「む?」
翔翼が目を覚ますと、青空が視界に広がる。背中から伝わる感触と振動から、自分が荷車に横たわっているのだと把握する。
「お目覚めですか?」
聞き覚えのある声に視線を向けると、騎乗した光秀が安堵したような顔で見下ろしていた。
「どれくらい眠っていた?」
体を起こそうとするも、強い倦怠感のため動けないので、横たわったまま問いかける翔翼。
元康との交渉を終えて砦に戻るのと同時に、翔翼は光秀らに休まされ。忠勝との一騎打ちで深手を負った状態で無理に動き続けたせいか、そのまま意識を手放してしまったのだ。
「休まれてからおよそ1日です。現在はお休み前に頂いたご指示通り、信奈殿との合流地点へ移動中です」
「そうか…」
光秀の言葉に、翔翼は安堵したように息を吐いた。目的を達した以上、丸根砦に拘る理由はなくなったため、砦を放棄し撤退を指示したのだ。その際今川の目を誤魔化すため、旗を多量に並べて置く工夫もさせておいた。
「一先ず予定通りか」
「!動いてはいけません!辛うじて傷が塞がっているだけなのですから!」
ゆっくりとだが体を起こす翔翼に、光秀が止めに入ろうと慌てて下馬しようとする。そんな彼女を翔翼は手で制する。
「1日も休めば十分だ。それより損害は?」
「…半数が討ち死に、残った者で戦えるのは三十人程です。特に殿を務めた蜂須賀隊は壊滅状態です」
「…そうか。散った者達は俺を怨んでいるだろうな」
伝えられた人数に翔翼は目を伏せ、死者に哀悼の意を表する。それと同時に、無謀な策に力を貸してくれた彼らに感謝の念と、残された親しい者達も含め怨嗟の声を受ける覚悟も決めていた。
「そんなことはねぇだよ大将」
そんな翔翼に、側にいた足軽の1人が声をかけた。
「信奈の姫様のおかげでオラ達の暮らしはずっと良くなっただ。だから姫様のために戦って死ねるなら皆本望だよ」
その言葉に他の足軽達も同意する声を上げる。
信奈は当主になる以前から、頻繁に民と触れ合い暮らしを知り、声に耳を貸し。当主になってからは、寝る間も惜しんで彼らの暮らしを良くしようと政に励んでいた。その努力が、こうして彼女を助けているのだと実感できた。
「そうか、そういってくれるのなら、あいつの頑張りは無駄ではないのだな」
安堵するように荷車に背中を預ける翔翼。暫し荷車の揺れに身を預けていると、合流地点である中島砦が見えてきた。
旗の多さや喧騒から、既に信奈らは到着しているようである。
開かれた門を潜り砦内に入ると、荷車から降りる翔翼。だが、足取りがおぼつかず上手く立てない。
「無理なさえらず、肩を」
下馬して駆け寄って来た光秀は肩を貸してくれる。
「すまないな。赤兎もありがとうな」
負担が減るよう荷車を引いてくれていた赤兎に、感謝の念を込めて撫でると、嬉しそうに目を細めて鳴いた。
赤兎を荷車から離すよう他の者に伝え、部隊を小六に預けると、中心部へ向かう翔翼と光秀。
館の前には信奈始め、見慣れた顔が揃っていた。
「あ…」
その中にいた道三の姿をみた瞬間、光秀は思わず歓喜の声が漏れると同時に、涙が滲み出る。
翔翼は光秀から離れると、彼女の背中を押す。すると弾かれるように光秀は道三へ駆け寄ると、胸に飛びつく。
「お父さん…ッ!」
「全く、聞き分けのない娘に育ったものだ、馬鹿者め…」
顔をうずめて嗚咽を漏らす光秀の頭を撫でる道三。言葉と裏腹に、その顔は慈しみに溢れていた。
支えを失いふらつく翔翼だが、利家が代わりに支えて、信盛が持ってきた腰かけに座らせてくれる。
「大丈夫?」
「ああ、ありがとうな」
不安そうな利家の頭を撫でる翔翼。
「翔翼、お主には大きな借りができたな」
「別に、信奈が望んだことだ気にするな。にしても、随分腑抜けた顔してんな爺さん。どうした死にかけて悟りでも開いたか?」
国を追われ、美濃の蝮ではなくなったせいか。覇気が抜けた様子の道三に、翔翼は茶化すように言う。
「抜かせ。相変わらず口が減らん奴だ」
フンッと鼻息を荒くする道三。蝮らしさが戻ったと満足そうな笑みを浮かべる翔翼。
そんなやり取りをしていると、信奈が翔翼に歩み寄る。彼女は、翔翼の体に巻かれている包帯を見て眉を潜めた、
「…それよりあんたの傷は?」
「脇を斬られたが、大したことはない」
「死んでもおかしくないような深手です」
なんてことないように言う翔翼の言葉を、光秀が補足する。その口調は立腹しているようであった。
「あんたねぇ…」
「生きているからいいだろう。それより刻がないんだ次の手に移るべきだろ」
小言が続きそうなので、話題を強引に返る翔翼。それと同時に五右衛門がどこからともなく彼の側に現れる。
それを見た信奈は何か言いたそうであったが、その通りでもあるので。後で覚悟しておけと言いたそうな目を向けながら息を吐いた。
「見つけた?」
「ハッ、今川本隊は現在熱田方面へ進軍中でござる。いま追えばおけはちゃまでほちょくできりゅかちょ」
「…桶狭間?」
信奈の問いに、格好つけながら報告するも。重要な部分で噛んだ五右衛門に、翔翼が問い直すと、彼女は顔を赤くしながらも頷いた。
「…
信奈が勝家を通称で呼ぶと、彼女は即座に小鼓を取って敦盛のリズムを取り始める。
それに合わせて信奈は鎧も脱がずに舞を舞い始めた。
「人間、二十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」
決戦を前に、自らの死すらも覚悟するように舞う信奈を、誰もが静かに目に焼き付けていた。
彼女の覚悟が伝播するように、この場に集った末端の足軽に至るまで熱を帯びる。
「信盛。あんたにこの砦は任せるわ」
「ハッ、背後はお任せを」
「他の者はあたしと出陣よ!これより今川本隊を叩く!本隊だけなら充分勝機はあるわ!!」
信奈の号令に、ウオオッ!と雄たけびを上げると。一斉に動き始める織田軍。それと、同時に曇りとなっていた空からポツポツと雨が降り始め、瞬く間に叩きつけるような豪雨となった。
「道三様…」
「行くが良い、お前はもう織田の人間だ」
光秀が懇願するようね目を向けると、背中を押す道三。
「構わんだろう信奈ちゃん」
「ええ、頼りにさせてもらうわ光秀」
「はい!」
信奈の言葉に力強く頷くと、輪に入ってく光秀。
翔翼も後に続こうとするも、気配を隠して忍び寄った一益に、縄で雁字搦めされてて地面に転がされてしまった。
「どういうつもりだ一益!?」
「どうもこうも翔兄こそ、何混ざろうとしておるんじゃ。怪我人は大人しくお留守番しておれ」
予想外の事態に困惑しながらも翔翼は一益を睨みつけると、呆れ果てた目を彼女から向けられた。
「なん、だと」
「いや、何で驚いているんですか?」
馬鹿な!と言いたそうな様子の翔翼に、信盛がツッコミを入れる。
「少しは自分の身も案じなさい。0点です」
「ま、後は俺達に任せてゆっくり休みな」
長秀と可成が諭そうとするも。納得する気がないのか、縄をほどこうともがく翔翼。
「小六、手を貸せ!というか助けてくれ!」
「寝てろ。おーし、大空隊行くぞ~」
腹心に助けを求めるも、あっさりと切り捨てられた。
「よいしょ」
「もがご!?」
遂には
「翔」
信奈が膝を着くと、翔翼の頭をそっと撫でる。
「もう大丈夫だから。後は1人で頑張れるから」
微笑みながら優しく語りかけると、ようやく大人しくなる翔翼。
そんな彼の頭をもう一度撫でると、騎乗する信奈。
「開門!!」
下知に城門が開かれると、信奈が先頭を駆けだし。その彼女の後を家臣らが熱気と共に続いていく。
「…さて、周囲を警戒を厳に、些細なことでも報告を。それと、このお馬鹿さんを館に」
出陣を見送った信盛が、配下に指示を飛ばすと。翔翼は拘束されたまま館に運ばれていくのであった。