「つい数日前まで墨俣には何もなかったというのに!織田の奴らめ、一体どのような妖術を使ったというのだ…!」
「義龍様!すぐに手を打たねば、織田になびく者が更に増えましょうぞ!」
稲葉山城城主の間にて、墨俣に突然現れた城郭を見た側近らが慌てふためく中。主である義龍は瞑想するかのように落ち着き払っていた。
「…それで、墨俣で指揮を執っているのは誰か?」
「はっ、それが…」
義龍が物見に問いかけると、何やら言い淀む。
「どうした?早く言わんか」
「はっ、その…敵の指揮官は大空翔翼でございます」
『ッ!?』
側近にせかされた物見は、恐る恐るといった様子で告げ。その名を聞いた側近らは思わず息を吞んだ。
先に起きた事件では単独で数十人以上を斬り殺し、あまつさえ義龍を殴り倒した男であり。斎藤家内では翔翼の名は畏怖と共に刻まれていた。
「そうか、あ奴か…」
まるで待ちわびていたかのように笑みを浮かべる義龍。てっきり激昂して討ち取りに行こうとすると思っていた側近らは、心乱れることなく冷静な姿に戸惑いの色さえ見せていた。
「出陣する各城にも伝令を走らせい」
「はっ、しかし稲葉殿らは…」
「出て来んのならそれで構わん。その気がある者だけ着いて来い」
そういって立ち上がると、側近らを置いて部屋から出て行く義龍。
あの事件以降。隠居して責任を取ろうとする守就を赦し、出仕を拒むようになった一鉄らを責めることもなく。果ては織田へ寝返っていく者らに恨み言を吐こうともせず人質を解放し『全ては己の不徳が招いたこと、これ以上儂に従えん者は好きに離れるが良い』と、以前なら口にすることさえなかった寛容さを見せるようになっていた。
いや、道三と違える前の器量と勇壮を兼ね備えた。主だった道三を裏切ってでも、新たな主と仰ぐべきと信じた男の姿がそこにはあった。
気づけばその場にいた誰もが、義龍の後を追いかけていたのだった。
「稲葉山城に動きあり!こっちに向かって来るぞォ!!」
見張りが鐘を鳴らすと、墨俣城にいる翔翼隊の面々は戦闘配置についていく。
「数は!」
「五千程です!」
「周囲の城からも来る筈だ!目の前の敵だけに捉われるな!」
武具を身に纏いながら指示を飛ばしていく翔翼。城壁に上ると、城の北側にある川の対岸では斎藤勢が陣を構え攻撃態勢に入っていた。その中央には、義龍がいることを示す軍旗が掲げられており。大名自らの出陣に敵の士気は昂っているようであった。
対する織田勢は数で言えば互角だが、その半数近くは戦闘力を持たない人足であり。更に周囲の城から駆け付ける援軍も含めれば、敵の兵力は倍近くに膨れ上がることになる。
「遅くなりました!!」
慌てた様子で半兵衛が重矩を連れて駆け寄って来る。全力疾走したため、息を切らしている彼女の背中をそっと擦る翔翼。
「問題ない。敵は慎重に攻めてくれるようだ」
義龍が出張っているのなら、怒りに任せて攻撃を仕掛けてくる可能性もあったが。敵は足軽を前面に立て、その背後には城門破壊用の丸太や梯子を持った部隊を並べ。それを援護すべく騎兵が両翼を展開させた、城攻めの定石通りとも言える陣容で攻勢の合図待っていた。
「さて、半兵衛。この城を攻めるとして、敵はどのように攻めてくると思う?」
「孫子曰く、
「ふむ、信盛をただからかうより、色々仕込んでからの方がより面白いからな」
「ま、まあそんな感じです…」
反応に困る例を挙げてくる翔翼に、半兵衛は思わず苦笑いを浮かべてしまうが、すぐに表情を引き締める。
「それならば、どこを突いてくる?」
「西側です。そこが最も川に近くこちらからの見晴らしが悪いですから」
「よし、鉄砲隊を西側に可能な限り集めて伏せさせろ。小六指揮はお前に任せる。それと狼煙をあげろ」
迷うことなく断言する半兵衛に、疑う素振りも見せず翔翼が指示を出すと。小六らがおう!とすぐに行動に移っていく。
「では俺も行く、ここは任せるぞ」
「はい、お気をつけて」
騎馬隊を指揮するため城壁から降りると、赤兎馬に跨る翔翼。
そして、準備を整えたと見られる斎藤勢から、遂に陣太鼓の音が響き渡り始め。足軽隊が先陣を切り渡河を開始する。
「まだ撃つな!ある程度は渡らせよ!」
緊張した趣きで、鉄砲や弓を構える配下らに。半兵衛は逸らないよう念を押しながら敵軍を見据える。敵の半数近くが渡河を終えると、息を大きく吸い込んだ。
「放てェいッ!!!」
手にしている白い羽扇を突き出しながら、発せられた号令と共に。鉄砲が火を噴き敵の先頭が次々と倒れ、続いて防ぎ矢として放たれた矢が追撃をかける。
織田家得意の交換式弾込め術により、止めどなく放たれる弾丸が足軽隊に襲い掛かり屍の山を築いていく。
「足軽隊を援護する渡河急げィ!!」
「!殿、あれを!」
敵左翼に展開している騎馬隊が急いで渡河しようとしていると、異変に気づいた配下が上流を指さす。
「なッ!?」
上流に視線を向けた敵将は、その光景に目を見開く。なんと、上流から無数の丸太が自分達目がけて流れてきているではないか。
先程の狼煙は、上流に残しておいた者達へ丸太を流させる合図であった。
「た、退避――ッ!!」
敵将が悲鳴のような声で叫ぶも、敵将含む左翼騎馬隊の中核は丸太に押しつぶされていき。更に丸太は渡河中の足軽隊をも巻き込み大混乱を引き起こす。
「開門せよ!」
頃合いを見た翔翼は、騎馬隊と共に出撃し。それに反応した敵右翼の騎馬隊が迎撃に向かってくる。
「ッ!」
弓を構え矢を番えた翔翼は、敵先頭目がけて放ち首元に命中させて落馬させる。更に数本放ち次々と仕留めると、戟に持ち替え斬り込んで薙ぎ払っていき、敵将の元にまで突き進んでいく。
「ハァッ!」
勢いに押されて浮足立っていた敵将を突き上げて掲げる。
「敵将、討ち取ったァ!!」
高らかに叫ぶと味方からは歓声が上がり、敵からはどよめきが広がっていく。
「次、攻城部隊を叩く!」
後退していく騎馬隊を適度に追撃すると、翔翼隊は次なる目標へ襲かかり。未だ混乱している足軽隊に突撃し、攻城用の装備を持った部隊を叩いていく。
「ひい、こっちに来たァ!?」
「敵わねェ!逃げろォ!!」
壊走を始めた足軽が、新たに渡河を終えた部隊と衝突して混乱の波紋が広がっていき、機能不全に陥る斎藤勢。
「義龍様!お味方は総崩れでございます!ここは一度退却すべきです!」
「…馬を引けい」
前線の惨状に狼狽する側近らを無視し、槍を手にした義龍は、引かれてきた愛馬に跨り前線目がけて駆けだす。
「ああ!?と、殿ォ!?」
「お、追え!追えィィ!!」
側近らも慌てて馬に乗りその後を追いかけていく。
「儂が出る!道を開けいィ!!!」
咆哮のような雄叫びに、足軽らは川が割れるように翔翼までの道を開けて行き、義龍ははその道を駆け抜けていく。
「大空翔翼ッ!!」
「斎藤義龍かッ」
片手で槍を頭上で振り回しながら突撃してくる義龍に、翔翼は弓矢を構えて放つ。
「小賢しいわァ!」
軽々と槍で矢を払い落としながら、義龍は接近し槍を叩きつけようとし。翔翼は戟で受け流し反撃しようとすると、素早く振り上げられた槍が迫り、咄嗟に防御する。
それと同時に義龍の馬が赤兎に体当たりし、義龍は腕に力を込めて槍を振り上げ。赤兎ごと軽く宙に浮きながら翔翼は押し出される。
「チィッ!相変わらずの馬鹿力め!!」
すぐに態勢を立て直すが、腕から走る無視できない痺れに顔を顰める翔翼。
「大将!!」
付き従っていた配下らが翔翼を援護しようとするが、追いかけてきた側近らが割って入り斬り合いとなる。仮にも大名の側に仕えているだけに手強く、翔翼隊が押され始める。
「見よ!敵など百騎やそこらで大したことは無いわッ!!囲んで押しつぶせィ!!」
義龍に発破をかけられた斎藤勢は、勢いを盛り返して城へと進み始めていく。
「限界だな、退くぞ!!」
勢いを完全に喪失したことを感じ取った翔翼は、部隊を纏めて後退を始める。
対する義龍は自らは追撃しようとせず、悠然と構えたまま激を飛ばしていく。
そんな敵の姿に、翔翼は思わず僅かに口角を吊り上げる。
「いやはや参ったな、これは手強いぞ」
「は、はぁ…」
敵を躊躇いもせず称える翔翼。清々しさすら見せるその姿に、流石に困惑してしまう配下ら。
敵に追われる形となった翔翼隊を見て、半兵衛が動く。
「味方を後退を援護せよ!」
城門から鉄砲や矢が放たれ、翔翼隊を追撃しようとしていた斎藤勢の足を乱す。
城からの援護を受け無事帰還した翔翼は、下馬して半兵衛がの元へ向かう。
「ご無事ですか翔翼さん!?」
「ああ問題ない。にしても義龍の奴め、はやり一筋縄ではいかせてもらえんな」
「老いたとはいえ、かの美濃の蝮相手に下克上を成し遂げたのだから当然だな。これまでは自らその才を曇らせていたが、どこぞのお人好しが綺麗に晴らしてしまったらしい」
「どうせ倒すのなら、全力の相手の方が意議があろうよ」
時折半兵衛の方へ飛んでくる矢を槍で払い落としていた重矩が、皮肉を込めて言うと。翔翼は悠々とした様子で応える。
「大将!西側から五百くらいの新手が来やした!」
「よし、そのまま小六らに任せると伝えろ」
ハッ、と伝令が駆けて行くと、翔翼は正面に迫る敵に弓を構え矢を放つのであった。
「うっし、来やがったな。鉄砲隊はまだ出るなまずは矢で応戦しろ!」
筏を用い、西側に強襲を図ろうとする斎藤勢の別動隊。それを迎え撃つ小六は、主力の鉄砲隊を隠しながら機を見計らう。
意表を突いたと思い込んだ斎藤勢は、勢いに乗って押し寄せ、城壁に梯子をかけて侵入しようとしてくる。
「よっしゃぁ!鉄砲隊ぶっ放せェ!!」
小六の合図と共に鉄砲隊が一斉に構えると、五十丁近い鉄砲が火を噴き。火薬の爆ぜる音が重なり轟音となって大気を揺らし、硝煙が眼前を曇らせていく。
止めェ!!!との合図に撃つのを止めると、徐々に硝煙が晴れていき視界が広がていき、標的となった斎藤勢の姿が見えてくる。大半は屍となって地に転がるか、手傷を負って悶え苦しんでおり、奇跡的に無事だった者はその光景に断末魔を上げていた。
そんな敵に内心同情しながらも、自分達が生き残るため心を鬼にし、残敵掃討を指示する小六。役目を果たせてことに安堵していると、南側から火の手が上がり始めたではないか。
「何事だ!?」
「て、テェへんです!南からも敵が攻めて来やしたァ!!」
「んだとぉ!?!?!?」
もたらされた報告に動揺を隠せない小六。予想では敵が攻めてくるのは北と西側だけであり、それ以外は最低限の備えしかされていないのだ。
「くそ、どうなってんだ!?こっちには敵は来ないんじゃないのか!?」
「知るか!とにかく援軍がくるまで耐えぐァッ!?」
南側では突然現れた斎藤勢に、守備隊が懸命に応戦しているも。多勢に無勢であり、瞬く間に城壁に侵入を許してしまう。
「ふ、フフ。やった、やってやったぜ!」
斎藤勢を率いていた将は、城壁に足を踏み入れると、してやったりといった顔で拳を握り締めている。
「斎藤義龍の子である、この龍興が一番乗りだぜぇぇぇぇええええィ!!!」
十代半ば程の若き男は、己の為した快挙に歓喜の叫びを上げる。
彼の名は斎藤龍興。義龍の長子であり、いずれは後を継ぐべき男である。
だが、当の本人は勉学に励むことなく常に遊び惚けており。家臣はおろか父である義龍からも『織田信奈に劣らぬうつけ』と呼ばれていた。ただし、周囲を欺くために敢えてそう呼ばせていた信奈と違い、彼の場合そんなことを考えようともしない所謂『本物』であった。
そんな彼がこのような大任を任されたのは、国中を遊び回る中で地元民でも知ることのないような道を知っていたからである。
戦では何が起こるか分からない。それを体現したような男によって、戦局は一気に斎藤勢に傾くのであった。