月の灯りが差し込む、森の中。
洞窟から蠢いてくる気配を感じとり、思考を止める。
臭いだ。
濃厚な死の香りと、濃密な腐乱臭。
これぞ正しく、鬼という存在を形容している臭い。
不愉快な野郎だ。
崩れた洞窟の瓦礫が、内部の衝撃によって弾け飛んでくる。
それを身体を捻ることで躱し、出てきた鬼を見る。
見たところ、血鬼術は分からない。判別不能。
すでに撒かれている可能性だってある。その場合は──死ぬしかない。非常に不服だが。
──全集中・炎の呼吸。
刀を抜刀するより早く踏み込む。
何よりも最速の踏み込み、これは炎の呼吸で最も速い。
壱ノ型・不知火。
溢れ出た闘気が炎となって具現化する。
飛びかかるように、それでいて地に足を付けて踏み締めたまま刀を振るう。狙うは頸、この一撃でケリがつけば速い──!
『──血鬼術・毒沼』
何かが来る。
背筋がぶるりと震え、死の感触が俺の脳内へと鮮明に映る。
そして、何度も何度も実際に死んだからこそわかる──この想像は、現実になると。
刀を振るう手を変化させ、急いで型を変える。
伍ノ型・炎虎──!
霧状の血鬼術だと仮定して、その場の空気を振り払うように刀を振り回す。弧を描き、虎と見間違えるほどの闘気が滲む。
頸を狙わず、周囲の空気を振り払ったと確認して後ろに飛び退く。
「お前、中々やるな」
普通の人間より少し大きい、それでいて口が沢山付いている顔。
気持ち悪い、吐き気がする容姿だ。
「なんで俺の毒に気が付いてるかは知らないけど……」
ボコボコと、鬼の身体が沸き立つ。
よく見れば皮膚のように見えていたソレが崩れ落ちて、鬼の周囲を漂っている。
一昔前の浮浪者、悪く言えば乞食のような古びた服を身に纏った鬼──毒鬼は、俺に向かって周囲を飛ぶなにかを飛ばしてくる。
触れないように身体を捻って躱し、距離を保つ。
着弾した場所を見てみれば、木が溶け落ちている。
毒というより、これは最早猛毒だ。
人体は愚か、自然すら破壊する強力な毒。
それでいて皮膚のような形を維持でき、液体状──まあ粘液状にもなるし、気体として充満させることも出来る。
この感じだと変化が本来の使い方ではないように感じるから、おそらく副産物なのだろうとあたりをつける。
これだけの猛毒だ。ただ存在するだけで空気に毒を染みさせてもおかしくはない。
近づけば毒で時間切れ、遠くに対しては粘液を飛ばすことで対応可能。
厄介だ。単純が故の、面倒臭さ。
「どうだ、すげぇだろ。これが俺の毒だ」
自慢げに、それでいて不快そうに話す毒鬼。
この状態での選択肢は二つ──話に乗って時間を稼ぎ、しのぶたちに斬らせる。
もう一つは、毒を広めようとわざと話している可能性が高い。なので話を遮ってでも攻撃し、殺す。
危険性で言えば、話している間に俺の身動きが取れなくなる方が危険だ。
だが──試してみる、価値はある。
前者を選択──つまり、話に乗ることにする。
「みんな、俺のこの毒からは逃げられない。あの時も、あの時も、全員がだ」
「あの憎たらしい地主だって、俺のことを散々罵ってきたくせに何の抵抗もしなかったよ。無様に泣き叫んでて、最高だったなぁ……で」
ギョロリ、と俺に目を向けてそのたくさんある口から話す。
「お前は俺に、どんな声を聞かせてくれるん──」
──花が舞う。
「全集中・花の呼吸──」
鬼が振り返る。
既に木から飛び出したカナエが刀を振るう形を維持しており、今すぐにでも攻撃を食らわせる準備をしている。
それに合わせて、俺も前に出る。
不知火では足りない。速度も、破壊力も。
軒並み破壊するように、全て振り払うような攻撃を──!
全集中・炎の呼吸──
──捌ノ型・
鬼を挟み込むように、交差する。
空中で身を捻り、それでいてバランスを維持して頸を狙うカナエと鬼の後ろから高速で斬りかかる俺。
取れる。頸を斬れると──そう思った時、俺の身体に異常が起こる。
ぐらりと視界が歪む。
それを認識して、身体の位置調整を行う。右に傾いているのなら、左に体重を動かせ。
平行になりつつある視界を、なんとか元に戻そうとする。
それでいて、刀を振る手に力を籠める。
頸目掛けて刀を振りかざす。
捉えろ──この一撃で刈り取るつもりで。
そう気合を籠めて振るった刀は、頸では無く肩を抉り取った。
「──しのぶ!」
どうやらカナエも頸を斬れなかったようで、素早く飛んできたしのぶがカナエを安全圏まで引かせた。
俺もその隙に後ろに下がって、鬼の射程距離から離れる。
「なんだぁ……? そんなにコソコソしてやがったのかよ」
そう言って歪に笑う鬼から目を離さないように、二人が問題ないかどうかを確認する。
カナエの姿は見えないが、しのぶが俺の近くに跳んで来た。
「姉さんは問題ありません。ただ、二人とも頸を外したのが気掛かりです」
技術の問題じゃなさそうだな。
俺はあの時、視界が傾いているように感じたが──カナエは何か言っていたか?
「同じく、視界が歪んだと言っていました。これはまだ推測の域を超えませんが、あの鬼の毒……神経に直接作用しているのかもしれません」
そうなると……吸い込むのは愚か、出来るだけ外れないようにしないといけないか。恐らくだが、こうやってる間にもアイツは毒を送ってきてるんだろうな。
風下はマズイ、か。立ち回りが面倒だな。
「毒……」
しのぶが何かを呟く。
何か閃いたか?
「いえ。ただ、毒というのは鬼にも通用するのかと思っただけです」
鬼に毒が?
……普通なら効かなそうな感じがするがな。
カナエはどの位で仕掛けてくる?
「確実な隙を突くようにと」
承知した。
ならば隙を作る。しのぶ、やれるな?
「……貴方に言われなくても」
ふん、と意気込み刀を握るしのぶ。
よし──全集中・炎の呼吸。
そして、すぐ側にある木を切る。
技も何も使わずにあっさりと断ち切れた木を、蹴り飛ばす。方向は真っ直ぐ鬼に向かって、勿論これで手傷を負わせるつもりではない。あくまで、可能性を考慮しての話だ。
仮に毒の濃度というもの存在するとすれば、鬼の周囲はとてつもない濃度になっている筈だ。
ずっと鬼と相対している俺と、あの一瞬しか姿を現してなかったカナエ。その二人が同時に視界が歪む……つまり、毒の効果を受けているとすれば。
毒の影響が出る条件に、時間はあまり関係なく。
重要なのは濃さ──それが大事になるのではないか。
だからこそ、大きく突風を巻き起こし一気に空気を入れ替える。
そして、既に駆けたしのぶが鬼の元へと到達する。カナエとは違ったその動きを見届けることなく、俺も続いて駆け出した。
地面を踏む。
力を籠めて、一寸先を見る。
「──
しのぶの呼吸──花の呼吸から更に派生した、しのぶに適性のある蟲の呼吸。
速い。柱である俺とも引けを取らない速度、破壊力──これで頸を斬る力があれば、きっとしのぶは……いや。
「──
突きささる。
頸を狙った一撃ではなく、完全に頭蓋を破壊する事を目的とした技。毒鬼もそう来るとは予想してなかったのか、防御も回避も間に合わず鼻から上が吹き飛んだ。
その隙は逃さない──が。
ボコボコと、再生しようとしている箇所以外が泡立つのを認識して駆ける。
ガクンとしのぶが態勢を崩す。
決まりだ。こいつは毒を自由に空気中にバラ撒けるし、その量も操作できる。間違いなく、俺が相手してきた中で最上級の強さだ。
息を吸わずに、素の身体能力でしのぶを抱える。
そのまま頸を斬りたい所だが、呼吸を行なって動けなくなっては仕方ない。一度下がって再度攻撃の機会を作る。
離れた位置にしのぶを降ろす。
ヒュ、と何度も呼吸を繰り返し、元に戻そうとしているしのぶを尻目に考える。毒の濃度は操れる。だが、此方まで飛ばしてくることはない。射程が短いと仮定する。
呼吸を行いつつの攻撃が致命傷になる──大胆に行け。いざとなれば死ね。俺は死なない。試せ。手遅れを招くより早く、実践しろ。
「不、磨……さ……」
しのぶが声をかけてくる。どうし──待てよ。
何故表情が苦しそうなんだ。何故呂律が上手く回ってない。何故言葉が発せて無い。考えろ。毒、鬼の皮膚、濃度……あの皮膚の隆起と、まるで沸騰したような沸き立つ様子。
これまでの全てが、騙しである可能性。
「──不磨さん!」
カナエの声で思考を中断する。
鬼の方向を見てみると──そこに姿はなく。
俺の目の前に、鬼が佇んでいた。
呼吸を行えない。
それどころか、身体がピクリとも動かない。
いつのまにか横に倒れた俺の身体と、拳を振りかざしてくる鬼を見ようとして、瞳すら動かない。
俺の身体を掴み、拾い上げる鬼。
醜悪な顔と、益々濃度を増したのか目すら見えなくなってくる。そして、腕に激痛が走った。
痛い。まるで引き裂かれるような、無理やり繋がってる状態を引きちぎった様な。ああ、成る程。腕を千切られたのか。
痛みの中で、冷静に考えることができている自分に驚愕しつつ次のために少しでも思案する。考えろ。
全員で飛びかかる利点はない。狙うのは一撃必殺──この毒の鬼に、致命傷を。毒の、鬼に……。
『いえ。ただ、毒というのは鬼にも通用するのかと思っただけです』
しのぶの声が脳内で反芻する。
鬼に、毒が効くのか。
何故そんなことを思い出したのか──鬼に効く何か。
鬼の明確な弱点か?
手足から奔る激痛に悶えつつ、歯を食いしばって考える。
太陽! 太陽と、あとは、日輪刀だ。他に何がある。他に、何か弱点は……待てよ。弱点じゃない、苦手な物が──!
──視界が歪む。