炎柱 弐
──目を覚ます。
今日も今日とて、天気が良い。布団から起きて、身体をゆっくりと伸ばす。昨日は夜遅くまで鬼狩りを行っていたから少し寝不足気味なのは否めないが、それを気にする事も無し。
「──うむ。今日も快晴だな!」
鬼殺隊炎柱・煉獄杏寿郎──彼の一日が今日もはじまる。
炎柱に就任して、既に
先代が上弦の鬼との戦闘で退任し、階級も伴っていた自分が繰り上がった。
先代──不磨回帰は、杏寿郎とも浅からぬ関係であった。
幼い頃、父槇寿郎に連れられて煉獄家へやってきた少年。杏寿郎より
その際に色々な葛藤や思惑が混ざり、杏寿郎と話すこともあったがそれはさておき。
追って鬼殺隊に入隊、鬼を少しずつ狩って生きていく内に不磨回帰の噂はかなり入って来た。
曰く、鬼殺隊最強。
曰く、岩柱と並び最強。
曰く、鬼を恨んでいる。
一番最後の噂は兎も角、鬼殺隊の中で最強と言うのに杏寿郎は異論は無かった。たった一度。一度だけ、戦っている所を見た。
その燃え盛る炎は、遠くから見てもしっかりと判別できた。
夜の山に、轟々と広がる炎。
その日、杏寿郎は思ったのだ。
──ああ。回帰は弟弟子だが……俺よりも、もっと強い。もっとでかい。もっと凄い!
そうして、それと同時に自分に自信も持ったのだ。
あの回帰が。あの炎柱が。あの偉大な男が、俺を炎柱に素晴らしいと認めてくれたのだ。
これ以上に奮い立てるものがあるだろうか。これほどまでに、高ぶる事があるだろうか。
──否!
そうして、光景を胸に刻み付けて生きてきた。途中で炎柱を突然やめてしまった父の部屋から指南書を取り、僅か数冊の本から炎柱に選ばれるほどの実力を得たのだ。
……だが、杏寿郎は素直に喜ぶことは出来なかった。
自分が炎柱に相応しいとは、思えなかったからである。
炎柱になった時、杏寿郎はまだ若かった。今でも十分に若いが、それでも柱になるには不十分だったと杏寿郎は考えている。
では何故柱になれたのか──それは簡単な話、元から推薦されていたから。
先代炎柱──不磨回帰によって。
『私が何らかの理由で炎柱を退く時、煉獄杏寿郎を後釜として据えて頂きたい。……継子ではありませんが』
いつかの柱会議にて、そう発言していたようだ。
その意思を汲んで、柱となった。実力で選ばれた──まあ、それも無くはない。たとえ柱の推薦であっても、実力が伴わないのなら許されない。
つまり、実力的には問題は無かったのだ。だが、これでは。
──柱として相応しいからでは無く。回帰が言ったから柱になったような物だ!
憤りはしない。
自分の実力の無さを嘆いた。
そうして、柱として就任したから死ぬ気で──それこそ、寝ずに──鍛錬を行なって研磨し、療養中の先代を見に行って。
愕然とした。
今でもあの時のことはよく思い出せる。いや、忘れる事はないだろう。あれ程までに強く、鬼殺隊の柱として生きていた男が。
「…………回帰。俺は信じぬぞ」
あの男が、衰弱死したなど。
信じない。
たとえお館様が言っていても、受け入れ難い事があるのだ。
この目で死を見てないのだ。ならば、受け入れるわけにはいかない。
父は、回帰の有様を見て狂ってしまった。
自分よりも特別で、恐ろしく強かったと認めた才を持つ天才が無残に打ち捨てられた。その事実に、現実に、世を嘆き酒を浴びるように飲むことすら無くなった。
もうあの人は、生きているだけだ。
だが、それだけでもいいと思う。
母は死んだ。
兄と慕える友人も消息知れず。父も精神的な負担によって、常人とは言い難い。唯一残っている弟は、まだ幼い。自分が育ててやらねば、いけないだろう。
父が生きている。それだけでもいい。母の愛を覚えずに育つのは悲しいのだ。
「あ、すみませーん! 杏寿郎さーん!」
「む? 甘露寺か、久しいな!」
ひょっこりと、庭から顔を出す。
桃色の髪に、毛先の方が緑色に染まっている。不思議な髪色だ、と最初は感想を抱いた。朗らかな、見る人を安堵させる笑みを浮かべながら手を振っている。
彼女は甘露寺蜜璃。
今年杏寿郎が継子として引き取り、育てていた。
とは言っても、彼女は特異体質を持っているため殆ど杏寿郎は手を患ってない。筋肉が常人の八倍近くあるため、正直なところ杏寿郎が呼吸全開にして漸く力比べに対抗できる。おかしい。
「お久しぶりです。ええと、柱会議以来でしたか?」
「うむ! 甘露寺が就任してすぐの会議以来だ!」
その筋肉量や、残念な事に炎の呼吸とは相性が悪かったようで他の派生の呼吸を扱う甘露寺は既に柱まで上り詰めていた。
肉体的な強さは勿論、その技の鋭さも素晴らしい。柱の中でも強い方だ、と杏寿郎は認めていた。
「ちょっとお聞きしたいことがあるので来たんですけど、大丈夫ですか?」
「俺に聞きたい事? 別に構わないが」
ああ、よかったと笑ってから甘露寺が話しを切り出す。
「実は昨日、ちょっとした怪我をしたので蝶屋敷に初めて行ったんです」
「ああ、胡蝶の所か」
「はい。そこでしのぶちゃんの治療も受けて一日過ごしてきたんですけど……実は、こんなものを頂いて」
そう言いながら、あるモノを取り出す。
どこか見覚えのあるソレを見て、杏寿郎は眉を顰めた。
「──……それは」
「倉庫を清掃したら出てきたそうです。これって、杏寿郎さんの羽織と同じですよね?」
煉獄家が代々身に着ける、真っ白な羽織──そして、年月が経っているのか滲んだ赤色。
「…………そうか。捨てて、いなかったのだな」
「しのぶちゃんは捨ててしまいましょうって言ってたんですけど、一応杏寿郎さんのだったら勝手に捨てることになっちゃうし話をしておこうかなと思って」
「──それは、俺のではない。そして、煉獄の者が身に着けた物でもない」
「……え?」
気が付けば、苦い顔をしていた杏寿郎に驚く甘露寺。自分が師事を受けていた時すら見たことのない表情に、思わず呆ける。
「それは、先代炎柱──不磨回帰の物だ。俺の物ではない」
あの日身に着けていた隊服は、そのまま蝶屋敷にあったのか。
それとも羽織だけは残っていたのか、定かではないが──杏寿郎は自分がらしくない表情をしていることに気が付いた。
「すまん、甘露寺。不愉快な訳ではない。どちらかと言えば、俺の不甲斐なさを実感しているだけだ」
「あ、い、いいえ。ただ、杏寿郎さんでもそんな表情をするんだって思っただけで」
──そんな顔も素敵だわ。
どこかから電波のように聞こえてきたその声を杏寿郎は無視した。それどころではないからである。
「よかったら、貸してくれないか?」
そう言って受け取る。
……ああ、俺が渡したもので間違いない。羽織の裏面を見ると、僅かに跡が残っているのだ。先に鬼殺隊に入隊する弟弟子に対し、兄弟同然の友人に対し安全祈願をこめて残した跡。
「……今お前は、何処にいるんだ?」
決して、死んだとは思えなかった。
思いたくはなかった。思おうと思わなかった。
何とでも言い訳がつくが、それは簡単な理由だ。
自分が認めた男が、折れたと思いたくない。
「……あの、杏寿郎さん」
気が付けば甘露寺が廊下に腰かけ、こちらを見ている。
「その、先代炎柱の人って……しのぶちゃんのお姉さんと」
「ああ。胡蝶カナエと仲が良くてな、よく共に任務に行っていたと聞く。……そういえば、甘露寺が来た時には既に居なかったな」
「はい。凄く強くて、当時の鬼殺隊でも実力者だったって聞きました」
天気は、晴れている。
たまには話をしてもいいだろう──杏寿郎はそう思った。
「元々、回帰は何でもない農民の出身だ。鬼に襲われ、生身のまま鬼を一匹殴打によって行動不能に。その後家族を襲った鬼──元凶とも言える鬼の、十二鬼月上弦の弐と会敵。負傷し、先々代──俺の父上が保護してきた」
よく覚えている。
鬼狩りから帰宅した父上が、将来有望だと、少し陰りのある表情で伝えてきたのを。母である瑠火は反対しなかった。それどころか、唐突な話だったのにも関わらず歓迎だといった。
「その時既に、回帰は復讐心に囚われていたかもしれない……いや。その頃からずっと、そうだったのだろう。それこそ、柱になるまではな」
柱になって、変わっていった。
復讐という言葉に支配された鬼殺の剣士が、徐々に人間に戻っていく。胡蝶カナエと不磨回帰、誰がどう見てもいい組み合わせではないのに、いい組み合わせになっていった。
「だからこそ、か……だがな、回帰。俺は諦めきれないのだ」
人は、失われていくものだ。失っていくものだ。技術も、尊さも、生命も。鬼とは違って、残る事はない。
だが──これではあまりにも。
「あまりにも、お前は地獄を見過ぎだ」
だからこそ──俺は照らし続けよう。
いつの日か、お前のような奴が居なくなるまで。鬼が居なくなり、悲劇の連鎖が止まるその日まで。
どうかどこかで見ていて欲しい。
俺を認めたお前に、胸を張れる時を待って。
「──父上」
襖を開き、部屋に入る。
布団に包まれ、寝ている男性。それなりに歳を重ねたのだろう、皺が出て老け始めた顔だ。
「今日は、甘露寺が参りました。ある土産を、持ってきて」
そう言いながら、寝ている横にあるモノを置く。
「……回帰は戻っては参りませんでした。でも、きっと、俺は何処かで生きているんじゃないかと思っています。葬儀も行って、今更何をと思われるかもしれません。ですが、俺は死体を見てないのです」
お館様から通知があった際、既に回帰の葬儀は行われていた。骨も砕かれており、本人の確認ができる物は一つもなかった。
「いつか必ず、回帰を連れて参ります。父上も、元気でいて欲しい。……これは、蝶屋敷にあったモノです」
「俺はこれから、会議に出て来ます。何やら鬼を庇う隊員がいたとかで、その処分を下すと話していました。誑かされたのかはわかりかねますが、どちらにせよ悲しい出来事です」
立ち上がり、置いた羽織を身に着ける。
いつもと同じ、変わらない羽織のはずなのに──どこか違う。違和感を感じるのだ。
「──行って参ります、父上」
まるで、背中に何かを背負っているかのような。
けれど決して不快ではない。そうだ。この重さは……誇りだ。
不磨回帰という人間を、背負っている。
その思いを抱いて、生きる。
炎柱とは、そういうモノだ。