「…………」
息を吐く。
腹が減った。まだ死ぬまでは期間があるが、そろそろ満たしておきたい。空腹時でも別にある程度の力は発揮できるが、
焼くだけ焼いた、野鳥の肉があるのを思い出した。
もそもそと適当に袋から出しそのまま口に放り込む。
「……まずい」
──いつからか、碌に食事の味なんてしなくなった。気にしてない、と言えるのか。そんなことはどうだっていいか。
鼻はまだ使える。匂いはまだ嗅ぎ取れるから大丈夫。
立ち上がって、歩く。
随分と不便な身体になった。
炎の呼吸は、使えなくなった。
俺が使い方を忘れたのか、それとも身体が拒否しているのか──いつのまにか、俺は呼吸を失っていた。代わりに、自分の自己流の呼吸を編み出した。
派生? だとかそんなのはどうでもいいが、肺が上手く機能していない今俺は後数回しか本気で戦えない。
いや、下手したら後一度戦えば活動すら不可能になるかもしれない。
……それでも、いいか。
そう思いかけた自分の思考を、吹き飛ばしたくなる。
ダメに決まってる。俺は死ななければならないんだ、あの糞野郎を地獄に堕とし、俺自身も地獄の底に堕ちねばならない。
「カァ」
傍に寄ってきた鴉。
お前はずっと俺のことを追いかけ回す癖に、あの糞野郎の場所は教えないな。それどころか、関係のない雑魚鬼ばかりだ。
知ってるのか? いや、知らないんだろうな。あの糞野郎は、卑怯で、薄汚くて、ずっと影に潜んでいる。
ああ、違うんだ、カナエ。諦めるつもりなんて無いさ。勿論あの糞野郎を殺して、俺は地獄に堕ちるから。許されるつもりなんて無いから。
首元に、手が伸びてくる。
これもきっと幻覚だ。俺が生み出してる、決してカナエはやらないような幻覚。本当に、自分の都合が良くて反吐がでる。死んでしまえ、俺なんて。
死なないのに、死なないからそんなことが言えるんだろう。死ぬことの恐怖が分からないから、死ぬ事の痛みも忘れてしまったから。
死ねるなら死にたい。でも、死んで救われなんてしたくない。されて良いはずがない。
カナエの手が、俺の首をギリギリと締める。
ああ、俺を殺して気が晴れるなら何度も殺してくれ。
ありがとう、俺を殺してくれて。何度も何度も、君が満足するその日まで殺され続けよう。
だから、地獄に堕ちるその時を楽しみにしててくれ。俺は絶対に地獄に堕ちて見せるから。なあ、カナエ。
──そんなこと、カナエが思う訳無いだろ。
うるさい黙れ。
許されるはずがない。憎まれてないはずがない。
手足を喰われるのは痛い。苦しい。呼吸も満足に行えなくなって死ぬのも苦しいんだ。それを俺は、一体何度カナエに味合わせた?
それを考えても見れば、俺が死ぬべきだった。死なないこの命を、使うべきだった。
ああ、くそ、なんで俺は生きてる。なんでだ? 死ねよ。死んでしまえ。
「カァ」
バサバサと俺の周りを飛ぶ鴉。
うるさいな、わかってる。行けって言うんだろ。
行くよ。お前に言われなくたって。
鬼を殺して、殺して殺して殺して殺して……全部殺せば、アイツに辿り着くだろ。何が十二鬼月だ、何が鬼舞辻無惨だ。そんな連中どうでも良い。
童磨。お前はどこだ。どこにいる。地獄に堕ちろ、俺もお前も。
鴉が先にバタバタ飛んでいくので、俺もそれについていく。
何年もこいつと一緒に狩っているんだ。いい加減こいつの行動もわかる。
この先に鬼がいるから、俺を誘導している。
始めの頃はそれなりにちゃんと飛んでいた気がするが、もう歳なんだろう。全然まともに飛べてない。もう、やめてもいいぞ。鬼の気配が近付いてるのはわかるから。
鬼の気配が、強まる。
……ああ?
こんなに強い鬼の気配は、随分と久し振りだ。
圧の強さ、不快感の強さ、この突き刺すような殺意──ああ、あの時以来か。あの、あの時……。
ああ、ああああ、あの時以来だ。あの時以来なんだ。
糞野郎。お前が来てるのか? お前なのか? ならいい。ここで終わらせよう。ここで全部終わらせよう。鬼の因果だとか、そんなのはどうでもいい。俺とお前の決着だ。全て、全部、全部全部全部全部……俺もお前も、ここで終わろう。
弾けるような、それでいて降り注ぐような。
既に燃えて灰となり、僅かな風に拐われる程度の重さ。
──全集中・灰の呼吸。
俺が編み出した、俺だけの技だ。
アイツを殺すため、その為だけに作った呼吸。誰に継ぐわけでもない。誰に見せる訳でもない。アイツを殺す為だけに作った鬼狩りの手段だ。
「──ほう」
突如現れた鬼、そして聞こえなくなった鴉の羽ばたく音。
それを気にすることもなく、刀を振るう。
「お前、鬼狩りだな? ──他の連中と身に着けている服が違うな」
容易に受け止められた刀を、再度振る。
短い間しか呼吸を行使できない──それも徐々に短くなっている。もう限界が近いのか──まあどうでもいいか。例え呼吸が無くても、アイツは殺して見せる。
「集中しろ! 考え事か?」
考え事に意識を割いたせいか、刀を折られた。所詮死んだ隊士から貰ったものだ、硬さに期待しているわけでは無いが──刀を折れるという事はそれなりに強い鬼か。
そう思って、眼前に迫った拳を無視して瞳を見る。
鬼の瞳には、その鬼の強さを簡単にあらわす文字がある。
あの不愉快な文字を忘れることは無い。上弦と弐という文字。ああ、不愉快だ。
──ああ、お前も上弦か、この野郎。
お前如き、相手にしてる場合じゃないんだよ。
お前みたいな、あのクソ野郎に勝てない奴を倒す意味は無い。この程度の奴に呼吸を使う必要は無い。死を繰り返して、適当に捌けばいい。
「貴様……何故刀を抜かない」
俺が刀を抜かないのを不思議がって問いかけてきた。
煩いな。お前みたいな奴には興味が無い。
どうでもいいよ。どっか行けよ。
ああ、でもなぁ。
お前みたいに、俺と同じように、アイツに負けたような奴なら簡単に殺せるか。
「──貴様」
これまで何度も鬼とあって、その度に糞野郎の場所を聞いて来た。名前を言っても、誰も知らない。居場所を聞いても、誰も知らない。もううんざりだよ、お前たち鬼なんざ。
好き勝手やって、そのくせ何も知らない。不愉快だ。死ねよ。
お前も、上弦の弐に勝てないから
「死ね」
振るわれる腕を避ける。
跳んでくる拳を受け流す。
叩きつける様に振るわれる脚に潰される。
何回死んだのか──そんな事はどうでもいいか。痛みなんてどうでもいい。苦しみだって何だっていい。俺に少しでも痛みを与えてくれるのなら、それが彼ら彼女らの救いになるなら。
「貴様──何故刀を抜かない!」
お前に関係あるのか?
無言で拳を放ってくる。
幾つも幾つも連打で放たれた拳──数は増えてるが、避けるだけなら出来る。これだけ死ねば誰だって出来るさ。
「……不愉快だ、貴様、何もかも……!」
そうか。俺はどうでもいいがな。
童磨を殺すのに、必要な事じゃないだろう。お前はアイツを殺したくないのか? ああいや、お前には殺させない。俺がアイツを殺す。あのクソ野郎を殺す。そうすれば、俺は、やっと地獄に堕ちれる。やっと、皆に
そうだ。アイツを殺すんだ。死んでる場合じゃない。俺は全部殺さないと、お前も全部殺さないと。ああ、全部全部全部全部殺さないと。
刀を抜刀する。殺さないと、全部殺さないと、お前も殺さないと。
灰の呼吸、弐ノ型──
灰になれ。俺も、お前も、悉く。
「──ぐ」
初見だろう。俺が編み出した技だ。アイツを殺す為に、才が無い俺が、一から作り上げた。
ああ、才なんてないさ。
あれ、俺は誰の事を? まあ何でもいいか。
腰から引き抜いた刀を振る。頸を──こいつ、頸を斬られるのを避けたな。まるで狙っている場所がわかるみたいに。
下から振り上げられた拳に対して飛び跳ねる事で回避する。そのまま流れで頬を蹴り飛ばす。
糞野郎とは違って、近接戦が主体か。なるほど、それは勝てない訳だ。あの糞野郎はカスみたいな血鬼術を持ってる上に戦闘の天才だ。憎たらしい程に。お前もわかってるんだろう?
「黙れ」
振るってきた拳を、ギリギリで避けながら斬りに踏み込む。
肩に接触して、何やら違和感が生じるが気にしない。斬れるんだから構う必要が無い。再度頸を狙うが、それも何か予測していたかのように事前に回避行動をとる。面倒だな。まあ、ある意味俺と似たような物か。
はは、皮肉だなぁオイ。俺もお前も、予知の様なことは出来るのに勝ててないんだ。アイツに負けたんだ。情けないなぁ。
ああ、ごめんよカナエ。諦めるつもりはないから。そこだけは、俺を信じてくれ。助ける事が出来なかった俺を信じる事なんて出来ないと思うけどでもこれだけは信じて欲しい。頼むよ。
は、は、と息が切れる。ああ、もう限界か。クソ、やっぱり早くなってる。限界がどんどん近づいてる。
こんな奴に使うべきでは無かった。使わなければ、もっと長い時間使えたのに。
大分長い時間夜を歩いた。そろそろ近い筈だ──そう思い、後退する事にする。
こんな奴を殺すことに時間をかける必要は無い。俺はお前を殺すことに興味は無い。
「貴様、何処へ──」
そう言って後ろに下がる俺に追撃を放とうとした上弦の参は、突如として動きを止めた。そして──その場に轟音が響いた。
……行ったか。
木の裏に姿を隠して、呼吸を行わずに息を止める。肺への負荷がかかっている今、無理は出来ない。本来ならここで酸素の供給を止めるのは逆効果だが、鬼から逃げるためにはある程度隠れなければならない。それに、俺の服はかなり着まわしている。
鬼の返り血が付いても気にしてないから、簡単に嗅ぎ分けられるだろう。それでもこっちを無視したのは、何か都合が悪かったのか。
──まあ何でもいいか。
カナエ、俺は生き残ったよ。ああ、ごめん、そんなつもりで言った訳じゃ無いんだ。ただ、俺は、まだ諦めてないって言いたくて。違うんだ、聞いてくれ。
お願いだカナエ。俺は不快な奴だろ。嫌な奴だろ。死んで欲しいだろ。でも、アイツを殺さないと死んじゃ駄目なんだよ。
そう言うと、声が聞こえてくる。
──間に合わなかったのに。
ああ、その通りだ。俺が悪いんだ。約束したくせに、何もできずに、俺は、お前に苦しみを何度も味合わせて、痛みを、そうだ、俺は。
誰か、俺を殺してくれ。
どうか俺を殺してくれ。
でも、まだ殺さないでくれ。
やるべきことをやったら死ぬから。しっかり地獄に堕ちるから。いつか訪れるその日まで、俺の事を生かしてくれ。決して幸せに何てならないから。
いつの間にか、手に力を入れていたのか抓っていた左腕の肉を一部分千切ってしまった。ああ、クソ、面倒臭い。一度死のうか。そっちの方が早い。
刀を抜いて、自分の喉に向ける。
ごめんなカナエ、何度も何度も頸を喰わせて。苦しかったよな、痛かったよな。俺が悪いんだ、俺が全部悪いんだ。
喉に突き付けた刀を、思い切り突き刺そうとして──手が、見える。
何だろう、この手。小さい、俺の手じゃない。さっきの鬼のでもない。ああ、カナエの、喰われてしまったカナエの手でもない。
その、服は、あれ、見覚えがある。でも、思い出せない。誰だ、誰なんだ?
そっと刀身から離れて、その手が──身体が、見える。
普通の着物。隊服でも何でもない、普通の着物を身に着けている。背は俺よりも低くて、カナエよりも小さくて、刀もなにも持ってない。
──今、行って。
そう言って、右腕をゆっくりと上げて指す。
──行かないと。
行かないと。何が、行かないといけないんだ。そう問いても、答えることは無い。顔の上半分を狐の面で覆った──恐らく少女は、そのまま姿を霞のように消した。
何だったんだ──そうやって、正体を探ろうとする前に身体が動いていた。それに対して疑問を抱くより先に、行かないといけないと思考が変わった。
ああ、行かないと。今行かないと駄目だ。間に合わない。急げ、急げ。
息が切れる。でも気にせず歩く。走れはしない、その運動能力すら満足に無い。でも行かないと。今行かないと絶対に間に合わない──何に?
わからない。だから確かめに行く──この予感は何なのかを。
胸を抑え、ぜぇ、ぜぇと呼吸を乱して歩き続けて、目に捉えた。
──湧き上がる炎。紅蓮の華が咲き、暗闇を照らす。
──俺は照らしたい。夜の闇に怯える人々を安心させる炎になりたい。それが俺の、使命だと思ってる。
何だ、今のは。
顔を抑えて、頭を抱える。ハア、ハア、と息が途切れる。酸素を吸え。呼吸をしろ。
ああ、そうだ、俺は、柱を、どうしたんだ。
抜け落ちていた記憶が、次々と蘇っていく。何だこの記憶は。こんな事があったか──ああ、在ったんだ。確実にあったんだよ。俺は、それを忘れていたんだよ。
ギュウウ、と胸を押さえつける。
──大丈夫だ。煉獄は継がれてる。俺にも、回帰にも、そして、千寿郎にも! 絶えることはない!
「……杏、寿郎…ッ?」