──全集中・炎の呼吸。
その場から一気に翔ける。
右足で大きく踏み込み、左足で着地。そのまま左足に力を込めて、憎たらしい鬼の頸めがけて刀を振るう。
「わ、早いね!」
何処までも馬鹿にしたようなその態度が気に入らない。
カン、と甲高い音を立てて手に持つ扇で刀を止められる。
「へぇ、炎の呼吸かぁ。俺とは相性が良さそうだね」
恐ろしいほどの力。
全力で呼吸を行なっていてこれか──憎たらしい。平然と受け止められた箇所から刀を離して、頸ではなく別の箇所を狙う。扇の大きさ的に、小回りはあまり効かないはずだと判断して手首を狙う。
「お──機転も利く。優秀だなぁ」
パキ、と音が聞こえる。
刀と扇がぶつかる音でも、何でもない。何だこの音は。
「血鬼術──蓮葉氷」
左手で振るわれた扇を、後ろに避けることで回避して──呼吸が十分に出来てないことに気がつく。
苦しい。毒を食らってる? いや、あの感覚じゃない。
ぶるりと身体が震える。
これは…………寒い、のか?
「無理しないほうがいいよ。俺の血鬼術をまともに吸い込んじゃったからね。そのうち肺から巡って細胞が死んでくよ」
成る程、血鬼術か。
死ぬわけではなく、行動不能にする。クソめんどくさい奴だ。
はぁあと息を吐いて、猛烈な痛みが身体の奥底からするのを感じる。
自分の首に刀を当てて全力で呼吸を行う。
「え」
覚悟を決めろ。
俺は死なない。こいつを殺すその時まで。
だから、自分で死ね。自殺しろ。痛みを堪えろ。
首に食い込む刃、痛みを感知するより先に、視界が歪んでいく──斜めに変わっていくのを感じる。
……ああ。
鬼は、この程度の痛みで苦しんでたのか。
益々憎たらしいよ、クソ野郎。
「あれれ、来ない? ならこっちから行くけど」
童磨──いや、クソ野郎が扇を構えて歩いてくる。
舐め腐りやがって。呼吸を行い、足に力を込める。
出し惜しみは一切しない。一撃で殺す。防がれるのなら、それごと叩き潰せばいい。
深く、深く呼吸を刻む。
己を薪にしろ。
憎しみを燃やせ。
怒りを増幅させろ。
奥義──玖ノ型・煉獄。
一瞬だけ、あの憎たらしいクソ野郎の顔つきが変わった。
予想して無かったか?
素早く、それでいて高い火力を出せる技があると思ってなかったか?
ふざけるな。こっちはお前を殺すために生きてるんだ。
血鬼術?
いいや、俺の方が早い。
舐めてかかった、お前の負けだ。無様に死ね。いますぐ死ね。
──最後に見たのは、クソ野郎の愉し気な表情だった。
「あれれ、来ない? ならこっちから行くけど」
ふざけるな。
このクソ野郎、ふざけんなよ。
どうしてあそこから返せる。
どうしてあの状態から斬り返せる。
おかしいだろ、化け物。
再度呼吸を行う。
煉獄じゃダメだと言うのなら、幾つも組み合わせろ。届かないわけがない。届かせるんだ。
全集中・炎の──
「──不磨さん!」
その声に動きを止める。
見てみればクソ野郎も動きを止めている。目を細めて、それでいて愉快な表情。イラつく野郎だ、死んじまえ。
「落ち着いてください。十二鬼月の上弦の弐ですよね?」
そうだ。俺がずっと追い続けた、俺の人生を賭けて殺さねばならない憎たらしいクズ。
「ひどい言われようだなぁ」
あははと笑うその姿に、益々怒りが沸く。
何笑ってんだよ。何息してんだよ。早く死ねよ。
「うーん……でもなぁ。どうせ死んででも想ってくれるなら、女の子の方がよかったなぁ。ね、何て名前なの?」
──いい加減黙れよ。
全集中・炎の呼吸──壱ノ型。
不知火の速度で、炎虎の威力を叩き出せ。
カナエが制止してくるが、それを振り払って突撃する。試して試して、こいつが死ぬまで何度だって。
「よっと」
軽く受け止めたクソ野郎の髪の毛を掴む。
そのまま頸を根元から引き千切る様に力を籠める。
「うわわわ、すごいなぁ」
まるで初体験の玩具で遊ぶ子供のような声をあげながら、俺に対して扇を振るう。
見えない。振ったことはわかるが、どこをやられたのかがわからない。
そう思った途端、髪を掴んでいた左腕の肘から先の感覚がなくなる。いや、正確には──肘から先が、斬り落とされた。
「流石に、髪の毛を掴んでくるような人と戦うのは初めてだ」
うるせぇ、くたばれクソ野郎。
胴体を大きく斬られ──急にクソ野郎から離れる。
「──不磨さんっ! 不磨さん、大丈夫ですか!? しっかり……!」
状況的に、カナエが引き剥がしてくれたようだ。
俺の刀は、あのクソ野郎の足元に落ちたまま。距離を詰めてくるような事もせずに、此方を見てニヤニヤ嗤っている。
その、気持ち悪い、面を、やめろ。
「えっ、酷いなぁ。俺こうみえて結構人気者なのに」
憎しみが、向かっている対象としては、人気かもな。
ゲホゲホと咳をして、口から大きな血の塊を吐き出す。
もういいよ、カナエ。
「いいわけない! 絶対に諦めませんから!」
涙を浮かべながら俺の傷跡を抑えるカナエの、刀を抜く。
「……何するつもりですか」
……悪いな。借りるわ。
そのまま、カナエの刀を首に突き刺した。
「あれれ、来ない? ならこっちから行くけど」
……クソ野郎が。
認めたくない。認めたくはないが──こいつは恐ろしく強い。
その実力も、血鬼術も。
まさしく、上弦の弐──上から弐番目に相応しい強さだ。
……カナエ。
「っ……はい」
悪いが、力を貸してくれ。
俺一人じゃ、アイツを殺せない。
「結構冷静だねぇ。凄く殺気立ってたのに」
耳を貸すな。
こいつは話せば話すだけ不快感を浴びせてくるクソ野郎だ。鬼だとすら思うな。こいつはクソだ。クズだ。生きる価値がない。
血鬼術は、氷。
吸い込んだら呼吸がまともに出来なくなる、気を付けろ。
「あれ? 俺、キミと何処かで会ったことあったっけ?」
──握る力が、極まる。
不愉快な奴だな、お前。お前を生んだ奴の顔を、見てやりたいよ。
「俺の両親? ああ、それは無理だね。あの人たち愚かだし、もう死んじゃったしね」
……クソ野郎が。
この、クソ野郎が──!
全身から炎が迸る。
まるで俺の怒りがすべて炎になったかのような荒ぶり方。
「そもそも、俺の両親の顔なんて見てどうするのさ。家族なんて所詮──」
その口を閉じろ。
今すぐ閉じろ。
家族を殺されたあの日から、ずっとずっとずっと……お前を殺すことを目的に生きてきた。
「よほど家族が大切だったんだね、可哀そうに。──なら、今度は君も食べてあげよう!」
死ね。
飛び出したい気持ちを抑えて、カナエと目を合わせる。
一瞬怯えるような表情を見せたが、気にせず前にでる。
こいつ相手に接近戦は不利だ。一撃離脱で殺さないと。
唸りと共に炎が舞う。氷が何だ。ならば氷を全て払えばいい。
五ノ型・炎虎。
「すごいすごい、怖いなぁ──」
俺の攻撃が完全に本命じゃないことは見抜いている。
こいつの狙いはカナエだ。俺じゃない。
だからその隙を突く。カナエが本命だと思わせて、俺がもう一度煉獄を放つ。あと一歩踏み込めば届くその距離まで俺が前進してきた意味、お前は考えているか?
「──おっと」
舞うように刀を振るったカナエの攻撃を容易に回避する。そしてついでだと言わんばかりに氷を吹きかけてくる。
気持ち悪い、死ねよクソ野郎。
そう思いながら再度刀を振る。
炎虎の威力と範囲なら、十分な程に振り払える──筈だった。
パキ、と音がする。
これは、何かが凍った音だ。なんだ、何が凍った。何を凍らせてきた。
「一度見た。どういう物かはわかった。そうしたら後は置いておくだけ、簡単だなぁ」
──この、この、お前……クソ野郎。
化け物が。一度見ただけで、理解した? 俺の技を? 俺の腕を?
「うん。強かったけど──君じゃ俺には勝てないよ」
呼吸が、上手くできない。
ふざけるな。何なんだお前は、そんな──物語の主役じゃないんだ。そんな、ふざけた話、あるかよ。
氷で覆われた両手。握った手に力は入らず、刀も同様に凍らされた。
そして追加で氷を出され、呼吸もままならない。
そのまま顔に扇を振るってくる。かろうじて首は避けたが、左目を大きく切り裂かれた。
「──不磨さん!」
ああ、やめろ、来るな。
逃げろ。逃げてくれ。来なくていい。
勝てない。カナエじゃ、勝てないから。頼むから逃げてくれ。俺が死ぬまで、来ないでくれ。
「不思議な呼吸──でも、前に同じようなのと戦ったことあるからいいや」
サクッと。
まるで何ともない、虫を叩くような感覚で腕を振るった。
……カナエ。
カナエ、生き、てるか?
身体が、動かない。
死なないと。俺が、死なないと。舌を噛み切って、今すぐにでも。
身体が震えてる。寒さで、上手く動かない。
「もう無理しない方がいいよ。それ以上やっても苦しいだけだろうし──食べてあげる時間が無くなっちゃうからね」
俺の身体が動く。
でも、俺の意思によってではない。誰かに持ち上げられ、運ばれてる。
「──不磨、さん。大丈夫、ですか」
ギリギリ動く瞳を、声の方──カナエの方へと向ける。
肩から腰辺りまで、大きく傷が入っている。吐血もしている。
──……お前。やめてくれ。今すぐ、逃げてくれ。出血してるじゃないか。頼むから、逃げてくれ。
「……大丈夫です、絶対に死なせませんから」
動け。
動いてくれ。
頼む。今動いてくれないと、お願いだ。
「──貴方に会えて、良かった」
──そんな、優しい顔、するなよ。
ゲホ、と咳をする。
苦しい。痛い。身体の内側が、徐々に蝕まれていくような感覚。斬られた場所は泣き叫びたいくらい痛いし、血を止めようにも呼吸がままならない。
最悪。どうしてこういうことになるのかな──そういう運命に産まれてしまったのか。
「……うそ。まだ動くの?」
「ええ。まだ死ぬわけにはいかないの」
嘘だ。
もう、自分が助からない事は理解してる。
この鬼が居なくなっても、今すぐ誰かが助けに来ても手遅れ。
ここで死ぬんだと、わかってしまった。
「もうやめときなよ。苦しいでしょ? 肺をぶった斬ってるんだ、血が入り込んでまともに息も出来てない。苦しいだろう?」
苦しい。
やめたい。
泣き叫びたい。
でも、きっとこの人は──不磨さんは、そんな状況を何度も乗り越えてきた。そうして私達を、何度も救ってくれた。
だから叫ばない。
苦しくてもやめない。
でも──それとは別で、心が痛い。
折角、上手くいきそうだったんだけどなぁ。
やっと、こっちを見てくれたのになぁ。
想えば想うほど胸が苦しい。
「俺がちゃんと食べてあげるからさ、安心してよ」
ああ──哀れな鬼。
本気で、食べる事で人が救われると思っている。
そんな訳がない。苦しみと辛さの中で、人が救われる訳がない。
後ろで倒れ、凍らされて動くこともできない想い人を見る。
ごめんなさい。私、不磨さんみたいに強くないから。
もっと強かったら、勝ててたかな。もっと速かったら、勝ててたかな。私がもっと、違ったら──こんな風に、別れなくてよかったかな。
「よっ、と」
気が付けば、目の前にあの鬼が来ていた。
恐怖はない。
このまま貪られ、死ぬという未来を受け入れる。
でも、心残りがある。
しのぶ、ごめんね。お願いだから、不磨さんに当たらないで。自惚れになってしまうけれど、きっとこの人は──壊れてしまうから。
カナヲは、大丈夫。いつかきっと、好きな男の子が出来たら変わる。私はそう信じてる。
頸を、食い千切られる。
痛い。途轍もなく痛い。でももう、叫ぶことも出来ない。
そのまま鬼に左腕を掴まれる。あ、これは──と思ったときにはもう遅くて。
左腕を半ばで折られ、そのまま千切られる。
痛い。すごく痛い。泣きたい。涙は流れてるかもしれない。
どさりとその場で膝から倒れて、左腕を抑える。血が止まらない。止まるわけないか。
目の前に視線を向けると、丁度想い人の顔があった。
あ──できればこんな姿、見ないで欲しかったな。それに、そんな顔しないで欲しい。
声をかけたいけど、もう喉は無い。声は出せなくて、ヒュ、ヒュ、と空気が漏れるような音を出すだけだった。
──不磨さん、ごめんなさい。
あなたの事を、愛しています。