上洛に備え各々準備に余念がない織田家。そんな中、翔翼は道三に呼び出され彼の屋敷を訪れていた。
同居人である光秀に出迎えられ。通された居間には既に道三がおり、対面に腰かけた翔翼は光秀が差し出してくれた茶の入った湯飲みを啜る。
「どうした爺さん。悪いが、今は嫁に叱られただなんだ愚痴を聞いてやる暇はないぞ?」
「違うわたわけ。今回はお前と光秀にとって重要なことだ。上洛が始まったら、今まで以上に忙しくなるからな」
「「重要なこと?」」
心当たりが無く首を傾げる翔翼に、道三の隣に腰かける光秀も何も聞かされていないのか同様の反応を見せる。そんな2人に道三は含みのある視線を送る。
「翔翼。お主二十歳を超えても一人も嫁を貰ったことがないそうだな」
「ん、そうだが」
「そなたも知っているだろうが、この光秀もこの歳になっても嫁の貰い手がなくてな。どうだよければ貰ってやってくれんか?そなたのことは息子のように思っておるし、人柄や器量申し分なく安心して任せられる」
突然の申し出に、茶を啜っていた光秀が顔を真っ赤にし盛大に噴き出した。
「――ぅ、ゲホ!ゴホッ…。な、ななななななな何を仰るのですかお父さん!?!?!?い、いきなりそんなことをッ」
「何を言うか!!親として当然のことよ!!いつまで経っても戦だ政だと言い訳しおってからに、もしもこのまま行き遅れにでもなろうものなら、儂は死んでも死にきれんわ!!」
「うぅ…」
この上ない程の正論に、光秀はあぅ…と言葉を詰まらせ、申し訳なさそうに俯いてしまう。
そんな彼女に助け船を出すべく、割って入るために口を開く翔翼。
「そう急かすなよ爺さん。こういうのは当人の気持ちが大事だと聞くぞ。無理に駆り立ても碌なことにならんぞ?」
「他人ごとにいうでない。お主も武士の端くれなら体裁も考えんか。今後織田家が――信奈ちゃんが天下の表舞台に出ていくということは、必然的に側近であるそなたも衆目に晒されるのだぞ。臣の身振り手振りも主の威信に繋がるのだからな」
同じように正論を受けむぅ…と打ち負かされる翔翼。そんな彼らをに全く最近の若いのは…と嘆く道三。
「良いか人というのは一人では生きていけん。確かにお主らには志を共にする者達がいるが、いざという刻に真に支えとなる者は限られるのだ。これから先、お主らには想像を絶する困難が待ち構えていることであろう、己だけでは超えられない壁に当たってからでは手遅れになるぞ」
「…あんたの言うことは至極最もだが…。悪いが、この話はどうかなかったことにしてもらいたい」
「何と?我が娘に不満でもあるとでも?」
深々と平伏して辞退を申し出る翔翼に、道三は怪訝に眉を顰めた。
「光秀に落ち度などない。品性公正、清廉潔白、博識多才であり、非の打ちどころのない女性だ。娶れる者はこれ以上ない果報者であろう」
「では何故断る?そこまでこの子を認めてくれながら。そなたの過去に何があったかはおおよそ察する、それが関係しておるのか?」
「…それもある。だが何より、知っての通り、俺はいつ死んでもおかしくないような生き方しかできん男だ。無論戦場で死ぬ気はないが、何が起きるかわからぬ乱世において、男として――夫として誰かを幸せにできる自信がない。故にこの縁談を受けることはできない、あんたの心遣いには心から感謝しているが、どうか許してほしい」
「翔翼殿…」
心の内を吐露する翔翼に、光秀は何かを決したようで、父に向き直り深々と平伏した。
「お父さん。気遣って下さり私も感謝しますが、このような形での婚姻は受け入れられません。私からも、どうかこの話はなかったことにして下さいませ」
娘からの懇願に、道三は思案するように目を閉じ間を置く。
「(幼くして愛する者を失った経験が、心に癒えぬ傷となってしまったか。…故に再び失うことを恐れ、愛した者に同じような苦しみを与えぬようにと、無意識に誰かを深く愛することや、光秀や信奈ちゃんらからの想いを拒んでしまっておるのか…)」
翔翼の恋心への鈍感さの根幹を知った道三は、今は時期尚早であると判断し目を開く。
「…………あいわかった。儂とてできることなら無理強いは好かん。だが、気が変わったのならいつでも式を挙げて構わんと、二人共これだけは覚えておけ。儂に遠慮はいらんからな。お前達が幸せになってくれのが一番だからな」
顔を上げさせ二人の手を取ると、主君すら蹴落とし悪逆をも厭わず美濃の蝮と呼ばれ恐れられた男は、一人の父として慈愛の笑みを浮かべるのであった。
道三の屋敷の門の前にて、帰路に着こうとする翔翼を光秀が見送っていた。
「父がご迷惑をおかけしました翔翼殿。どうかお許し下さい」
「気にしていないさ。お前のことを想ってのことなのだから、責める理由がないさ」
頭を下げて謝罪してくる光秀に、気にするなと首を横に振る翔翼。
「「……」」
そこから、気まずい様子で沈黙してしまう両者。話の内容が内容だけに、何を話して良いのか分かないが、このまま別れてしまうのも違う気がして、刻だけが過ぎていく。
そんな中、光秀が躊躇いがちながらもあの、と口を語り掛けた。
「信奈様が天下を平定して、乱世が終わったら翔翼殿はどうされるのですか?」
「む?」
光秀からの問いに、腕を組んで考え込む翔翼。
「…わからないな。正直信奈に天下を取らせることしか考えてこなかったからな。目の前にことで一杯一杯だからな、その先のことなんて考える余裕もないしな」
「そう、ですよね。誰もが今を生きるのに精一杯ですものね。すみません変なことを聞いてしまって」
乱世なのだから当然ともいえる答えに、自分も答えられないのに、と後悔すら感じてしまう光秀。そんな彼女に、翔翼はだが…と言葉を紡ぐ。
「爺さんに言われたことはとても大切なことはわかる。だから、自分なりに考えてみようと思う」
「そう、ですね。私も自分のことについて、考えてみようと思います。父の想いを無駄にしないためにも」
「なら、互いに頑張ろう」
「はい!」
互いに笑みを浮かべると、翔翼は光秀と別れ帰路に着くのであった。。