岐阜城城主の間――その上座には主である信奈ではなく、どこか間の抜けた印象が拭えない男が胡坐をかいていた。
「信奈殿!良くぞ足利幕府再興へ名乗りを上げてくれた!そなたの忠義誠見事ぞ!」
「ありがたきお言葉。この織田信奈粉骨砕身義昭公をお支えいたします」
下座にて、信奈はやたら威張った態度を見せる男――先代将軍の実弟である足利義昭へと平伏する。
兄の死後、その跡を継ぐべく諸国へ身を寄せ全国の大名へ援助を求めていたが、どこも他家との戦に追われ余力がなく、あるいは既に足利家を見限っており芳しい成果は得られなかった。
そんな義昭へ信奈は、彼の幕府再興を手助けししたい旨の書状を送ったのだ。彼は京のある近畿に近くなおかつ破竹の勢いを見せる織田家の武力に着目したのである。
「うむ、期待しておるぞ!わしが将軍になった暁にはそちは管領じゃ!」
管領――将軍の側近を務める役職への大抜擢を受けるも、信奈はただ静かに首を横に振り辞退の意を示す。
「管領では不足か?ん~なら~ええい!奮発して副将軍でどうじゃ?」
義昭は更なる重役を勧めてくるも、信奈の反応は変わらずであった。
「何じゃ欲のない女よの~」
淡白な態度の信奈に、面白くなさそうに眉を顰める義昭。暫し考え込むような仕草をすると、何か閃いたように手にしていた閉じた扇子でもう片方の掌を軽く叩く。
「おのこか?
「義昭様!」
側に寄りながら下世話な話を始めた義昭を、側に控えていた側近の細川藤孝が制止すると、面白くなさそうな顔をしながら席に戻る義昭。それを見て藤孝は天井を気にしながら安堵したように息を吐く。
「大変失礼致した信奈殿。それで、上洛のための軍はいつ挙げられるおつもりですかな?」
「一月後には必ず」
信奈の言葉に、早くても数ヶ月はかかるだろうと見ていた義昭は一月とな!?と仰天し、藤孝も何と…と驚きを隠せないようであった。
その後、いくつかの事項を協議すると、満足した様子で退出していく義昭。
それから暫く先程の主君の非礼を何度も謝罪する藤孝の相手をした信奈は、縁側に立つと体の凝りをほぐすためにん~と伸びをする。
「で、あんたは何してんのよ?」
振り向きながら天井に向かって話しかけると、天井裏から翔翼がひょっこりと顔だけ出してきた。
「将軍家の人間がどういうものか気になってな。藤孝殿には気づかれてしまったが」
「そりゃあんな殺気出せばね」
「そんなつもりはなかったのだが…」
不思議そうに首を傾げている翔翼。義昭が下世話な話を始めた刻に、天井裏から漏れ出ていた殺気を思い出し呆れ気味な目を向ける信奈。
「たくっ藤孝殿絶対胃を痛めてたわよ。気をつけなさい」
「すまん」
「別に怒ってはないわよ」
シュンとした様子で謝る翔翼に笑みを見せる信奈。彼女としては、自分を心配してわざわざ天井裏に潜んでくれていたことは理解しているので寧ろ嬉しいとさえ思っていた。
「しかし、あんなのを将軍にしていいのか?」
「元々出家してたっていうんだからあんなもんでしょう。こっちで上手く手綱を握ればいいのよ」
「だといいがな」
何か危惧している様子の翔翼に、何よ、と訝し気な目を向ける信奈。
「そんな簡単な男には見えんだけだ。扱いを誤れば火傷では済まんかもしれん」
「なら間違わなければいいだけよ。落ちぶれているとはいえ、将軍家の『権威』――利用しない手はないわ」
「向こうも「信奈の「軍事力」とことん利用させてもらうのだ~」とか言ってそうだな」
「それでいいわ。俗物的な方がこっちも相手しやすいし」
「確かにな。まあ、そこはお前に任す。では、この後信盛と可成と飲む約束があるのでな帰る」
そういって再び天井裏に消えていった翔翼。
「…いや、普通に帰りなさいよ」
もう隠れる必要がないのに、わざわざ苦労する方を選ぶことに思わずツッコミを入れる信奈。
「こっちの方が楽しいからな」
「ああ、そう…」
再び顔だけ出し、せっかくなんでな、と言って消えていく20代に、子供か…と呆れながら再びツッコミが入るのであった。
「お、おーい翔!こっちだ!」
城を出ると、城門付近で待っていた可成が手を振って呼んでいる。その隣には信盛もいる。
「よう」
「どうだった前将軍の弟君ってのは?」
「小物の大物だな」
「うん。僕の苦労が増えることは良くわかった」
起きうる将来を予見してげんなりする信盛。
「働け筆頭家老」
「苦労しないお前に価値はねぇぞ」
「優しくして!もっと甘えさせてよぉ!」
容赦のない親友らに抗議するも、軽く流されながら城下町へ向かうと、可成の屋敷へと向かって行く。
「そういえば翔もようやく屋敷に住むようになったんですよね。住み心地はどうです」
「悪くはないが、別に足軽小屋のままでも良かったがな」
「立場的にそうもいかねぇだろ」
本人の性格的に、これまで出世しても住まいを変えてこなかった翔翼だが、岐阜に本拠を移転するに伴い相応の住まいを与えられたのだ。
「まあ、ねねも定も働き甲斐があるって喜んでいるからいいが」
住まいが広くなり、ねねだけでは手に余ると考え世話人を新しく雇おうとしたところ、どこから聞いてきたか定が押しかけ気味に名乗り出てくれたので、そのまま雇い入れることとしたのだった。
ちなみに、その話を聞いた信奈が実に面白くなさそうにしていたとか。
「さて、そろそろ可成の屋敷に着くか」
「ああ、『アレ』ですか」
不意に柔軟体操を始める翔翼に、信盛が何か面白げに笑みを浮かべている。
「ワリィな『あいつが』どうしてもお前を連れて来いって言って聞かなくてな」
「構わん。あのじゃりガキの相手は退屈せん」
申し訳なさそうな顔をする可成に、気にするなというように肩を叩く翔翼。
そうこうしている内に、可成の屋敷に到着した。
「お~い、え~い帰ったぞ~」
「おかえりなさいませ可成様」
戻ってきた亭主を妻であるえいが出迎えた。彼女は元は信奈に仕える侍女であり、可成が若き日の信奈の直臣になったおり知り合い。互いに元は美濃の出身であったこともあり意気投合し婚約したのである。
「信盛様、翔翼様よくぞお越しくださいました。大したおもてなしもできませんがごゆるりとお寛ぎくださいませ」
「いえいえお気遣いなく。あ、これ土産です」
「えい殿の手料理が喰えるだけで十分ご馳走になる」
来客二人が土産を渡したりしていると、翔翼の背後に植えられている松の木の陰から人影が飛び出して来た。
「うおォォォ!死ねェ翔翼ゥゥゥ!!」
人影は鍛錬用の棒を翔翼の脳天目がけ振り下ろしてくるも、翔翼は難なくそれを掴むと棒ごとぶん回す。
「おああああぁぁぁぁぁああああ!?!?!?」
「よっと」
勢いがついたのを見計らい棒を手放すと、その勢いで吹っ飛んだ人影は宙を舞い地面に叩きつけられた。
「うぐぐ…」
「殺気を出し過ぎだ馬鹿者め」
痛みを堪えて起き上がろうとする人影に、翔翼は呆れた様な目を向ける。
人影――まだ十代になろうかという幼い男児は、獰猛な獣のような目で棒を構えると再び翔翼に襲い掛かる。
「やめなさい、長可!!」
「気にされるなえい殿。食事前のちょうどいい運動になる」
えいが男児を止めようとすると、翔翼はそう語りながら楽し気に猛攻を躱していく。
「ああ、もう。あにうえはまたぶれいなことを…」
「おう、蘭丸。戻ったぞ」
屋敷から姿を見せた、長可と呼ばれた男児よりも更に幼い男児の頭を優しく撫でる可成。
「おかえりなさいませちちうえ。のぶもりさま、しょうよくさまもごぶさたしております」
蘭丸と呼ばれた可成によく似た男児は、来客らに礼儀正しく挨拶をする。
彼らは可成の子息であり、獣のように翔翼に襲い掛かっているのが嫡男である森長可。年齢以上に大人びた印象を与える程礼節をわきまえているのが次男の森蘭丸である。
長可は仕官したばかりの頃、翔翼が手合わせした父を負かしたことを知ると、彼を好敵手と見なし勝負を挑んで来るのである。――最も彼の場合、勝負というより首を取らんばかりに執拗に襲い掛かって来るのだが、それでも翔翼はそんな彼の相手を楽しんでいるようであった。
暫くして屋敷内で酒宴を始める翔翼ら。ちなみに園庭では古びた雑巾のように傷だらけになった長可が倒れ伏しており、それを蘭丸が介抱していた。
「ありがとうな翔。いつも長可の相手してくれてよ。もうウチじゃ俺以外相手できるのがいなくなっちまってな」
「構わん。いい暇つぶしになる」
「それにしても長可君も強くなりましたね~。性格アレですけど」
信盛の言葉にそうなんだよな~と困ったように頭を掻く可成。
長可は武術こそ成人顔負けの技量を持つが、鍛錬では必ず多数の負傷者を出すほど極めて凶暴で好戦的であるのが父としては悩みの種であった。
「問題なかろう。あいつはお前やえい殿、蘭丸ら弟を大切に想っている。家族を愛する心を持つやつは強くなる」
口元に笑みを浮かべながらおちょこでちびちびと酒を飲む翔翼。
「うぉぉぉおおお!!また負けたァ!!次こそはぶっ殺すッ!!!イテテ…!」
「そんなボロボロで素振り何て無理ですよ兄上ェ!!」
庭園から聞こえてくる兄弟の活発な声に、微笑みを浮かべる三人。
「何です昔の自分とでも重ねたんですかぁ」
「さてな。昔と言えばあったばかりの頃お前「天下統一なんて馬鹿馬鹿しい」とか「夢物語は見るだけ無駄」とか言ってたよな」
「わーこのつまみおいしーなー」
「あん刻のお前だいぶ擦れてたよなぁ」
とぼけながらつまみを箸でつつく信盛に、可成が温かい視線を向けてくる。
「やめろ!思い出したくないか過去を掘り起こすのはァ!!」
「zzz」
「この間で寝るな!起きろォ!」
「起きてマス。起きてマスヨ」
酔いが回り始めたようで目蓋が重くなり始める翔翼。ちなみに彼が飲んだ酒の量はおちょこ2、3杯程である。
「にしても尾張の一家臣でしかなかった姫さんが今や二国の大大名。ようやくここまで来たんだなぁ」
「仕え始めた頃は、尾張統一すらできるかも怪しかったですからねぇ。何度死にかけたことやら」
当時の苦労を思い出し苦笑いを浮かべる可成と信盛。当たり前のように寝返りが起き、誰が敵で味方か曖昧であった中成し遂げた尾張統一。下克上を体現したとさえ言える出来事の数々は今でも鮮明に思い起こされる。
「何やりきったって顔してやがる。まだ道半ばだろうが、これから軍を率いて上洛すんだぞ。その後だってやることは腐る程あんだからな」
先程まで酔いつぶれそうになっていたのが嘘のように、しっかりとした顔つきで語る翔翼。その目には尽きることのない炎が宿っているようであった。
「だな、先ずは都で俺達の名を轟かせるかッ!」
「まぁ、死なない程度で頑張りますけど」
「ん」
三人で盃とおちょこを掲げながら突き合わせ、誓いを立てるように注がれていた酒をそれぞれ一息に飲んでいく。すると、翔翼の体がぐらついていき、後ろに倒れていく。
「寝たな」
「寝ましたねぇ」
大の字になって寝息を立てている翔翼。
「お酒大好きな癖にすぐに酔いつぶれるんですよねぇ。つくづく非常識だなぁ」
「ま、だからこそ俺達もここまでこれたのかもな」
常識に囚われず、斬新な発想で織田家に立ちはだかる困難を打ち破ってきた翔翼。そんな彼は今では立場を超えて織田家の中心となり、なくてはならない存在となっていた。
「俺達も負けてられねぇよな」
「ですね。…で、どっちが彼を運びます?」
熟睡している翔翼を指さしながら話す信盛。
その後、じゃんけんで負けた信盛に荷車に載せられ、自分の屋敷に運送される翔翼なのであった。
どうでもいい捕捉
日本でじゃんけんが広まったのは明治頃とされているそうです。