煉獄家に到着した。
到着したは良いが、何故か空気が淀んでいる。というより、全体的に暗い。荒れた様子は無いが、それでも沈んだ空気感は否めない。
扉を開き、戻ってきたことを伝える。
……ドタドタと奥の方から走る音が聞こえてくる。なんだ、いるんじゃ無いか。それにしたってこの暗さ、一体何があったんだ。姿が見えたのは──杏寿郎。
「──やはり生きていたか!」
嬉しそうにそう言いながら駆け寄ってくる。
生きていたか、ああ。試験には受かりましたよ、兄弟子殿。そう言うと堅苦しいな、と笑わられる。それが性分ですから、仕方ない。
「……随分と、帰ってくるのが、遅いんじゃ無いか?」
杏寿郎に続いて、槇寿郎がやってくる。なんか額に青筋が浮き出ていて、これは……怒っているな。何故か。
遅くなったのは申し訳ありません。道中鬼に遭遇したもので……あ、鬼は殺したので心配ありません。
そう言うと呆れたように溜息をつかれた。
「隊服も刀も無いのに何故……まあいい。よく帰って来た。お前はやはり凄い奴だな」
ポンポンと肩を叩かれる。
ありがとうございます、そう告げてから家の中に入る。何よりもまず──身を清めたい。十日近く同じ服を着ているし、川で軽く身は洗っていたがその程度しかしていない。ゆっくりと風呂に浸かりたい。
傷に染みるかもしれないが──そんなのは耐えればいい。痛いのは嫌だが、その程度はなんにもならん。
眠気も凄いが、先に風呂だ。
借りる事を告げて、風呂を沸かす。幸い水は張ってあったのであとは温めるだけである。これが長いのだが、鬼を殺すよりは早く終わるんじゃ無いか。一呼吸毎に炎を意識する。目の前で燃え上がる火。この熱気、様子、全てを目に入れる。
炎の呼吸は、真っ直ぐだ。燃え上がるような激情に反映し、それでいて冷静に。振るわれる刃は一刀の下に鬼を斬る。闘気が見せる映像は、常に荒れ狂う山火事の様。弧を描き、炎が意思を持っているかの如き奔放。
風呂に浸かる。自分で沸かして自分で入る。
炎の呼吸で生み出せる炎が実際に熱ければ応用できたが、呼吸はそんな便利なものでは無い。人間ができる、ギリギリの能力。鬼のように便利な代物では無いのだ。ひたすら研磨して修練し技術を習得し、それでも尚足りぬ技。
自分で温めるのは面倒だから、翌日に薪を割ることにして使える分全部ぶち込んだ。お陰で火力が増して──熱い。いや、熱くないかこれ。
流石に火力上げすぎた。だが仕方ない。責任を取ってしっかりと浸かるべし──そんなこんなで燃え尽きるまで入っていた。一時間ほど湯船に浸かっていたら、火で直接熱せられてる底についていた足が爛れていた。道理でピリピリすると思ったよ。
呼吸で何とか操作する。
爛れた部分を治しつつ、風呂の後始末を行う。木が燃え尽きて灰になっている。……いつか、炎の呼吸はこうなるのだろうか。燃えて燃えて燃え尽きて、灰に至る。そんな話は聞いたことないが、あってもおかしくない。
火は、何かを燃料に燃える。ならば、俺たちの燃料とは何なのだろうか。俺は、復讐心。これが燃え尽きることはあるのだろうか。
──いいや。奴を殺すその日まで、尽きることはない。
灰になった木を握り潰す。
奴は仇だ。十二鬼月──奴等は全員殺す。一体残らずこの世から消し去る。そうしなければ、負の連鎖は消えないのなら。そうしても、消えないのなら。
消えるその日まで戦おう。この命尽きても、必ず。
「失礼する。この家に不磨回帰という者はいるか」
突如として煉獄家に訪れたひょっとこの面を被った不審者。たまたま俺が一番近かったから出たが、一体何者だろうか。
このまま返事していいのか。もし俺の命を狙う刺客だったらどうす──いや、今は昼間だから。太陽出ているから問題ないだろう。少なくとも鬼じゃない。
不磨回帰は私のことです、そう告げると背中の荷物を解くひょっとこ。
「そうか、では手短に。俺は
刀──もしや、日輪刀か。
そういえば試験を終えた時にあの双子がなんか選べとか言ってきた気がする。あんまり話を聞いてなかったし、それどころではなかったから本当に覚えていないがあれは素材か。素材を選ばされたのか、俺は。
「特に要望はなかったから、一先ず通常な大きさで揃えた。もしこれを使って何か思ったら迷わず伝えてくれ」
日輪刀は、ある程度の修練を積んだ者が握ると色が変わる。
人によっては水の波打つような模様であったり、水玉であったり。漆黒の色もあるというが──煉獄家では少なくとも、統一された色が出るらしい。
袋に包まれた日輪刀を受け取る。そそくさと帰ろうとする鉄柱殿に声をかけるが、にべもなく断られた。曰く、もっと鉄が打ちたい。帰らせてくれ──だそうだ。そう言うのなら仕方ない、またよろしくお願いしますと告げて帰宅するのを見届けて家に戻る。
修練を行なっている杏寿郎に声をかけて、見せる。
俺の日輪刀が出来た、と伝えて見せる。これが日輪刀──成る程。丁寧に処理された加工、握りやすさ。軽さ──とてもちょうどいい。そうして握ったところで、日輪刀に色がつく。俺が握る根元の方から、何にも染まってない光る色から、紅へと。
まるでそれは燃え盛る俺の感情を表しているようで、それと同時に──俺は炎が合っているのだなと、安心した。
「紅──お前にピッタリだ!」
杏寿郎が言う。
ああ、ありがたい。俺は、炎で良いんだな。煉獄を受け継いで、良いんだな。それが、今は何よりも嬉しい。お前はそれを認めてくれるんだな。
──全集中・炎の呼吸。
燃え盛る炎を体現しろ。その身一つで敵わぬ相手に食らい付け。それこそが鬼殺隊なのだから。先に届いていた隊服を着て──……うん。あー……こう、ピッタリ吸い付くような服はあまり馴染みがないから居心地が悪いな。すぐに慣れるんだろうけど。
なんか良いのないですか、杏寿郎殿。
「隊服の着心地が悪い──なるほど。ではこれを羽織ってはどうだ!」
いや、着心地が──そう言う前に羽織を着せられた。
ひらひらと白い無地の羽織が舞う。袖も何も通してないからひらひら漂うだけだが、なぜか落ちない。飛ばない。すごいな、これ。どうやってるんですか?
杏寿郎はふふんと自慢げに笑うだけで何も答えない。根本的に着心地に変化は何もないが、まぁいいか。それも慣れる必要があるのだろう。
『──
鎹鴉と呼ばれる、鬼殺隊士に命令を下す鴉が叫ぶ。予想の数倍煩いソレに思わず顔を顰めながら刀を納める。
どんな鬼が待っていようと、知らん。鬼というだけで悲しみの連鎖になってしまうのだ。ならば、殺すしかない。覚悟を決めろ。
俺は鬼殺隊の一人、炎の呼吸の継承者だ。
「初任務だな。大丈夫、必ず上手くいく!」
杏寿郎が声をかけてくる。ありがとうございますと返事をして、歩き出す。さぁ、待っていろよ上弦の鬼。俺は必ずお前を見つける。見つけて、絶対に仕留めてやる。
その為に、生きているのだ。
二日ほど歩き、目的の場所へと到着した。
極普通の街、少し発展してるのか程度に感じるが何が起きているのだろうか。街を歩く人たちの顔付きは明るくない。この感じだと、個人を喰らう鬼がいるわけではなく町全体の迷惑になっていておかしくないな。
刀を隠すため、背中の羽織に包んでいる。お陰で歩きづらいけどもうそこは仕方ない。政府非認可なのだからもう諦めた。
噂話程度に話を聞いておきたい。
こういう時は、情報が集まりやすい場所に行けとよく言っていたな──ならばあそこか。
「お、いらっしゃい」
お邪魔します、三色団子二つください。
腹ごしらえついでに話を聞く事に。何か最近、お困りのこととかあったりしませんか。なにやら街の空気が淀んでいる様に思えますが。
そう言うと、気の良さそうな店主が頬を書きながら団子を持ってくる。
「……困ったこと、かぁ。兄ちゃん、他所から来たんだろ?」
えぇ。旅の途中で、まだ東に向かう予定です。
「だったら、この街に泊まらんほうがいい。……最近、失踪する奴が夜な夜な増えとる」
それは、突然始まった事だった。
ある日、一人の若者が居なくなった。人望のある、将来を有望されていた人物だったらしい。街の人間が総出で探し回り、それでも見つからず──途方に暮れていた頃に、その若者の家にある物が届いた。差出人は不明。夜の間に届けられていたとの話で……その中身は。
失踪した若者の、生首。
それから、二日に一回は起きる様になった。
既に夜を歩く者も居らず、その被害は収まったが依然として恐怖が残っているそうだ。夜限定の犯行で、昼間は現れない。しかも届けられた生首の断面は、必ずと言っていいほど何かしらの噛み跡が残っていたらしい。
──鬼か。
夜限定。昼間は出ない。そして家の者を知っている──とすれば、この街の住人にいてもおかしくは無いな。そっちの方が辻褄が合う。
夜、出歩いてみれば簡単に引っかかるかもしれないな。取り敢えず今日はそうするか。
ありがとうございました、店主殿。これはお代と、話をしてくれた礼です。
普通より多めに出す。
隠した刀を肩にかけ、今日泊まる場所を探す。民宿があれば良いんだが──まぁ、どこでも良いか。どうせ夜には出るのだ。
それに、苦しんでいる人がいる。なのに、俺だけ良い思いをするわけにはいかない。
その間に、被害に遭ったという家を訪ねることにする。話は聞いておきたいし、何より……苦しみを、聞いてあげたい。苦しんで苦しんで、それを誰にも吐き出せないのは辛い。重いんだ。胸に何かが溜まる様な、そんな感覚。
だからこそ、俺たちは親身にならねばならない。
鬼を憎んで、人を憎まず。人にも悪人はいる。だが、悪人は人を喰わない。人には人の法がある。鬼には無い。それだけの事だ。
裁けぬのなら、
そうして、街の人の話を聞いて回る。
息子が被害に遭った夫婦、娘が無残な姿で帰って来た初老の男性、他にもたくさんの人が悲しみに包まれている。一体、鬼はどんな面を下げているのだろうか。下卑た笑みだろうか。ああ、そうに違いない。
陽が落ち、完全に闇に染まった街。
これだけ暗く視界が遮られていれば、鬼が蠢いていても気付かない。相変わらず卑怯な奴らだ──なぁ、そう思うだろ。
「ああ?」
背後から忍び寄って来た奴に声をかける。汚らしい、悍ましい声だ。鬼特有の不愉快さを煮詰めたかのような質。どうして他の人は気が付かないんだろうか。何故こんなに気が付かないのだろうか。
──とても人とは思えない、醜い声だ。
「何だ、わかってて来たのかよ。──死にてぇって事だよな」
襲い掛かってくる気配。
あの山に居た鬼より、数段早い。人を喰ってきたのだろう、軽く10は超える数を。貴様の様な──貴様の様な卑怯者が居るから、悲しみが続く。元から鬼だったとか、元は人間だったからだとか──関係ない。
お前はもう鬼だ。治ることは無い。例えこの街の人間だったとしても──お前は人を喰らったのだ。
──全集中・炎の呼吸。
火が灯る。暗闇に忽然と姿を現した炎が、鬼の姿を照らす。
醜いなぁ、鬼。飛び掛かるその姿。我慢できずに口から涎を垂らすその顔。
刀を抜刀し、一瞬で後ろへと振るう。鞘との摩擦で発生した火花が散る。鬼の頸目掛け、回転斬り。わざわざ技を使う必要もない。両腕と、頸を切断しそのまま振り抜く。
ドシャリと音を立てて地面に転がる。背後から聞こえたその音に、一先ず日輪刀の血を振り払い納刀する。
死ぬ前に一つ、聞きたいことがある。
生首だけになり、身体と切断された腕も別の場所で灰になりつつあるのを見てから問う。何故だの、ふざけるなだの喚いているが気にしない。
──十二鬼月、上弦の弐はどこにいる。
答えないのなら──お前は用済みだ。さっさとくたばれ。