回帰の刃   作:恒例行事

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変化の時

「──姉さん」

 

 女性の声が、暗闇に包まれた山に響く。ほかに音はなく、静かな空間にその声だけが反響した。

 

「しのぶ」

 

 続いて、別の声が響く。ガサ、と葉が揺れるような音が鳴る。

 

 ──瞬間、炎が煌めく。

 

 轟々と燃え盛る炎が、木々の隙間から山を駆ける。

 一瞬大きく燃え上がり、その後すぐに収縮──なにかを目指すように、一直線に炎が放たれた。

 

「──ぐぅうっ!」

 

 木々の間から、腕が四本ある異形の生命体が飛び出す。

 だが見てみれば全ての腕に斬撃のようなものが奔っており、その全身から余すことなく血を流している。

 

「くそ、柱か! 柱だな!?」

 

 まるで懺悔するように、それでいて怒りを示して口調を乱す異形。

 しかし、その次の瞬間に異形は地へと堕ちる。

 

 どさり、大きな音を伴って地面へと全身を叩きつけられた異形は叫ぶ。痛みと、死の恐怖によって。

 

「──うるせぇ」

 

 斬。

 

 静かに、それでいて綺麗な──液体を切るような。

 サクリ、水分もろとも斬るような音が異形の頸から鳴る。

 

「……効き目あり、か。よくやるよ、しのぶ」

 

 男の声。

 僅かに身から漏れる炎が、その姿を照らす。異形はそんな男の姿を見て、恐怖し、そして僅かに安堵し──その生命に幕を閉じた。

 

 

 

 

「それでは、不磨さん。また明日」

 

 ああ。

 手を振って歩いていくカナエと、不機嫌そうながらもこちらを見て会釈していくしのぶを見送る。

 

 こうして、三人で鬼を狩るようになってから既に一年。それなりに連携は取れるようになったし、経験も積んだ。特にカナエの成長は目覚ましい。あと一年、いや……二年もあれば柱になるだろう。

 相変わらず底抜けの優しさを秘めておきながら、優劣をつけられるようになったカナエ。傲慢──ああ。傲慢と言うのだろうか。カナエが命の基準を決めて、救うべき命と救わない命を定めている。人はそれを、傲慢と罵るのだろうか。

 

 俺は、そうは思わない。

 何にだって同情し、憐れみ、それでいて悲しむ。それが胡蝶カナエという女だ。

 

 底抜けの慈悲が、あいつを形作っている。

 

 それでいいのか、と。

 前に聞いたことがある。

 

 お前は、本当にそれでいいのか。

 不満は無いのか。鬼にすら同情し、悪人を憐れみ、善人も隔たりなく救う。聖人ならば、仏ならば正しい在り方だろうな。

 だが、お前は人間だ。

 

 そんな事を続けていれば、お前はいつか足元を掬われる。俺の手が届くうちに、やめておけ。

 

『……すみません、今すごく驚きました。もっと私たちの事はどうでもいいと思っているものだと』

 

 ……俺個人なら、そうかもしれない。だが、今の俺は柱だ。

 鬼殺隊の柱が、他者を顧みない存在であるわけにはいかない。鬼を殺せればいい? そんな訳はない。本当の柱は、強気を挫き弱気を救う。その眩しさは、俺には……。

 

 くすりとカナエが笑い、俺に言った。

 

『ふふ。やっぱり不磨さんって、自分で思ってるよりずっと優しいですよ』

 

 …………アイツの前だと、俺の憎悪すら飲み込まれそうに感じる。

 決して、そういうつもりはないのだろう。きっとカナエは自分自身を生きているだけだ。俺がこの生を歩むと決めたのと同じで。

 

 復讐の道を歩く俺と、菩薩のような生を歩くことを決めたカナエ。決して交わることのない、対極の人生。

 

 ……本当に、皮肉だな。

 

 お館様。あなたは、俺がこの道を捨てるのを望んでいるのですか。それとも、捨てる必要はないと思っているのですか。

 私は、一切捨てるつもりはありません。

 

 誰にも譲れない。俺のこの感情と生き方は、誰にも……。

 

 人一人いない道を歩く。ここから自分の屋敷まで、歩いてもそんなにかからない。柱としての巡回と、カナエ達との鬼狩り。両立させるのは最初は中々苦労したが、今では当然になった。

 巡回の際に鬼を見つけたら──? 

 

 まだ見たことはないが。鬼の中でも、近寄ってはいけない範囲等は定めているのかもしれない。

 

 太陽が出て少し。

 まだ朝方と言える時間で、人々の営みはそう盛んには行われていない。農民は今頃畑で汗を流しているだろうし、たとえ街であってもこれからだろう。

 

 カナエに口酸っぱく何度も何度も体調管理に気を配れと言われたせいで、いやでも対応しなければいけない。……別にどこかに寄る用事もないから、このまま家に帰って寝る。

 

 そう考えると、随分と生活も変わった。

 今思えば──……余裕がなかったのだろうか。とにかく、あの上弦の鬼を憎んでいなければ保たなかった。アイツを憎んで、恨んで、怨嗟をひたすらに燃やして。

 そうして鬼を殺す。自分はいつか届くのだと、頭の中で必死に繰り返した。

 

 そうでもしなければ、多分俺は死んでいた。身体がではなく、心が。

 

 ……こんな風に自分を考えることになるなんてな。

 

 カァ、カァと鎹鴉が鳴く。

 相変わらず喧しい。

 

 俺に秘密裏に鬼を伝えることも、無くなった。

 昔は──……そうか。もう、昔になるのか。

 

 それだけ共に過ごしたのか、俺たちは。

 

 その場で立ち止まる。

 復讐を止めるつもりなんて一切ない。

 

 ……でも。俺にとって、二人は……相応に、大切だと感じているのだろうか。

 

 新たに背負うつもりか? 

 いや。

 じゃあ何を思う? 

 ……いや。

 

 自問自答を繰り返す。

 俺はどうなんだ。なんなんだ。自分勝手な奴だ。ああいや、違う。結局のところ、弱いんだ。心が弱い。

 だからすぐに他に靡く。風に流される。……だが。

 

 俺は柱だ。炎柱。

 煉獄の炎を継いだんだ。流されるわけには行かない。

 

 どちらも大切だと言うのなら、どちらも手に入れる他ない。

 そうしなければ、悲劇は止まらない。

 

 きっとそう言うものなんだろう。世界は。

 

 

 

 

「げ」

 

 失礼にも、人の顔を見て唸った女を見る。

 短めに纏めた髪の毛、蝶の髪飾り。そしてキツめの表情。

 

「なんでこんなところにいるんですか」

 

 いいだろ別に。俺だって好きに歩くこともあるさ。

 

「……嘘つき」

 

 ポツリと何かを呟いたが、聞き逃した。

 小さく呟くと言うことはどうでもいいか聞かれたくないのだろう。だからあえて無視する。

 

 無言で座る。

 たまに飯を食べに来たらこれだ。やはりどこにも行かず鍛錬、そうするしかないのだろうか。

 

「……過度な鍛錬は、やめたんですか」

 

 ……お前の優しい姉が煩いからな。

 

「ふん。何でもかんでも姉さんを理由にしないでよ」

 

 その通りだとは思う。

 だけど、俺はカナエにあっていなければきっと変わらなかった。変わらず鬼を殺し、憎しみ、自分という薪が燃え尽きるその日まで。それでも構わない、今でもはっきりと言える。

 

 俺が悔しく思うのは、アイツを殺さないことだけ。

 自分の命なんて、とっくの昔に亡くしていると思ってる。

 

 死なんてどうだっていい。

 

「…………」

 

 無言で、待つ。

 それにしても、何故しのぶが一人なのだろうか。

 

「……なんですか」

 

 なんでもない。

 どうして一人なんだと思っただけだ。

 

「別に、どうだっていいじゃないですか」

 

 その通りだ。

 

 それきり会話は止み、料理が運ばれてきて無言で食べる。

 食べ終わり、店を出る。俺の方が早く終えたから、先に出ることとなった。

 

 好かれたいと思ってる訳ではない。しのぶはしのぶで、俺のことを認めてはいるのだろう。だが、決して好ましい人物ではないと思ってる。それでも構わない。俺は好かれたくて鬼を殺している訳ではないから。そういう意味ではやはり、カナエが狂っている。

 

 は、と息を吐く。

 気がつけば寒さが身に刺さる、辛い時期になってきた。

 

 あの日を思い出す。

 寒空の下、暗闇の中。鬼を殴り、殴って殴って殴って殴った。そして動かなくなったのを確認して走った。家族はもう、死んでいた。

 あの瞳を思い出す。不愉快で、憎たらしくて、忌々しいあの文字。

 

 ──ああ。やっぱり、俺の生きる理由はここにあるのか。

 

 間違いない。なぜなら、証明しているから。

 俺のこの炎が、焼き尽くせと吐いているから。

 全てを薪にして、広がる。俺の炎は絶えない。

 

 少しだけ気が楽になる。

 お館様。私はやはり、どうしようもない。

 

 どんな物よりも、私は奴の頸が斬りたい。

 斬って、ありとあらゆる憎しみをぶつけて、踏み潰して、ぐちゃぐちゃにしてやりたい。アイツの全てを否定して、なかったことにすらしてやりたい。

 

「──なんて顔、してるんですか」

 

 しのぶに声をかけられる。

 わざわざしのぶを声をかける程、自分の顔は酷かったらしい。素直に謝罪して、自宅に戻る道を歩き出す。

 

「不磨さん」

 

 立ち止まり、振り返る。

 なんとも言えない、苦虫を噛み潰したような表情のしのぶ。

 

「…………どうか姉さんを、死なせないでくださいね」

 

 お前も一緒に鬼狩りをしているだろう、何を言ってるんだ。

 

「あの人は、優しすぎる。甘いといっても、いいくらい」

 

 そう言いながら、しのぶが歩いて近づいてくる。

 

「いつか絶対に、間に合わない日が出てくる気がするんです。私では絶対に間に合わない、そんな日が。……こんな風に、鬼を殺しているからかもしれない」

 

 でも、と続ける。

 

「私じゃ間に合わなくても、貴方がいる」

 

 だから、どうか──その先の言葉は、紡がれることは無かった。そなまましのぶは街の喧騒の中に消え、俺も帰路に着いた。

 

 

 

 

 そうして、次の狩りの日。

 お館様から、一人での狩りを許可された。

 

 

 




モチベ皆無の刃

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