璧な曲であることは、2010年代を生きる自動車部兼戦車道の女子校生にも、伝わるものがあったらしい。
「そして僕は途方に暮れる、か……これが曲名かな」
「リムジンって言葉が最高じゃん、バブルだ」
「雨のハイウェイってのもいいなあ。素晴らしい」
体験したことのない時代を、音楽を通して疑似体験するというのは、音楽の持つ不思議な力であろう。古い車に乗るときの感覚と、何となく通じ合うものがあるのかもしれない。
「逸見さんがこの曲を聴いてるってのがいいよね」
「大人ぶってる感じが」
「そうそう」
エリカが聞いたら顔を真っ赤にして怒り出しそうな会話ではあるが、自動車部の面々は、実際に本人を前にしても割と遠慮なくエリカを、そしてカチューシャをいじり倒している。実際カチューシャもエリカも、戦車道の名門に通うエリートであること、そのような肩書を気にしないでいられる自動車部との付き合いは、実は貴重なものであるのだが、それを素直に認めるような性格ではない2人であることも、自動車部の面々はよく理解しているのであった。
「84年発売の曲だって。うちのソアラより年上だ」
「おおー」
――音楽と女子校生の軽やかな会話がタッグを組めば、時間などは恐ろしいスピードで過ぎていく。気付けば夜は静寂を置き去りにして、空が白み始めていた。一行は、ほとんど他の車が見当たらない常磐道まで戻っていた。
「結構早かったね」
「大洗からお台場まで行って、Uターンして帰ってくる……なかなか気分良かった」
白いタンクトップから伸びる、しなやかな腕でハンドルを握るホシノに、疲れなどはまるで見えない。夜を徹して作業することが日常茶飯事の自動車部であるからして、それはナカジマやスズキも同様であった。
「学園艦が出港するのって今日の昼だっけ? 間に合ってよかった」
「帰ったら少し寝るかあ……」
大洗女子の中でも上位に入る長身をぐっと伸ばし、スズキが軽くあくびを漏らした。直後、カーステレオから流れ出したエモーショナルな洋楽に、多少なりとも英語が分かる3人は、誰が合図するでもなく、身を乗り出して楽曲に耳を傾けた。
「……去って行く人に別れを告げる時間、か……」
何気なく、ホシノが聴き取れた範囲の歌詞の意味を口にした。ナカジマもスズキも、何も答えなかった。蒼い感情がそのまま音楽となって疾走しているような楽曲は、不思議と3人の心情とリンクするようなことを歌っていたのだ。
「うーん、ちょと物悲しくなってきたぞ」
「逸見さんは何を思ってこの曲を入れたんだ」
「タイトルが『Long Drive Home』らしいから……」
エリカの思惑に対する答えは出なかったが、来年には卒業を迎える3人にとって、別れを意識することは、ふとしたきっかけで自然と生まれる感情ではあった。
「仕方ないことだけど、たくさんの思い出を残して去って行くことを考えると……それこそ途方に暮れちゃうな」
「そうだね……」
「
全員が職人気質であって、何処か飄々とした性格の面子が揃っている自動車部ではあるのだが、同時に10代の少女である以上、絡みつくような感傷的ロマネスクからは逃れようがない。3人の最もたる心残りは、ただ一点のみであったのだ。
「なるべく顔は出すつもりだけど。戦車の整備もしたいし」
「うん」
明け方の空の下を走る車は、そんな少女たちの感傷すらも乗せて、彼女たちを大切な“家”へと運んでいく。大洗は、大洗女子学園の戦車道は、自動車部は、レオポンさんチームは、自分たちの帰るべき家なのだと、どうあれ3人は確信している。それは、あの子も同じ想いのはずだ。いや、大洗女子戦車道のメンバー全員の総意に違いない。
「そういえば、逸見さんが言ってたな。西住隊長のお姉さんの方の西住隊長さん……ややこしいな。まほちゃん隊長でいいか」
武部さんがみぽりんって呼んでるみたいに、まぽりんって呼んでもいいんじゃない? とナカジマが笑いながら提案する。逸見さん、めっちゃ怒りそうとスズキも笑った。
「今度言ってみよ。……それはともかく、まほちゃん隊長さんはドイツに留学するらしいね」
「卒業を待たずに海外留学かあ。優秀だもんな。そういや、カッちゃんもいずれはロシア留学だとか言ってたような」
「ロシア語喋れないのに?」
「ノンナさんとクラーラさんと一緒に行くんじゃないの」
「かなあ」
彼女たちの愛する戦車も、車も、街の風景も、時間と共に変化していく。しかし思い出は、どれだけ忘れようとしても、追い払っても、実際に忘れてしまったとしても、現実にあった出来事であれば、アップデートされることはないし、モデルチェンジするようなこともない。長い長い時間が過ぎ去って、思い出が過去になっても、
「留年……してあげようか」
「そうする?」
「冗談でも止めなって。喜ぶわけないし」
「だよねえ」
水戸大洗ICを下りて、少女たちは自分たちの“家”へと帰還した。大洗の街並みをこうして走るのも、いつまでやれるだろうか。いや、いつでも帰ってくればいい。たとえ何処か遠くに離れてしまったとしても、その想いがあるならば。
信号待ちの間、ナカジマも、スズキも、ホシノも、
まだ公道を車で走ることが許されていない少女は、運転できない退屈からなのか、それとも安心からなのか、単に疲れていただけなのか、帰り道は一切起きずにひたすら眠っていた。珍しいことではあるが、珍しいが故に、3人は起こそうとも思わなかったし、その珍しさを愛でるべきだと暗黙の了解が3人の間で交わされたのであった。
いかに神懸かり的な技術を持った自動車部とはいえ、どうにも気まぐれで揺れ動くこの想いのメンテナンスは、少しばかり骨が折れるらしい。
「んー……ドリフト……」
実に“らしい”寝言が漏れる。隣にいたスズキが、少女の頬にそっと手をやった。信号が青に変わるまでその姿を見ていたホシノは、運転中は何もできないし視線も送れないことを軽く悔やみ、恨みがましくハンドルを握る力をやや強める。
そんな2人を楽しそうに見守っていたナカジマは、彼女の持つ母性を神聖なものへと昇華させるほどに発揮させ、温かな、慈しむような眼差しで、小さな寝息と共に眠り続ける少女にこう言った。
「ほーら、ツチヤちゃん。もうすぐおうちでちゅよ」