回帰の刃   作:恒例行事

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冷酷

「お前、弱っちィな」

 

 そう言いながら俺の脚を掴んで、ギリギリと万力のような力で締め付ける正体不明の人型の何か。ぐぐ、と締められた事で骨がミシミシ言っているのが伝わってくる。

 痛みで冷静に考えられない。痛い。痛い痛い! ボキ、と。まるで木の枝でも折るように簡単に圧し折られた俺の脚を、呆然と見つめる。

 

 その直後に襲ってきた激痛に、のたうちまわろうとするが──それを、顔面を掌で覆われて叩きつけられる事で出来なくなる。頭が痛い。割れそうだ。いや、実際割れてるのだろう。

 クソが、好き勝手やりやがって。そう思うけれど、怒りによって身体が動くなんてそんな事もなく。無防備に、と言うより。指一本動かせない状態で、無様に身体を晒すしかない。

 

「ゲへっ、女の肉の方が美味いけど──腹ァ減ってんだ。男でも構わねェや」

 

 そう言いながら、仰向けの俺の顔面から手を離す。そうして、激痛の最中相手の姿を捉えようと視界のみ動かす。

 

「んじャ──いただきます」

 

 ガブ、と。

 なんの躊躇いもなく、俺の折れた脚にかぶりついた。

 

 猛烈な痛み、それが襲ってくる前に。気持ち悪さ──ありとあらゆる不快感を混ぜ合わせた感情を味わった。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! そして不愉快さが消え失せるより早く、俺の身体を激痛が駆け巡った。

 思わず、大きな声で叫ぶ。自分がどう見られるかなんてとっくに考えていない、恥も外聞も何もかも捨て去った叫び。痛みを、最早痛みとすら認識できない程に痛い。

 

「うるさァい」

 

 独特の発音でそう言い、俺の頭を殴りつけてくる。後頭部を強打して、今度こそまともに動けなくなる。なのに、なのに──どうして、意識だけ残ってるんだ。

 いっそのこと、死なせてくれ。苦しい。痛い。辛い。どうして、死なないんだ。

 

 掠れた声が出る。左足の感覚が、不愉快に染まっていく。ぞわりと、鳥肌が立つだとか。そういう話ではない。自分の身体が千切られ、咀嚼され、喰われている。ソレを、ひたすら受け入れるしかない。気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い痛い痛い痛い──やめて、くれ。

 

 むしゃむしゃ、ばりばり。

 肉を喰い飽きたのか、骨をしゃぶった後に噛み砕く謎の人型。

 奴が次に、俺の腕を手に取った時。意識が、薄れていくのを感じた。

 

 ああ、やっと救われる。脳漿を撒き散らす寸前の、死にかけのこの姿で蹂躙されるのが終わるのだ。ありがとう、ありがとう──神か仏か、知りませんが、どうか、どうか。

 

 祈る様に薄れていく意識に、安堵して──俺は意識を絶った。

 

 

 

 

「お前、弱っちィな」

 

 ──なんだ。

 見たことある景色、光景、そして言葉。俺は、何をしていた。何があった。一体どうしてこんなことになっている。こいつは誰だ──ビキリ。

 掴まれていた左足が、圧し折られる。大きく叫び声を上げようとして──咄嗟に顔の前に腕を出す。大きな掌が俺の顔を掴もうとして、それを防ぐように左腕を伸ばす。

 

「あァ、邪魔だな」

 

 そして、腕を掴まれ──またもやへし折られる。

 あまりの激痛と、色々混ざって理解不能な現実に脳がショートする。なんだ、何が起きているんだ。なんで俺は、こんな事になっている。俺は、死んだんじゃ無いのか。死んでないのか。まさか、地獄なのか? 無限に繰り返すだけの地獄に、俺は突き落とされたのか? 

 

 ──逃げなければ。

 

 怪物に対して、残った右脚で蹴ろうとする。体勢が悪く、全く力を入れれないからただ緩く当たっただけで効果がありそうには思えないが──早く逃げなければ。

 歯を食いしばって、全身の痛みに耐えるように吠えて蹴る。ゴ、と側頭部に命中したが怪物は揺らぐ事なくゆっくりと俺の右脚を掴んだ。

 やめろ、くそ、離せ──そう考えている間に、俺の右脚をガッチリと握って、下半身から引き抜くように引っ張った。ブチブチブチィッ! と音を立てて引き摺り千切られる下半身を認識して、絶叫する前に意識が暗転した。

 

 

 

 

「お前、弱っちィな」

 

 咄嗟に、脚を掴んでいる腕を蹴る。力が入るのはわかったが、効き目が薄いようで離す気配がない。それどころか余計に力を入れて、脚がミシミシ言っている。やめろ、もう味わいたくない。脚を折られる感覚も、腕を折られる感覚も、生きたまま体を喰われる感覚も──味わいたくない。

 何度も連続で手を蹴る。離せ、離せ離せ離せ──! 叫びながら、繰り返す。

 

「うるさィ」

 

 空いた手で、脚を掴まれる。まだ左足は折れてないけれど、十分すぎるほどに痛みを感じる。けど、まだ折れてない。喰われてない。なんでかはわからないけど、俺はこの痛みを知ってる。意識の残ったまま喰われる感覚は、不愉快極まりない。大体なんなんだこいつは、この怪物は。

 腕を地面につけ、脚を掴まれ下半身が浮いた状態から身体全体を浮かせる。普段使わない筋肉を使用するから、腕がぷるぷる震えるが──そんな事どうだっていい。

 この理解不能な状態から逃げなければ。なぜ死なない。なぜ戻る。これは夢か、現実なのか。確かめなければならない。

 

 そのまま勢いを付けて、脚を思い切り振る。上下左右、ありとあらゆる捻り方をして離せと叫ぶ。

 

「──っるさいなァ!」

 

 何度も聞いた独特の発音で、掴んでいた脚から手を離し拳を振るってくる。思ったよりも早いソレに反応することもできず、腹に思い切り打撃が入る。

 そのまま地面に殴りつけられ、動けなくなる。腹が、痛いだとか、そういう次元じゃない。内臓がどうなったとか、そういう話だ。呼吸がうまく出来ない。は、は、っと小さく──まるで空気を求める陸上の魚のように呼吸を取ろうとする。ずる、と身体が引き摺られる感覚がする。クソ、クソが。やめろ、喰うな。喰わないでくれ。頼む。

 

 俺を喰わないでくれ。頼む、俺が、何をしたっていうんだ。痛い、痛い痛い──苦しい。助けてくれ、だれか、誰でもいいから……。

 

 腕を掴まれ、引っ張られる。いっそ、殺してくれ。俺を殺してくれ。ヒュ、ヒュと小さく声を出そうとするがうまく出ない。

 

 あが、と怪物が大きく口を開く。ジリジリと俺に近づいて──やめろ。やめてくれ。殴り殺してくれ。千切り殺してくれ。蹴り殺してくれ。頼むから、それだけはやめてくれ。

 

 心臓の音が止まない。怖い。怖い怖い怖い! あの口が、また俺を喰おうとしてる。怖い。怖くてたまらない。あの痛みが、あの苦しみがまた襲ってくる。いやだ。

 

 腕を動かそうとしても、動かない。そうしてる間に、怪物はどんどん近づいて──俺の顔の目の前に、大きな口がある。異臭がする。腐った肉や草を、ひたすらに混ぜ合わせたような酷い匂いだ。嘔吐感を感じて、込み上げてくる吐き気に耐える。

 

「生意気だなァ──顔から、食ってやるよ」

 

 じり、と顔に近づいてくる。

 やめろ、やめろやめろやめろ! ぞぷ、と俺の顎に怪物の歯が刺さる。ああ、やめてくれやめてくれ! 動かそうとしても動かない手を、懸命に動かそうとする。そうしている間にもじわじわ俺の肉を貫いて侵食してくる怪物に懇願するように泣き叫ぶ。

 顔の筋肉が動き、それによって更に痛みが増す。

 

 ニヤ、と一瞬目元を緩めた怪物は──そのまま、俺の顔面を噛み砕くことを選択した。

 

 額に、上の歯が刺さる。

 

 まさか、まさか──このまま喰い千切るつもりか。

 それだけは嫌だ。他の死に方ならなんでもいい。だけどそれだけは嫌だ。腕を切られようと、脚を折られようと、これに比べればなんだっていい。

 

 は、はっと小さく呼吸を繰り返す。いや、これは最早動悸と言った方が正しい。怖い。ひたすらに怖い。今正に、これから、俺はこんな無残な死に様を迎えようとしているのだ。この後に、あの痛みが、想像もつかないような痛みが襲ってくる。

 

 視界が定まらない。相手の口内、ぐちゃぐちゃに染まったソレがぼやける。いやだ、見たくない。認めたくない。死にたく、ない。いや、死んだ方がいい。今すぐ死にたい。なんだよこれ。なんでこんなことになってんだよ。

 

 ブチュ、と視界が途切れる。

 その瞬間、とんでもない激痛が顔面を襲った。引っ掻かれたような、穴を開けられたような、鋭くて鈍く響く痛み。叫ぼうとして、口が開かないことに気がついた。そうして次から次へと何かを認識して、痛みが増す。

 口を閉じられたまま、本気で泣き叫ぶ。もうやめてくれ、殺してくれと懇願する。だが怪物はそれを気に留めることもなく、なんの躊躇いもなく噛み砕いた。

 

 顔の皮膚が、殆ど千切れたのではないだろうか。そう思える痛みに、もう呼吸とかそういうのをすっかり忘れてしまう。のたうちまわることすら出来ない痛みに、意識を失う寸前。

 

「お前、意外とうめェな」

 

 そう言って、怪物は俺の頭を掴んで──意識が暗転した。

 

 

 

 

「お前、弱っちィな」

 

 絶叫しながら、殴りかかった。

 もう、どうなるかなんて知らない。どうせ喰われるのだ、そして死ねないのだ。ならばコイツを殺すしかない。痛みがまだ脳に残っているような気がする。最初から顔面を狙って殴る。死ね、お前なんて死んでしまえ。俺の代わりに死ね。よく見てみれば、人に似た顔をしている。だが──人は、人を食わない。

 

 お前は化け物だ。殺してやる。お前が死ねば、俺は解放されるんだ。

 

 バキ、と殴りつける。割と簡単に脚を離した怪物に更に殴りかかる。離したからなんだ。お前はどうせ諦めない。だからここで殴って殺す。死ね、お前みたいな醜い怪物は死ね。利き腕である右腕を思い切り振り下ろす。顔面を叩き潰すように、二度と起き上がってくるなと思いを込めて。

 

「ゲッ、て、てめ、げぶっ」

 

 執拗に顔面を狙い続け、抵抗できないようになるまでわー頭が潰れるまで殴り続ける。クソ、クソが。未だに喰われた箇所が幻痛を訴える。左腕、両足、顔面、頭。全ての部位が痛みを訴えてくる。気がつけば右手の拳から大量に出血しているが、構っていられない。

 ここでコイツを殺す。そうしなければ、また繰り返すだけだ。繰り返し喰われて、俺はまた痛みを得る。いやだ。これ以上痛い思いはしたくない。

 

「いィ加減にしろっ」

 

 怪物の手が、俺の右腕を掴む。構うもんか、なら次は左腕だ──左腕も、受け止められる。馬乗りになった状態で俺が有利だが、この怪物は力も馬鹿にならない。人を地面に叩きつけて、内臓を潰せるんだ。その時点で人間離れしている。

 ならば──と、頭突きを顔面にする。プシュッと怪物が鼻から血を流すが構わず何度も執拗に叩きつける。死ね、死ね死ね死ね──潰れろ! 

 

「ぼ、ぼまェっ」

 

 何か言っても構いやしない。お前は俺が待てと言っても、食うなと言っても、やめてくれと言っても、喜色を表して更に喰うだけだった。お前のようなカスは、クズは、生きていてはいけない。ここで死ね。俺はお前が嫌いだ。だから殺す。

 視界が赤く染まりそうになるが、気にしない。

 

 腕の力が緩んだそのタイミングで、怪物を殴りつける。反応できなかったようで完璧に入った拳を、今度は両手で混ぜ合わせて殴る。呼吸をさせるな。考えさせるな。こいつはここで殺す。右左右左、左右に振って殴り続ける。早く死ね、死んでしまえ。

 ピクピク俺の腕を、弱い力で抑えようとしてくる怪物の腕を引き剥がして殴り続ける。段々と腕に力が入らなくなってきたので、今度は脚で蹴る。右脚を思い切り顔面に向かって落とす。潰れるような音がしたが、それも構わず蹴り続ける。

 

 少し時間が経っただろうか。夜も更けて、真夜中の闇の深さが目立ってきた。目の前で痙攣する怪物に、ここまでやって死なないのかと恐怖する。顔は潰れ、原型が無くなっている。首まで潰れたその姿に、それでもなお生命活動を停止してないことが気持ち悪くて仕方がない。

 

 このままにして、また復活されても嫌だ。応援を呼びに行く……いや、難しいだろう。誰がどう見たって、俺が人を殺したようにしか見えない。グ、と拳を握る。痛みが奔るがその程度なんの障害にもならない。そんな軽い痛み程度、顔面を喰われるよりよっぽどマシだ。

 地面に転がる石を拾う。そこそこ大きな、人一人殺せと言われれば殺せるくらいの大きさ。それを──思い切り怪物に向かって叩きつけた。グシャ! と大きな音を立てて怪物の血が飛び散る。どうせ死んでない。腕も脚も、全部叩き潰してやる。喰われた順番、右脚、左腕、左腕、左足。余すことなくぐちゃぐちゃになって地面に倒れ臥すその姿を見て、すこし安心する。

 

 もう、喰われることはない。もう、痛い思いをすることはない。

 ──あれ、なんで俺はここにいるんだろう。そこでふと気が付いた。そもそも俺はどうしてこんな場所にいたんだ。夜、山の中。出るなと言われていた言いつけを無視して、なぜこんな場所にいるのだろうか。

 

 ──そうだ。家族、俺の家族が危ないんだった。その場から駆け出し、急いで山の奥まで走る。姉が、病気なのだ。持病を肺に持っていて、元々体調があまり良い人ではなかった。ついさっき、そうだ。ついさっきだ。さっき、急に咳き込み出して薬が効かなくなったのだ。だから、俺は早く戻らなければならない。薬、薬は……あ、る。山を降りた先の村の医者がくれたのだ。

 夜の山は、やめておきなさい──そう言われたけれど、そうする訳にはいかなかった。姉が危ない、だから急いだ。その途中で、突如襲われた。思い出した。もしかしたら、家にも同じような奴がいるかもしれない。

 

 どうにかしないと。俺が助けないと。急げ、急げ。

 

 暗闇の中、走る。いつも通る道から外れてないから、なんとか走れる。息が切れる。苦しい。空気を求めて、口から小さく呼吸を繰り返す。でも止まる訳にはいかない。止まってられない。

 少しだけ走って、漸く自分の家が見えてきた。ああ、見たところ荒れていない。ドアもそのままだし、灯りはついていないが──大丈夫そうだ。少し息を整えて、扉を開く。

 

 月の灯りに照らされていた山の中とは違って、差し込む光しかない家の中。そして──鼻につく、キンとした不快な臭い。これは、この鉄のような臭いは──さっきまで自分の身体から出ていたもので、間違いない。

 記憶のある通り、足の踏み場を思い出しながら進む。何処だ、皆、何処に居るんだ。臭いが強くなっていく方向に向けて歩く。足を進めて、少しずつ。居間を通って、寝室に。ああ、酷く臭う。いやだ、見たくない。ゴクリと唾を飲み込んで襖に手をかける。いいのか? 本当に開けてしまって。

 

 見ないほうがいいんじゃないのか? これは全部夢なんじゃないのか? そもそも、なんでこんなことになった? あの怪物はなんなんだ? 

 

 疑問が尽きない。震えながら、襖を少し開く。

 そっと覗き込む前、ゆっくりと耳を近付ける。何か音が聞こえないかどうか、意識を集中させる。……物音一つしない。何もないのだろうか。

 

 

「あれあれ、どうしたのかな」

 

 

 瞬間、背後から声が聞こえてくる。ビクッと反応して、襖を突き破って寝室へと入る。転がるように着地して、そのまま地面に尻餅をついた状態でゆっくりと後退る。

 

「んー……あ! もしかしてこの子が言ってた『弟』くん?」

 

 そう言って、月の光が差し込む居間にてその声の主は右腕を掲げる。その手には何か、大きな丸い物体が握られていた。後ろ側に広がる影が、不気味さを感じさせる。

 この子。手に持った、ソレを指して、この子。嫌な、感覚がする。見たくない、それを確かめたくない。後退り、手をついて下がっていると──ぬちゃ、と水のような感覚がする。水にしては、滑っている。右手を恐る恐る目の前に持ってくる。色は、わからない。暗くて、見え辛い。

 

 だけどこれは、これは──この、臭いは。

 

「ああ、帰ってきちゃったんだ。この子はあんなにも帰ってこないでって願っていたのに、帰ってきてしまったんだね! 残念だなぁ、無駄に死んじゃうなんて可哀想にね。でも大丈夫! 俺が食べてあげるからさ。そうすれば辛くなんて無いし、悲しくも無いよ」

 

 一人で語るナニかを無視して、先程の液体の元を探す。少し離れた布団に転がった、小山。そこが、臭いが一番強い。スン、と吸い込むと鼻中に膨らむ鉄の香り。

 

「それに、この子は今は苦しんでなんていない。安心しなよ、『弟』くん。君も一緒に、生きていけるよ。辛かっただろう? 大変だったろう? 諦めて、楽になろうよ」

 

 縋るように、小山に近づく。

 一番上、布団が被せられたらそれを──避ける。

 

 ──吐き気がする。とてつもないほどの無力感と、虚無感が襲ってくる。その服は、見覚えがあって。その体躯は、よく覚えてて。俺の、家族の、服で。

 

 ゴトン、と転がってくる丸いもの。先程の声の主が投げてきたのか、それとも元々あったのが転がってきてのか。そこはどうでもいいが──ああ、見たくなかった。なんで、どうしてこうなってるんだ。

 

「ああ、しまったなぁ。のんびりし過ぎちゃったよ」

 

 転がってきた丸い物を、拾う。

 それは、さっきまで見ていた顔で。さっきまで、薄く笑っていた顔で。苦悶に歪んだ表情が、苦痛に晒されたことを嫌にでも理解させてくる。

 

「食べてあげようと思ったけど、残念だけど時間切れだ。でも落ち込まないで。君の家族は救われたよ!」

 

 声の主を見る。胸に抱いた生首を、そっと抱きしめて。

 

 暗くて全体が見え辛いが、そこには確かに文字が描かれている。

 

 ──上弦、弍。

 

 両目にそれぞれ文字が刻まれたその瞳を、記憶に焼き付ける。この、化け物。クソ野郎。死ね。お前なんて、死んでしまえ。呪ってやる。

 

 返せよ。俺の家族を、返せよ! 

 

 表情はわからないが、目つきが笑っているのだけは理解できた。

 

 ヒュ、と小さな音が響く。

 その直後、俺の肩から血が噴出する。激痛が奔り、思わずその場に蹲る。血がどんどん抜けていく。傷口を抑えても止まる気配のないソレに、死ぬという恐怖感が湧いてくる。

 

 は、はっ、と呼吸を繰り返し目の前の男に目を向ける。

 

 だが、すでにその男の姿はなく。

 

 日が差して、少しだけ明るく照らされ──凄惨な殺人の現場となった、居間が存在するだけだった。身体を引き摺って、移動する。少しずつ鮮明になってきた視界の中で、飛び散った肉片や誰かの身体の部位を見つける。それがどうしようもなく気持ち悪くて、辛くて、目に入れるのすら嫌になってしまう。

 けれど、埋めなければ。せめて、せめて。間に合わなかったのだから、埋めて、やらねば。そして、死ねれば。俺も一緒に、逝けるのかな。

 

 ズリ、と身体を這いずって移動する。体が重たい。でも、動く。頭から少しだけ流れる血も、肩から流れ出る血も無視して動く。せめて、せめて、家族だけは、家族は──クソが。

 

 何も、無いじゃ無いか──意識が遠のく中で、そう思ってしまった。

 

 

 

 

 目が覚める。

 

 少しずつ目が開いて、意識が浮上する。痛む頭と、身体をゆっくりと動かす。……生きてる、のか。俺は。何で、生きてるんだ。出血していた肩の傷は、塞がっている。いや、塞がりきっているわけでは無い。だけれども、出血は止まっている。息を吐いて、起き上がる。息を吸って、吐いて。鼻を突き抜ける鉄の香りに顔を顰める。

 ──夢じゃ、無いんだな。

 

 陽が差し、よく見える。

 血に染まった居間。空気感の変わってしまった寝室、所々にある傷跡。抵抗の後なのか、投げられた形跡のある家具。それら全てが、無残に広がっている。遣る瀬無い。肩の傷跡を抑えながら、その光景を見渡して──悔しい。悔しくて、涙が出る。

 なんでこんなことになったんだ。どうしてこんな目に合わなきゃいけなかったんだ。俺の家族が、何をしたっていうんだ。

 

 こんな、こんな。尊厳もない形で殺されて、喰われて、弄ばれて──何をしたと、言うんだ。

 まだ、何も整理がつかない。混乱する頭を、どうにかしないと。落ち着かないといけない。この現実から、目を逸らしてはいけないのに──見たくない。

 

 部屋の隅に転がる、丸い玉を見る。ソレは黒い髪の毛のようなものが長く靡いていて、サラサラと柔らかい手触りだったのを容易に思い出させる。近づいて、手に持つ。額から左目にかけて、斜めに歯跡のようなものが残っている。そして──その部位は、無くなっている。肉が曝け出され、人の身体も所詮は肉なのだと無理矢理にでも実感させられる。

 

 ──吐き気がする。

 家族の、変わり果てた姿に。俺が昨日経験した感覚に。この一夜で起きた全てが、不快感となって襲ってくる。でも、吐いてる場合じゃない。埋めて、やらないと。また、食いに来るかもしれない。それだけは、やらせない。これ以上は、絶対に。痛む身体を引き摺って、倉に向かう。

 外に出ると、日差しが木々の間から突き刺してくる。どうしようもないほどに明るく照らしてくるソレに、思わず眉を顰めた。

 

 穴を掘る。ひたすら掘る。家族全員が入れるくらいの穴、少し時間はかかるが仕方がない。俺も一緒に殺してくれれば良かったのに、そう思いながら掘りすすめる。上弦と、瞳に刻まれた人型。そんな人間がいるのだろうか。いや、俺も大概か。

 何故か死なない。理由は不明だが、最初に遭遇した怪物には殺されることはなかった。死んでも死んでも、何故か元に戻る。理由は不明だし考えるだけ馬鹿らしい。

 

 穴を掘り終わり、家族の遺骸を纏める。

 所々部位が欠損して、噛んだような千切ったような痕が残っている。それを見ると、無性に遣る瀬無くなる。ごめん。苦しかったよな。頭部が残っている父、辛うじて残っている姉、頭が残ってない母。二人の顔を、見る。

 苦悶に歪んだ表情。自分の無力さが、恨めしい。

 

 俺が居て、何か変わる訳はない。変わる訳はないが──せめて一緒に、死にたかった。手に持った鍬を、首に当てる。首を切る、身体が切られるあの痛みをまた味わう。死ねるのか、それとも死ねないのか。それすら試す度胸が、俺にはない。

 もう、痛い思いはしたくない──そうやって安堵している自分が、一番殺したくなる。

 

「──これは……」

 

 後ろから声が聞こえる。こんな所に来る人間は稀で、旅人すら来たことはない。山を降りた先の住人がたまに登ってくる位だ。だけど、その住人の声では無い。振り向いて、その姿の正体を確かめる。

 

「……少年。何があったか、教えてくれるか?」

 

 額から分けるような髪型、険しい表情をし、どこか特徴的な服装をしている。腰に携えた刀は、今の時代には本来無いものであり。

 

 あなたは、誰ですか。さっきの連中の、仲間か。

 

 そう言うと首を横に振り、近寄ってきて俺の目線と同じくらいに腰を落とす。そして、真っ直ぐこちらを見て答える。

 

「俺は煉獄槇寿郎。鬼を殺す事を専門にしている、鬼殺隊だ」

 

 ──鬼。

 なんだか、頭の中に何の抵抗もなくその言葉が染みる。ああ、そうか。鬼か。奴等は、怪物は、鬼か。人を喰らい、愉しみに浸り、他者を侵略する外道共。そして、殺せるのか。

 

 ──俺でも、アイツらを、殺せますか。

 

 槇寿郎と名乗った男性の目が細められる。なにかを見定めているような、何かに苦しむような、そんな表情。腰に刀を差している。つまり、刀で斬れば死ぬのか。

 

「…………そう、だな。今は難しいだろう」

 

 潰すだけじゃ、鬼は死なないんですか。それとも、斬らないと駄目なんですか。

 

「──……そうか……あの鬼は、君が……」

 

 何かを噛み締めるように呟く槇寿郎。その拳は強く握られており、堪えるように締め付けている。一度目を伏せ、少し時間を置いてから俺のことを見る。

 

「鬼は、日の光に当たると死ぬ。それか──この刀で、頸を斬る」

 

 そう言って見せられた刀は、赤く刀身が光っている。

 

「……君に、覚悟があるのなら」

 

 そう言いながら、手を差し出してくる。

 

 ──当たり前だ。許してやるものか。

 家族を殺した、喰った、弄んだ、あの怪物を。許してなどたまるか。鬼は、殺す。少なくとも、あの──上弦、弐と瞳に刻まれた鬼だけは。俺のこの手で殺して見せる。

 

 手を握る。家族の、そして鬼の、最後に俺の血が混ざり合って汚れている手で触ってしまったことに気が付き離そうとするが離れない。ガッチリと握られ、槇寿郎と名乗った男性を見る。

 

 強い瞳だ。人間らしい、あの鬼とは違う。俺とも違う、強い瞳。

 

「改めて、名乗ろう。俺は煉獄槇寿郎──現、炎柱だ」

 

 炎柱──何かの称号だろうか。

 鬼殺隊、文字通り鬼を殺す隊。鬼を、殺す。ああ、願っても無いことだ。俺は必ず、あの憎たらしい目付きをした鬼を殺す。絶対に殺してやる。

 

「俺は──不磨(ふま)回帰(かいき)。よろしくお願い、します」

「よろしく、不磨。お前の事は、俺が責任を持って育ててやる。立派な、鬼殺しに」

 

 勿論そのつもりだ、そう意思を込めて頷く。

 

 この痛みも、苦しみも、二度と忘れない。全て俺が一緒に持っていく。そして、あのクソ野郎に叩きつけてやる。死んでなんてやるものか。絶対に死んでなんてやらない。お前を殺して、地獄に堕ちても殺す。

 

 朝日の照らす、それには不釣り合いな大量の血。光が反射して眩しく感じるその最中、俺はこれまでと別の人生を歩みだした。

 平凡な農民の息子という立場から、家族の仇を探す──復讐者へと。

 


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