「お久しぶりですね、
感情を感じさせない無表情でそう言ってくるしのぶに、俺への恨みは消えていないなと理解する。
当然だ。柱に選ばれておきながら、ロクな抵抗も出来ずに無力化された上に、自分の唯一の肉親も守ると言っておきながら守れない。こんな無能を、恨まない訳がない。
今も、煮えくる自分の感情を抑えようとしているのだろう。もしもカナエが生きていれば、こんな風にはならなかったかもしれない。全部、俺の責任だ。
「…………色々と、言いたい事も聞きたい事もあります。ですがその前に、鬼殺隊の医者として、あなたの身体を診察します」
そう言いながら袖を捲る。
……自分でも何となくわかっている。もう、俺の身体は限界に近い事くらい。だから大丈夫だ、そう伝えるとしのぶは大きく顔を歪めた。
「そう言って、また間に合わなかったらどうするんですか?」
どっちみち、理解して居たところで手遅れだろう。
「……ああ、そう言えば言ってませんでしたね」
しのぶが日輪刀を抜き、そこに刻まれた文字を俺に見せてくる。
そうか。お前は、柱になったんだな。
「えぇ、
にこやかに微笑むしのぶに、申し訳ないと言う感情が募る。
心が軋む。
すまない、ごめんなさいではとても言い表せない負の感情。唯一の肉親を奪い、その上に入院状態から抜け出して数年間も行方不明になった奴が、今代の炎柱の死と共に戻ってきた。
少なからず、杏寿郎が築いた絆もあった筈だ。
それを、俺がまた奪い取った。恨まれない理由がない。
憎んで欲しい。
恨んで欲しい。
忘れるつもりなんて無かったのに、自暴自棄になって全てを投げ捨てようとした俺を決して許さないでくれ。いつかきっと、地獄に落ちるその日が来るまで。
「──不磨さん? 聞いてますか?」
気が付けば、俺の事をしのぶが覗き込んできていた。
口元だけを緩め、笑顔で語りかけてくる。昏い瞳に、どんな感情が籠っているのか。俺にはわからない。それが怨みなのか、怒りなのか。
「聞いてません、でしたね? しかたないから、もう一度説明しますよ」
妖しく口元を歪める彼女の表情に、酷く、胸が痛んだ。
しのぶ。お前のその表情は、お前のモノなのか? 昔のお前は、そんな風に笑わなかった。俺が知らない間に、変わったのか? いや、変わったことは間違いない。だけど、その表情は……いや、俺に言う権利はない。
「私は、毒を沢山勉強しました。毒だけじゃなくて、人の身体とか、医学もすごい頑張って勉強したんですよ?」
少しも視線を逸らさないしのぶ。
俺が、ここで逃げるわけにはいかない。たとえ罵られようと、刺されようと、殺されようと──もう逃げないと決めたんだ。俺の責任は、俺が取る。
「……ふふ」
そう小さく笑いながら、しのぶは後ろに下がった。
「あなたの身体は、数年前に脱走した時点ですでにボロボロになってます。内臓が幾つか駄目になっててもおかしくないくらいには──ですが」
歪めていた口元を戻して、無表情になる。
「三人に聞きましたよ。呼吸を、使おうとしたって」
……その通りだ。
炎の呼吸は、俺は使えなくなった。使おうと思って、何度も試したんだが、駄目だった。
もう、俺は炎の呼吸は使えない。代わりに、俺が考えた、あのクソ野郎を殺すためだけの呼吸を考えた。……その過程で何度も死んだけどな。考えて、実行して、失敗して、内臓が悪化する前に自殺する。その繰り返しでなんとか物にした俺のためだけの呼吸だ。
「……炎の呼吸は使えない、ですか」
なにかを考えるように瞳を閉じたしのぶ。少し時間を置いて、ふう、と一言吐いてからしのぶは目を開いた。
「わかりました。今度の柱合会議で報告しておきます。……戻ってきた、という事はもう逃げるつもりはないという事ですよね?」
ああ。もう、散々やらかした俺の言うことなんて信用できないと思うが……逃げない。あのクソ野郎を殺す、それだけが俺の生きる意味だ。他に何も要らない。求めてなんて無い。俺の人生は、あの鬼を殺すためにだけ存在する。
「…………はい。裏切らないで、くださいね?」
そう呟いたしのぶの、どこまでも昏い瞳。どこかで見覚えがあるような、ないような──そんな感覚がした。
結局、詳しい診察は後日行うということにして俺達は別れた。戻ってきたばかりで、生活の基盤が狂いに狂ってる俺の現状もあり負担にならないよう、としのぶが提言してくれた。
当時から変化がない屋敷を見る。なんの変哲もない、普通の廊下。ただの廊下の筈なのに、俺の脳裏にはあの頃の光景が浮かんでくる。
カナエがカナヲの手を引いて走って、それをしのぶが怒りながら追いかけて、俺が笑っていた。
もう二度と帰ってくる事はない景色。俺が壊して、崩壊させた光景。あの頃の風景は、なんて綺麗なんだろうかと今になって思い知らされる。
後悔なんていくらしても意味がない。後悔をして、それで何になる。
胸の真ん中が、ズキズキと痛む。果たしてこの痛みは、俺の内臓の痛みなのか、それとも──心、なんてモノの痛みなのか。わからない。わからないことばかりだ。世界は、不平等で、不公平で、理不尽なことばかりだ。
だからって、嘆いているだけではどうにもならないんだ。進まなければいけない。
「──あ、回帰さん!」
後ろから声をかけられて、思考を中断する。振り替えると、件の少年──竈門炭治郎がいた。怪我人の着る服装ではなく、隊服と、籠を背負っている。
「あの、その……身体は大丈夫ですか?」
多分、お前よりは大丈夫だろうな。残っている古傷も、どれくらい持つのかはわかっているつもりだ。そっちこそ大丈夫なのか?
「はい。まだ塞がりきってはいないですけど、問題ないです。……あの、真菰の事なんですけど」
……ああ。覚えてる──というより、思い出した。あの山で、俺が未熟だったから救えなかった命だ。俺がもっと強ければ、もっともっと鬼を殺していれば救えた。……真菰が、何か言っていたのか?
死んだ真菰の遺言なんて、誰も知っているはずはない。最期を看取った俺がいうのだから、間違いはない筈だ。だが、不思議と聞いてしまった。
この少年は、きっと何かを知っている。腰に付けたその面が、そう言っている気がするのだ。
「はい、その──……信じられないかもしれませんが。『私は、嬉しかったよ』って」
──……そうか。
嬉しかった、か。お前を救えなかった俺に、そんな言葉を告げるんだな。お前は優しいな、真菰。あの夜、死ぬ寸前に見せた微笑みは、安堵の笑みだったのだろうか。痛い思いをした筈だ。どうしようもないほどの恐怖に襲われた筈だ。なのに、笑いかけたお前は──強くて、優しいな。
真菰も、カナエも、俺よりずっと強い。俺のように何もかもを恐れ続けて、逃げ続けて、失敗した男とは違う。死という明確な脅威と戦って、散って、なのに気丈であるお前達は──俺なんかには勿体無い。
「…………あ……」
足掻かなければいけない。
前を向かなければいけない。
進むしかない。前へと、足を進めるのだ。童磨を殺すその日まで、俺は我武者羅に生き続けるのだ。