回帰の刃   作:恒例行事

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狂い哭く

 血が流れる。

 止まる事のないその血液は流れて、倒れている俺の顔に付く。

 

 ──やめろ。

 

 飛び散る血飛沫が、降りかかる。

 肉が飛ぶ。骨が露出する。

 

 ──やめろ。

 

 柔らかく微笑んでいた笑みは、二度と作られることは無い。

 

──やめろ。

 

 

 

 

「──……」

 

 背中まで広がる長い髪を側頭部で、蝶の髪飾りを使い纏めてる少女──栗花落(つゆり)カナヲは椅子に座って佇んでいる。

 

『カナヲ、申し訳ないけれどこの人を見ててくれますか?』

 

 あの日、あの時から。

 自分の家族が、姉が、変わってしまったあの日。

 

 

──花柱が、胡蝶カナエが死んだ。

 

 

 そんな報告が入ったのは、朝になる前……既に陽が昇り始めてからだった。

 隠と呼ばれる鬼殺隊の裏方の人間が運んできた遺体を見て、それが現実何だと知った。

 

 手足が無い。

 首も辛うじて繋がっている。

 顔は涙で濡れていて、口から流れる血は凄惨の一言に尽きる。

 

 肩口や脇腹に、噛み千切ったような跡が残っていた。

 

 それを見て姉と慕った、しのぶは──何も言わなかった。

 何も言わずに、そのまま隠の人々に礼をして遺体を引き取った。

 

 そうして、共に居た炎柱──カナエが言うには大切な人と言っていた──は内臓を痛め戦闘不能状態。精神が酷く損耗しており、会話もままならない。

 

 起きてはいるのに、会話や意識は全くない。

 呼吸や瞬きはしているけれど、そこに人の意志が無い。

 

 まるで、あの頃の自分だ──そうカナヲは感じた。

 

 今は(・・)眠っているけれど、どうなってしまうのだろうか。

 

「…………」

 

 既にカナエの葬儀は終わった。

 遺体を綺麗に化粧するとき、しのぶが泣いていた。

 

 それがどんな感情からなのか、カナヲにはわからなかった。

 

 遺体を焼いた後も、墓に納めた後も。ずっと周りの人々が泣いていたのに、自分だけ泣けなかった。どうして自分は悲しくないのだろうか──そう思うのと同時に、この人が、今どう思っているのかが気になった。

 

 この人は、大切な人を目の前で惨殺された。

 

 殺されて、喰われて、貪られ、それをどうすることも出来なかった。

 

 その気持ちを、カナヲは知りたく思った。

 それがどれほど残酷かどうか、知ることもなく。

 

「──ろ」

 

 声を、カナヲは聞き取った。

 微かな、絞り出すような音。

 

「──めろ……」

 

 それは、夥しい声だった。

 まるでこの世の果て、恐ろしい地の底の声かと思えるほどに。

 

「──やめろ……!」

 

 ぐぐぐ、と。

 

 目の前のベッド(・・・・・・・)に眠っていた彼が、叫ぶ。

 

 決して大きな声ではない。けれども、脳の奥まで響く様な声。

 

「──童磨あああぁァ────!!」

 

 身を起こし、此方へ(・・・)飛び込んでくる。

 

 カナヲが気が付いた時にはもう遅く、肩を押さえつけられ床に叩きつけられる。

 何とか受け身を取るものの、背中に衝撃を受ける。

 

「──殺す……童磨……ッ! お前、だけは……! お前だけは……!」

 

 まるで、鬼の様な。

 何だろう、この表情。見覚えがある。

 

 ──そうだ。確か、一度だけみた。

 

 姉が、しのぶが、一度だけ見せた表情。

 

 姉の遺体を焼いて、葬儀を終えて屋敷に戻った後。

 この人の前に立った時、目を覚ましたこの人が何も受け答えしなかったあの時だ

 

 あれ程、いや……あんな顔をするとは思わなかった。

 

 しかし、私とは何度か顔を合わせたけれど、そんな仇だと思われる様な事はしたことない──カナヲはそう思った。

 

「──カナヲ!? どうかし、た……」

 

 この人の声を聞いて、姉が部屋まで来た。

 

 一度此方の安否を確認するようなことを言って、見た時に──一瞬だけ、顔が変わる。

 

 ああ、この顔だ。

 この表情なんだ。

 

 恨んでも恨んでも消えない様な、地獄の底から睨みつけるような表情──何故、そんな顔をするのだろうか。カナヲには、それを理解できなかった。だけど、理解したくないとは思わなかった。

 

「──不磨さん」

「──殺してやる……! その声を止めろ! その言葉を止めろ! 喋るな、話すな──息をするなよ……!」

 

 姉が声をかける。

 けれど、この人は収まる気配がない。寧ろ、かえって刺激されているように感じる。

 

「──不磨さん」

「──童磨……ァ、ハァ、お前は、俺が、絶対に、殺してやる……!」

 

 もう一度名前を呼び、姉が踏み出す。

 表情は元に戻って──そう、まるで亡くなった家族のような笑みで(・・・・・・・・・・・・・・)。ニコニコと、まるで怒りなんて微塵も感じさせない様な表情で。

 

「駄目じゃないですか、不磨さん。貴方、肺がもう少しで壊死する所だったんですよ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)それなのに、そんな急に声を出したりしたら──死にますよ」

「──……ッ、ハ、は、ハァッ……」

 

「姉さんは間に合いませんでしたけど、不磨さんは助かったんです。なので、いきなり命を捨てるような行動をされると困ってしまいます」

 

 胸を抑える為に、腕を離す。

 鋭利なもので切り裂かれた左目は眼球が割れ、恐らく微かな光を通すのみになっているだろう。包帯を巻かれて見えなくなっているその箇所を、今さらになって思い出したのか左手を当てて抑える。

 

「っ……あ、あ、そう、だ。カナエ、カナエは、カナエはどこだ。死なないと、今すぐ、戻らないと」

 

 首を両手で押さえて、力を籠める。

 

「──駄目ですって。何してるんですか?」

「死なないと。俺が死なないと。駄目なんだ、俺が今すぐ死んで、死なないと。ああ、駄目だ。今すぐ死んで、死んで死んで──死なないと」

 

 しかし、その手は姉に阻まれる。

 あの頃はあんなに強そうで、実際に力強かった腕は姉に抑えられる程度の力しかない。

 

 ずっと眠るか、動かずにいたのだ。筋肉が落ちて、力が出なくなっている。

 

「もう、貴方が死んでも意味は無いんですよ。ですから、諦めてください」

 

 髪の隙間から覗く右目は、虚ろだ。

 

 果たして今何を見ているのか。

 何を感じているのか。考えているのか。

 

「──……違うんだ。俺が死ねば、全部、全部元通りになる。死ねば、ああ……何で、どうして、死ななかったん、え゛ぁ゛っ!」

 

 ヒュ、ヒュ──短く、空気が細く通るような音が聞こえる。

 口元を抑え、咳き込む。

 

「──カナヲ。手伝ってちょうだい」

 

 言われた通りにする。

 姉一人では、支える事が出来ないこの人の半身を支える。そのままベッドに戻して、手伝いをする。

 

「……もう、柱でもなんでもないんですから」

 

 そうだ。

 もうこの人は、鬼殺隊の柱ではない。

 

 炎柱は継がれた。

 

 肺がもう少しで壊死する所だった(・・・・・・・・・・・・・・)この人の代わりに、煉獄という名字の人が柱になったらしい。姉専属の鴉が通達してくれたのを思い出す。

 

「……さて! 私も他の患者さんを見なければいけないので、カナヲ。よろしくお願いします。また暴れるようでしたら、呼びなさい」

 

 何かを切り替えるように、堪えるように笑う姉。

 それを見て、カナヲもまた口元を柔らかく歪ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『一週間経った。

 

 完全に覚醒することは無かったが、急に錯乱する様な事もなかった。

 代わりに、呆然と外を眺めることが多くなった。

 

 

 

 

 三週間経った。

 

 夜に、怯えたような声を出すことが増えた。

 何かに謝るようで、それでいて何かを威嚇するように吠える事も増えた。

 

 

 

 

 それから更に一月経った。

 

 ある日、交代した炎柱──煉獄杏寿郎という人が訪ねてきた。

 どうやら子供のころから交友があったようで、どこを見ているかもわからないあの人の姿を見て一瞬固まったけれど、その後何事も無かったように見舞いを行っていた。色んな話を持ってきたらしく、一日中ずっと話していた。

 

 夕方頃になって、柱としての任務があるからと言って帰っていった。

 

 少しだけ、あの人の表情が変わったような気がした。

 

 

 

 

 更にもう一月経った。

 

 お館様──鬼殺隊の一番上の人が来た。

 ゆっくりと椅子に座って、窓の外を見るあの人の事をずっと見ていた。

 

 でも、少しだけ二人で視線を合わせていたような気もする。

 

 結局話したのは一言だけだった。お館様の、謝罪の言葉と。

 

 それに対してあの人が、俺の所為だ、と答えたのを覚えている。そして──……』

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 栗花落カナヲはそこまで書いて、手を止めた。

 

 亡き姉の提案で始めた日記ではあるが、気が付けばあの人(・・・)の事ばかり書いていた。別に書く内容何て何でもいい、その日カナヲが感じたことをそのまま書きなさい──そう言われているから好きに書いていたが、何故だろうか。

 

 そこまで考えて、別に何でもいいかと結論付ける。

 

 もう一人の姉も、いつの日にかああなってしまうのだろうか。

 自分を認識できず、他者のいう事にすら反応できず。自分の殻に引きこもる──ああ、どこかで聞いた話だ。

 

 まるで自分の様だ──カナヲはそう考えた。

 

『いつかカナヲも、好きな男の子が出来たら変われる』──亡き姉は、そう言っていた。

 

 でも、それなら。

 

 互いに好いていた筈の二人が崩壊して、生き残ったあの人がこうなってしまうなら。

 好きになるとは、どういう事なのだろうか。

 

 机の引き出しから、ある物を取り出す。

 

 それは、一つの硬貨だった。

 

 指示されてないないことはこれを投げて決める。

 表が出たなら、何もしない。

 裏が出たなら、行動する。

 

 親指に硬貨をのせて、弾く。

 

 空中でくるくると何度も周り、ゆっくりと落ちてくるのを見て──受け止める。

 

 表か、裏か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 栗花落カナヲは、翌日からあることを聞き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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