Mrs. GREEN APPLE - インフェルノ
是非この曲を聞いて、その後に見て欲しい。
竈門炭治郎は、十二鬼月上弦の参──その出現に酷く動揺していた。
怪我を負い、その治療の為に蟲柱である胡蝶しのぶの蝶屋敷へと運ばれて、機能回復訓練を受けている時の話を思い出したからだ。
『この屋敷は、常に負の匂いがする』
そう気が付いたのは、何時だっただろうか。
常中の鍛錬を行い始めたとき? それとも、運び込まれた時? いや、それはわからない。
でも、なんだか──良くない匂いがする。それだけは炭治郎は理解していた。
別に悪い事をしているとか、鬼みたいな匂いだとかそういう訳じゃ無い。ただ、どうしようもない程の悲しみや憎しみを節々から感じるのだ。
同じく入院した我妻善逸と話した時──我妻は【音】で人の心を読み取る事が出来る──は、しのぶの音がとにかくやばい。俺はもう近寄れない。でも顔は滅茶苦茶可愛い。そういう風に話していた。
顔が滅茶苦茶可愛いは良いとして、炭治郎もしのぶの
そうして、全集中の常中の鍛錬を行っているある夜──座禅を組み、瞑想を行っていた炭治郎の元へとふわりと現れた。
『一人で鍛錬ですか?』
音もなく背後から寄って来たしのぶに、思わず炭治郎は驚愕した。
──顔が近い。いい匂いがする……それと、酷く痛ましいぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が。
思わず炭治郎は、言ってしまった。何を言われるよりも早く、自分の口から。
──あの、しのぶさん。怒っているんですか?
その時の、あの人の顔を忘れることは無いだろう。
凍り付いた笑みが、目を細め真顔にへと変貌する。こちらへ敵意を持っているわけでは無いのに、薄ら寒い感覚が背筋を奔った。
『……そうですね。怒ってます。ずっと、ずーっと……』
そう言いながら月を見上げるしのぶに、今度は悲哀に似た匂いを感じた。
『鬼にも、
しまった、思い切り踏んではいけない物を踏みつけた。
そう感じた炭治郎は、すぐさまに謝罪した。だがしのぶは特にそれ以上責めるような事を言わずに、ぽつりぽつりと話し始めた。
『聞いたことがあるかもしれませんが、私には姉が
覚えている──炭治郎は頷き、名前を言った。
『ええ、そうです。煉獄杏寿郎さん──あの人の一つ前、先代炎柱と私達は友好を持っていたんです』
先代の炎柱──つまり、その人は既に柱では無いという事。
『……炭治郎君の思っている通り、もうその人は居ません。上弦の弐との戦闘で、花柱だった私の姉──手足を喰われ、頸を食い千切られ、全身に噛まれた後を残して死んで。その炎柱の人は、命は助かりましたが……衰弱死しました』
──嘘だ。
炭治郎は、ほんの一瞬だけ混じった罪悪感、怒り、悲しみ、全ての匂いを正確に嗅ぎ取れた──嗅ぎ取ってしまった。
恐らく姉の話は事実なのだろう。深い深い哀しみと、地の奥底から響く様な憎しみを感じた。
だけれども、炎柱の人が衰弱死した──最後のこの言葉だけは、嘘だ。
『結果、当時柱を除く最高階級だった煉獄さんが炎柱に。私がその後を追って、蟲柱になりました。……その時から、ずっと私は囚われているんです。きっと』
そうして、月を見上げたまま話さなくなったしのぶに炭治郎は一つ質問をした。
自分がここに運び込まれる要因となった鬼──彼は十二鬼月の下弦の伍だった。それであれ程の強さ、水柱であり自分の兄弟子の冨岡義勇が一撃で斬ってしまったが、炭治郎からすれば格上だった。
十二鬼月の上弦の鬼は、討伐できたことがあるんですか?
するとしのぶは、仄かに目を細めた後──すぐに笑顔を張り付けてこう答えた。
『少なくとも──生きて帰って来たのは、その先代だけです』
憎しみと哀しみと怒りを込めた言葉を、しのぶは吐き出した。
──煉獄さん。
仰向けで地面に転がる炭治郎は、目の前で始まる戦いを目で見る。
恐ろしい程に漂う鬼の気配、強い悪の気。これほどまでに濃い鬼舞辻無惨の匂いは初めてだ。
上弦の鬼を相手に、生きて帰って来たのは一人だけ。それも、少なくとも柱が二人で相手して、その上で無力化されての帰還。
──煉獄さん。
自分を庇う様に立ち、刀を構える炎柱を見る。
轟々と燃え盛る炎が全身から溢れ、夜の暗闇を照らす。
紛れもなく、今この瞬間──煉獄杏寿郎は太陽そのものだった。
──炎の呼吸・五ノ型!
目の前に広がる大量の衝撃波を見る。迫ってくる速度がほぼ一定、同時に届くと言っても過言ではない。
──何たる正確性か!
思わず舌を巻くほどの完成度。そして威力と衝撃に対応するべく刀を振るう。
「炎虎!」
目の前まで一瞬で距離を詰めてきた上弦の参、振るってきた拳から発生する衝撃波を全て受け切る。
「炎の呼吸か──いいぞ! これまで炎の呼吸を扱う柱とは戦ったことが無い!」
これまで相対したことのない速度、威力、そして実力。
ふと、杏寿郎の脳裏に家族の顔が浮かんだ。
──まだだ!
「俺には、守るべきものがある! 継ぐべき物がある!」
「そうか!」
──破壊殺・砕式。
「弐ノ型・昇り炎天!」
「万葉閃柳!」
振りかぶり、上から叩きつける様にして振るわれる技に対して反撃する。完全に速度を合わせ、確実に拳を割れるように調整。
ガ、と一瞬拮抗し──そのあまりの重さに腕からブチブチと不快な音が聞こえてくるのも気に留めず、そのまま振り切る。
「──おぉおッ!」
伍ノ型──炎虎!
反撃を容易に相殺し、鬼は再度殴り掛かってくる。
「いいぞ! お前、名は何という! 名乗れ!」
「杏寿郎! 俺は──煉獄杏寿郎だ!」
叫ぶ。
敵に聞かせるためだけではない。これはある種の約束だ。
あの日誓った、夜を照らす太陽になるという誓い。今、どこにいるのかもわからない人間へと届ける言葉。
「杏寿郎──それほどの剣技、そして闘気! 練り上げられたその全てが、時と共に劣化し腐敗し失われていく! どれほど悲しい事か、お前にもわかるだろう!」
──破壊殺・乱式。
再度前方から大量に繰り出された拳、先程よりも多く、そして早く到達してきた攻撃を防ぎきれないと判断。致命傷を避け、戦闘を維持できるように位置を調整する。
参ノ型・炎心の揺らめき。
揺らぐ炎の中心、陽炎のように漂うその様を再現し最低限の回避を行う。
脇腹や肩、そして頬を直撃して激痛が奔る。
──それがどうした!
「──命とは、失われていくモノだ!」
拳を潜り抜け、鬼に対して小さく沈み込んで肉薄する。右足で踏み込み、その衝撃で地面が陥没する。
「人間だけではない! 全て、命は失われていくモノだ! 失われ、そして継がれ、新たに創られ、研磨され──絶えたモノは、一つたりとも回帰する事はない!」
──捌ノ型・紅炎!
下段から大きく振り上げ、上半身そのものを奪う様に刀を振るう。
「何故諦める! 何故そこで途絶えさせる! それがどれほど無意味で無価値な物か──!」
「黙れ! 貴様のような奴が、命を語るな!」
怒りを滾らせ、刀が直撃する。だが上半身と下半身を分ける程の威力は無く、腰辺りを半ばまで両断する程度で終わる。
「──杏寿郎。何故そんなにも固執する。これを見てみろ」
そう言って、後ろに下がった鬼が付けられた傷に指を指す。
「既にお前が猛攻を掻い潜り、俺に付けた傷は癒えてしまった。なのに杏寿郎、お前はどうだ?」
左目は、頬に拳が直撃したせいで潰れたのか痛みと暗闇で閉じる事しかできない。脇腹は肉が削れたのか、折れただけではなく恐らく外に露出しているのだろう。左の肩は、どうなっているのか。最早探る事すら億劫に感じる痛みだ。
「既にそんな状態だ。わかっただろう、杏寿郎。人であることに価値なんて、何一つないんだよ」
「──そんな、訳があるものか」
否定する。
ああ、苦しくて痛い。当たり前だ、人の身体は再生しない。鬼のように、腕が千切れても元に戻らない。そこには血が通って、酸素を運び、肉体という物を形成している。痛くて当たり前だ。
「貴様は、侮辱しかしていない。俺を導いてくれた男は、お前たちのような非道な鬼から決して逃げなかった。その眼差しから、外すことは無かった。──例え上弦の弐が仇だと知っても、決して折れる事はなかった!」
家族を失った。鬼の恐怖を味わった。
だが、復讐を決意した。鬼による悲劇の連鎖を止めんと奮起した。農民であったその身を復讐者へと墜とし、人々を多く救って見せた。
「上弦の弐を相手に、逃げなかった男を追っている俺が──
そう叫び、再度気を練る。
そして、気が付く。
目の前の上弦の参──その表情が、先程までの薄ら笑いから凍り付いた真顔に変貌していることに。
「……
刹那、その場から加速し目の前まで詰めてくる。
「腹立たしい──ああ、あんな奴……!」
──破壊殺・滅式。
何かに対する怒りを増幅させながら、技を放ってくる。
──ここしかない。
今までの冷静さを失い、不用意に接近して技を放ってきた今。ここでしか此奴を仕留める機会は無い!
未だ作成途中の、自分が考えた自分だけの技。後に、千寿郎にも継ぎ、これからに繋げようと考えた技。
本来の奥義である煉獄、あの技に手を加えた新たな奥義。受け継ぐだけではなく、自ら歴史に手を加えるために。
「奥義──火継・煉獄! 」
莫大な炎が、刀身へと収縮する。
未だ完成度は七割、完成してないのだから熟練度も何もない。だが、いまこの接近戦で対応でき尚且つ敵を打ち倒せる技。
──煉獄さん!
背後から、竈門少年の自分を呼ぶ声がした。
ああ、回帰。見ているか?
俺はまさしく、炎になれているのだろうか。今、太陽になれているのだろうか。絶対的な脅威から、皆を照らす光に。
「──杏、寿郎!」
耳に飛び込んで来たその声に、安堵する。
ああ、何だ。
やはり、生きていたんだな。
手を緩めずに、寧ろ握りしめる。
凄まじい程の衝撃と、真っ直ぐに飛び込んでくる拳──それを受ける前提で、刀を振るう。狙うは頸、確実に殺す為に。上弦の鬼を倒せば──お前に追いつけるのだろうか。
鬼の拳が、胸に直撃する。
衝撃を感じるより早く、胸の中心を腕が貫通していく。
それを知覚し、痛みが増して──それでも振るう腕は止めない。
本来の煉獄は上から振り下ろし一気に吹き飛ばす技。
だが、この炎継・煉獄は違う。
どんな体制からでも、熟練した技を放てる煉獄杏寿郎が編み出した技。
そう、これは──煉獄の威力を、たった一撃、その一振りに全てをのせる。どんなに硬い頸であろうが、どれほど屈強な肉体であろうが斬る──その意思を籠めた型。
「おおぉ──!!」
吼えろ。
半ばまで到達した刀が、急に勢いを失い始める。
鬼が斬られながらも再生を試みている、それに加えて振っている刀にもう片方の手で攻撃を仕掛けてきていた。
もはや感覚すらわからない程に痛めつけられた左肩、左腕を何とか動かす。動いているのか──それすらもわからない。
だが動いていたらしく、鬼の振るってきた腕を掴むことに成功する。
「陽が──!?」
この、完璧な状態で陽が昇り始めた。
そう、夜明けだ。
「ぐ──」
「逃がすか!」
腕を引き抜こうとした鬼に対して、筋肉を固め腕を離さずにそこで押さえつける。
あの技が完成していれば、もっと素早く振り切れたが──気にしても仕方がない。家に必要な物は残してきている、後の事は考えるな。
自分が、最も尊敬している人物が見ているのだ。
俺が培った全てを、見せねば。もう、これから先──見せる事は、出来ないのだから。
「──あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛!!」
己の全てを賭けて、吼える。
斬れ! 切り裂け! 放すな! 決して放すな!
「──があッ!」
自らの腕を、半ばから斬り落とし鬼が後ろへと下がる。
ああ、くそ、逃した。
駄目だ、追う力は残ってない。
「──全集中……ッ……!」
無理するな。
内臓を痛めてるんだろう? ──回帰。
「杏、寿郎。違うんだ、杏寿郎。俺は、俺は……」
咳き込み、胸を抑えながら歩いて来た──俺の尊敬する弟弟子を見て、上弦の鬼を取り逃がした事よりも、何故か……安堵の気持ちが強く沸いた。